ハルメクWeb様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん。心臓やがんの大きな手術からすっかり回復した2018年(※取材当時)、96歳の寂聴さんは「近頃、何だか若返ったみたい」と、飄々(ひょうひょう)と笑いました。当時語った、若さの秘密、死への思いとは?
目次
- 死ぬのはまだまだ先のような気がするし、怖くない
- いざ死んだら、怖さも懐かしさも無になるという覚悟
- インスタを始めました。面白いわね
死ぬのはまだまだ先のような気がするし、怖くない
2018年5月15日に96歳の誕生日を迎えました。私の家族はそろって短命で、たった一人の姉も、66歳でがんで亡くなっています。まさか私だけ96歳の今まで生き続けるなんて、自分でも不思議ですね。
92歳のときに腰椎の圧迫骨折や胆のうがんで療養生活を余儀なくされました。それでしばらく休んだからなのか、今は心身ともにエネルギーがたまっていて、7月から連載を始めるんです。文芸誌「群像」で、タイトルは「その日まで」。「その日」というのは「死ぬ日」のこと。小説ともエッセーともつかないものを書こうと思っています。
最近は、何だか「死ぬ日」はまだまだ先のような気がしているんです。
今朝の写経の会(月1回、京都・寂庵で開かれている会)でも、久しぶりに般若心経をすらすら書けました。ちょっと前までは、目がかすんで、手が震えて書けなかったんですよ。それが今日はちゃんと書けたから、うれしくて仕方ない。40年来の知り合いから、「20歳若返ったみたい」と言われました(笑)。自分でも、近頃は若返っているような気がしますね。
毎月1日、京都・嵯峨野の寂庵で開かれる写経の会。この日、寂聴さんはゆっくりと一字一字、筆をすすめ、見事に般若心経を書き上げました
うちには私より66歳下と69歳下の秘書がいます。最初の頃は考え方が根本的に違っていて、びっくりしたけれど、今はむしろ私の感覚が若い人寄りになってきたようです。
とはいえ、よく考えたら96歳ってずいぶんおばあさんだから、夜寝るときに「もし、このまま朝になって目が覚めなくても、不思議じゃないのね」と思いますよ。朝、秘書がやってきて、私が起きていないと「息をしているかどうか心配で、いびきをかいているとホッとする」って言いますもん(笑)。だけど私は昔から、死ぬことは怖くないんです。
いざ死んだら、怖さも懐かしさも無になるという覚悟
私の若い頃は、死というのは身近にありました。当時、みんなが恐れたのは結核。なぜか女は美人、男は秀才がかかって、若くして惜しまれる人がたくさん死んでいった。私は自分を秀才だと思っていたから、もしかしたら早く死ぬのかしらと思っていました。
それから51歳で出家して、死について考えさせられる出来事がありました。娘が嫁いだ先のお姑さんと、私は娘抜きで仲良くしていたんですね。その方ががんで相当悪くなり、「会いたい」と言ってきた。
お別れのつもりで伺うと、彼女は仏さまのある部屋で布団に寝ていました。まさにいまわの際で、近所のお医者さんが来ていて、子や孫たちもみんな集まっていた。私が枕元でじっと顔を見ていると、彼女が目を開けました。
それで「こんなにみんなに見守られて、あなたは幸せね」と語りかけたんです。そうしたら、死にかけている人がパッと目を見開いて「だから死にたくないのよ」と叫びました。「どうして私一人が逝かなきゃならないの。このままみんなと一緒にいたい」と。
私が黙って手を握っていると、彼女は言いたいだけ言って気が済んだのか、おとなしくなりました。そのとき思いましたね。「死が怖い」というのは、自分の命が惜しいとかそんなことじゃない。この懐かしい環境から一人だけ抜けるのが心細いんだと。
けれど、それも考え方一つなんです。生きている間に会いたい人に会って、あとは死ぬのは仕方がないことだと、覚悟できるかどうか。そんなふうに思い切るのは無理、と思うかもしれませんが、いざ死んだら、怖さも懐かしさも無になると私は思います。もちろん、まだ一度も死んでいないから、本当のところはわかりませんが、死んだら無という気がしますね。
戦時中、私は夫がいる中国へ渡り、終戦を北京で迎えました。そして故郷の徳島に引き揚げると、駅で知人と会い、「お母さん、防空壕で亡くなったのよ」と言われたんです。そこで初めて母の死を知りました。
徳島大空襲の日、母は祖父と一緒に小さな防空壕に避難し、助けに行った父に「私はもういい」と言って、死を選びました。見事な自殺ですよ。
あんなに私のことを好きだった母が、そのとき何も知らせてこなかった。夢にも出てこなかった。だから死んだら、会いたいとか懐かしいとかいう感じはなくなるんじゃないかしら。そう思うと死ぬのは怖くないし、私は何だかケロッとしていますね。
インスタを始めました。面白いわね
ここ寂庵で暮らすようになったのは、出家して2年目でした。最初は花一本ない造成地で、「ドッグレースができますね」ってみんなで笑いました。それで、お祝いに来てくださる方に「ものはいらないから、木の苗か花の種を持ってきて、好きなところに植えてください」と言ったんです。
みなさん、小さな木や花の種を携えて、庭の好きな場所にご自分で植えていきました。それが、この庭になった。今となっては、木を持ってきてくれた方たちはみんな亡くなっています。45年たちますもの。
寂聴さんが、四季折々の花に寄せて人生の旅路をたどり、幸福の智恵を伝える、珠玉の最新エッセイ集『花のいのち』(講談社刊)
でも私は、誰がいつ何を植えたか覚えています。だから、一本一本がその人たちのお墓なんですよ。そろそろ私のお墓となる木も選んでおこうと思っています。
そうそう、最近、秘書の発案でインスタグラムを始めたんですよ。毎日フォロワーが増えるのが面白くて、朝起きると、まず秘書に「いくら増えた?」って聞くの(笑)。新しいことって何だか気になるじゃないですか。それこそ、おしゃれでも何でも新しいことをやってみるのはいいことですね。年齢なんて関係なく、いつまでも新鮮でいられますよ。
瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう 1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年に平泉中尊寺で得度、法名寂聴となる。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞受賞。98年『源氏物語』現代語訳を完訳。2006年、文化勲章受章。
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