飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

ゴハチの記録 EF58 154

2019-09-25 07:00:00 | EF58
153号機も152と同じつらら切り装備車であったようだが
未撮影に終わってい154号機に飛ぶ。
一般的な宇都宮のカマでこれといった特徴はなかった。
荷物列車での撮影記録はあったが、数少ない走行シーンが
あったので、UPします。劣化が激しく色調整しきれませんでした。
津軽、八甲田あたりかと思われます。

撮影日不明 川口

ゴハチの記録 EF58 152

2019-09-24 07:00:00 | EF58
荷物列車を撮影しているころには廃車になっていたようだ。
大昔の川口での撮影。
89号機同様ひさし付きが特徴だ。
川口のこ線橋は今もあるようだが撮影はできないかもしれない。
また客車の普通列車があった時代であることが伺える。
上野駅でのカットは、おそらく、八甲田ではないかと思うが
14番線から出る、列車は臨時の、おが3号6403レや
津軽3号405レもあったので確定はできなかった。


撮影日不明 川口
1982年10月11日  上野

ゴハチの記録 EF58 151

2019-09-23 07:00:00 | EF58
151は荷2634レでも撮影しているが、20系とのコンビカットがあった。
多分津軽か、八甲田あたりなんだろうが、20系か58かのどちらかが
終了するので、撮影に行ったと記憶している。
カマ狙いでないことは確実だった。
当時のASA400だが、今のデジタルの6400以上の粒状性だ。
今は悪条件もお手軽だが、フィルム時代には、高感度を使うことを
迷って撮影したものだ。

撮影日不明 鶯谷

ゴハチの記録 EF58 150

2019-09-21 17:11:50 | EF58
最後まで残った宮原の150号機。宮原のカマを残すならこんな番台でなく
もっと残して欲しい番号があった。浜松の60号機のように人気のあったカマは
皆解体されてしまった。JR化後引き継がれたという運命で残った58だ。
末期は89号機同様茶色になって活躍したが、京都入りで青に戻された。
やはり青のほうがいいと思う。
茶の時代も撮影しているが、青色現役のころの150をUPする。

上 1984年1月28日 荷2033レ 戸塚~大船
下 1984年3月25日 臨9821レ 豊橋

ゴハチの記録 EF58 148

2019-09-20 08:08:47 | EF58
3両体制前の東京区の最終番号の148号機。
荷物列車では未撮影だった。
下関への転属なく廃車になってしまった。

上 1983年7月16日 臨8346レ 大井町
中 1983年4月30日 臨9742レ 東戸塚
下 1983年4月17日 臨9812レ 品川

ゴハチの記録 EF58 146

2019-09-19 07:00:00 | EF58
58の荷物列車の最終列車を飾った146号機と記憶している。
最後は山崎の築堤でその姿を納めている。
ここももう家が建ってこんな風には開けてないと思う。
この写真ではわかりづらいが、全面のクリーム部分に惜別の文字が
入っている。列車最後尾部分に見える茶色の建物が
サントリーの工場だ。今はこの位置からは見えないのではないか。
下の関ヶ原のカットの折り返しが山崎のカットだと思われる。

1984年3月29日 荷2031レ 山崎~高槻(当時)
1984年3月28日 荷38レ 関ヶ原

ゴハチの記録 EF58 143

2019-09-16 07:00:00 | EF58
143号機はこの1カットのみしかなかった。
品川での昼のプレゼントこと単2033レ。
当時の宮原と宇都宮の58の重連になる定期重連回送だった。
すでにブタ目になってしまっている。
どうもこの143号機は、58の撮影を開始したころではないようだ。
記録がなかった。

撮影日不明 品川 

ゴハチの記録 EF58 142

2019-09-15 07:00:00 | EF58
浜松区の58。上の写真は、意外に少ない浜松区の団臨の模様。
通常は荷物列車でしか撮影はなく、東京、宮原の58がいる中で
中京の58による団臨はあまり撮影した記憶がない。
東西のサロンEX東京や、なにわに出遅れしたユーロライナーが
登場したのは浜松区の58が廃止になってからだった。
一番下の大船のカットのみ、コダクロームでの撮影だ。
退色がないのがよくわかる。


上 1983年5月5日 臨9322レ 戸塚~横浜
中 1984年2月22日 荷31レ 戸塚~大船
下  1984年1月20日 試6961レ 大船