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2014 別府大分毎日マラソン レース編(後篇)

2014年02月10日 | Run
海岸線を抜け、大分市内に入る頃から天気も回復し、沿道の応援も熱を帯びてきます。
さすが歴史ある大会、心温まるすごい応援でした。

ですが25km以降のの給水所にもコップが不足しており、こんな状態が最後まで続きました。
参加料8000円、私のような庶民にとっては、ちょっと痛い金額です。

コップの原価いくらなんだろうと思ってしまいます。

ともあれ、ハーフも過ぎると周りで走っているランナーには不思議な連帯意識が生まれ、ゴールを目指すいわば戦友のような意識が芽生えるのでしょうか?

スポーツ飲料はまだ残っているので、ボランティアの方からペットボトルごといただき、選手同士で走りながら仲良く回し飲みです。

一瞬、インフルエンザ大丈夫かなと思いましたが、そこはプチアスリートの皆さんですから、一般人より罹患している可能性少ないだろうと思いました・・・・(笑)

弁天大橋の手前でトップ集団とすれ違います。
やっぱ、早いっす!
ストライドの次元が違う。
でも、そんな人たちと一緒に走れるなんて、やはり幸せ者だとポジティブシンキング(笑)

ほとんどフラットなスピードコースと言われるで別大マラソンでの貴重な上り、弁天大橋が迫ります。

でも、最近、坂が嫌いでなくなってきたんです・・
というのも、練習で坂を上っているので、そんなに苦にならないどころか、なんか坂が好きになりました。
上り坂をルンルンと上りながら、次々と前をいく数人をパス(笑)

弁天大橋を過ぎると、新日鉄正門前を通る山海橋交差点までの果てしなく続く直線道路を進みます。
この辺りから気温が上がり、だんだんとペースダウンする人が増えてきます。

若いゼッケンナンバーを背中に背負いながらも足を引きずる人やバケツの水を頭からかぶったように汗びっしょりになっている人など、いろいろな様相の人が増え始めます。

山海橋西の交差点を右折すると、これまでのような大きな道から片側1車線の裏道に変わります。
それでも沿道の応援は途切れず、道が狭くなったせいか、かえって声援を肌で感じながら、マラソンの一番きつい35km地点に差し掛かります。

この辺りに来ると、更に苦痛に顔をゆがめながら走る人も増え、自分の言うことを聞かなくなった太ももに自分のこぶしをぶつけながら走る人や、立ち止まってストレッチを繰り返す人、泣きながら歩いている女性など様々な人間模様を横目で見ながら敢えて、淡々と進みます。

皆さん誰の力も借りずに自分と戦っています。
私自身、人のことを心配する余裕などなくLAPはどんどん低下していきます。
それでも、ゴール地点の陸上競技場を2度目に横切るころには制限時間内のゴールを確信し、最後の力を振り絞り弁天大橋を上り返します。

浜町を左折し、街中に入りさらに左折すると大分市役所や県庁前は本日一番の人出です。

ものすごい沿道の応援に応える余裕もなく、最後の橋、舞鶴大橋を渡ります。

橋の上からは、大分出張の時、JOGした川沿いのコースが懐かしく視界に入ります。
陸上競技場の高い照明塔がこちらを手招きしているようにも見えます。

心持ちピッチを早めマラソンゲートをくぐると、後はゴールをめざしトラックを3分の2周ほど・・・・
なんちゃってラストスパートでかなりの順位を上げ、念願のゴールラインを越えることができました。
ゴール直前に、最後の40km関門閉鎖のアナウンス・・・・そこで何人のランナーが涙をのんだのかななどと少し感傷的になりました。

ゴール後、力を使い果たしたため、ゼッケンの計測チップがなかなか外れず、ボランティアの高校生に申し訳ありませんでしたが、フィニッシャータオルを肩からかけてもらい、言葉も出ないくらい感動しました。
しばらくの放心状態を経て、「カテゴリー3の皆さんはテント方面から退出してください」とのアナウンスで我に返り、競技場を後にしました。

後で分かった話ですが、無料配布の「ふぐ雑炊」はエリートさん達に出口近くに用意されていたようです(笑)

カテゴリー3のランナーにはアナウンスさえありませんでした。

記録の無料刺繍もしかり。
カテゴリー3側に用意された刺繍コーナーらしきブースは間口がふさがれ人の気配さえありませんでした(笑)

それにしても最初から最後まで、良くも悪くもエリートランナー優先を思い知らされる結果となりました。

「悔しかったら、速くなれ!」ということですかね。
そういう意味では、とても硬派で分かりやすい大会でもあります。

さてさて、実はGPSの記録によると39kmと40kmでキロ5分をオーバーしていましたので、GPSの精度がどの程度のものかはさておき、その2kmをあと10秒ずつ縮めていれば、グロスで20分切りができるところでした。

また、ラストの400mを本日最速のキロ3分台でスパートできたとうことは、全体としてもっと効率的なペース配分があったのかもしれません。

でも、これが今の自分の実力、この歳で、記録更新ができたことの方を素直に喜びたいと思います。

年賀状に「別大チャレンジ」を書いてしまったので、その日のうちに、ネットの記録速報を見た関東方面の人からもお祝いのメールもいただきました。
ありがたいことです。
全国放送のマラソン大会はさすがにレスポンスが早いなあと、感心することしきり。

今回、もっと安定したペースや、スパートのタイミングなどいろいろな課題は残りましたが、別府まで遠征した甲斐はありました。

来年度以降の資格に変更がなければ、あと2年間の出場資格を得たことになりますが、いろいろと考えさせられることもあり、さてさてどうしたものか・・・(^_-)



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