10月28日(木) 予定/西安観光(兵馬俑博物館、始皇帝陵、華清池、大雁塔、西の城門)
西安空港発19:50 →(HU-7827)→ ウルムチ空港着23:10
6時モーニングコール、洗面後出発の準備と荷造りを済ませてホテルの2階のレストランでバイキング形式の朝食をとる。7時30分ロビーに集合、ポーターがいないので各自スーツケースをゴロゴロ異様な音をたてながら広場で太極拳やダンスをする市民を横目にバスまで歩く。
バスは東大街を走り有名な食品市場がある炭市街を通り東門を抜け,兵馬俑坑博物館へ向かう。街を抜けると畑が広がりやがて、大きな駐車場のある博物館入口に到着。バスは更に奥に進み博物館近くの小さな駐車場に着ける。博物館入口から写真で見慣れていた体育館のような建物、第1号抗展示館のが見える。
いよいよ長年の夢がかなう時が来た、かって、ここを訪れた恩師があつい思いで語ってくれたことを思い出す。最初に右手にある総合陳列館から見学する。ここには始皇帝陵から発掘された銅製の馬車が2基展示されている。大きさは実物の2分の1で傘がついた一人乗り馬車と輿がついた馬車で各々4頭立ての立派なもの。相当身分の高い人物が使ったものと思われる。
資料によると各々3000点の主に鋳造で造られた部品を組立てたもので、造形力や金属加工技術の高さがしのばれる。
次に第1号坑展示館に入ると一段下がったところに一部復元された兵馬俑群がこちらを向いて整然と並んでいるのが見える。
全部発掘すると6000体になると言う、現在はその内の3分の1弱が復元が済んで元あった場所に置かれている。兵馬俑の配列は長さ230m,巾62mで先鋒、主体、側翼、保衛からなる当時の歩兵を主力とする軍陣を再現している。なぜか復元された兵士の手に武器はなかった。武器を持ていたらもっと迫力があったのではないかと思った。
強力な軍隊であることを誇示するために兵俑は高さ180㎝と実際より大きく、しかもそろえて造られている。顔は異なっておりモデルがいたと言われている。色が残っている俑が出土していることからきれいな彩色が施されていたことがわかっている。
造られた当時は勇壮でありかつ,きらびやかな雰囲気に包まれていたのではないだろうか。兵馬俑を見て始皇帝亡き後も秦は永遠に安泰と思ったであろう。
しかし、直立不動の姿勢と喜怒哀楽を押し殺しているように見える兵俑の顔が気になった。それは神でもある皇帝の絶対の命令の下、自発的に兵士としての役割を果たす一糸乱れぬ強固な意思を表しているようにも思える。これらを造った労働者も何の疑問も持たず、神の命令に懸命に従ったのではないか、それが兵俑の表情に現れているのではないか。
兵馬俑坑博物館は博物館としての機能を果たすと同時に発掘の現場でもある。堆積した土が取り除かれ、土の重みで潰された状態の兵馬俑も、まったく手がつけられていない状態も見ることができた。発掘前の状態から発掘中の状態、完全に復元された状態まで一連のプロセスを見ることができるユニークな博物館なのだ。粉々になった俑を復元するには大変な時間と労力が必要だろう。しかし、何十年、年百年かかろうが中国人ならやりとげるだろう。巨大な第1号坑展示館で秦時代と変わらぬ中国人のパワーと時間感覚を思い知らされた。
第2号坑展示館は1号館の半分位の大きさでここでは戦車と弓を主力とするL時型の軍陣である。兵俑を覆っていた天井の構造が良く判る。また、先頭に立ったまま鎧も着けず弓を射る下級兵士、鎧を着け中腰で弓を射る兵士、高級将校、中級将校、騎馬兵等復元された兵馬俑がガラスケースに納められ近くから観察することができる。下級兵士は弓よけであったのであろう。消耗品のように取り扱われたのではないか。
見学を終え兵馬俑の複製品等を売るミュージアム・ショップに入る。発掘のきっかけとなった農民のサイン入りパンフレット
「秦の軍陣/死して更に生きた」を買う。中国人は商売がうまい。
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