小田実「なんでも見てやろう」
1961年に出版されたベストセラーに青春時代の私も大いに影響を受けた。古本が手に入るので是非、現代の青年にも読んで欲しい。私は小田のモノの見方、考え方は身についてしまったようにも思える。そのいくつかを紹介したい。
「貧困について」
小田はヨーロッパから中東へそしてインドへ流れ着く、インドでは詩人と会見し、文学や政治そして「貧困」が最大の話題となった。『ハダシとボロの召使がここ(詩人宅)にもいたが、あまり気にならず、私は浮き浮きとさえしていた。』 略 『私は満ちたりた気持ちで彼と別れた。』(略)こんな折、『ホテルの前で腰を下ろしたとたん、ホテルの掃除夫からじゃけんに追い立てをくったのである。掃除夫といえば、おそらく例の不可触か、よくてせいぜいカーストの最下層にとどまるであろう。私は追い立てをくったことに怒り、そうした連中に追い立てをくったことで一層怒っている自分(私は人種差別や階級的差別、ましてこのばかげたカースト制度などに強く反対してきたはずであった)に、また腹をたてた。私はたまらなくユーウツになり、あてもなく夜ふけのカルカッタをさまよったのち、とある街路の片隅に性も根もつきはてたかたちで身をのばした。』 略 『私が書きたいことは、そのときに私が胸に感じたことについてである。それは、一口に言って、もうこれはタマラン、ぜがひでも、なにがなんでも、ここから逃げ出したい気持ち、いや、激しい欲望であった。こう書いていても、私は気が進まぬのを覚える。私はなんという卑怯者だろう。ベンガルのえらい詩人とアジアの「貧困」を論じたとき、私はあんなにも雄弁であったではないか。それがいざ貧困に直面すると、眼をむけるどころか、背を向けて一目散に逃げ出そうとする。』
勇気のある告白だと思う。たてまえを述べる人は多いがほんとの自分をさらけ出す人は少ない、自分もそうだ。
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