「忘れられた日本人」宮本常一著 岩波文庫「名倉談議」から
愛知県北設楽郡旧名倉村(現設楽町)で宮本が村の生活の調査の一環として村の郷土史家に頼んで、70歳以上の老人4人(金田茂三郎、後藤秀吉、金田金平、小笠原シウ)に寺に来てもらい話に花を咲かせた。話の中で宮本を感動させることがあった。以下、原文。
「そのとき、きいていて大へん感動したのは、金田金平さんが夜おそくまで田で仕事をする。とくに重一さんの家のまえの田では夜八時九時まで仕事をした。重一さんの家はいつもおそくまで表の間に火がついていたので、そのあかりで仕事ができたと言ったら、小笠原シウさんが、それはいつもおそくまで火をつけていたのではなくて、今日は金平さんが仕事をしているから、また夜おそくなろうと、わざわざ明るくしてやっていたとはなし、しかも、この座談会でそれが語られるまで、一方はその好意を相手につたえておらず、相手の方は夜のおそいうちだと思いこんでいたという事実である。村共同体の中にこうした目に見えないたすけあいがあるものだと思った。無論それと反対の目に見えないおとしあいもあるのであるが、、、。」
なお、名倉談議は他の文章から昭和30年代に行われたと、また、重一さんの親が戸を立てないように(灯りが外に漏れるように)指示したとあります。
相手に負担を感じさせない助け合いが自然に起こる、それはどのような村でどのように醸成されたのか、宮本の重要なテーマである。
この人は何に困っているのか、何をして欲しいのかを読み取り、さりげなく(相手に負担を感じさせないように)心を配る「おもてなし」の原点があるように思えた。
また、より積極的にそうせざるを得ない、そうあるべきまで昇華させた宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」も同根のように思える。
もちろん、宮本は農村が良いことばかりとは考えていない。封建的で閉鎖的で陰湿な面があったがそう言う面だけでないと言っているのである。
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