第22日目 ホノルル出航9日目 9月12日(火)時差9時間 夏祭り
8時、カミさんに起こされる、8時30分、朝食14階で茹卵、ハム、チーズ、肉と野菜の煮物、サラダ、ご飯無し。同じテーブルに座った3人(78歳、65歳、60歳の女性)とピースボートの事、寄港地観光のことなど話し合う。私たちは前回乗った経験を披露する。女性は皆バラバラ、78歳と65歳は同室、乗船して知り合い、毎日、笑って過ごしているとのこと。
9時50分、帰室、カミさんは「保育園卒VSケンブリッジVol2」を聞きに行く。
11時40分、カミさん帰室、外を見ると潮の様子が変わった、所々色や波が違う、はっきり違いが分かる。飛魚もよく見かける一匹だったり数十匹の集団だったり、それを潜ったり空中で捕食する鳥も頻繁に見られるようになった。写真撮影を試みたが小さく動きが早いので難しい。鳥だけなんとか撮ったが飛魚を捕食しているところはまだ。
12時30分、14階で昼食、サラダは少なめ、パン、バター、ローストビーフ、カレー、デザート(小さなケーキ2個とゼリー1個を半分ずつ)コーヒー牛乳、13時、帰室、カミさんは昼寝。
15時過ぎ「洋上夏祭り」会場の12階へ、観客が大勢集まっている、中で若い人の浴衣姿が目立ち、お祭りの雰囲気が出ていた。会場は中央にプールやジャグジーがあってイベントがやりにくい場所。暑いので13階の日陰からファッションショー、大声大会、博多祇園太鼓、じゃんけん大会を見物する。若者中心の手作りイベントはピースボートらしさを感じた。祇園太鼓を叩いたヨガのインストラクターけやきさんに出会い、カミさんはピースボートで太鼓を叩いたこと、ニューヨークやバンクーバーで披露したことを話す、私は撮った動画を見せたら喜んでくれた。14階でアイスコーヒー、スイカを食べて帰室。休憩して「政治経済」の勉強をする。
20時、5階で夕食、タコスサラダ、具沢山のスープ、ビーフシチュー、果物、コーヒー。イベントを仕事にしている若者(静岡県藤枝市、篤人と同じ年齢)と一緒になる。CDを渡すと、快く受け取ってくれた。
21時、夏祭り会場へ、第三部「DJ Night」開催中、若者と大音響に溢れていた。早々に帰室して、リンゴを食べ、届いた船内新聞で明日の日程を調べる。
22時30分、洗濯をして、シャワーを浴びる。
第23日目 ホノルル出航10日目 9月13日(水)時差9時間
8時30分起床、9時14階で朝食。
10時〜11時「薬剤師と学ぶ腸活、良い菌の集める編」
・出生から3〜4歳で人生が決まる 糖尿病、花粉症、アトピー
・3歳まで腸内細菌叢安定 →一生を決定
・獲得の流れ →触る、舐める、口に入れる →色々な菌を獲得するチャンス
・種類は4種類
・善玉菌 20% 悪玉菌 10% 日和菌 70%
・帝王切開リスク
アレルギー 5倍 ADHD 3倍 自閉症 2倍
12時 昼食を済ませ 7階へ行く途中Kさんと出会い手話講座について意見交換する。
12時45分〜14時00分「世界一貧しい大統領のスピーチから幸せ地球の将来を考える」
SDGSの説明から入り、ウルガイの元大統領ムヒカ氏の国連での演説やピースボートでのスピーチの動画が流された。
<演説の内容>
水問題や環境の危機がこのことの本質ではない、見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり我々の生き方です。発展は幸せの邪魔をしてはならない、発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして必要最小限のもので満足するためにあるべきものなのです。なぜなら、それらが一番大切な宝物なのだから、環境のために闘うなら一番大切なものは「人類の幸せ」であることを忘れてはなりません。
14時15分〜15時 アモイの絆〜イースター島からの贈り物〜チリ地震、東日本大震災が結んだイースター島と宮城県三陸町の交流の話。
15時帰室して休む。
17時頃、6階でKさんと会う、色々話が出て話たりず、19時30分一緒に食事をすることになった。19時30分、5階のレストランで3人で食事、Kさんがビールを奢ってくれた。亡くなった夫に「最高の妻だった」と言われその言葉を大事に生きてきたとのこと。私達はどのようにして今に至ったかカミさんが分かち合う。食後はKさんがWiFiを繋いで「手話の十二支」を調べる。私たちも一緒に教わった。今度「手話」の自主企画をやるとのこと。
21時、帰室、明日があるのでシャワーを浴びて早めに寝る。
夏祭り
プール、ジャグジーなどがあってやりにくい環境でもスタッフ達は見事にイベントを開催した。
元ウルガイ大統領ムヒカの演説とピースボートを訪れた際の動画を紹介
かってはゲリラだったぺぺの経歴 *ピースボート・セミナーの資料から
1935年にモンテビデオの貧困家庭に生まれた。モンテビデオ大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながらも、1960年代に入って極左都市ゲリラ組織ツパマロスに加入、ゲリラ活動に従事する。ツパマロスと治安組織との抗争の激化、労働組合や職人組合の政治経済への反発といった時代のもと数々の襲撃、誘拐に携さわる中でムシカは6発の銃弾を受け。4度の逮捕(そのうち2回は脱獄)を経験する。
1972年に逮捕された際には軍事政権が終わるまで13年近く収監されており、軍事政権側の人質として扱われていた。ムヒカは出所後、ゲリラ仲間と左翼政治団体を結成し1995年の下院議員選挙で初当選を果たす。2005年に農牧水産相として初入閣、そして2009年度の大統領選で決戦投票で勝利した。2016年4月5日から12日にかけて日本を訪問。
元ウルガイ大統領ムヒカの演説
2012年6月から22日まで3日間、ブラジル・リオデジャネイロで開催された地球サミット2012(国連持続可能な開発会議)で「世界一貧乏な大統領」といわれていたウルガイのホセ・ムヒカ大統領によるスピーチを紹介します。*ピースボートの船内で開催されたセミナーで紹介されました。
この場に出席されている世界各国の代表の皆さん。ありがとうございます。お招きいただいたブラジル国民、そして大統領閣下に感謝します。これまでに発言された全ての方々が表明された誠意にも大いに感謝いたします。
いち国家指導者として、貧しい人々のための取り決めづくりに仲間として共に参加することを表明いたします。
しかし私たちにもいくつか声高らかに質問することをお許し願いたい。今日の午後ずっと、私たちは「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。けれど、私たちの本音は何でしょう?
この発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?質問させてください。もし、ドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を、インド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうでしょうか。もっとはっきり言いましょう。
例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?それは可能なのでしょうか?それとの別の議論が必要ですか?
今のこの文明をつくったのは私たちです。私たちは市場と競争社会から文明という落とし子を生み出し、物質面での脅威的な進歩をもたらしました。そして市場経済は市場社会をつくりだし、それを世界規模に拡大してしまいました。いわゆるグローバリズムです。そのグローバリズムを私たちはコントロールできていますか?逆にコントロールされてはいないでしょうか?
こんな残酷な競争で成り立つ社会で、「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が、本当にできるのでしょうか?私たちは本当に仲間なのでしょうか?私は今回の会議を否定するために言っているのではありません、違います、逆です。我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。人類は今、消費社会をコントロールできていない。逆に人類のほうがその強力な力に支配されているのです。
我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。人生は短く、あっという間です。しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。余計なものを買うために、もっともっとと働いて人生をすり減らしているのは、消費が「社会のモーター」となっているからです。なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい、経済がマヒすれば不況というお化けが我々の前に姿を現します。しかし今この行き過ぎた消費主義こそが地球を傷つけ、さらなる消費を促しています。
商品の寿命を縮め、できるだけ多く売ろうとする。今の社会は1000時間もつような電球はつくってはいけないのです。本当は10万時間、20万時間ももつ電球はあるのに、そんなものはつくらない。なぜなら我々は、もっと働き、もっと売るために、「使い捨て文明」を支える悪循環の中にいるからです。これは政治問題です。我々は今までと違う文化のために戦い始めなければなりません。
石器時代に戻ろうとは言っていません。このままずるずると消費主義に支配されるわけにはいかない。私たちが消費主義をコントロールしなければならないと言っているのです。ですから私は、これが政治問題だと言いました。とても謙虚な思いからです。かっての賢人たち、エピクロスやセネカ、そしてマイマラ人たちは次のように言っています。
「貧しい人とは少ししか、ものを持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだ」と、大切なのは考え方です。だからこそ、みなさんと共にこの会議に参加し、国家指導者として皆さんと共に努力したいのです。私の発言はみなさんを怒らせるかもしれません。しかし気づかなくてはいけません。水問題や環境の危機がことの本質ではないということです。
見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。なぜそうそう思うのか?
私は環境に恵まれた小さな国の代表です。人口は320万人ほどしかいません。けれど世界で最もおいしい牛が1300万頭、また素晴らしい羊が800〜1000万頭。食べ物、乳製品、そして肉の輸出国です。だからかって私の仲間たちは8時間労働のために闘い、ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。
しかし、そうなったら今度は仕事を二つ持つようになりまいした。なぜか?たくさんの支払いがあるからです。バイクやマイカーのローンを次から次へと支払っているうちに、私のようなリウマチ持ちの老人になって人生は終わってしまう。そして自分に問いかけるのです。これが私の一生だったのかと。
私が言っているのは基本的なことです。発展は幸せの邪魔をしてはならない。発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものなんです。なぜなら、それらこそ一番大事な宝物なのだから。環境のために闘うなら一番大切なのは、人類の幸せ出ることを忘れてはなりません。ありがとう
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