ゼロ戦の実態
・小回りが利き格闘戦が得意・・・
第二次大戦当時でも一撃離脱が当たり前、同じところでグルグル飛んでたら的でしかない。
・三菱製と中島製で互換性が低い
工業規格すら存在していない当時の日本、整備性など考えていなかった。
・製作難易度が高い
エンジンシリンダの組付けはガスケット製造技術が低いのでネジ式で加工には職人技が必要。
・無線が不良
アース不良が原因。絶縁にタールを塗った布を使用。米軍がアース処理をしたら機能した。
・急降下速度に制限
開発当初からの問題で機体軽量化のため脆弱で主翼が振動を起こし分解してしまう。
・人命無視
初期型は防弾設備が皆無なので銃弾が一発でも当たれば即損失
・セルモーターが無いので外部装置が必要
軽量化の面もあるので一概に欠点とは言い難いですが、人手と手間がかかる。
海軍ではイナーシャ(遊星ギヤ)という手回しサイレンのような物を付けてエンジン始動します。
・長距離飛行が可能・・・
巡行速度が遅い、長時間の手動飛行、トイレ問題(お漏らししていた模様)
・空母用なのに主翼の折り畳み機構がない
戦争は数が勝負です。一機でも多く空母に詰め込んで消耗戦に備えるべき。
もともとは陸上運用の機体を空母用に変更したのだからしょうがないか・・・
・設計が古い
戦前の輸入技術の寄せ集めで作られたため、昇降舵の伸びるワイヤー以外に目新しい設計はない。
有名な話がプロペラの可変ピッチ機構(プロペラの角度を最適にする)のライセンスを米ハミルトン社から無断使用していた住友金属は戦後にライセンス料を支払うと申し出たところ、ハミルトン社側からは1ドル(当時で数百円、現在でも数千円くらい)頂きたいとなったそうで、化石並みの機構でしかなかった物を日本軍はずっと使っていたのです。
・機体設計がパクリ?
イギリスの試作機グロスター F.5/34によく似ている。真相は不明 当時も話題となったが設計者、堀越二郎氏はお茶を濁し通した。
やっぱり同じか・・・
ゼロ戦神話は戦争に負けたけど兵器は良かったという負け惜しみから作り出された妄想ともいえる事で、初戦闘の中国の旧式機ばかりで練度の低い相手に完勝したこともあり、ゼロ戦最強神話が広まった。上記の欠点を立証するかの如くアメリカ、イギリスの高出力エンジンで堅牢な機体にかなわなくなっていった。
うんちく
・零戦の呼びですが正式は”れい”戦ですが現場の搭乗員では”ゼロ”戦と言っていたようです。
・一般国民は新聞での呼び名から”れい”戦となっていたようです。(ゼロは敵国語です)
・各型式の呼びは二一型は「にーいち」、五二型は「ごーにー」が一般的と言われています。
(自衛隊の戦車は今でも”71(なないち)式”、”10(ひとまる)式”と呼ばれますがちょっとミリオタ知識が必要で”ななじゅういち式”、”じゅっ式”と言う方も多いので一般ではゼロ戦の型式呼びも数字読みの可能性があるかもしれない。YS-11の正式呼びは”いちいち”ですが一般的には”じゅーいち”ですからね。)
・整備側では機体略号から二一型はM2(えむに)、五二はM5(えむご)と呼んだそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます