高校の同級生5人で「還暦祝い旅行」へ行ってきました。
しかし、とうとう還暦か。。。(ーー;)
はるか大昔、私がまだ子供の頃
祖父が赤いチョッキを着て
親戚一同が集まり、ご馳走を食べた記憶が
今でも鮮明に残っていて・・・
その時はなにも分からなかったけど
あれがおじいちゃんの還暦祝いだったんだと
今になって分かり
あの時の祖父の年齢に私もなった事に
ビックリ仰天的な感覚です。
12の干支と、十千の組み合わせが60年で一巡することから
「元の暦に還る=還暦」なんですね。
それを知ると、なかなか奥深く、歳を取った事を嘆くより
ここまで生かされた事に感謝しなければ・・・と
改めて思いました。
還暦旅行の行先はどこでも良かったのですが
今年の私達六白金星の吉方位が「西」なので
みんなのリクエストで「京都」になりました。
私は京都には行きなれていますが
何度行っても、大好きな街なので全然ウェルカム!
宿をどこにしようか迷いましたが
結局・・・エクシブに。
(またエクシブかい)
今回は5人の中の1人の職場経由で予約を入れました。
3人が初エクシブなので、豪華な設備に大喜び~笑。
ちょうど大雨の翌日で、新幹線が動くかどうかびみょう~で
おまけに京都の嵐山の桂川がすごい事になっているのを
何度も繰り返しニュースでやっていたので
「こんな時に京都に行くのか」とダンナに呆れられ
正直、ギリギリまで行けるかどうか心配でしたが
結果、2人の「晴れ女」のお蔭で
ほとんど雨に降られる事なく
2日間、京都を愉しむ事が出来ました。
雨が上がり・・・べんがら色が緑に映え
建物全体がとても美しく
前回はなんとなく暗い印象だったエクシブ京都が
違う宿のように感じました。
庭の木々も、雨で洗われ、緑がまぶしいほどでした。
いつものビジター用のフロント受付。
オーナー様用のレセプション。
最初、1人がここに入ろうとしたので
「そこ、ちゃうから」と、カバンを引っ張りました。(一一")
毎度思う事・・・「エクシブや いつかここに座りたい」
京都は、他のエクシブのような絢爛豪華なインテリアとは違い
全体的にシックな色合いが使われていて、落ち着きます。
私達5人は、高校1年の16歳で出会ったので
もう40年以上の付き合い。
高校大学卒業後は、それぞれ就職し、独身生活を満喫。
開業したばかりのTDLも、この5人で行きました。
生まれて初めて乗った飛行機も、5人で行った沖縄旅行でした。
そんな仲良しの5人組でしたが、結局5人揃って行けた旅行は
この沖縄が最後となりました。
なぜなら、結婚後・・・
3人が、小説が書けそうなぐらい
波乱万丈な?人生を過ごしてきたからです。
TV「あいつ今なにしてる?」のパクリで・・・
そんな3人の人生をプレイバック。
5人の中で、一番小柄で可愛かったKちゃん。
学生時代はとにかくモテモテで
運動部のメジャーな男子とは
ほぼ全員と付き合ってた記憶です。
沖縄旅行中も、ビーチで声を掛けられまくり
彼らと散々遊んだ揚句、名古屋空港から私達4人は
沖縄で遊び疲れた身体を引きずり、バス待ちの行列に並んでいる中
Kちゃんは本命の彼氏が車でお迎え。
「沖縄での実態を彼にばらすぞ」と、私達の脅しもなんのその。
その後も、お付き合いした男性は数知れず。
そんなKちゃんが最終的に選んだ男性は
それまで遊んでたチャラい系とは全く違い
口数の少ない、硬派な男性。
え~~~〇〇君と結婚するの???!と
私達一同、ガチに驚きました。
イケイケ系の女性とばかり付き合ってた市川海老蔵が
清楚な小林麻央さんと結婚した時みたいな感じ?苦笑
結婚後は独身時代が嘘のような?真面目で貞淑な妻になり
みんなから「Kちゃん変わったねぇ~」と(嫌味を)言われまくり。
そんな幸せな結婚生活15年目。
ご主人が42歳の厄年に脳梗塞で倒れ
ICUで生死を彷徨い
私達4人も病院に駆けつけましたが
意識が戻らないまま、1週間後に
亡くなりました。
あの時のお葬式は本当に辛かった。
子供3人を残して、彼女は若くして未亡人。
買ったばかりの家で
亡くなったご主人のお母さん(彼女にとっては姑さん)
との同居生活。
それからのKちゃんの生活は、今までとは一転。
本当に苦労して苦労して、ここまできました。
今では、お姑さんは亡くなり
中学時代にグレた長男も落ち着き、結婚して独立。
Kちゃんは、今も仕事は続けていますが
ご主人の残してくれた家に
自分のお母さんと2人で住んでいます。
今、やっとこうやって旅行に行ける
余裕も出てきました。
もう1人、M子。
結婚して数年後、ご主人が大阪に単身赴任になり
彼女は子供の学校の事もあり、そのまま名古屋に残りました。
そんなM子が37歳の時、阪神大震災が起き
大阪のご主人は無事でしたが、その震災後のあたりから
忙しいを理由に、あまりに名古屋に帰ってこなくなったのです。
不信に思ったM子が、突然、大阪の社宅を尋ねると
なんと!同じ会社の女性が部屋に・・・
ドラマのような現場に遭遇。
話しによると、その女性の住んでいたアパートが
地震で壊れ、M子のご主人に色々相談しているうちに
そういう関係になってしまったとか!?
部屋に置かれていた2つ並んだ歯ブラシを見て
「もう終わり」と思ったと。。
当時彼女のお腹には4人目の子どもがいました。
私達は先々の事を心配し、離婚だけは踏みとどまる様に
M子を説得しましたが
潔癖主義の彼女は迷う事なく離婚。
その後、女手1つで、4人の子どもを育てあげました。
一番末っ子は、父親の顏を知りません。
今、彼女は公務員として働き、子供4人は独立。
阪神ファンのM子は、野球を通じて知り合った「彼」もいて
悠々自適の生活を送っています。
今でも私は「阪神大震災」という言葉を聞くと
M子のダンナを思い出してしまう。
もう1人、J子は、略奪婚・・・
大学を出て就職し、会社の14歳年上の上司と恋に落ちました。
今でも覚えているのですが、平日に私の家に泊まりにきて
翌朝出勤する時に、私が駅まで送ろうとしたら
「部長が車で迎えに来てくれるからいい」と言うんです。
上司が??わざわざ車で朝迎えに来る?一緒に出勤??
その時、私はとても不思議に思ったものです。
でも、まさかその上司と付き合っていたなんて
当時の私は夢にも思いませんでした。
なぜって、高校時代は剣道部で、サバサバ系。
女っぽいKちゃんとは真逆のタイプ。
一番そういう事から遠い立ち位置だったからです。
そんな不倫なんかやめるように
当時、みんなで止めたのですが
止めたところで、簡単に終わるわけもなく
散々遊ばれ、そのうち捨てられるに決まってる・・・と
私達は心配していたのですが
意外にも、上司は「遊び」ではなく「本気」だったようで
結局、その上司は,奥さんと子どもを置いて、家を出て
小さなアパートで、彼女と同居を始めました。
そうこうしているうちに、J子は妊娠。
なかなか離婚届に判を押してくれなかった本妻さんですが
J子の産んだ子が小学校に上がる時にやっと離婚が成立。
晴れて、小学校では彼の苗字を名乗る事ができました。
その後、身内だけで簡単な結婚式をあげたのですが
J子は高2の時、お母さんを病気で亡くしているので
私の母が、J子の母親代わりに参列しました。
永い永い春でした。
今では、その子も29歳になり、去年結婚し
もうすぐJ子にとって、初孫が産まれます。
ふぅ~~~~~~
こうして振り返ってみると
本当に3人とも、ドラマチックな人生だったと
改めて思ってしまった。。。
しかし・・・そんな私達も
酸いも甘いも苦いも辛いもしょっぱいも乗り越えて
今ではすっかりオバサンになり(果て)
平和な日常を過ごしています。
ここまで読まれて・・・エクシブの写真が全く目に入らなかったあなた!
もう一度、写真だけ見てね・笑
北野天満宮(受験の神様なので学生がいっぱい)
金額寺(中国人がいっぱい)
いつも大行列の都路里が、珍しく空いていて
並ばずにすぐに入れました。こんなこと初めて。
祇園「豆寅」のまめ寿司。
相変わらず、可愛いお寿司たち。
麩で有名な「半兵衛さん」 お昼の麩定食。
祇園の南の端っこにある「北川半兵衛」
宇治の抹茶問屋「北川半兵衛商店」の和カフェ。
京都ではお決まりの町屋をリノベした店舗。
祇園周辺はこんな感じの飲食店が多いですね。
昼間でもライティングを落として雰囲気はオシャレですが
私達の年代になると、暗くてメニューが見えない。(ーー;)
しかし、美味しい&見た目がきれい~(結構お高め)
都路里や中村藤吉はそろそろ飽きてきたので
お初のここは、新鮮でした。
今回、M子が「すごく当たると有名なおみくじがある
天津神社に行きたい」と強く押すので、行ってきました。
タクシーの運転手さんも知らないようなマイナーな神社で・・・
ここのおみくじは、「大吉」とか「小吉」とかではなく
その時の自分への神様の言葉が書かれているんだそうです。
場所は北野天満宮からすぐ近く。
住宅街の中にある小さな神社です。
中では写真を撮りませんでしたが
まず神様に自分が聞きたい事を心の中で唱えてから
おみくじを引きます。
そうすると、その願った事に対する
神様からの答えが書いてあるんだそうです。
普通のおみくじは、木の入れ物をガラガラと振って
中から木の棒を出し、その棒に番号が書いてあって
その番号の紙をもらい、そこに小吉とか大吉とか書いてあるのですが
ここは、その木の棒に、神様の言葉が書いてあります。
その言葉というのが現代の言葉ではないので
ちょっとわかりにくいのが難点ですが
神社の方に聞くと、意味を教えていただけます。
「なるも ならんも それぞれ 理なり」
「さきをたのしめ おもいひ事叶う」
興味のある方、一度足を運んでみてね。
http://amatsu-jinja.jp/omikuji/
昭和33年生まれの戌年。
33年には東京タワーが完成し
34年には皇太子様と美智子様のご成婚。
39年には新幹線が開通し、東京オリンピック開催。
小6の修学旅行は、大阪万博でした。
それからは・・・高度成長期まっしぐらの中で育ちました。
同級生は「花の中3トリオ」だった百恵、淳子、昌子。
好きな男性アイドルは、秀樹か五郎かひろみか世代。
干支が一巡し、セカンドステージの始まりです。
ファーストステージの時の主役は
子供だったり、家族だったり、仕事だったり
自分は裏方が多かった気がしますが
これから始まるセカンドステージは
自分の為に使える、自分が主役の舞台です。
演出も監督もプロデュースもぜ~んぶ自分。
楽しい舞台になるか
つまらない舞台になるかも
すべて自分次第。
うん、がんばろー!(^^)/
そしてプラチナ世代を楽しむぞ!