蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

政宗の石こう騎馬像修復

2023-05-20 08:41:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023年5月20日 13/26

仙台城址の「伊達政宗騎馬像」の制作過程で作られた、等身大のひな型が岩沼市の「竹駒神社」の馬事博物館で修復作業が行われている。
度重なる地震などで、石膏が剥がれたりしていると言う。
年内に修復を終えて、一般公開を目指すとしている。

製作者の小室逹は、柴田町出身で、旧制白石中学校を卒業し、現在の東京芸術大学(東京美術学校)に進学し、首席で卒業、研究科に進み、当時の第四回帝展(現在の日展)に初出品、第五回からは無鑑査となり、第六回には特選に入賞、日本美術界での地位を確実なものにした。

昭和10年(1935年)に政宗生誕300年の騎馬像制作の依頼を受け、青葉城址のブロンズ像は東京荒川区の業者に発注して、四日がかりでトラクターで仙台まで運んだと言う。
制作は、最初に小型の原型を作り、次にひな型を石膏で作った後に、制作され、型を作って本体を作った。

しかし、大東亜戦争に於いて金属供出の命により銅像を供出、しばらくは青葉城址に政宗騎馬像は無く、小野田セメントが斡旋して柳原義達が平服姿の伊達政宗公平和像がコンクリート立像として、1953年から青葉城址に建てられていた。
供出された騎馬像は、戦後になって塩釜市で見つかり、胸像として保管された。
東京オリンピックの頃に騎馬像再建の機運が盛り上がり、オリンピック開催前日に二代目の騎馬像が青葉城址に戻ってきた。

その後に度重なる地震により損傷した騎馬像は、修復のために東京に運ばれ、2023年3月31日に政宗騎馬像帰還の式典が行われた。

小室逹は、1953年に結核により53歳で死亡している。
旧制白石中学校から白石高等学校、新制白石高校と変遷したものの、白石高校の卒業した著名人には小室逹の名が記されていない。
JR槻木駅とJR船岡駅前にそれぞれ一体の小室逹制作のブロンズ像が設置されている。
また柴田町にある「しばたの郷土館」などにも小室逹の作品が飾られてはいるものの、2019年に小室逹誕生120年展が行われ、前年に東京においても小室逹回顧展が行われたに過ぎない。

柴田町議会議員さんなどと時々話すことがある。
戦争と言う時代により、銅像作品の多くが供出され、残存数が極めて少ないにせよ、郷土に残る我々にしても、小室逹と言う大きな財産を大切にしていないのではないだろうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿