蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

初夏彩る熱い伊達絵巻 復活の喜び 感謝とともに

2023-05-19 13:33:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023年5月19日 13/28-15/28

仙台青葉まつりが4年ぶりに復活する。
我々が少年期から青年期の時期には、青葉まつりは見たことがなかった。
いつからか、おおきな祭りとして、認識してきた。

東北の祭りのほとんどは、ピーヒョロロドンドンと笛や太鼓がしめやかに演奏され、しずしずと稚児行列が先頭に、江戸時代などの町並みを練り歩く、そのような祭礼であった。

天明の大飢饉に象徴されるような、悲惨とも伝えられる、多くの人命に対する鎮魂の意味合いも大きく、長い冬が過ぎて、田植えなどによって、ようやく秋の実りへの希望が、祭りへ昇格したものだった。
そして、夏は夏なりに、農作業がようやくここまで来た喜びであり、秋祭りは、文字通りの収穫への感謝である。

東北の祭りは、農作業の進展とともにあった。
祭りの日くらいは、日々の尽き果てぬ労働の息抜きであり、祭りに依って、季節が次に引き渡される。

日々の生活は、月待ち講などで、それぞれの安否確認などが行われたようである。
例えば、二十三夜講などが代表するだろうか?
それぞれ十三夜、十五夜などの月待ち講の中で、二十三夜は勢至観音(せいしかんのん)あるいは勢至菩薩を本尊とする智慧(知恵)の力で人々を救ってくれる菩薩を信仰の中心に据えて、「講中」と呼ばれる地域の人々の、人手を相互に提供する約束の組織、親戚付き合いのような濃密な結束を、常に互いに地域の共同生活に置いたのだった。

講は、様々に生活に必要な地域協力の証でもある。
庚申講(こうしんこう)は、人の体内に棲んでいる、サンシの虫(三尸のむし)が、その人が行った悪事を天帝に知らせに行かないよう、60日に一度の庚申の日に、地域住民が総出で、眠らずに宴会などで過ごす講である。
比較的、地域ごとより大きい集落単位などで行われていた。

祭りは、それ等の総合した地域の神々に祈る意味合いの強い催しとも言えよう。
祭りの中心となる人々は精進潔斎(しょうじんけっさい)によって身を清め、神迎えを行い、依り代となる人や物を尸(形代ーー身代わり)として祭りを奉納し、願いを言上して、神を楽しませて、願いの成就を神が約束をしてくれることで、祭りが正しく神に伝わったことがわかったなら、神が人に対して、より以上の要求をしないようにと、速やかに神送りの儀式を行って、祭りの終了を宣言する。

当時は、もちろんだが神仏集合で、神も仏も一緒のものだった。
それだけ人々の生活には宗教が中心にあった。
講も祭礼も、今日のものとは大きく異なっていた。

青葉まつりは伊達政宗を祀る青葉神社の祭礼である。
青葉神社(明治に創建)の宮司は、代々白石城主の片倉家が行っている。
伊達政宗の帷幕を、神官の家系である片倉小十郎が、政宗の乳母喜多の弟であり、喜多によって政宗と小十郎は乳兄弟だったためと思われる。

青葉まつりは伊達政宗の子忠宗によって、仙台東照宮(徳川家康を祀る)の例大祭として始められたという。
詳しくは、仙台青葉まつりの由来として検索頂きたい。
青葉まつりが、大東亜戦争後に生まれた我々世代にも記憶が無いのは、このような大掛かりに行われていなかったのだろう。
雀踊りなども、若い時分に長老などに聞いた記憶もない。

このように市民総出で、観光にも大きく取り上げられるような祭りは、東北地方に置いては貴重でもあり、新しい市民交流にも有効で、しかつめらしい説明はともかく、楽しんで頂きたい。

5月20日(土曜日)21日(日曜日)両日に行われる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿