感想を。クソ長くなりそう
僕はリアルタイムでTV版クウガを見ていたし(小学生だったけど)
その後も含めてなんだかんだ4回は通して見ていると思う。
なので大本のストーリーは頭に入った状態で読みました。
ーーーーーーーーーーーここからネタバレ太郎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時のクウガはサスペンスドラマかっていうぐらい各話の物語がしっかりとしてて
それはグロンギがゲームによって殺戮を繰り返す という点がそうさせているのだけど
この小説でもそれは健在で、小説としても楽しめた。
というかテレビよりさらに複雑に張り巡らされていたと思う。
実加ちゃんがまさかのもう一人のクウガという点も面白かった。
グロンギのことになると冷静ではいられない実加ちゃんは、未熟な白いクウガとなるのだが
まだ実加ちゃんがクウガとわかっていなかった時点での一条達の
「五代のクウガはなぜ白いのか、迷いがあるのでは」という疑いを先述してからの
最後の方に赤いクウガで現れる五代の姿は本当にかっこよかった。
と同時に、
五代の強さ(心や精神の)を感じると共に
あぁ 五代はまだ戦わなければいけないことを忘れきれていないんだな(赤いクウガということで)
ということがわかってしまって、おそらく一条と同じような悲しさを覚えた。
もちろんヒーローはヒーローなのだけど、本当は存在しないほうが良い というのが
クウガの話の軸になっていて、
その面を常に感じさせてくれるのが一条という存在である。
またTV版に比べ大きく進化している点として
小説版のグロンギはほぼ「人間」なのである。
13年前は外見は人間であってもカタコトだったり、
基本的にグロンギ同士で集まっていたりと
「敵のグループがいる」という明確な区別があったが、
今作品ではグロンギ同士はライン(!)っぽいやつでやりとりしていたり
人間の家族にすり替わっていたりしているのである。(これは非常にこわい)
例えば 伽部凛(とべ りん)という女の子に成り済ましていたグロンギは
母親と伽部凛(本人)の関係が上手くいっていないことにつけ込み
仕舞いには母親に伽部凛(本人)を殺させ、自分が言うことを聞く利口な娘として育てられていくのである。
そして人間の欲望をあざ笑うのである(関係がうまくいかない実の娘よりうまくいく自分を選んだことに対して)
このへんのグロンギのやり口は本当にエグいと思った。
この人間の欲望という部分は、作中何度も触れられる。
というより、今回のグロンギが殺戮を行うテーマでもある。
極めつけは最強の敵である郷原。
リオネルという成分が不透明なドリンクを何年にも渡って世間に浸透させ、
その成分を使って大量殺人を目論んでいたグロンギである。
この成分は飲むと脳に蓄積され、郷原の指示ひとつで瞬時に死をもたらす成分へと変化させることができるのである。
その栄養ドリンクは疲れが取れたり笑顔になる(実際には顔の筋肉に作用し笑顔になったようにみえるのだが)という
人間の「楽になりたい」という欲望によって広まって行く。
世の母親は「とりあえず笑顔になるから」と自分の子供に飲ませる。死の成分だと知らずに。
このドリンクが広まったのも、需要や利益だけを考えた人間がPRし、広め、
利益のために不透明な成分をもみ消したのである。
従来のクウガにもなかなかエグい設定があったが、ここまで入り込んでくる内容だとは思わなかった。
TV版にもゴ・ジャラジ・ダという怪人の話があったが、それを超える、
もっと身近で嫌な部分を付いてきたなと思う。
文章的にごちゃごちゃになってしまった感が否めないし
特に書き直す気力も時間もないので
ここからさらっとまとめます(めんぼくねぇ)
五代が笑顔になれる日が本当にいろんな面から見てもたどり着くテーマなのかなと。
もちろんそれを誰もが信じているし、五代本人も信じているからこその
最後のサムズアップだったと思うし、
一番読者に近い感情を持っているのは一条だなとも思う。
バラのタトゥーの女はまだ生きている という部分はやはり・・。
クウガは終わらないし、五代の旅も続くのかな と思います。
悲しいな って。もちろん希望もあるのだけど、何の心残りもない希望で終わらないのが
今までの仮面ライダーとは違うし、だからこそクウガなのかなって。
戦って悪いやつを倒すのがヒーローなんだけど、それって正しい?っていう部分はもちろん
倒す ってどういうこと?どうして倒すの?と考えさせられます。。
なんでしょう、あまり整理できてないですね、すいませんほんとええ
実加ちゃんのとことか杉田さんのことなど
いろいろ書きたかったんですけど
タイムアップです。
機会あったら語りたいですね、誰かと。
良い作品でした。
僕はリアルタイムでTV版クウガを見ていたし(小学生だったけど)
その後も含めてなんだかんだ4回は通して見ていると思う。
なので大本のストーリーは頭に入った状態で読みました。
ーーーーーーーーーーーここからネタバレ太郎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時のクウガはサスペンスドラマかっていうぐらい各話の物語がしっかりとしてて
それはグロンギがゲームによって殺戮を繰り返す という点がそうさせているのだけど
この小説でもそれは健在で、小説としても楽しめた。
というかテレビよりさらに複雑に張り巡らされていたと思う。
実加ちゃんがまさかのもう一人のクウガという点も面白かった。
グロンギのことになると冷静ではいられない実加ちゃんは、未熟な白いクウガとなるのだが
まだ実加ちゃんがクウガとわかっていなかった時点での一条達の
「五代のクウガはなぜ白いのか、迷いがあるのでは」という疑いを先述してからの
最後の方に赤いクウガで現れる五代の姿は本当にかっこよかった。
と同時に、
五代の強さ(心や精神の)を感じると共に
あぁ 五代はまだ戦わなければいけないことを忘れきれていないんだな(赤いクウガということで)
ということがわかってしまって、おそらく一条と同じような悲しさを覚えた。
もちろんヒーローはヒーローなのだけど、本当は存在しないほうが良い というのが
クウガの話の軸になっていて、
その面を常に感じさせてくれるのが一条という存在である。
またTV版に比べ大きく進化している点として
小説版のグロンギはほぼ「人間」なのである。
13年前は外見は人間であってもカタコトだったり、
基本的にグロンギ同士で集まっていたりと
「敵のグループがいる」という明確な区別があったが、
今作品ではグロンギ同士はライン(!)っぽいやつでやりとりしていたり
人間の家族にすり替わっていたりしているのである。(これは非常にこわい)
例えば 伽部凛(とべ りん)という女の子に成り済ましていたグロンギは
母親と伽部凛(本人)の関係が上手くいっていないことにつけ込み
仕舞いには母親に伽部凛(本人)を殺させ、自分が言うことを聞く利口な娘として育てられていくのである。
そして人間の欲望をあざ笑うのである(関係がうまくいかない実の娘よりうまくいく自分を選んだことに対して)
このへんのグロンギのやり口は本当にエグいと思った。
この人間の欲望という部分は、作中何度も触れられる。
というより、今回のグロンギが殺戮を行うテーマでもある。
極めつけは最強の敵である郷原。
リオネルという成分が不透明なドリンクを何年にも渡って世間に浸透させ、
その成分を使って大量殺人を目論んでいたグロンギである。
この成分は飲むと脳に蓄積され、郷原の指示ひとつで瞬時に死をもたらす成分へと変化させることができるのである。
その栄養ドリンクは疲れが取れたり笑顔になる(実際には顔の筋肉に作用し笑顔になったようにみえるのだが)という
人間の「楽になりたい」という欲望によって広まって行く。
世の母親は「とりあえず笑顔になるから」と自分の子供に飲ませる。死の成分だと知らずに。
このドリンクが広まったのも、需要や利益だけを考えた人間がPRし、広め、
利益のために不透明な成分をもみ消したのである。
従来のクウガにもなかなかエグい設定があったが、ここまで入り込んでくる内容だとは思わなかった。
TV版にもゴ・ジャラジ・ダという怪人の話があったが、それを超える、
もっと身近で嫌な部分を付いてきたなと思う。
文章的にごちゃごちゃになってしまった感が否めないし
特に書き直す気力も時間もないので
ここからさらっとまとめます(めんぼくねぇ)
五代が笑顔になれる日が本当にいろんな面から見てもたどり着くテーマなのかなと。
もちろんそれを誰もが信じているし、五代本人も信じているからこその
最後のサムズアップだったと思うし、
一番読者に近い感情を持っているのは一条だなとも思う。
バラのタトゥーの女はまだ生きている という部分はやはり・・。
クウガは終わらないし、五代の旅も続くのかな と思います。
悲しいな って。もちろん希望もあるのだけど、何の心残りもない希望で終わらないのが
今までの仮面ライダーとは違うし、だからこそクウガなのかなって。
戦って悪いやつを倒すのがヒーローなんだけど、それって正しい?っていう部分はもちろん
倒す ってどういうこと?どうして倒すの?と考えさせられます。。
なんでしょう、あまり整理できてないですね、すいませんほんとええ
実加ちゃんのとことか杉田さんのことなど
いろいろ書きたかったんですけど
タイムアップです。
機会あったら語りたいですね、誰かと。
良い作品でした。
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