Ryo's factory

札幌在住の四児の父親のブログです。

苫小牧遠征

2011年08月10日 | サッカー
8月6日(土)7日(日)と苫小牧遠征に行ってきました!

長男(5年)の大会。実家が苫小牧とあって、じいちゃんあーちゃんも応援に駆けつけてくれました。


鬼門の第一試合。
いっつもエンジンがかかるのが遅く、大抵引き分けてしまう第一試合。
今回は、前半押しまくっていたのに、後半開始早々、サイドから蹴り込まれて失点・・・。
気持ちを切り替えられず、攻めきれず、そのまま試合終了・・・。

第二試合は、エンジンがかかり、2-0で勝利!

交流試合(練習試合)はベンチメンバーも出場できました。
対 新発寒 1-1で引き分け。


この時点で1勝1負 勝ち点3でA②グループ 2位となり、決勝トーナメント出場ならず・・・。
Aグループ 3位決定戦では、攻撃陣が爆発し、4‐0で快勝!


翌日の交流トーナメントへ。


7日(日)
交流トーナメント、Aブロック 第一試合 2-0で勝利!
鬼門の第一試合をクリア!!

第二試合 1‐0で快勝!

トーナメント 第一シード決定!!



トーナメント 準決勝
攻めきれずに、後半に2点を失い 0-2 で完敗・・・
しかもこの相手は、第一試合で2‐0で勝った相手でした・・・。




みんな、悔しくて大泣きしていました・・・。
私もほんと泣きそうでした・・・。

決勝トーナメントに出場できなかったこと、
交流トーナメントで優勝できなかったこと、
この悔しさを、決して忘れず、
日々の練習を、がんばってほしいです。

コーチとして、私ももっともっと勉強しなくちゃ!と実感させられました。




しっかし、苫小牧だというのに、30度近くまで上がり、まっくろにまた日焼けしてしまいました・・・。


「あなたに逢えてよかった」 心の琴線に触れるお話 44号より

2011年08月10日 | モーニングセミナー/学び
それはたった四歳の天使がくれた思いやりだった。
 夫の借金、ギャンブル、不倫で、私はうつ病を抱えたまま離婚した。娘との二人暮らしも軌道に乗ったころ、それでも夫の金の無心は続いた。
「絶対家族に戻るから」
 その言葉に私はすっかり洗脳され、お金は右から左に消えてゆく毎日。
 そんな苦悩の日々が続いていたある日、娘のいつものお気に入りのパンを買おうとしたら、自分のお酒が買えないことに気づいた。私はアルコール依存症も併発していたのだ。
 生活はどん底に陥っている。なのに私はお酒を買おうとしている。自分のあまりの状況に凍りついた。
 そのとき、娘がこう言った。
「ママ、お酒買っていいよ。パンはいらないよ」
 生活保護の申請に行った日だった。市の役人は「偽装離婚ではないですか」と私を犯罪者扱いにした。こんなに苦しく哀しい離婚を誰が好んでするものかと腹が立つ。力が脱けて体が震えるのをこらえて家に帰った。その夜、お酒を飲み、涙は流れっぱなしで、死を考えた。そっと、先に眠った娘の顔を見る。死ぬ前に誰かに娘を頼まないと・・・・。
 しかし、その寝顔に私はハッとなった。寝顔がまだ赤ちゃんのままの娘。頬がふっくらして、唇を少し開けて、長いまつげ。天使のような寝顔だ。生まれてまだ四年しか経っていない娘が「自分のパンはいらない」と私を気遣った。
 この娘を私は置き去りにしようとしている。私は柔らかい天使の髪を撫でながら泣いた。こんなに可愛い子を捨てるなんて。愛おしくてならないのに。この子のためなら何だってできると自信があったのに。
 私は死ぬことができなかった。
娘を抱いて眠れぬ夜を明かした。涙はいつまでも止まらず、静かに静かに頬を伝って流れ続けた。そのなかで、私は確実に生きる気力を取り戻していった。あなたに逢えてよかった。絶対離さないからね。
 数日してから、親戚の叔父が来て、父のいる信州に戻れと言われ、それに従った。そして今がある。心の病は一進一退。しかし、娘の笑顔を見て今の私は笑えるのだ。心から・・・・。
 現在、娘は小学三年生。どんなに生意気になっても、寝顔はまだ赤ちゃんのままだ。ありがとう。やっぱりあなたに逢えてよかった。
 せめてあなたが私を必要としなくなる日まで頑張るよ。きっと、頑張れると、こころから思えるの・・・。


長野県上田市 岡野紀子(四十歳)