羚英的随想日記

好奇心と言う名のアンテナは常に作動中
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■イルミネーション■

2014-11-28 21:43:14 | 川崎あれこれ
溝口駅前キラリデッキイルミネーション。
2015年1月12日まで楽しめます。

獅子丸はしょぼいといいますが、私は結構好きですこのクオリティー。
ローカルな溝の口らしくって











円等広場のところのイルミネーションは写し忘れてしまいました(^^ゞ
UVシフトを下げて撮ったのでちょっと暗めになりました。


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■ばら苑■

2014-11-01 20:52:55 | 川崎あれこれ


天気予報は曇りのち雨だった昨日の金曜日。
たまたま休みが重なったので、羊子と獅子丸と一緒に生田緑地へ行きました。

午前中は時折晴れ間が見えたのに、昼頃にはすっかり曇天。
雨降りを覚悟でバスを乗り継ぎ、まずはお昼を食べる目的もあって日本民家園へ。

課外授業で来園している小学生のちびっ子たちでワイワイ賑やかな園内は、それでも平日なので比較的空いていましたが、中には欧州からと思われる来園者(多分ドイツ、ドイツではここは有名らしいです)もいて、うちの子たちが小さかった頃よりも人が多くなったように感じました。

まずは白川郷の合掌造り・山下家の一階で営業している、その名も 『そば処 白川郷』 で美味しいお蕎麦に舌鼓。
先日の人形浄瑠璃のとき、今度は獅子丸と一緒に来ようねと羊子と言っていたのが思いのほか早く実現しました。
生田緑地(民家園を含む)に来るのは7年振り、ここのお蕎麦を食べるのは8年振りの獅子丸は 『もっと広いイメージだった…』 としきりに言って懐かしんでいましたが、あの頃よりも身長が10センチ以上伸びているわけですからね(笑)
お蕎麦屋さんも結構混んでいましたよ。




冷やし山菜そば(獅子丸撮影)、女性群は前回と同じ冷やしとろろそばを頂きました。
そば湯を頂いて、落ち着く間もなく早々に移動です。

とりあえず(笑)いつものパターンで山下家の真ん前にある屋台で食後のお団子!を購入、いつもの作田家のベンチで平らげて、古民家を眺め山道を行き、途中床上公開中(囲炉裏に火を入れている)の民家で中におられるボランティアさんにどうぞ~と誘われても次の目的地があるので遠慮させて頂いて、民家園を後にしました。




生田緑地で一番好きなスポット、メタセコイアの並木。
樹高は25~30メートルにもなる樹で、葉が紅葉したときも落葉した姿も風情がありとても美しいです。



日本民家園を出てキツイ上りの道を抜け、この日の目的地である隣接する 『生田緑地ばら苑』 へ。
ここは春と秋の公開期間のみ無料入場できる、旧向ヶ丘遊園地(1927~2002)のばら苑です。
閉園後、園内に整備されたばら苑の存続を求める市民の強い要望により川崎市が維持管理を引継ぎ、雑草引き・剪定・誘引・施肥等、市民ボランティアによって美しいばら苑は支えられています。

私が2才の頃にここを訪れたときの写真も残っています。
向ヶ丘遊園地のばら苑の歴史は古く、開苑は1958年にさかのぼるそうです。

運動不足+慢性貧血の私にはすっごくきつい生田緑地遊歩道、上りの道!
心臓ハカハカですでに顔が紅潮・息切れマックスな私が右手を前に出し 『私には構わずどうぞお先にっ!』 と言うと、羊子は 『お母さん携帯忘れたんだから迷ったらどうするの(笑)』 と。
何度もこのセリフを吐く疲労困憊の母に合わせて歩いてくれて、どうにかこうにかばら苑西口広場に到着、裏門から入苑しました。





公開終了日の3日前のこの日、前日の公式ブログでは満開とあったので楽しみにしていました。
お天気がいまひとつで残念でしたが、平日なのに苑内は多くの人で賑い、沢山のばらが美しく咲き乱れていて懐かしさでいっぱいになりました。

幼稚園の遠足でも来たことがあり、懐かしがる獅子丸。
プライベートでも連れてきたことがあるのに、羊子は一向に覚えていませんでした(笑)
私も沢山の思い出がある場所です。


実を言うと私、バラはあまり好きではなかったんです。
姿は美しいですが、あのツンとした香りがどうも好きではなくて。
今はバラの香りと称した安っぽい合成香料の製品も多く出回っていますが、その匂いが嫌いでさらに苦手になってしまって。
しかし羊子のリクエストもあり、彼女が社会人になる前に一度来ようと思いました。

裏門から入ってすぐ左にあるコーナーにあった 「マーガレット・マグレディ」 という品種の香りを一番最初に試しにくんくんしてみたところ…あれっ?いい香りじゃないっ!
私が知っているバラの匂い(ローズ・ド・クロエみたいな)とはまた違う!?
微香で、上品な甘い香りがしました。

バラにもいろいろな香りがあることを、この日初めて知りました




この場所はとても懐かしい場所!
私がまだ2才になったばかりのとき、姉の幼稚園(東京都品川区戸越)の遠足の付き添いで母に連れてこられて、この場所で写真を撮ってもらいました。




これがそのときの写真で、この 「白鳥と子供(多摩美術大学教授早川巍一郎氏製作)」 の周りにはかつて池がありました。
タイツの下に履いた母お手製の手編みの毛糸のブルマ(お下がり)がもこもこ、パンツ丸見え、半世紀前の時代を感じる写真ですなぁ(^^ゞ
オムツじゃないですよ、ぶかぶかの大きなお下がりブルマです。












どのバラも手入れがよく行き届いていて、美しく咲いています。
姿も香りもそれぞれ特徴があって、ひとくちにバラといっても実に多彩であることがよく分かりました。
上の4・5枚目の紫のバラはマダム・ビオレといい、ボランティアの方が来園者に美空ひばりが愛したバラだと説明しているのが耳に入りました。

川崎市民が愛する、私たちにも思い出ある生田緑地ばら苑。
今度は春の公開時に、出来れば晴天のときに訪れてみたいと思います。



今にも泣きそうだった空からとうとう雨がぽつりぽつりと降ってきたので、駅へ向かうことにしました。
入苑した裏門ではなく正門の方へ向かいましたが、クネクネとした道路を下って行く途中には廃墟となった遊園地の施設らしきもの(調べてみたら、流れるプールでした)があり、ちょっとしょんぼりしてしまいました。

坂を下りきった先には 『川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム』。
ここはかつて向ヶ丘遊園地の入り口で、入場券の販売書を含む建物が建っていた場所です。
閉園して12年、フェンスの向こうに 「花の大階段」 がまだ残っているのが見えましたが、ここもいつかは壊されてしまうのかと思うと寂しい思いがします。
階段を上った所にあった楽焼き屋さんで、よくお皿に絵を描き焼いてもらった楽しい思い出がよぎりました。

ミュージアム前のバス停の反対側の車線にある溝口駅前行きに乗ろうと思っていたところ、登戸駅直行バスが来たのでこれに乗ろう(獅子丸)ということで、飛び乗りました。
乗ってから気が付いた、これは特別仕様バス!








発車してから気が付きましたが、バス停前の青いカラーコーンにはドラえもんの鈴が着けられていました(笑)
芸が細かい!




直行バスでお子ちゃまが間違って(?)ブザーを押してしまったみたいでしたが、運転手さんはそのままライトが点きっ放しの状態のまま運行していました。
サービスなのかな?
うちの子たちがまだ小さかったらきっと来ていただろうな、このミュージアム!
(ドラえもんはあまり好きではなかったようだけど 汗)




登戸駅から今度はおらが村のある区を通り越して反対側の川崎駅へ。
川崎市を東西に移動…と何気なく例えたら、獅子丸にその言い方は新参者だよと指摘され^^;
そうでした、川崎は南北と表現するのが正しいのです。
いや、この場合正確には 「川崎を北~南に移動」 が正しい!

それぞれが忙しくなかなか時間が合わない中で久し振りに持てた時間でしたので、忙しくくたびれながらも楽しい1日でした。

また、いつか行こうね!


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■囲炉裏のかをり 伽羅先代萩 政岡忠義の段■

2014-09-26 21:55:50 | 川崎あれこれ
国の重要文化財である南部の曲屋の中に舞台を設えての公演。
各回それぞれ120名分のチケットは完売だったそうです。

舞台前の客席には、土間(ニワ)には椅子が、板間の桟敷席には座布団が用意されています。
右足首を痛めて調子が悪いので、私たちは土間で観覧しました。

暑くもなく肌寒くもなく。
心地よいうす暗い空間にライトの強い明り。
そして私たちを包む囲炉裏の匂い。

江戸時代には村々の大きな家の中で、人形浄瑠璃は上演されていたそうです。



万治・寛文年間(1660-1671)にかけて仙台伊達家に起こった紛争・伊達騒動。
この騒動は格好の題材となり、脚色されて、のちに数多くの歌舞伎狂言の作品が創作されました。
時代を鎌倉時代に置き換えて描いた歌舞伎の 『伽羅先代萩』 に歌舞伎 『伊達競阿国戯場』 を加えて改作し、浄瑠璃化したものがこの演目です。
 

【御殿の段 (それまでのおはなし)】

江戸屋敷の仙台伊達藩の藩主・義綱は、吉原の傾城(太夫)高尾に溺れ国の政を省みなかったため隠居を命じられてしまい息子の幼い鶴喜代が跡目を継ぎましたが、この若君を亡き者にしお家乗っ取りを企む者たちがいました。
鶴嬉代の乳母・政岡は、暗殺を阻止するために若君が病気だと称し、男子が来ると具合が悪くなると遠ざけ、また食欲がないと偽ってご膳も下げさせます。
毎日政岡が茶器でご飯を炊いて食べさせていました。小さなおむすびしか作れず一日一食だけ。若君はお腹がすいていますが政岡が自分を守るために必死なことを分かっているので我慢しています。政岡の息子で、若君と同い年で仲良しの御付きの千松も同様に空腹に耐えています。
悪人の一味八汐は謀をして政岡を罪に落とし若君から引き離そうとしますが、忠義な沖の井に言い負かされて失敗。
政岡は空腹に耐える若君とわが子千松のためにご飯を炊きにかかりますが、その間も待ちかねて、親鳥から餌をもらう雀や犬が食べる姿さえ羨む幼子たちに涙します。
 

【政岡忠義の段】

おりから悪人の一味・八汐が連れてきたのは、将軍頼朝公の家臣の梶原の妻・栄御前。将軍の使者だとして、若君・鶴喜代へ下賜されたという何から怪しげなお菓子を持参しています。栄御前も一味のひとりです。頼朝公より賜った菓子とあっては食べないわけにはいきませんが、毒入りなのは瞭然。
食べさせようする栄御前に、政岡がいよいよ手詰まりになったとき、政岡の子・千松が掛け出てその菓子を食べて蹴散らします。突然苦しみ出した千松に陰謀が露見するのを恐れた八汐が、無礼者への手討ちと見せかけ懐剣を取り出し千松を刺し殺します。目の前でわが子を殺された政岡ですが若君大事と平静を装い涙ひとつ見せません。
その様子を見た栄御前は、政岡が鶴喜代と千松をすり替えていたのだと思い込み、八汐をその場から退出させ一味の陰謀を打ち明けます。
栄御前も去りひとりになった政岡は、人目を忍びながらわが子の亡骸を抱き深く深く嘆き悲しむのでした。
 

予めあらすじの説明を受けて、いよいよ 『伽羅先代萩 政岡忠義の段』 が上演されます。

太棹の三味線の弦をばちが弾き、太夫の語りが響きます。
ときに静かに、ときに激しく、情を表現します。
人形遣いによる情緒溢れる所作と義太夫が一体となり、人形は命を吹き込まれ、極められた伝統芸術をまざまざと見せ付け、観る者を魅了します。


悪人の八汐は何度も何度も執拗に懐剣で刺して、千松をなぶり殺しにします。
そして血に染まった剣を懐紙でぬぐい、その血まみれの懐紙を政岡に投げつけるのです。

愛しいわが子が目の前で殺されてゆく姿を見る政岡の、心を押し殺して平静を装う主君に忠義な乳母の顔。
一方で、残虐極まりない八汐のその邪悪な表情や所作。
解説で見所のひとつと言っていた、黒地に昇り竜の刺繍が施された打掛を広げて後姿をこちらに見せつけしてやったりの所作、ああ何と憎々しい姿。

悪人たちが部屋を去り、残された政岡は部屋の外を見渡し人目がないことを確認し、やっとひとりの母の顔に戻り、そっと愛おしいわが子の屍を抱き上げ、体を震わせながら深く深く嘆き悲しむのです。
また戸のところまで行って見渡しては、人目を忍んで死んだわが子を抱きしめます。

うろ覚えで多分打掛姿のときだっと思いますが、政岡が後ろ向きになり、少しばかり左後ろを見返る場面がありましたが(後ろ振りというのかな?)、その姿は八汐のそれとはまったく異なり実に美しくたおやかで、人形遣いの手練にため息が出るほどでした。

政岡は美しい打掛を脱いで、鮮やかな緋色の着物(間着)姿に。
この演出には多分意味があるのでしょうね。

打掛姿は身分の高い奥女中の仕事着、正装。
打掛を脱いだのは、母に戻った姿なのでしょう。
鮮やかな赤が政岡の激情と高潔さを表現しているように感じました。

『でかしゃった。でかしゃった。』

幼い千松の命を賭しての主君への忠義に、母政岡は嘆き悲しみ涙にむせびながら何度も何度もそう言って、腕の中のわが子を褒めてやるのです。



『伽羅先代萩』 は 「めいぼくせんだいはぎ」 と読みます。
隣の人が、これで“めいぼく”とは読めないよねと言っていましたが、「名木」 は伽羅を意味する言葉でもあります。
ご存知の通り、伽羅(きゃら)は沈香(じんこう)の特に上質なものにつけられる名で、とても高価なもの。
東大寺にある蘭奢待(らんじゃたい)も成分から伽羅に分類されるそうです。

そこはひねりや頓智の利いた江戸時代の人々のこと、実在の人物や史実をそのまま使うことは咎められるので、それらを題材にするにあたり連想可能なキーワードを散りばめました。

4代藩主(若君)の先代(父、伊達綱宗)はその放蕩ぶりに、伽羅で作った下駄を履いて吉原通いをしていたと言い伝えられました。
伽羅は名木と読ませ、先代は仙台(藩)に掛けて。
では萩は?というと、平安の頃より萩の枕詞は 「宮城野」 です。
宮城野は今の仙台市のあたりをいい、萩の歌枕でした。
水車小屋の萩がもしミヤギノハギだったらと、こうした理由で考えたんですが、ヤマハギのようでした。
ちなみに現在、宮城県の花はミヤギノハギ、仙台市の花はハギです。
仙台銘菓 「萩の月」 はそこそこ美味しいです(笑)

また劇中に 「将軍頼朝公の家臣の梶原の妻・栄御前」 が登場しますが、この作品が出来た当時の将軍はもちろん徳川将軍で、まさか現在進行形の将軍家を引き合いに出すことも出来ませんので、昔々の鎌倉時代の将軍様にご登場願ったのでしょうね。
梶原の名にピンと来る方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そう、梶原景時のことです。
義経と対立し、頼朝に讒言(さんげん)して義経を死に追いやった張本人の大悪人です。
当時すでに判官びいきという言葉がありましたので、人々は梶原の名にきっとうぬぬ!と反応したことでしょう。




公演終了後、古民家の縁側に登場人物たちが勢揃いで 『人形お見送り』。
カメラの性能・撮影環境さらに腕がよくないため、白飛びしたりピントが合わなかったりと良い画像が撮れずじまいでした。



若君・鶴喜代



毒菓子を持参した栄御前



八汐
悪人役、お疲れさま。

  

忠義の乳母・政岡


 
息子・千松を抱く政岡



会場となった南部曲屋



上演時とは打って変わり、人形たちの顔はどこか穏やかに感じました。
鶴喜代がさっきはよくも!とばかりに栄御前とエイエイッ!と遣り合ってみたり(笑)、遣い手さんたちがお客さんたちの質問に答えたりリクエストに応じたりとサービスをしてくれます。
政岡の遣い手さんが千松を引き寄せて抱きしめさせてあげると、ご婦人が人形たちに話しかけていました。
『感情移入しちゃったわ』 
きっとあの場所で観ていた誰もがそうだったと思います。

こうして陽の下で千松に寄り添う政岡の穏やかな顔に、この悲劇の母子への憐憫の情でいっぱいだった心は救われていきました。





仙台がらみの演目だったこともあり、何となく思い立って観に行きましたが、人形浄瑠璃の素晴らしさを知ることが出来て本当に幸運でした。
国の重要文化財の中で国の重要無形民俗文化財を観る。
何とも贅沢なことです!

下中座及び義太夫のみなさま、そして関係者のみなさま、素晴らしい公演をありがとうございました。


■追記■
画像をよく見たところ、政岡の赤の小袖は、紗綾型(さやがた、大岡裁きの場のバックの紋様)紋様に菊と蘭をあしらった“本紋”と呼ばれる古くから女性の礼装用地紋として定番の文様で、無地の紋付。
息子の千松の紋付黒羽織も母と同じく 「竹に雀」 の紋が付けられていました。
芸が細かいですね!


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■囲炉裏のかをり 古民家で人形浄瑠璃■

2014-09-25 22:07:05 | 川崎あれこれ
人形浄瑠璃の開演時間が迫り、会場の古民家に入り席に着きます。
この南部の曲屋(まがりや)・工藤家は、宝暦頃(1751-63)に建築された岩手県紫波群紫波町にあった民家で、現存する最古の曲屋のひとつだそうです。
国指定重要文化財です。

そして公演を担うのは 相模人形芝居下中座 (さがみにんぎょうしばいしもなかざ) の皆さんと 女流義太夫の太夫(語り)と三味線 のお二方。
下中座は国指定重要無形民俗文化財 「相模人形芝居」 を伝承する民俗芸能団体で、断絶の途上にあった江戸人形浄瑠璃の伝統を受け継いでいるのだそうです。

公演の前半は、初心者向けの解説や人形に触れたり操ったりなどの体験が出来るワークショップの時間が当てられました。





太夫・三味線の床。


下中座はその歴史の中で、人形遣いの技法は農家の男子(長男)が相伝してきたとのこと。
あくまでも 『人形芝居』 であり文楽のような人形浄瑠璃の括りではないのは、太夫・三味線の伝承がなく、人形の操作のみを伝承しているからだそうです。
もともと浄瑠璃(三味線の伴奏で太夫が詞章を語る劇場音楽・音曲)の一派である義太夫節が盛んであった地域で、商人や富農が在野で語っていたため座で太夫・三味線弾きを抱える必要が無かったことがその理由だろうと…ふむふむ。

分かり難いですが、えーっと、この日上演されたのは、太夫の語り・三味線・人形が一体となり物語を表現する“人形浄瑠璃”ですが、下中座さんは相模“人形芝居”の伝承団体である、ということであります。

農家の男子によって相伝された伝統芸能でしたが、職業の変化や趣味の多様化などで時代とともに若手後継者が不足し、昭和末年には6名まで座員が減少してしまい存続が危ぶまれたそうです。
そこで、農家の長男だの地縁だのといった括りを無くし要件を緩和したそうです。
そうした座の内外による取り組みや支援が実を結び、今では若手の座員も多く在籍・活動し、また地域の高校や中学などの学校活動の場で人形芝居の若年層への浸透に尽力するなど、若手育成・伝統継承の環境を整える努力をしているそうです。


『相模人形芝居』 は相模の国(現神奈川県の川崎と横浜の一部を除く地域)に伝承される三人遣いの人形芝居です。

まずは人形の頭(かしら)の説明を。(覚えている限りで…汗)
人形の白い顔は胡粉(ごふん)を幾度も重ね塗りしていて、蛤から作る胡粉がよいそうで、決して人間の手で触れてはいけないのだそうですよ。
髪の毛は人毛だけだと重くなってしまうのでヤクの毛も使っていて、表面に出る髪は艶のいい人毛を使い、鬢付けなどの油は使わずに結い上げているそうです。
髪を振りほどく演出があったりする上に、やはり油が顔の胡粉に染みると困るからだそうです。

体幹の部分は木枠で出来ており、肩の部分はヘチマの繊維を束ねて男女の曲線の違いを作っています。
人形の動きを伝える要ともいえる糸はセミクジラのひげが使われていていますが、ご存知の通り絶滅危惧種として捕獲禁止になってから久しく、今では入手が非常に困難になっています。

人形は、主遣い(おもづかい)が首と右手、左遣いが左手、足遣いが脚と三人で動かしています。
三人が息を合わせて一体の人形を動かす、チームワークばりばりの伝統芸能ですね。
今回の演目には登場しない八重垣姫がアシスタント?を務めています。
本番の演目上演中の撮影は禁止ですが、それ以外の時はフラッシュもOK!




八重垣姫

本朝廿四孝 十種香の段(ほんちょうにじゅうしこう じゅっしゅこうのだん) という演目に登場する人形で、勝頼を慕う、いいなずけの可憐なお姫様。




能の面もそうですが、角度によって人形の表情がこんなに違って心の機微が表現されて、凄いですね!
人形遣いの方たちは黒頭巾を外して顔出し状態でしたので、慮って画像処理をさせて頂きました。
(アップしてよいかをお聞きするのをすっかり忘れていたもので…) 





さてこちらのお人形はどの演目のものかは分かりませんが、歌舞伎でも見所のひとつである引抜の中のひとつの手法の 「ぶっかえり」 を披露してくれました。





しゅっと糸を抜くと衣裳がはらりとめくれて。






ついでにシャーッ!本性を出して鬼の形相!恐いよぉ~!
 



解説・演技披露のあとは、ワークショップ開催です。
それぞれの場所で人形と触れ合ったり体験したりと楽しい時間を過ごしました。
夢中になっていたので時間が経つのを忘れるほどでした!

ワークショップの時間が終わり、いよいよお待ちかねの演目 『伽羅先代萩 政岡忠義の段』 です。


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■囲炉裏のかをり 日本民家園■

2014-09-24 20:32:16 | 川崎あれこれ
昨日の秋分の日に、久し振りに川崎市立日本民家園を訪れました。

今までは車を使っていましたが、今回は初めてバスを乗り継いでの民家園行きでした。
祝日のせいか、混んでいないのにも関わらずバスは大幅に遅延。
乗り継ぎ時は滑り込みセーフで、どうにか予定のバスに乗車できました。
ありがと、羊子!

今回の目的は、古民家で上演される人形浄瑠璃!
一度観てみたかったんです。
バイトの掛け持ちでお疲れ気味の羊子をほぼ強制的に連れて、まずは当日販売されるチケットを購入するために早めに到着しなければなりませんでした。

予定通りに着くとすでに発券所に列が出来ていましたが、チケットは確実に手に入ってまずは一安心。
お昼をいつもの園内のお蕎麦屋さんでと思っていたので、2回目の公演を選びました。

この日は入場者も多くお蕎麦屋さんは大盛況!
日向に暑さが残る日でしたので、冷たいお蕎麦がとても美味しかったです
お蕎麦を食べたがっていた獅子丸は、大学の用事で来られずで残念でした。


お蕎麦だけじゃ物足りないので、お団子も購入。
ここのお団子は高齢者に配慮してあるのか、とても柔らく作ってあります。

すぐ上にある古民家の前庭のベンチに座ってお団子を食べたあと、時間がまだたっぷりあるのでまた入り口まで戻って古民家を巡りました。

祝日で園内は人が多く写り込みしてしまうので、ほとんど古民家の画像は撮りませんでした。
今までにもいっぱい写したから、まぁいいかな



 

  





水車小屋の近くにはあの頃と変らず萩が咲いていました。

この萩の花、人形浄瑠璃の演目名のあるキーワードと繋がるかなぁと思い調べてみましたが、やっぱり以前にも記したようにこれはヤマハギ(山萩)のようです。

床上公開している民家では、囲炉裏に薪や端材をくべて萱を燻しています。
懐かしい囲炉裏の煙・匂い。
火勢を強めようと吹き竹を吹くボランティアさんの所作を見ると、むかし茂庭の家にあったかまどで煮炊していた情景を思い出します。
当時私も促されて吹き竹に挑戦したことがありましたが、下手っぴで煙いだけでした(笑)

シュロで作られたバッタを頂いたり、のんびりと時間を過ごしながら開演の時間を待ちました。


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■涼風の中の輝き■

2014-08-23 21:38:10 | 川崎あれこれ
 

  
■2014年8月23日(土)■

 





















   


平成26年 第73回 川崎市制90周年記念多摩川花火大会。
第36回 世田谷区たまがわ花火大会 との共催の大会。

数年振りに休みが取れた獅子丸と観ました。
夏の装いでは少し寒いぐらいの風が吹く中、多摩川を挟んだ両地域が競う花火を楽しみました。

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■夜空に咲く華■

2013-08-17 21:39:14 | 川崎あれこれ
 

  
■2013年8月17日(土)■

 




































   



平成25年 第72回 川崎市制記念多摩川花火大会。
第35回 世田谷区たまがわ花火大会 との共催の大会。

今回は初めてコンデジの花火モードで撮影してみました。
今までの、あれこれと出来る範囲で設定して撮影したものと劇的な違いはないような。


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■久々の大雪■

2013-01-14 13:40:01 | 川崎あれこれ

雪国の人たちには笑われちゃうかも知れませんが、首都圏ではこの程度ですでに大雪。
川崎では朝の9時頃まではまだみぞれ交じりの雨でしたが、その後雪になり、あれよあれよという間に積もりました。


 




雪の重さで枝が折れて横たわっていました。




人家の庭先の竹が雪でしなって道路を塞いでしまっていました。
いつもの水分の多いもち雪orべた雪ではなく、はい雪に近いかな。
首都圏では珍しく、良い雪質です。

交通機関のマヒなど悪影響があるのに、良いなどと、不謹慎かも知れませんが(汗)


■追記■
暫くして雪が湿ってきました。
風も嵐のように横なぐり。
玄関前の雪を退けるのが精一杯。


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■衰えと 乳酸と 息苦しさと■

2012-12-23 19:20:26 | 川崎あれこれ


昨日の土曜日、獅子丸に、気晴らしに(?)数キロ離れたころにある一度だけ行ったことのあるスーパーに行かない?と誘われたので、大掃除の手を休めて一緒に自転車で行って来ました。

雨も上がり、寒さ対策も万全。
一路246方面へ。

246に差し掛かったころ、獅子丸が突然 『円筒分水に行ってみる?』 と。
『うん、行きたい!』 
見たことがなかった私は、即答です。
でも、てっきり246の路上を横断するものだとばかり思っていたのに、目の前にあったスロープ付きの歩道橋で渡るとは!

私の自転車(小次郎といいます)は、実は少しばかりしっかりしていて重いのです。
その小次郎を押し橋を上る私は、慢性的な運動不足に慢性的な貧血、おまけに寄る年波、ついでにマスク着用で息も絶え絶え。
マスクを途中で外しても酸素供給が間に合わず。
下りの途中では、振り向きながら獅子丸が何かを言っているも、ほぼ耳に入らず。


『…え?ハアハア 何言ったの?ハアハア』

『そこのうんこ、気をつけてね』

『ひ、ひぇ~

気配りの出来る息子です…。


歩道橋を下りて、細い道をまっすぐ進むと、ふっと視界が開けて目の前に二ヶ領用水久地円筒分水が見えて来ました。

『思ったよりも大きいでしょ』
『うん!(ハァハァ)』

閑静な住宅地に囲まれていて、近くには川の水が流れる2つの洞門が。
洞門の反対側では、2本の川が合流する轟々とした水の音が響き渡ります。
目の前の円筒分水の静かな水の流れと相反する、力強い音。

冷たく湿気を含んだ空気と水の音に心癒され、呼吸も整ったところで、本来の目的地へ向かいます。
246の切通しの坂道を上り(ゼーゼー)、脇道の下り坂を下り、目的のスーパーへ。
基本食料品の買い物好き、と言う獅子丸はご満悦の模様です。
買い物を終え、ここからは平地を通って溝の口の中心部を突破し、家路へ自転車を進めました。

往復7km弱の自転車の旅(?)
ひとりだったら絶対行かない(行けない)場所も行ったし通ったし、獅子丸のお陰でアクティブな時を過ごせました。

時々こうして私を連れ回してくれることに感謝しなきゃと思う、衰えつつある身の私です。
でも帰宅後、脚に乳酸が…乳酸が…( ̄Д ̄;)ゼーゼー


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■光の饗宴■

2012-08-22 00:10:07 | 川崎あれこれ
 

  
■2012年8月18日(土)■

 





































   



平成24年 第71回 川崎市制記念多摩川花火大会。
2年振りの川崎市・世田谷区共催の花火でした。


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