緑の風

散文詩を書くのが好きなので、そこに物語性を入れて
おおげさに言えば叙事詩みたいなものを書く試み

廃墟のような白い城(poem)

2022-11-17 14:56:58 | 

廃墟のような白い城 (poem)

 

細面の目の大きな男がその城に生きていた。すらりとした身長の男だった。

白い色の城はいくつもの塔が空に伸びていた。

白い色の城は、昔は美しかった。

壮麗さを感じさせ、畏敬の念を感じさせるものがあったに違いない。

しかし、今は古びていて、昼間は薄光が窓から差し込む。

だが、あちこちに沢山の本棚があり、世界中から集めた本に数年のホコリがたまっていた。

足音でもたてようなら、ホコリが舞い上がる。

ホコリといっしょに、アレルギーが襲いかかる。

そのことを城の人々は知っており、風邪と並んで、用心する病気と思っていた。

それでも、ホコリを、恐れてはいなかった。静かに、暮らしていれば何事も起こらないからだ。

それに、普通の人は本を読もうとも思わなかったからだ。

それ故に、城の中は物音せず静かであるが、食事をする所だけは賑やかだった。

他の部屋にも本は満載で、城の中で、ホコリのない所はここだけだった。

 

美しい宝石のような赤色の夕日を男は待っていた。

細い窓に光が斜めざしにする時は特別の時なのだ。

男はそこに美しい服を着て、母のむくろのおさまった棺の前で祈り、

夕方になると、父の見えるような見えないような亡霊が現われれるのを知って、そこで祈るのだ。

 

ある日のこと、いつになく綺麗な花が豊富に城の中が飾られていた。

男は花の美しさにうっとりして、不思議に思い聞くと、紫の娘が来たという。

彼女は散歩の途中で見かけた農家の娘で、いつも野菜を運んでくれているのだ。

健康そうなふくよかな顔とシンプルな服は内面の清楚さを思わせ、時々キーツの詩を口ずさむのだった。

 

「何で、お掃除なさらないのですか」と紫は男に挨拶すると、そう言った。

「民が豊かで、城の者は貧乏で、国は栄える。死んだ父が本を読んだ結論がそうだと聞いた」

「それにしても、本はすごいですわね」と紫は不思議そうな目で男を見た。

「世界中から、集めたものじゃ、いくら勉強しても、真理は分からない。これも父君ファウストがおっしゃって言った。私もそう思う。

森の中で、修行した方がいいと、わしは思うがね、あなたは森の道案内はできるか」

「昔、祖父に連れられて、五度ほど、森にはいりましたけど、滅茶苦茶、広いですよ」

「面白かったか」

「小鳥ときのこが面白かったですが、なにしろ、広大な森ですから、夜は怖いですよ」

「座る平たい石はあるかな」

「えーと、何をなさるのですか」

「座禅するのじゃ。真理に到達するには、本だけでは、駄目だと分かったからな」

「ああ、小屋のそばにいくつもの平たい石があります。でも、あのあたりは隣国のシャベリンが撃ち込まれることがあるのですよ。危険という人もいますよ」

「ああ、それは演習だと聞いている、わしが向こうの城にメールを渡しているから、その日付以来は来ない筈だ。わが軍は父の死と同時に解散した、あの日のことをあなたも知っているだろう。わしは争いは嫌いだし、このことは長い間の隣国の交流によって、相手も知っていると思う」

「攻めて来ないかしら」

「わしと、彼とのメールは百回以上に上る。内容はその座る平たい石で、二人で座ろうということになった。向こうも石を探している筈だ。あの森は昔から、どちらのものでもなかった。二人で座れば、争いは意味がなくなる。森は両方の共同管理になろう」

 

 

森は小高い丘陵のようになっているが、森は昔から虎と龍が住んでいるという信仰があった。それを統治しているのが、森のカミだった。

カミが怒れば、龍虎の争いが起き、森は大地が響きをたてて、嵐となり、入ってくる人は殺されるという話だった。

そこで、森そのものがカミであるという信仰は森を挟んでこの二つの国で起き、大昔からこの森を通して両国の文化交流は行われ、宗教も文化も酷似していた。

 

飛行機の時代になっても、両方の側の旅行熱も深かったが、文化と宗教が似ているので、争いは起きなかった。争いが全くなかったわけではなく、シャベリンが森に撃ち込まれる時には森のカミを殺す気かという民衆の声が大きく、カミを殺せばニヒリズムという妖怪に襲われ、人の命を軽く思う人間が増加し、ちょっとしたつまらぬ争いが戦争の元になるというようなことが、城の男と隣国とのメールの内容だった。

 

ある日、満月がこうこうと照る森の中で、

小鳥の鳴き声が聞こえ、

二人の男が石の上で座禅している。

満月は森をこうこうと照らし

広大な樹木の中に、一点のような小屋を浮かび上がらせ

そばに座る二人が宇宙の中心であるかのように、

今の今の不死のいのちの光の中で

満月はすべてが溶け合うように

一服の風景画となって、輝いている。

 

 

                【完】

 

 

【久里山不識】

詩を書いても、長いこと小説を書いていた癖が出てしまいますね。今の日本の大都会は少なくとも、詩的雰囲気にあふれているとはとても言えません。科学文明が発達し、物は豊富で、物凄く便利になりましたけれども、一方、歌川広重の浮世絵にあるような情緒を失いました。

しかし、詩の母体である神秘はいたる所にあります。どんなに、科学が発達しても、目の前にあることで、科学では説明できないことは沢山あるようです。一番の例は、我々の意識です。

常識的には、脳神経細胞の電気信号のからみあいによって生まれるというような話が流布しているようですけど、これは全く証明されていないようです。二十年以上前でしょうか、量子力学で意識を説明した「皇帝の新しい心」という難しい本も出たように聞いていますが、あれも仮説です。今も新説が出ているのかもしれませんが、同じです。意識について今の所、科学的な説明はすべて仮説で、神秘なヴェールに包まれているのだと思います。

つまり、大都会にいても、神秘はいたる所にあるというわけです。

ですから、詩を書くわけですけど、昔のような叙情歌でない現代詩の創作の試みがあっても、いいかと作者は思っているわけです。皆様はいかがお考えでしょうか。

 

 


廃墟のような古い屋敷(poem)

2022-10-27 20:29:55 | 

 

廃墟のような古い屋敷(poem)

 

 

奇妙で美しい街角に廃墟のような古い屋敷

そこに垣根に咲く花は秋になると、緑にまじってコスモスの花が横に並んで咲いている

そこに、背の高いほっそりした丸顔の若い若い女が

夕暮れの沈む頃になるまで、黄色い服を着て三十分ほど立っている

誰かを待っているのだろうか

それとも、夕日を見るためだろうか

通りは細い通りで、前には歯医者と床屋が小さな公園のような家を挟んで建っている。

 

ある日のこと、その古い屋敷の二階の窓から、

ヴァイオリンの響きが四方八方に聞こえるのだった

音色は悲しみに満ちていて

詩人なら、胸をうたれる音色だった

遠くから、森の緑の風が強く吹いて

ざわざわと音をたてたかと思うと、

今度は雨がざーと降るかと思うと、

稲光がさーと射して

古い屋敷の横の大木に落ちた。

それでも、花は宝石のような露をたくさん輝かせて、逞しく雨にたえていた。

 

ある日のこと、曇って、雨の降りそうで、稲光が遠くに響くその日

テレビでは、ウクライナ戦争の報道が響き

台所では、猫が魚を見つけて喜び、

黄色い服の女はコーヒーを飲んでいた。

テーブルの上には日記帳があり、

「道元はすべての人に仏性があると言う。話し合いが大切。対立は静めないと、雷が落ちて、人はいなくなってしまうわ」

テーブルの上には、彼女に似た若い男の写真が飾られていた。

写真は一年前に、車の事故で亡くなった弟だった。

なぜか弟の写真には黄色いオンシジュームの一輪挿しの花が映っていた。

オンシジュームには弟の誕生日の思い出があり、彼女は黄色い服を好むのだった。

それで、黄色い服を着た女は、写真の横に写真と同じ花をいけたのだった。

 

この百年をとっても、

こうした沢山の弟と姉の悲劇がこの地上に繰り返されてきた。

思い出すのは、晶子の「ああ、弟よ。君を泣く」の歌ではないか。

この繰り返す悲劇をなくす知恵がヒトにはないのか

オンシジューム、オンシジュームと女は口で唱えていた。

すると、寺の鐘が鳴り始めた。

世界は何かの新しい時代の夜明けのように、明るくほのぼのとし始めた。

真昼の秋の太陽が町を守るように、守るように燦然と輝き、幻の弟は公園の緑の上に座禅しているようだった。

女は相変わらず、オンシジューム、オンシジュームと、

黄色い花に呼び掛けていた。

 

 

(参考 )

与謝野晶子の詩

ああ おとうとよ、 君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

 


観音(poem)

2022-10-06 16:33:46 | 

私が詩を書くようになったのは、青年期に読んだ文学の影響もあったでしょうが、それよりも、「真理とは何か」という学生時代によくかかる病気が原因と思う。七十過ぎても書いているのは、「この真理とは何か」という病気が恐ろしく長いものとなり、そこでつかんだものを表現するのが薬となるという経緯があるからかもしれない。
それでも、三十才で小説に表現を変えて、四十年のブランクがあるのに再び、詩を書き始めたのはあの「銀河アンドロメダの猫の夢」の主人公が吟遊詩人で、どうしても詩が必要になったからだろうと思う。玉石混交の詩をいくつも書いている内に、詩の創作の喜びが復活したのかもしれない。
読者の側からすれば、分かりにくい、宗教くさい文字の羅列に辟易された方もおられるかもしれない。カメラで,良い風景でも撮ったほうがよいのにと思われる方もおられるかもしれない。なにしろ、今のカメラは物凄く優秀だ。へたな絵よりも、写真の方が凄いと思われる時代になっている。
それでも、私は小説を書き、詩を書く。もともと、最近の詩は小説(森に風鈴は鳴る)の応援で書いていたのが、かなり、一生懸命に書くようになるとは不思議なことだと思うことがあります。
死んだ叔父の話によると、数代前の私の遺伝子をたどると、大百科大事典に名前が乗っている江戸時代の漢詩人がいたんだそうです。
江戸と言えば、良寛を思い出しますから、この話は、がんの話になると、家系にがん患者がいることを聞かれるようなもので、ただ、思うのは、みんながカメラに夢中になっている時に、詩を書く羽目になったのはこの遺伝子にあるのかなと、思うこともあります。(時間があれば、カメラにも手を伸ばしたいのですがね。でも、もう年ですからね、心は驚くほど若々しい【おかげで十年以上若く見えるようです 】  つもりでも、昔、柔道二段の肉体の衰えはどうすることもできませんね)

 

観音 (poem)【観音はご自分の好きな名前に変えて、読んでみるのも良いかと思います。私でしたら、仏性、仏、大自然、神、真理、菩薩、好きな花の名前などに変えてみるかもしれません。】

        1

 

私の見た観音は自由自在に姿を変える美しい花。

私が傷つき真っ青になっても、私に微笑をもたらすのは観音の愛。

観音はそよ風のように、突然 私の前に現れ、そして忽然と消える。

観音の住居はどこなのか、私は地図を調べる。

あの街角で観音を見失った、しかし観音の家はない。

今度は本屋の見える喫茶店でぼんやり窓ガラスを見ていた時、

カラスが舞い、しとしとと霧雨が降り出したその街路樹に、

観音はひまわりのような容姿を星のごとく現わした。

 

ああ、道は雨に黒く濡れ、行き交う人は忙しそう。

それでも観音は悠然と瞳を輝かし希望のサインを送る。

その神秘な瞳に宿る解きがたい不滅の法。

牢獄に一条の光が差し込む、その希望の窓のような観音の瞳。

瞳の奥から小鳥のごとく飛翔してきた光はわが胸をさす。

 

 

 

      2

 いつの頃からか、私は観音の存在に気がついた。

それまでは私がどんなに恋焦がれても姿を現わすことはなかった。

私は自分が歩いている坂道でいつかきっと観音に会えると確信していた。

坂道は時にぬかるんだり、車が勢いよく走り去ったり歩きにくかった。

周囲は美しい田園ではなく、都会の混沌がおおっていた。

 

私が観音に出会ったのは坂道に疲れ横道に入った時のことだった。

 

そこは公園になっていて、暖かい光が全てをおおっていた。

私はそこに幻の様に浮かぶ観音を見た。

ざわざわと緑の梢が風に揺れ神秘な音楽を流していた。

ああ、何という胸のときめき、観音は緑の衣服を着ていた。

 

坂道はどこまで続くのか、どこかで祭りの太鼓が響いている。

私は観音を見うしない、心は暗たんとしていた。

 

先程の観音の声のささやき、燃えるような命の美は消え去っていた。

耳に残る、目に残る、慈悲の姿が太鼓の音と共に私の胸を打った。

 

私の胸は張り裂け、涙は泉のごとく噴き出そうとしていた。

夕日が遠い森にかかり、そこの神社で祭りが行われるらしかった。

夕空に浮かぶ雲の美は、観音の優しさを思い出させる。

 

ああ、歌と踊りこそ私の心にやさしい慰めを与える果物のようなもの。

それ、踊れや歌え。何時の間にか月夜になっていた。

絶望のはてに祭りの太鼓と共に歌い踊るのだ。

 

 

私は森で踊り、歌いそして眠った、やがて目覚め朝日と共に坂道に立った。

 

私は坂道で図書館により、沢山の本を読んだ。

私は美術館や音楽堂に寄り、素晴らしい芸術に触れた。

そんな時、ふと 観音の存在を感じ、私は緑や花を見た。

そよ風が吹き、私の心にさわやかな命が流れ込んだ。

おお、その時 私は見た、滅びることのない観音の白い手を。

 

坂道は喜びの道となり、私は光に包まれたような観音と、歩いた。

不思議なことだ、観音はいつも私と共にいたではないか、永遠の昔から。

不死の愛のいのちの衣服を着て、私と共にいたのだ。

今はただ 歓喜にあふれ 周囲の景色を見渡す。

学問と知恵は 観音なしでは空しい。

観音がいればすべては美しい光で埋まる。

悪魔よ立ち去れ、美しい笛の鳴るこの坂道に観音と共にあるこの喜び。

ああ、緑の街路樹 星のまたたき 月夜そして又昼の陽光、全ては友達だった。

空気や水を汚し、命を傷つける悲しき者よ、共に目覚めようではないか。

君の中にも、かの観音が住み共に歩いていることを。

おお、不滅のいのちの光と慈悲にあふれた観音の神秘に感謝しよう

 

 

{了}

 


緑の風 17 (レモンの歌)と休憩

2022-06-10 19:47:29 | 
休憩【poem】

里山の光(poem)

いのちの朝日と永遠の夕日の美しいこと
森と丘のような沃野は、宝石のような輝きに包まれ
素晴らしい果物と花に満ちた樹木の向こうにはバスの走る街角がある

見よ 里山の五月の光を
そのやわらかい光線は大豆氏の乗るバスの内部で
タンパク質の合成を始めていた。
タンパク質の窓はまるで中世の教会の
赤いステンドグラスのようで、
美しい光が差し込み、全てがバラ色のように輝くのだった。
タンパク質の窓に雪が降りかかる日の物語
タンパク質の窓にオルガンのささやく光の物語
そしてビールの泡のようにあふれでる生命の倦怠
バスの内部に広がった巨大な粘菌のような
タンパク質の静かな紫のあくび

おお、今日も私は花の咲いた植物を持ち、バスに乗る
光に包まれると、バスの内部は葉緑素に満ちる
それは透明で、香りの良い何ともうっとりする葉緑素

まばらな乗客
二酸化炭素のような毒が霧に包まれて
水分をたっぷり、ふくんだ豊かな美しい会話が
若い母と子の間で静かに進行していた。
「ねえ、ママ。何で、人は戦争をするの」
「それはですね。ヒトは悪口をいったり、いじわるするでしょ」
「それが戦争の始まりなの」
「それに、ヒトは武器を持っているでしょ。それに愛のない言葉がはびこっている。
昨日見たセヴィリアの理髪師の中でもね」
「ああ、オペラね」

会話はバラ色の光のヴェールに包まれて
二酸化炭素のような毒を栄養として
五月の細胞を合成する
バスで夢見る思い出はにがく
幻の人生は何を与えんとして今日もいくのか

窓の外の風景を見よ
見よ 街路樹の新緑の梢を
そこでも光をあびた新緑は
真夏の海水を浴びて喜ぶ少年のように
健康そうな笑いを浮かべて
五月のタンパク質を合成する

そして真っ白な酸素をさも気持ちよさそうに吐き出す
おお、今日もあの梢は緑に燃えている
見よ 窓の外の丘の上を
そこにはバラの垣根に囲まれた学校があり
そこから子供達の笑い声が
五月の細胞の中に反響する
おお、今日もあの丘のバラは真っ赤に咲いている
住宅街を通るバスの内部で
私はものうげに光をあび
重苦しい会話に耳を傾けた。

若い男と初音ロボットキミが話していた。
「昨日、歌い終わって、終末時計を見たら、二分前よ」
「なにしろ、核兵器があるから、
それに兵器の進化は異常だ」
「戦争が始まれば、沢山の人が死にますよ」
「人間は利口なんだか、愚かなんだか、分からなくなる」
窓の外は麦畑が続いている。そして、向こうに、海も見えた

そして、私はセビリアの理髪師を思い出していた。
「どんな下らん悪口でも、作り話でも、うまくやりさえすれば町の暇人どもは必ず真に受けますからね。つまり、中傷はそよ風のように来ても、やがて台風になるというわけ」
伯爵が知らない町に来て、令嬢に恋するのだが、
令嬢の資産を狙う恋敵が伯爵をおとしめるには、中傷がいいと思う場面だ。

窓の外の流れる風景に
私は苦しい憧れを感じていた。


【久里山不識】
地球から核兵器を無くそうをテーマにした小説「森に風鈴は鳴る」は パブー(Poboo)で電子書籍にする。
「霊魂のような星の街角」と「迷宮の光」はアマゾンで電子出版
セビリアの理髪師の所のセリフは オペラの中のセリフを短くした文




17 レモンの歌
それから、さらに夜になると、寝台車に行くものもいる。我々三人は若いので、やわらかな絹のようなソファーの自分の席で、そのまま寝る。それでも、吾輩、寅坊はまだあまり眠くない。時々、目をつむったり開けたり、あたりの様子をうかがう。目をつむると、やわらかな緑の柳が清流にかかり、岸辺には花が咲いている。吾輩には眠る前に、時々、こうした幻影が現れることがあり、これが楽しみなのである。

物音で、目をあけると、今までに、そのあたりにいた沢山の乗客はすっかりいなくなり、いるのは我々三人とライオン族のおまわりさんとヒョウ族の若者と虎族の若者モリミズと猫族の娘ナナリアだけになった。
鼻歌が聞こえて来る。かすかな声だが、どうもおまわりさんの鼻歌のようだ。

レモンよ! 君の瞳に愛と死を見る奥の深さ
おお、やわらかな黄色の毛を身体にまきつけて
僕の日記に嵐を吹き起こす
熱情の恋人よ。涙の嵐に吹き荒れる緑の風景

おお、夜はそこまで訪れた。海の衣ずれの音と共に
やさしくふりかかる君の黄金の髪
おお、そして神秘に光る町の灯のような君の瞳
僕は大森林の芝生の上で君とたわむれ、笑う。
これこそ、人生。

永遠のやさしい月夜の晩に僕はレモンに魅入り
愛の深まりの中で夢を見る

ライオン族のおまわりさんの声はそこで急に小さくなり、聞こえなくなってしまった。
吟遊詩人が微笑して、「レモンで思い出したが、僕にはこの有名な詩がすきだな」
彼の声も珍しく小さかった。
おまわりさんに遠慮したのだろうか。

そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白く明るい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズ色の香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智慧子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

詩人川霧さんはふとそこでやめた。おまわりさんの声が再び聞こえたからだろう。何て言っているのだが、はっきり聞き取れない。
「月夜の砂漠の中に彷徨う隊商のように」だけがやっと聞こえた。
ちょっと見ると、ライオン族のおまわりさんの目に涙が光って、鼻水が流れるような感じがあった。

吾輩の耳は猫の耳であるから、聞こえは抜群にいいが、二人の詩の最後まで聞こえなかったのは残念だった。吾輩の胸にも響く吟遊詩人の詩は、高村光太郎の「レモン哀歌」である。おまわりさんの方は分からない。何で逞しいライオン族のおまわりさんがその詩を歌い、かすかな涙を光らせていたのかは勿論、分からない。ただ、人間というのはどんなに強そうに見える人でもそうした一片の悲しみの詩をかかえていることがあるのだろうと、吾輩は思った。
それでも、吾輩は何か素敵なものを見たような気がしてしばらくぼんやりしていると、すると、ライオン族のお巡りさんの鼾が聞こえて来た。

そのすきをついたのか、ヒョウ族の若者が猫族の娘の所に行き、
「ねえ、付き合ってくれよ」とねこなで声で言う。
「ここで、お話するくらいならいいわよ。でもあたし、ティラノサウルス教って苦手なの」
虎族の若者が来て、「おい、あまりしつこくするなよ。悪いだろ」
「なんだと。お前が出るまくか」
「それに彼女のブログは匿名なんだぜ。何でそれを虎族の小母さん達に喋っちゃうのさ。悪いと思わないのかい」
「うるせえな。ティラノサウルス教よりスピノザ協会の方がいいって書いてあるから、虎族の小母さんの心の栄養にいいと思っただけだよ」
「君はティラノサウルス教なんだろ」
「そうだよ。しかし、あれはヒットリーラが一時心酔した強者の哲学だからね。もう少し、弱い人の立場に立った慈悲の心があった方がいいと思っているよ」
「なるほど。そこまで分かっているなら、彼女の邪魔をするべきではなかったな」
「何だと。貴様」
ヒョウ族の若者はナイフを振り上げる。
「腕力じゃ、僕に負けるからって、ナイフを出すとは。彼女がおまわりさんを呼ぶわけだよ。ところで、おまわりさんは寝ているな」

ここでハルリラが立ち上がり、素早くヒョウ族の若者が持っているナイフを取り上げる。ハルリラの動作の敏捷さに驚いた。
「やめたまえ」
ヒョウ族の若者もこの猫族の女の子ナナリアが好きだったのだろうが、彼の恋慕の情の嵐は理性の壁を破ってしまったと思える。以前から、虎族の若者とヒョウ族の若者でこの恋人ナナリアの取り合いがあり、一編の恋愛確執の物語があったのだろう。吾輩、寅坊はそういうことに興味がないでもなかったが、その時はただ、状況をはらはらして見ているばかりだった。

「おまわりさん」とナナリアが声を上げた。おまわりさんは驚いたように目を覚まして、ラグビーの選手のように物凄い勢いで「逮捕だ」と雄叫びをあげながら飛んで来て、ヒョウ族の若者の手首をつかんだ。なるほど、先祖がライオンだけある、居眠りからダッシュまでの変わり身の物凄い敏捷さには百獣の王の血が流れているようだと、猫である吾輩は思った。
こうして、ライオン族のおまわりさんは男を逮捕すると、別の車両に連れて行ってしまった。

「ここにすわりませんか。モリミズさん」と吟遊詩人が言った。
虎族の若者モリミズは「ええ、ありがとうございます」と言って、「綺麗ですね」と窓の外を指さした。
何時の間に、月は窓わくから見えなくなり、代わりに、見えたのは、青白く光る銀河の岸に、銀色の空を背景にした色とりどりの薔薇の花が、もうまるで一面、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。

アンドロメダ銀河鉄道の先の方で多くの鳥達が飛びたったようなのです。
天空に舞い上がる極楽鳥のような色とりどりの小柄な鳥の本当の名前は分かりませんが、熱帯にいる赤いインコ、青いインコ、黄色いインコのような不思議な美しさを持っています。
それがピアノの音のような美しい音を大空全体に響かせて、それから舞い上がり、キラキラ光る星を飾るさまは、まるで江戸の隅田川の空に上がった花火のようです。
確かに、周囲の下の方は何か水晶のような美しい水が流れているのかもしれないと、吾輩は思ったのです。
たえず、ピアノ・ソナタのような、美しい響きがまるでそれが列車の音であるかのように聞こえるのでした。何という美しい音楽だろうと、吾輩は思わず思ったものです。
虎族の若者は満足そうに、吾輩と吟遊詩人とハルリラのそばに、空いている一か所にゆったりと座りました。


「すごいね。さすがにハルリラさんは武士だね」と吾輩は言った。
「おまわりさん居眠りしていたから、心配してずっと見ていたんだよ。娘さんが危ないと思ってね」とハルリラが言った。
「助かりました。僕も空手二段の腕前があるのですけれど、ナイフを出されると、やはりこちらも相当怪我をする覚悟がいりますからね。それにしてもライオン族のおまわりさんは呑気ですね。それに比べあなたの敏捷なこと」と虎族の若者モリミズが言った。
「相手がナイフを持っていましたから、ちょつと気を使いました。でも、刀を出す相手とは思いませんでした。そんなことをしたら、武士として失格ですからね」とハルリラは言った。
ちょつとした沈黙があった。
「どちらへ行かれるのですか」とモリミズが吟遊詩人の方に声をかけた。
「この次は、惑星アサガオでおりようと思っているのですよ」と吟遊詩人は答えた。

                  
「ああ、あそこですか。僕もそうですよ。ご案内しましようか。」とモリミズは言った。
「君には、ナナリアさんがいるのではないですか」と吟遊詩人は微笑した。
「あの子は惑星アサガオではおりないと思いますよ。なにしろ、あそこは今、革命の動乱期ですからね。僕が危険だから、この惑星は飛ばして、次の惑星で降りるように説得しました。
惑星アサガオは熊族の王朝が長く続き、ロイ二十世という王様が専制的に支配しているのですが、これがまた税金問題で国民を苦しませていましてね、国民はあの消費税には我慢がならないと色々不穏な動きがあるのですよ」
「それで、虎族の君がそんな所に行って、何か目的でも」
「ええ、惑星アサガオの民衆には、鹿族が多いのですが、これが貧しくてね。明日のパンさえ、手に入らない、中には餓死者が出るあの国の首都のお城では、お姫様が『パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃないの』と言いながら、王様は消費税を二十パーセントに引き上げるなんて言っているんですよ。
貴族の中には虎族やライオン族がいましてね、僕の遠い親戚の虎族の伯爵から僕は呼ばれているのですよ。彼は貴族でありながら、この熊族のロイ王朝の政治のやり方に反発していましてね。ウエスナ伯爵というのですが、彼はインターネットで地球のスピノザを勉強していたものですから、僕がスピノザ協会に入ったと言ったら、喜んで僕を招待してくれたわけです」
「熊族の王朝にまで、やはりテイラノサウルス教があるのですか」とハルリラがモリミズに聞いた。
「や、あれは伝統的に虎族の宗教ですから、ロイ王朝は熊族ですからね、ブロントサウルス教でしょう」
「それはどんな考えのものなんですか」と吟遊詩人が聞いた。

「あれは草食系のせいでしょうかね、なにしろ、紙が好きなんですな。お札をどんどんすって、インフレにして、消費税などの税金を増やして、貧しい庶民を困らし、富んだ貴族や大金持ちや富裕な商人からは税金をとらないのですよ。おまけに、貧しい庶民にまわす福祉の金は、軍事力を誇示する戦車をつくる金に化けてしまうというわけです」
その時、向こうから、猫族の女の子ナナリアの声が聞こえた。モリミズを呼ぶ声だ。
「それじゃ又。惑星アサガオに降りる間際にご案内します」と言って、モリミズは離れた。

吾輩はしばらく寝た。詩人もハルリラも寝たのだろう。

ふと吾輩が目を覚ました時は、ハルリラの寝息が聞こえるくらいあたりは静かでした。アンドロメダ銀河鉄道はどのあたりに来ていたのでしょうか。星の輝く中に黒い森のようなものが続くかと思えば、その横を見えないアンドロメダ銀河の川が音もなく、トコロテンのようにやわらかく、もっと透明な流れとなっているようで、不思議な大きないのちの水があらゆる星屑とすれ違いながら、その時出すみかん色の美しい光はたとえようもないものでした。

時々、なにやら吹く野原の風のような音がまるで弦楽器の響きのように、聞こえては消えていきます。

「ああ、この次の惑星アサガオは波乱の舞台のような感じもする」と吾輩はロイ王朝のウエスナ伯爵がどんな人か想像しながら、そんな独り言を言うのでした。
大きな向日葵や柳の木のようなものがまるで並木道のようにえんえんと続くではありませんか。向日葵、菜の花、柳のようなものが星のように輝き、
向こうにトパーズという宝石のような黄色みがかった惑星アサガオがゴムまりほどに見えてきました。
吾輩は殆ど歓喜の声をあげました。なにしろ、地球の京都では、あの主人の銀行員が我輩にゴムまりをなげつけて、吾輩がごむまりにじゃれるのを子供のように、喜び、腹をかかえて笑ったのを思い出したものですから。あれでは、どちらが猫か分かりませんね。

どちらにしても、今の吾輩はどういうわけか、猫族の人間として、服まで来て、さっそうとアンドロメダ銀河の旅を続けているのです。
これほど、生きる喜びを感じる時はありません。
それにしても、ハルリラは静かな武士です。顔も優しい感じがしますが、腕はかなり太いです。筋骨隆々としたエネルギシュな肉体が服の中に隠されていることがなんとなく感じられる外見です。
吾輩はつくづくハルリラの顔を見ると、どうしても仏像広目天を思い出してしまうのです。

「銀河がこんなに美しいのは目に見えない何かを隠しているからだ」と思いました。「何だろう。それは。」
どこからか、銀河のはての丘陵から何かの旋律が聞えてくるようでした。
「そうだ。いのちだ。目に見えないいのちを銀河は持っている。」

ふと、気がついた時はもうゴムまりではなく、バレーボールほどの大きさに惑星はなっていて、相変わらず、トパーズのような少し黄色みがかった巨大な宝石のように思えたものでした。
「銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しいのだよ」
と吾輩、寅坊は虎族の若者の目を見ながら、そう言った。
そう言って、吾輩はこんな風に言ったのは、映画を見たあとの吟遊詩人のいのちの講釈が我輩の無意識の海の中に入っていて、それが噴水のように言葉となったのだなと思った。
なにしろ、自然は神の現われだとスピノザは言っていた筈だと虎族の若者は言っていた。

何時の間に、吟遊詩人もすっかり寝て、気持ちよく目を覚ましたと見え、すがすがしい目をして、吾輩に向かって言った。
「僕はここに杜甫の詩集を持っている。」と吟遊詩人はややふるぼけた小型の薄い本を見せた。「それから、この首にかけているヘッドホーンを耳の方にあてると、僕の好きなバッハやベートーベンが聞こえてくる」と言って、微笑した。
吾輩は、吟遊詩人はいのちの話をするのだなと直感した。
「杜甫の詩を読んで、そこに展開する千年前の不思議な絵巻物のような光景を頭に浮かべて感動する時、そこにいのちを感ずる」
「それに」と吟遊詩人はヘッドホーンをなでながら、「これは素晴らしい。最近はベートーベンをよく聞くんだが、そこに宇宙のいのちを感ずる。芸術は知識でもない、技術でもない、ただ素直に聞き、感動することさ。ロダンは感動こそ、芸術のいのちというが、こういう素晴らしい音楽を聞いて、感動した時もそこにいのちの躍動を感じる。これは絵でも詩でも同じこと」
吾輩は吟遊詩人が映画の感想を言った時と、似たことを言っていると思った。あの時には、虎族の若者モリミズがその席にはいなかった。
吟遊詩人は吾輩の心を読んだのか、優しい目を吾輩に向けて、微笑して、さらに話した。
「寅坊君が言うように、銀河は目に見えないいのちを持っている。だから、こんなに美しい。その通りさ。勿論、銀河のような巨大な宇宙ばかりでなく、可憐な花を見ても風に揺れる植物を見ても、いのちを感ずる。いのちというのは形がない、目に見えない、しかし、我々の肉体が単なる物質の集合体でないと我々が知っていて、「いのちがある」と誰でも言うように、いのちというのは、感ずる心がある人には、いたる所に、いのちがある。
僕はトラカーム一家で過ごしていた時、何冊かの歴史の本を読んだが、その中でも「安土桃山時代」と「明治維新」は面白かった。貧しい百姓の出から、信長に仕え、天下をとり、その豊臣の天下も結局、徳川に譲らざるを得なかった歴史の動きは実に面白い。明治維新も同じ。下級武士たちが動きだし、やがて、長く続いた徳川政権を倒す、このあたりの人々の動きを見ていると、そこに不思議なドラマ、つまり、歴史物語といういのちを感ずる。
いのちはいたる所に感ずることが出来る。
星の輝き、空気の心地よさ、風の梢を揺らす音、小鳥の声いたる所にいのちを感ずることが出来、そして、いのちをささえているのは愛であり、大慈悲心である。これを不生不滅の霊性と言っても良い。そういう風に、いのちというのは不思議なものだよ。」

                    【つづく】





【作者から】

この素晴らしい大切な「いのち」を傷つける行為がこの地球で行われてきたことは大変残念なことです。その筆頭が「戦争」でしょう。
この恐ろしい戦争を経験して平和になっても、人は人を平気で傷つけることが行われているのはちょっとニュースを見ただけで分かります。
禅では、人は仏性であるとか、もっと深い言い方では、無仏性であるとか言い、白隠和尚などは仏と人間は紙一重であると言い、人間の中に素晴らしいいのちの宝があることを示していますが、どうもこの百年間ぐらいの戦争などの歴史を見ていると、親鸞が言う「人は愚かな悪人で救いようがない、それを助けようとなさっているのが阿弥陀仏だ、阿弥陀仏の回向によって仏の世界に導かれていく」という方が現代には相応しいのかと思ってしまうことがあります。阿弥陀仏って、な~になんて、最近の仏教離れの人に聞かれてしまいそうですが、私は難しい話は横において、
「大慈悲心に満ちた宇宙の不生不滅のいのち」と言って、そう間違いはないと思っています。

そのいのちを傷つける行為は日本国憲法によって、禁止されています。私達の「いのち」は 日本国憲法によって守られているのです。例えば、基本的人権。

さて、いのちを傷つける悪の象徴たる戦争ですが、下記の記事が目にとまりましたので、掲載させていただきます。
かなり前の記事で恐縮ですが、ハ月十五日【2015年】の東京新聞の朝刊に九十三歳の瀬戸内寂静さんの特に若い人たちへのエールが掲載されていました。
長い珠玉のような文章の最後の方にこんな言葉がありました。
「安保法案が衆院で可決される結果は想像していたわよ。それでも反対しなきゃならないと思ったの。いくら言ってもむなしい気もするけれども、それでも反対しなければならないの。歴史の中にはっきり反対した人間がいたということが残るの。そのときは「国賊」だとか言われても、どちらが正しかったかを歴史が証明する。一生懸命、小説を書いてきて分かりました。
若い人が立ち上がってくれたことは本当に力強いことです。
法案は参院でも可決されるかもしれない。
もしそうなったとしても力を落とさないでほしい。
立ち上がったという事実はとても強い。
負けたんじゃない。いくらやってもだめだとは思わないでほしい。
闘い方が分かったんだからこの次もやっていこうと思ってほしいわ。運動に参加した人は、その分の経験が残ります。
若い人たちは行動する中で自分が生きているという実感があると思う。
未来は若い人のものです。
幸せも不幸も若い人に襲い掛かるんだから。
われわれはやがて死んでいく人間だけれども経験したことを言わずにいられない。法案を通した政治家も先に死ぬのよ。残るのはあなたたち。闘ったことはいい経験になると思います。むなしいと思われたら困るのよ。どっかでひっくり返したいね。
いい戦争はない。絶対にない。聖戦とかね。平時に人を殺したら死刑になるのに、戦争でたくさん殺せば勲章をもらったりする。おかしくないですか。矛盾があるんです。戦争には。」



【参考】レモン哀歌全文
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白く明るい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズ色の香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智慧子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それから山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
涼しく光るレモンを今日も置こう















緑の風 15  (菩薩の舞い  )

2022-05-26 15:38:03 | 



25 菩薩の舞い

駅の近くのカフェーで補佐官と別れた我々は駅に向かった。
通りの並木道には赤い花が咲き、小雨が降っていた。この惑星との別れを惜しんでいるかのような涙が落ちるような降り方に吾輩には思えた。
カフェーでの補佐官との色々な話がぽつりと三人の会話に出ると、
「内の魔法界にも」とハルリラはやや深刻な顔をして話し始めた。
「あの猫族の墓のようなことがあった。長い歴史の中で、今から六百年前に大異変があった。それ以前は暗黒時代で、魔王が横暴な悪をおこなっていた。しかし、六百年前に聖者が現われ、魔王の悪政をいさめ、魔王の十五代目にして、彼は心を入れ替え、それまでの魔女の墓を全部撤廃してしまった。そうした行為には今となっては賛否両論があるようだが、ともかく魔法界も愛と慈悲心によってしか、魔法を使ってはならないことになった。」
「なんだか、ヒットロリーラの話に似ている」と吾輩は言った。
「そうさ。ヒトは悪から目覚め善に向かうというか、進化するという点では似ている、これは心の進化の法則と魔法界では言われている。暗黒時代には魔女狩りが行われ、魔女の墓を国土の至る所につくったそうだ。しかし、それは封印され、今は僅かの資料と伝説的な話として、魔法界の歴史に残された。その内容は長時間労働、ハラスメント、差別、人間のやりそうな悪がその時代には色々と行われ、反抗する者はみな魔女とされ、墓場に行くという伝説となって伝えられている」
「それでは今の魔法界は善政がひかれているというわけだね」と吾輩は質問した。
「いや、魔法界といっても、色々あり、そのへんの知識は叔父さんは詳しいがわしはうとい。邪を脱することの出来ない魔法界がまだいくつもあるとは噂に聞くことはありますよ」

迷宮街の旅とトラカーム一家を思い出すこの惑星でも、虎族ヒットリーラの政治が良くなる変わり目の時代に入り希望の光が見えたという所に、我々は歴史の生き証人となった満足感が幾分あったと言えるのかもしれない。それがこの日の天候に現れているというのは思い過ごしか。涙のような小雨がしとしとと気持ちよく降っている。

ヒットロリーラの演説では、猫族に死者は出なかったと言っているが、あのティラノサウルスホテルの地下の猫族の墓と矛盾するではないか。それでも、リヨウト補佐官のようなしっかりした猫族の幹部が補佐官になったのであるから、いずれ真相が明らかになり、良い方向に向かうだろうという期待を抱き、一抹の不安を抱きながらも、次の旅に出発することにした。

我々三人の出発する虎族の駅【マゼラン・トラ中央駅】は巨大な建物だった。
大理石でつくられた白亜の壁。
駅前に大きな案内図がある
掲示板には、この間のヒットロリーラ大統領の演説が文章になって、掲示されていた。
中には、小奇麗な店がいくつもあった。美しい音楽が流れていたことは、最初に来た時はなかったから、政治が変わるという良い前兆と、吾輩は考えた。

駅は天井が高く、逞しい虎をイメージして模写した透けた巨大なステンドグラスからも薄い日差しが入り、そうしたステンドグラスはいくつもあり、大理石でつくられた白い美しい壁に囲まれた構内を何か明るい雰囲気にしていた。それも、政治の良い変化の兆しと思ったせいか、人々はゆったりと、のんびり歩いているように思えた。

列車は構内の奥深くまで、入り込んでいた。銀色をしたスマートな車体。
十両連結。 窓は上が丸みを帯びた半円形。
中は高級なソファーの並ぶ普通車両。寝台車。食堂車、映画館などがある。
我々は普通車の三号の真ん中あたりに陣取った。さっそく窓を開けると、弁当屋が「弁当、弁当」と声高らかに歌うように言っている。
アンドロメダ銀河鉄道には、色々な民族の人達が乗っていた。虎族、ライオン族、ヒョウ族、チーター族、猫族という風に。
犬族もちらほらいるようですね。時々、「ワン」というような声が聞えます。犬族だけに通じる挨拶の言葉のようですが、猫である吾輩には分かりません。
熊族もキツネ族もいるのです。

トラカーム一家には、お世話になったことは忘れません。それで、アンドロメダ銀河鉄道に乗りましたら、早速、書籍売り場に行き、『星の王子さま』と宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を二人の息子、トカとチカに贈るように手配しました。おそらく、我々がアンドロメダ銀河鉄道で、次の惑星の駅に着く頃は、この二冊の本が二人のもとに届くことは間違いないと思うと、吾輩はなんともいえない喜びに浸るのでした。

我々が自分の席に座り、しばらくぼんやりしていると、広いプラットホームに美しい民族衣装を着た人達が銀河鉄道の見送りということでやって来た。
「長い銀河の旅、ごくろうさまです」と挨拶すると、舞いを踊った。
それから、地球で聞いたことのある歌も披露された。
   
春の日の出発の日に
あなたに春の風を贈りましょう
風は緑の梢を揺らし、
美しい音楽をかきならし、
光を揺らし、素晴らしい衣装を
あちこちに着付けするのです。
梢は風船のように膨らみ
あちこちの街角に葉のざわめきと花を飾り、
宇宙のいのちの喜びを伝えてくれます

青空の向こうに不思議な星があるといいます
そこへめがけて飛び立つ日
その出発の永遠の日の汽笛のように
梢と風は旅への悲しみと歓喜に震えているのです。
ああ、あちらからもこちらからも、聞こえてくる歌声
さわさわとさわさわと、梢が風に揺られているのです。
緑の永遠の喜びの歌声が聞こえてくるのです

歌も終わり、舞いも終わり、人々の歓呼の声にうっとりしていると、いつの間にか、列車は走り出していた。
アンドロメダ銀河鉄道は ゆるやかに美しい音をたてて、桔梗色の天空を走っているのです。吾輩は目を見張りました。
おお、久しぶりに流れてる銀河を見るのは。何と気持ちの良いことか。
宝石のように美しく澄んだその真空の水の流れにはヒッグス粒子がキラキラと輝き、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。くちばしが長く、身体はブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。
美しい宇宙の景色が見えてきました。
天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、川は水晶のように美しかったり、森はあらゆる生き物の宝庫でもあります。
すると、不思議なことに、列車の窓から見える景色の向こうの方に、奈良の薬師寺の五重の塔が見えたのです。薬師寺であることに間違いありません。何故なら、その両側に幻のように日光菩薩と月光菩薩が微笑しているからです。
吾輩は最初、何かの錯覚かと思ったのですが、いえ、そうではありません。
畑や林や緑の丘の向こうに五重の塔が背の高い二人の神々しい菩薩に守られて、まるで幻のように光りながら、それも何と一つの五重の塔だけでなく、いくつもの塔がある間隔を置きながら、信州の盆地に広がる華麗な住宅のように、銀色にきらきら輝いているのです。
そしてカワセミが飛んでいます。中には吾輩の乗っている列車に並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。
「アンドロメダ銀河で、薬師寺の五重の塔を見るとは。不思議なことだ」と吾輩はぼんやり考えました。

アンドロメダ銀河の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、モーツアルトのセレナードを奏でているようで、どんどん流れているのです。

列車の中では、吾輩は猫であるから、ヒト族よりはるかに耳がいいので、隣の声がよく聞こえます。
「あら、こんな所に、フキさんのことが記事になっているわ、マゼラン金属の取締役になったじゃありませんの」
吾輩は、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。
「すごいわね」
「あら、マゼラン金属って、武器をつくっている所よ」
三人で、何か新聞を回し読みしているらしいが、その話題はすぐに終わったらしい。

その後しばらく沈黙が続いたのは、首にダイヤのネックレスをした中年の目の細い小母さんが目の前のテーブルでインターネットを見ていたからだろう。吾輩はこの虎族の女に「チロ」という渾名をつけた。このマゼラン銀河の旅に出てから、猫である吾輩は虎族の人達には複雑な気持ちを持っていた。虎という種族に対する畏敬の念もあったが、そればかりではない。そして、時々、こういう妄想を抱くことがある。あの虎族の人達に魔法をかけて、猫のように小さくして、吾輩のペットにする。この薄いイエローのワンピースにピンクのカーディガンを着ている彼女はおそらく我儘で、ある種の迫力があって可愛い猫のような存在となる。吾輩はこのペットを大切にするだろうと。
そうした妄想を吾輩に抱かせた「チロ」さんは顔を上げて、少し高めの声で言った。
「ほら、あそこの席に座っている猫族の若い女を見てごらん。
これがあの女の人のブログよ。見てごらんなさい。
沢山、小説や詩をかいているのは若いからね、でも、エッセイの方を見てご覧なさい。
わが虎族のティラノサウルス教についてよく書いてないわよ。まあ、それだけなら、許せるけど、親鸞の教えと比較するのが嫌らしいと思わない。親鸞って、地球とかいう遠い惑星で千年前に生きていた僧だっていうじゃありませんか。
何で、そんな男がこの惑星に生まれ変わって来るわけ。その辺がもういかがわしいと思いませんか。
そんないかがわしい宗教とわが虎族の優秀なティラノサウルス教を比較するなんて、猫族らしいやり方ね。」
何と、猫族の中の姫君に相応しい品位を持つ女性、どこかでナナリアという名前を耳にしたが、そのナナリアに、ケチをつけているではないか。けしからんと吾輩は思った。

金のイアリングをした、赤いジャケットの下に絹の光沢を持つブラウスを着た虎族の小母さんには、吾輩は「サチ」という渾名をつけた。その「サチ」さんは低い声で言った。
「今度の大統領演説のあとに、猫族に対する差別をしてはいけないという布告が出たけれどね。こういう猫族がいるとね」
やはり、虎族の猫族に対する偏見はこういう会話を見ると、簡単になくなりそうもないと思って、吾輩は悲しく思った。

緑のエメラルドがいくつもついたネックレスをした、白のブラウスの上に緑のブルゾンを着た目の大きな虎族の小母さんの渾名をつけようとして、直ぐに言葉が出て来なかった。大金持ちのフキが取締役になったマゼラン金属という会社が武器をつくっている所だと指摘した女である。他の二人の虎族の女が持っている雰囲気よりもひどく優しい。
そこで吾輩は「エメラルド」と渾名をつけた。
「ねえ、ヒョウ族の坊や。さすが、ティラノサウルス教に入っているだけあるわ。ヒョウ族もティラノサウルス教に入れるようにしたのは、英断だったわ。それに比べその前の方に座っている虎族の若者はティラノサウルス教に入らないというのはどういうわけ。坊や、どう思う」

「ヒョウ族の坊や」と言われている丸顔の若者は白いパンツに赤いブルゾンを着ていた。彼は小母さん達に呼ばれたのか、自分から行ったのか分からないが、三人座っている小母さん達の席の空いた席に座っている。吾輩の席から見ると、斜め前に座っているヒョウ族の若者と時々、目が合う。

「彼は虎族でもスピノザ協会にひかれているみたいですよ。」とヒョウ族の若者が言った。
「スピノザ協会って、猫族の集まりみたいなものじゃありませんか。そんな所に、どうして優秀な虎族の若者が入るんですか」とダイヤのネックレスをしたチロさんはちょっと厳しい口調で言った。
「そう聞かれても、僕には分かりませんよ」とヒョウ族の若者が答えた。
「ねえ、虎族の若者は、向こうにいる話題の猫族の娘が好きなんですよね。このブログを見ても、彼女はスピノザ協会に入っているようですし。ヒョウ族の坊や。どう」と金のイアリングをしたサチさんは微笑して言う。
「そうかもしれませんね」と何か不服そうな表情をして、ヒョウ族の若者は答えた。
「あなたもあの女の子が好きなんでしょ。こんな風にあの子のブログを私達に教えるなんて、騎士道精神に反しますよ」と目の大きな「エメラルド」さんは笑って言う。

騎士道精神。こんな言葉を虎族の小母さんが言うとは吾輩、予想していなかったから、わけもなく共感した。
「内の魔法界の今の魔王は騎士道精神が好きでね。」とハルリラが声をひそめて猫にしか分からないような言葉を使って、言った。
「魔王なんてまだいるのですか」
「そうさ。いるさ。弱いものを助け、強い悪い奴をこらしめるのが魔法の使い道といつもおっしゃつている。わしも、魔法学校でその魔王の言葉を何度聞かされたかわからん」とハルリラは笑った。
吟遊詩人は黙って微笑していた。

「私たちに彼女のブログを教えてくれるのはいいことよ。でも、本当に好きなのかどうか、私も疑うけれどね」とピンクのカーディガンを着た「チロ」さんは言った。
「好きでも、肘鉄食わされたら、恨みになってそうなるんでしょ」と「サチ」さんは言う。
「僕はそんなつもりで教えたんじゃないですよ。彼女のブログが面白いと思ったから」とヒョウ族の若者が答える。

「第一、 彼女と親しくなければ、このブログが彼女のものだと知ること出来ないじゃないの」と「サチ」さんが言う。
「あ、そうか。あなた、あの猫族の女の子にふられたの」
「困ったな。そういうことには答えられない」
「怪しい。確かに、彼女は美人ね。でも、猫族なんか信用しちゃ駄目よ。あたし達にどんどん彼女の情報、下さいね。面白いから。列車の旅は何か面白いことがないと眠くなりますからね。もうこのアンドロメダ銀河鉄道に乗っている虎族のティラノサウルス教の小父様、小母さま連中にはみな報告しましたから。この列車の退屈な旅をそのブログで楽しんでいることでしょう」と「チロ」さんは言った。

吾輩はこの話を聞きながら、列車の旅がそんなに退屈か、疑問だった。確かに、昼間から寝ている人もいる。
銀河鉄道は宇宙の特別列車だ。惑星にはないものでも、ここでは文明の最先端のものが手に入る。これはアンドロメダ銀河にある銀河鉄道の摩訶不思議なところである。ヘッドホーンをかけると素晴らしい音楽が聞けるし、宇宙インターネットをやることも出来るし、しょうぎや碁をやることは出来るし、映画も見られる車両もある。それに、場合によっては、展望車に行けば、まるでプラネタリウムのような星空を見ることさえ出来るのだ。
確かに長い旅ではあるが、筋トレ車両までついているという。

それにしても、これだけ話題になっている猫族の若い女性ナナリアに、猫である吾輩、寅坊が無関心ということはありえない。大変、気になる。それで、ちょっと後ろを振り返って見て、どこかで見た女性だという印象があった。直ぐは思い出せない。
我輩が真剣に考えていたら、ハルリラが喋り出した。
吾輩の心を読むように、「あの女の人はテイラノサウルスホテルの食堂にいた人じゃないか」とハルリラは微笑して言った。
吾輩は目が覚めたような気持ちで、ハルリラを見詰めた。
「綺麗な人だから、わしも印象に残って、覚えていました」とハルリラは言った。

その通りだ。可憐な感じがする。十八ぐらいだろうか。それとも二十は超えているのかもしれない。情報に汚されていない森と湖のそばで育ったような人というのもおかしい。彼女は宇宙インターネットをやっているのだから。自然人というのもおかしい。そんな野性味があるわけではない。それはともかく、清楚で知的なものを感じる。

ヒョウ族の若者は席を立った。トイレなのか、食堂車なのか、分からない。
「変わっているわね。あの子」
「あの猫族の女の子が好きなのよ。それでストーカー行為して、ライオン族のおまわりさんまで監視に来ているんだもの。」
「あの虎族の若者も怪しいわね」
「虎族はストーカーなんかしないわよ。虎族には美人が多いんだから」

「虎族のあたし達に彼女の秘密のブログを教えてくれたのは、余程腹がたっているのよ。ライオン族のお巡りさんまで乗っているんじゃ何かおこりそうね」
「あの虎族の若者を呼んでみない」
「来るかしら」
「退屈しのぎよ」

ピンクのカーディガンを着た目の細い「チロ」さんが立って、虎族の若者に近づき彼の肩をたたいた。
「あなたこちらに来ない」
「行かない」そんな会話が吾輩の斜め後ろの背後から聞こえる。
「あなた、何でスピノザ協会に入っているの」
「どうしてそんなこと知っているんですか」
「彼女のブログに書いてあるわよ」
「どうして、彼女のブログを知っているんですか。彼女が教えるわけないし、彼女に聞いてみましょうか」
「いいわよ。ヒョウ族の若者が教えてくれたのよ」
「あいつが。また失礼なことをするよ。」と虎族の若者は憤慨したような口調で言った。

突然、列車の中が、金色に輝き、何か神々しいような光に満たされました。
何故か、心が窓の外に向けられ、ふと見ると、もうじつに、ダイヤモンドや草の露や朝顔などの純粋さをあつめたような、きらびやかな銀河の川床の上を水は音もなくかたちもなく流れ、その流れの真ん中に、ぼうっと青白く後光の射した五重の塔が見えるのでした。
日光菩薩と月光菩薩は幻のように、ゆったりと舞いを舞うではありませんか。菩薩の舞いというのを初めて見ました。何と優雅で、何と神々しく、この世のものとは思えない美しさに満ちていました。
風も舞うことがある。落葉も舞うことがある。美しい紙切れも舞うことがある。いや、それよりも美しいのは熱帯の蝶の舞い、小鳥の舞い。ああ、そしてヒトの舞いも素晴らしい。しかし、菩薩の舞いというのは吾輩の想像力を超えた神秘なものでした。全てのものを慈悲で包み、優しい微笑でヒトの心を溶かし、花や森や昆虫のような大自然そのものが舞っているようでした。

                       [ つづく ]