13 愛
伯爵は異星人の長老に、カント九条の話をしていた。
我らは吾輩と吟遊詩人、川霧とハルそれに伯爵。
向こう側にはリミコが長老の秘書として同席していた。
「異星人は何を狙っているのですか」と
伯爵は細い目を少し押し広げるようにして、
その優しい目の光に幾分の鋭さを含ませながら、
優雅な語り口で喋っていた。
「異星人は銅山と車の会社だけでなく、
あちこちに忍者をはりめぐらしているというではありませんか。
名目はビジネス。
今回のカルナさんの家にリミコさんを送ったのも何かの陰謀ではないのでしょうか。
銅山の幹部の半分は異星人ですね。
国のあちこちの会社に、異星人がみな鹿族に変身して、散らばっている。
それで良い仕事をしているというなら、まだしも、
リミコさんのように、カルナ邸の忍者とは
鹿族の何を知ろうしているのでしょうか。
カルナさんとアリサさんの二人の話に、
権力に不都合なことがあれば、
新政府に報告し、
何か取引でもしようというのではありますまいか。
カルナさんは政府を批判するエッセイスト。
結果としてそれを弾圧することに手を貸すとは、
この国の市民の基本的人権をこわすことになる。
こういうやり方を卑怯と思われないのですか」
「何も悪いことを考えているわけではない。
サイ族と鹿族は文明と文化があまりに違いすぎる。
良いビジネスをするためには、相手を知らなくてはならないではないか。
それにサイ族が会社に入るのが何故悪い。
民族平等ですぞ。
理解が深まれば、お互いのためになるのではないかな」
「問題はサイ族が鹿族に変身しているということですよ」と
背の高い伯爵は小柄な長老を上から眺めるように言った。
「何。あれはお化粧ですぞ。何が悪い」
「お化粧と変身とは明らかに違う。
例えば、密告のような悪い目的のために、変身するのは詐欺のような気がする」
「それは失礼ですぞ。それに考えすぎ。そういうのを邪推という」
「スピノザ協会の調べたところによると」
「スピノザ協会。
ああ、カルナさんの所属しているグルーブね。
あそこは我らに最初から不信感を持っておるようじゃな」
「そりゃそうでしょ。
リミコさんが忍者というのをカルナさんは感づいていたのですから」
「感づいて、親友扱いとは、中々のお嬢さんですな」と長老は笑った。
「そのスピノザ協会の調査では、
お宅のサイ族が会社の幹部に入っている所では、
過労死、パワーハラスメントによる自殺、税金のごまかし、
こうした沢山の不正があるというではありませんか」
「そういうことは、サイ族のいない会社でも起きていますよ。
この鹿族の国にもともとある構造的な問題ではないのかな。
だいたい法律で時間外労働の限度を月百時間認めるというような作り方を
新政府はやっていることからして、
過労死の問題は新政府の問題で、
サイ族とは無関係だということをご理解していただけるでしょう。
たまたま、サイ族がいた所でも、あったということで。
サイ族は わしの精神的指導が入っているから、そういうことをしないはずだ」
「本当ですか。
だって、銅山と青銅器の車の会社をご覧になったことがあるのですか 」
「いや、ないが。
長老は瞑想という修行があるので。そういう空気の汚い所は行かん。
そういうことはみな司令官にまかせておる」
「瞑想とは迷走ではないのですか」
「何。そういういいがかりをつけるなら、わしにも言いたいことがある。
環境税を我らの車の会社にかけようと運動しているのは、伯爵、お宅だそうだな」
「あの排気ガスはひどいでしょ。
それで儲けようというのだから、環境税は必然的なものですよ」
「わしらの友好的なビジネスを邪魔するつもりなのかな」と
長老は不機嫌な顔をして言った。
「友好的なビジネス」
「わしほど鹿族諸君に友好的な気持ちを持っているものは、そうはいない」
「何か、証拠でも」
「鹿族のアリサを妻にもらいうけたいと願っている。
わしは長老と言っても、まだ。五十代半ば。
科学の力によって、筋肉の総合力はまだ三十代だ。」
なるほど、リミコの忍者活動はアリサの様子をうかがうことかと、我は思った。
リミコは長老の一番の秘書。
長老がアリサをどこで見染めたのか分からないが、
そういうことで、リミコを送り込むことはありうるかもしれん。
なにしろ、長老は司令官に対して、
精神的な支柱となる人物だけに、
男女のことでやたらに動き回ることはできないということは吾輩にも推察できた。
「サイ族の長老と鹿族の娘の結婚。冗談でしょう」とハルが言った。
「それに、それはアリサさんのお気持ちがあるではありませんか」と詩人、川霧が言った。
「それで、カルナ邸に秘書リミコを送りこんだというわけか」とハルは徐々に語調が強くなってきた。
「世の中をよくしょうとする話とそういう男女の話とは全く無関係では」と伯爵は微笑した。
「さよう。無関係。
しかし、わしはそちらのお手代いをするのだから、
そのくらいのわがままも許されるのでは」と長老は言った。
「そんなことはアリサさんが考えることでは」
「それはリミコが説得する」と長老は笑った。
帰りの道々、ハルはアリサへの思いを喋った。
夢遊病者のように、まるで熱に浮かされたように話すのだった。
「異星人の長老がアリサを妻にしたいだと。
ふざけるのもいい加減にしろ。
彼は自国に自分の妻が一人いるではないか」とハルは怒ったように言った。
「長老に妻がいるというのは、
今、あの館を出た時、魔法次元の電波で入れた情報だ。
アリサはわしの理想とする女性だ。
あんな奴に持っていかれてたまるものか。」
「リミコが説得するかもしませんよ」
「わしはリミコの忍者行為も許せないが、
そんな風に長老の手先になってアリサを説得することのないように、
リミコにあの家から出て行ってもらおう」
「それはそうだ。私からもカルナに話しておく」と吟遊詩人が言った。
「ああ、しかし」とハルは言った。
「たとえ、長老が引き下がったとしても、アリサにはボーイフレンドがいる。
彼は紳士だ。彼がアリサに言い寄ったら、わしは負けだ」
「誰ですか。そのボーイフレンドというのは」と我は聞いた。
「山岡友彦だ。
彼は銅山の鉱毒垂れ流し反対の旗手でもある。
この国では伯爵と同じキリン族だが、
芸術家でもあり、鋭くすばしこい。」とハルは言った。
「アリサさんとはどういう関係で」と吟遊詩人、川霧が聞いた。
「姉さんのカルナが山岡友彦と一緒に仕事をすることが多いから、
カルナが妹のアリサに彼を紹介したともいえる」
「山岡さんはカルナさんの恋人が伯爵の息子トミーさんである
ことを知っているのかもしれませんね」と詩人、川霧が
何か寂しげな物言いだったことに我は気づきはっとした。
「カルナさんはエッセイシストだ。
アリサさんはユーカリ語を学習し、
翻訳を仕事にしているから、出版社との交渉が多い。
山岡友彦は絵描きだ。
この国で、画家で飯が食えるのは三人ぐらいしかいないが、彼はその一人。
ことに、出版社との関係は深いから、
そこでアリサさんと山岡友彦の接点が出てきたのかもしれない」とハルは言った。
「山岡友彦さんのアトリエに行ってみませんか」とハルが言った。
「彼がどういう考えなのか知りたい」
山岡友彦のアトリエは湖のそばにあった。
煉瓦づくりの家の二階に広いアトリエがあり、
そこから、庭園と向こうに広がる小さな湖とその向こうの森が見えた。
彼はもともとはユーカリ国の生まれだが、
青年時代にこちらの国の絵の伝統にひかれてやってきた男だ。
背が高く、細面で、首が太くハンサムで、耳が大きい。
表情が豊かで、よく微笑した。
目は細く、中の青い瞳は鋭かった。
「森の向こう側に、和田川が流れている。
異星人の奴らが銅の鉱山を開発しているが、
公害対策をしないものだから、鉱毒が流れっぱなし。
全くひどい話だ。
森の向こうには車の工場もあるというが、
何か得体のしれない正体不明の会社をつくっている。
『株式会社株田真珠』とか。
この国のマスコミを牛耳ろうとしている。
給料はもの凄くよく、学生の憧れの的だが、
この間、新入社員の若い男が過労で自殺した。
いったい新政府は何をやっているのだ。
カルナさんと伯爵の活動は尊敬しているが、
わしは絵を描くのに忙しくてね。
なにしろ、創作というのは魂をうばい、無我夢中になるからね。」
「その絵は」
アトリエの窓の横に大きなカンバスがあった。
絵は風景画だ。
森林に囲まれた銅山のような横穴があり、
その上に車の会社があり、煙突からはもくもくと煙を吐いていた。
「鉱毒事件に反対ののろしをあげる絵画さ」と山岡友彦は言った。
「地球でも、水俣病、イタイイタイ病、四日市のぜん息など
四大公害裁判があった」と吟遊詩人が言った。
「その被害者の心痛は大変なものだ。
それに最近では、原発の事故があった。」
「何だ。その原発というのは」
「原子力で、電気をつくるのだが、
地震と津波で甚大な被害を受けた。
放射能が人体にひどい害をもたらすことは以前から言われていたのだが、
安全だと言う勢力が強かったのでね」
「ううむ。我らの文明段階はそこまで行ってないが、
科学と文明が栄えると、文化も栄えるというのはうそのようだな。
文明と文化は違う。
文明だけだと、人間は傲慢になる。文化の中にある深い精神性を見失うからだと思う」
「コーヒーをのみませんか」と山岡友彦は絵筆を置いて、
テーブルの上のサイフォンに電気を入れた。
そのテーブルから大きな窓が見えて、窓から湖が見える。
湖の真ん中あたりで、ざわざわと大きな波が見えた。
「お、恐竜のうさちゃんがお目見えかな。
この惑星には、恐竜の子孫が一部、残っているのです。
象か小さなクジラ程度の大きさものですが、
草食系のせいか、おとなしいので、みんなうさちゃんと言って、仲良くしているのですよ」
「なるほど、」
「顔を出すと、ひどく首が長いでしょ。
顔もけっこう可愛い。
そういうのだけが生き残ったのです。
この惑星では人間に進化した哺乳類はけっこういますけど、
やはり、隣のキリン族のユーカリ国、
それにこの国テラ国の鹿族とウサギ族、まだ 熊族 リス族の国がありますがね。
僕はこの国が好きでユーカリ国から移住してきたんですよ。
なにしろ、絵画には偉大な先輩がいましたからね。
しかし、最近、騒がしいことに、異星人なるものが銅山のあたりを占拠して、
新政府となにやら交渉しているようですけど、困ったものですな」
「サイ族の長老をご存知ですか」
「ええ、噂は聞いています」
「アリサさんはご存知でしょ」
「ああ、カルナさんの妹の。素敵な人ですな。私は鉱毒事件でカルナさんと話す機会がありましたから、二度だけ、アリサさんにはお会いしましたよ」
「たった二度だけ」
「うん、会う機会はたくさんあったけれどね。わしが遠慮したのよ」
「遠慮」
「なぜなのですか」
「そんなことはわしにも分からん。わしの昔の思い出がそうさせるのかもしれん」
「そのアリサさんを異星人の長老が妻にもらいうけたいと言っているのですよ」
「何」と山岡友彦はけわしい顔をした。
彼はそんな顔をしながら、
サイフォンで入れたコーヒーを
花の模様の入った白い茶碗に入れて、我々に勧めた。
しばらくの沈黙があった。
我々はその沈黙の意味をかみしめながら、コーヒーを飲んだ。
こくのある甘みと苦みの混じった舌にとろけるような味でうまかった。
「あんな異星人は追い出してしまえばいいんだ。
それが出来ない新政府はだらしない」と山岡友彦は言った。
「追い出すと言っても、
そうなると武力衝突ということになって、
とてもかないませんよ。
彼らはミサイルだの、特殊爆弾を持っていて、
我々と文明レベルがちがいますからね」と伯爵は言った。
「それよりも、カント九条をこの国にも、
それから、異星人のサイ族の長老にも
その意味を教えるのです。
そうすれば、争いのないアンドロメダが誕生するではありませんか」
と伯爵は言って、カント九条の説明をした。
「アンドロメダは広いのですよ。
そのカント九条は我が国に適用して、
まず、この向日葵惑星に広めることですな。
異星人には無理でしょ」
「なぜ」
「白隠が言ったように」と山岡友彦は微笑した。
我は彼が白隠を知っていることに驚いた。
白隠の名はこのアンドロメダの惑星にまで響いているのかという思いがあったからだ。
「つまり、彼が言うには、人間は仏であると。
確かにその通りだろう。
しかし、それは悟った人が言える言葉だ。
現実の人間には悪がある。
魔界のメフィストは常に魔の誘惑の手を伸ばそうとしている。
だから、争いが起きるのだろう。
武器を持ちたがる。
戦争をする。
異星人サイ族にはわしは不信を持っている」
「カント九条は人類・ヒト族の理想です。
理想を実現するには、
ヒト族に親鸞の言うような悪の自覚とその克服への努力が必要でしょうね。
大慈悲心に基礎をおいた粘り強い話し合いによる解決こそ、
希望の未来につながる。
その時、ヒトは宇宙の大生命・大慈悲心に包まれていることを
自覚するのかもしれませんね」と吟遊詩人が言った。
「ニュースの時間だな。
ラジオを入れてみよう」
数分、漫才のような会話がとまったと思うと、
太い男の声、アナウンサーが言った。
「新政府のV長官は 異星人の長老と懇談したそうである。
あくまでも平和裏にビジネスを広げていくという大枠は決まった」
鉱毒事件の問題解決の話はまるでなかった。
要するに、この会談では無視されたのだ。
異星人のとの間には、まだ未解決の問題は多いと、
我は感じざるを得なかった。
「君はアリサが好きなんだろう」と山岡友彦はハルに言った。
「どうしてですか」
「これもわしの画家としての直観だ。
君の剣を長老に突き付けて、
アリサを守れば」と山岡友彦は言った。
14 黄金のサイのミニ彫刻
ハルがある秘密の行動を企てようとしていたことは
あとで我にも分かった。
ハルは長老がアリサを妻にしたいと言った申し出を侮辱と受け取っていた様子から、
何かしらのことを深くは考えていたのだろう。
しかし、それは想像を上回る大胆な計画だった。
ある日、我と吟遊詩人の前に、ハルは不思議なものを見せた。
それは長老の一番大切な守護神だそうだ。
純金で出来た小さなサイの彫刻だった。
それはネズミか小鳥ほどの大きさであったが、
まるで生きているサイのように見事なもので、
純金で出来ていて、持つとどっしりとした重さを感じた。
「これは何」
「長老の一番大事なものさ。
彼は黄金の魔法次元から来たというから、
彼と会った時から、
わしは彼のことと、黄金の魔法次元のことを調べていた。
そうすると、長老はあの司令官たちを指図する指揮権を託されているが、
その惑星の指揮権の象徴がそのサイの彫刻さ。
金よりもその彫刻に価値がある。
それをなくしたら、長老は切腹ものさ。
それを、わしは密かにあの銅山のビルに忍び込み、盗んできた。
これで、長老と取引しようというわけさ。
アリサを妻にしようなどというふざけたことを払い下げにし、
もう一つ大事なことは鉱毒を流さないことと、
彼らの軍が持つミサイルと特殊爆弾の廃棄による正常なビジネスだな。
これを長老に約束させる」とハルが言った。
「凄いものを手にしましたね」と吟遊詩人、川霧が言った。
「具体的にどうやって、長老と取引するのですか」と我は聞いた。
「ロス邸かカルナさんの家に呼び、そこで話をする」
アリサとの結婚を望んでいる長老の思惑を
ハルから聞いたアリサとカルナはアリサの家に呼べば、来るのではないかと言った。
電話はロス邸のを使わしてもらう。
アリサが直接、長老を電話で誘うという段取りになった。
一人で来て欲しいというアリサの願いを、
異星人サイ族の傲慢な力の過信からだろうか、
長老は、この前の祭りの参加でこちらの様子が分かったということで、
ある日、一人で、アリサ〔カルナ〕邸に来ることになっていた。
その時、ハル達がこの晩さん会に参加することは絶対の秘密だった。
リミコからもれると厄介だと思ったからだ。
晩さん会の用意は出来た。
長老はリミコと一緒に来た。
アリサが玄関で「今日は晩さん会で御友達も呼んでありますの。」と言った。
長老はちょつと笑った。
リミコは何か厳しい顔になった。
「姉のカルナの企画なんですよ」とアリサが言った。
吟遊詩人とハルと我はテーブルの席の所で立って、挨拶をした。
長老の誕生日だった。
これはアリサがリミコから聞き、
知っていたことなのだ。
「お誕生日、おめでとうございます」と我々はカルナと一緒にそう言った。
長老はさすがに、一瞬戸惑った様子だったが、
「ハハハ。わしの誕生日か。
誕生日を祝う習慣はわが惑星ではあまり一般的ではないが、
ま、ありがたく受け取ろう。
この国の文化を尊重するのも大切なことだからな」と言った。
「では長老。これをご覧ください」と
ハルが黄金のサイの彫刻を見せた。
ハルの腰には彼の自慢の剣がさしてあった。
「何だ。これはわしの」と
長老はさすがにぎょっとした驚きの表情をした。
「これを長老に誕生日プレゼントとしてお渡ししたいのですが。
条件があるのです」
「条件」
もうその頃は、みんな多少のワインが回って、
いい気持になっているようだった。
「そうです。
アリサさんはあなたの妻になることは御断りしたいと申しております。
まず、それを承諾していただきたい。
アリサさんには画家の恋人がいらっしゃるのです」
「画家だと」
「山岡友彦か」
「よく知っていらっしやいますね」
「知っているさ。
銅山の鉱毒をなんとかしろとよく言ってきている画家だ」
「それからですね。軍のミサイルと特殊爆弾を廃棄して、
我が国と平和なビジネスに入るように司令官を指導していただきたい」
「ハハハ。ハル。いつから、こんな交渉術を学んだ。
お前のところののどかな、魔法次元でもこんなことを教えるのか」
「いえ、自然に思いついただけで」
「よくこのサイの彫刻を盗みおったな」
「今の話、お受けできますでしょうか」
「アリサのことは分かった。
しかし、ミサイルと特殊爆弾は司令官の管轄にあるのでな。
わしはただの説教師でな」
「巧みな説教師と聞いております」と吟遊詩人、川霧が言った。
「サイ族の魂を動かす術を黄金の魔法次元で習得なさったとか」
長老は苦笑いをした。
「君は無茶な願いをしていると思わんか。
武装解除しろと言っているようなものじゃないか。
宇宙の旅は危険がたくさんあるのじゃ。
惑星の文明段階も色々でな。
わしらのより、強力な武器を持つ惑星がある。
そいつらと素手で交渉なんかしてみろ、皆、監獄行きさ。
そして、いい見世物かさらし者にされてしまう。
強いものの意見が通る、
これが黄金の魔法次元の教科書に書かれていることじゃ」
吟遊詩人は微笑して言った。
「弱肉強食ですな。
しかし、野獣の進化段階ならそれも分かりますけど、
ヒト族に進化したからには、
我々は文化を持ちます。
文化は弱肉強食などという野獣の考えに
支配されていては良いものは生まれません。
優れた文化、芸術は優れた宗教と同じように、優れた価値観を持ちます」
「良い価値観が相手を圧倒できるときはそれも分かる。
しかし、やはり、相手に強い武器を見せつけられては、
その良い価値観ですら、相手の良くない価値観で薄められ、
武力のないために
悪い価値観を受け入れてしまうではないか」
「黄金の魔法次元の価値観というのはどういうものなんですか」と詩人が聞いた。
「なるべく武力は使わず、ビジネスで儲け、みんなが豊かになることじゃ。
みんなが幸福になることじゃ」
「豊かになれば、幸福になる」
「そうではないかな」
「人はパンのみにて生きるにあらずと言う言葉もありますけど」
「それは分かる。
しかし、おぬし。そこまでわしに言うなら、おぬしに聞こう。
おぬしの言う優れた価値観とは何だ」
「言葉では具体的に言うことは難しいでしょう。
私が感じているのはあえて言えば、生命です。いのちです。
神と言っても良い。真如とも言う。
愛とも大慈悲心と言っても良い。
虚空ともダルマとも言う。
人は言葉を言うと、すぐにその言葉にとらわれます。
言葉は絶対の真実を示すことはできません。
言葉は真実を指す指先のようなものです。
その優れた言葉や優れたポエムから、
真実を体得しなければなりません。」
詩人はそこまで言うと、微笑した。
一息つき、長老の目を優しく見詰めて、言った。
「そうした絶対の真実が
我々の生きているこの現実の世界に表現されているということです。
それを見いだすことが、人生修行なのではありませんか」
「心身脱落か」
「よく禅の言葉を知っていらっしゃいますね」
「わしは仮にも長老だぞ。
心身脱落すれば不生不滅のいのちを手に入れることができるというわけか。
君はそれでそれを体得したのか」
「いえ、言葉とイメージでは分かってきましたけれど、
まだ心身脱落は体得できないから、こうやって、旅をしているのです」
「旅が修行か」
「ま、そういうわけです」
「わしもな。よその国とビジネスをする。これが修行だと思っているのじゃ。
貴公は何かビジネスを悪いもののように考えているが、
それは心得違いだと思うがな。
ビジネスがなければ、色々な物や食料が全ての人に行きわたることができないじゃろ。
その公正なビジネスを邪魔する強盗や盗人は追い払わねばならぬ。
そのために、武器は必要なのじゃ。
そして、皆が豊かになる。
これが黄金の魔法の次元の価値観じゃ。
どうだ。素晴らしいだろう」
「で、どうなんです。
鉱毒の垂れ流しを中止することと、
ミサイルと特殊爆弾の廃棄はだめなんですか」とハルが鋭く聞いた。
「それはな。わしもな。
武器などなしに、素晴らしいビジネスが出来れば良いとは思っている。
祭りで踊った時にな、そういう思いがふと湧いたものじゃ。
しかし、無理だな。
ヒトは悪を抱えているから。
魔界の誘惑にも弱い。
そんな呑気なことでは面白いビジネスは出来んよ。
夢物語を語りに、
わしは宇宙を飛び回っているのではない」
「それじゃ、この黄金のサイの彫刻はかえしませんよ」
「かまわんよ。
その代わり、ここと伯爵邸とロス邸、
それに新政府の庁舎を砲撃するが、
そんなことをしてよいのかね。
わしも、長老といわれている身、そんなことはしたくはないのでね」
その時、吟遊詩人がヴァイオリンを取って、
弓を弦にあて、不思議で美しい音色を奏でた。
「ほお、音楽か。やれやれ」と長老は独り言を言った。
詩人の声が響いた。
武器を捨てるなんて夢物語 ?
そうだろうか。
軍拡を進めればヒト族破滅もいつの日か
とため息がつくばかり。
魔界の王者メフィストの高笑いが聞こえてくるようだ。
勇気をもって、武器を捨てよう。
武器を持って、脅してビジネスしても、それは本物のビジネスか。
ヒトとヒトがこの世に誕生し、
言葉を交わし、愛を交換し、
真理の光がまばゆいほどに光るその道を歩く時、
ビジネスも心の通い合いとなる
物と物は多くの人に行きわたり、
食料は多くの人の胃に入る
飲み物は我らを酔わし、
果物は幸福のしるしとなり、
いのちは至る所に輝く
街角はカラフルな豊かな衣服であふれ、
人々の口元には美しい微笑がもどる
だからこそ、話し合い、武器は捨てよ。
優しいビジネスは人に息を吹き返す。
平和は人にいのちの復活を約束する
伯爵は異星人の長老に、カント九条の話をしていた。
我らは吾輩と吟遊詩人、川霧とハルそれに伯爵。
向こう側にはリミコが長老の秘書として同席していた。
「異星人は何を狙っているのですか」と
伯爵は細い目を少し押し広げるようにして、
その優しい目の光に幾分の鋭さを含ませながら、
優雅な語り口で喋っていた。
「異星人は銅山と車の会社だけでなく、
あちこちに忍者をはりめぐらしているというではありませんか。
名目はビジネス。
今回のカルナさんの家にリミコさんを送ったのも何かの陰謀ではないのでしょうか。
銅山の幹部の半分は異星人ですね。
国のあちこちの会社に、異星人がみな鹿族に変身して、散らばっている。
それで良い仕事をしているというなら、まだしも、
リミコさんのように、カルナ邸の忍者とは
鹿族の何を知ろうしているのでしょうか。
カルナさんとアリサさんの二人の話に、
権力に不都合なことがあれば、
新政府に報告し、
何か取引でもしようというのではありますまいか。
カルナさんは政府を批判するエッセイスト。
結果としてそれを弾圧することに手を貸すとは、
この国の市民の基本的人権をこわすことになる。
こういうやり方を卑怯と思われないのですか」
「何も悪いことを考えているわけではない。
サイ族と鹿族は文明と文化があまりに違いすぎる。
良いビジネスをするためには、相手を知らなくてはならないではないか。
それにサイ族が会社に入るのが何故悪い。
民族平等ですぞ。
理解が深まれば、お互いのためになるのではないかな」
「問題はサイ族が鹿族に変身しているということですよ」と
背の高い伯爵は小柄な長老を上から眺めるように言った。
「何。あれはお化粧ですぞ。何が悪い」
「お化粧と変身とは明らかに違う。
例えば、密告のような悪い目的のために、変身するのは詐欺のような気がする」
「それは失礼ですぞ。それに考えすぎ。そういうのを邪推という」
「スピノザ協会の調べたところによると」
「スピノザ協会。
ああ、カルナさんの所属しているグルーブね。
あそこは我らに最初から不信感を持っておるようじゃな」
「そりゃそうでしょ。
リミコさんが忍者というのをカルナさんは感づいていたのですから」
「感づいて、親友扱いとは、中々のお嬢さんですな」と長老は笑った。
「そのスピノザ協会の調査では、
お宅のサイ族が会社の幹部に入っている所では、
過労死、パワーハラスメントによる自殺、税金のごまかし、
こうした沢山の不正があるというではありませんか」
「そういうことは、サイ族のいない会社でも起きていますよ。
この鹿族の国にもともとある構造的な問題ではないのかな。
だいたい法律で時間外労働の限度を月百時間認めるというような作り方を
新政府はやっていることからして、
過労死の問題は新政府の問題で、
サイ族とは無関係だということをご理解していただけるでしょう。
たまたま、サイ族がいた所でも、あったということで。
サイ族は わしの精神的指導が入っているから、そういうことをしないはずだ」
「本当ですか。
だって、銅山と青銅器の車の会社をご覧になったことがあるのですか 」
「いや、ないが。
長老は瞑想という修行があるので。そういう空気の汚い所は行かん。
そういうことはみな司令官にまかせておる」
「瞑想とは迷走ではないのですか」
「何。そういういいがかりをつけるなら、わしにも言いたいことがある。
環境税を我らの車の会社にかけようと運動しているのは、伯爵、お宅だそうだな」
「あの排気ガスはひどいでしょ。
それで儲けようというのだから、環境税は必然的なものですよ」
「わしらの友好的なビジネスを邪魔するつもりなのかな」と
長老は不機嫌な顔をして言った。
「友好的なビジネス」
「わしほど鹿族諸君に友好的な気持ちを持っているものは、そうはいない」
「何か、証拠でも」
「鹿族のアリサを妻にもらいうけたいと願っている。
わしは長老と言っても、まだ。五十代半ば。
科学の力によって、筋肉の総合力はまだ三十代だ。」
なるほど、リミコの忍者活動はアリサの様子をうかがうことかと、我は思った。
リミコは長老の一番の秘書。
長老がアリサをどこで見染めたのか分からないが、
そういうことで、リミコを送り込むことはありうるかもしれん。
なにしろ、長老は司令官に対して、
精神的な支柱となる人物だけに、
男女のことでやたらに動き回ることはできないということは吾輩にも推察できた。
「サイ族の長老と鹿族の娘の結婚。冗談でしょう」とハルが言った。
「それに、それはアリサさんのお気持ちがあるではありませんか」と詩人、川霧が言った。
「それで、カルナ邸に秘書リミコを送りこんだというわけか」とハルは徐々に語調が強くなってきた。
「世の中をよくしょうとする話とそういう男女の話とは全く無関係では」と伯爵は微笑した。
「さよう。無関係。
しかし、わしはそちらのお手代いをするのだから、
そのくらいのわがままも許されるのでは」と長老は言った。
「そんなことはアリサさんが考えることでは」
「それはリミコが説得する」と長老は笑った。
帰りの道々、ハルはアリサへの思いを喋った。
夢遊病者のように、まるで熱に浮かされたように話すのだった。
「異星人の長老がアリサを妻にしたいだと。
ふざけるのもいい加減にしろ。
彼は自国に自分の妻が一人いるではないか」とハルは怒ったように言った。
「長老に妻がいるというのは、
今、あの館を出た時、魔法次元の電波で入れた情報だ。
アリサはわしの理想とする女性だ。
あんな奴に持っていかれてたまるものか。」
「リミコが説得するかもしませんよ」
「わしはリミコの忍者行為も許せないが、
そんな風に長老の手先になってアリサを説得することのないように、
リミコにあの家から出て行ってもらおう」
「それはそうだ。私からもカルナに話しておく」と吟遊詩人が言った。
「ああ、しかし」とハルは言った。
「たとえ、長老が引き下がったとしても、アリサにはボーイフレンドがいる。
彼は紳士だ。彼がアリサに言い寄ったら、わしは負けだ」
「誰ですか。そのボーイフレンドというのは」と我は聞いた。
「山岡友彦だ。
彼は銅山の鉱毒垂れ流し反対の旗手でもある。
この国では伯爵と同じキリン族だが、
芸術家でもあり、鋭くすばしこい。」とハルは言った。
「アリサさんとはどういう関係で」と吟遊詩人、川霧が聞いた。
「姉さんのカルナが山岡友彦と一緒に仕事をすることが多いから、
カルナが妹のアリサに彼を紹介したともいえる」
「山岡さんはカルナさんの恋人が伯爵の息子トミーさんである
ことを知っているのかもしれませんね」と詩人、川霧が
何か寂しげな物言いだったことに我は気づきはっとした。
「カルナさんはエッセイシストだ。
アリサさんはユーカリ語を学習し、
翻訳を仕事にしているから、出版社との交渉が多い。
山岡友彦は絵描きだ。
この国で、画家で飯が食えるのは三人ぐらいしかいないが、彼はその一人。
ことに、出版社との関係は深いから、
そこでアリサさんと山岡友彦の接点が出てきたのかもしれない」とハルは言った。
「山岡友彦さんのアトリエに行ってみませんか」とハルが言った。
「彼がどういう考えなのか知りたい」
山岡友彦のアトリエは湖のそばにあった。
煉瓦づくりの家の二階に広いアトリエがあり、
そこから、庭園と向こうに広がる小さな湖とその向こうの森が見えた。
彼はもともとはユーカリ国の生まれだが、
青年時代にこちらの国の絵の伝統にひかれてやってきた男だ。
背が高く、細面で、首が太くハンサムで、耳が大きい。
表情が豊かで、よく微笑した。
目は細く、中の青い瞳は鋭かった。
「森の向こう側に、和田川が流れている。
異星人の奴らが銅の鉱山を開発しているが、
公害対策をしないものだから、鉱毒が流れっぱなし。
全くひどい話だ。
森の向こうには車の工場もあるというが、
何か得体のしれない正体不明の会社をつくっている。
『株式会社株田真珠』とか。
この国のマスコミを牛耳ろうとしている。
給料はもの凄くよく、学生の憧れの的だが、
この間、新入社員の若い男が過労で自殺した。
いったい新政府は何をやっているのだ。
カルナさんと伯爵の活動は尊敬しているが、
わしは絵を描くのに忙しくてね。
なにしろ、創作というのは魂をうばい、無我夢中になるからね。」
「その絵は」
アトリエの窓の横に大きなカンバスがあった。
絵は風景画だ。
森林に囲まれた銅山のような横穴があり、
その上に車の会社があり、煙突からはもくもくと煙を吐いていた。
「鉱毒事件に反対ののろしをあげる絵画さ」と山岡友彦は言った。
「地球でも、水俣病、イタイイタイ病、四日市のぜん息など
四大公害裁判があった」と吟遊詩人が言った。
「その被害者の心痛は大変なものだ。
それに最近では、原発の事故があった。」
「何だ。その原発というのは」
「原子力で、電気をつくるのだが、
地震と津波で甚大な被害を受けた。
放射能が人体にひどい害をもたらすことは以前から言われていたのだが、
安全だと言う勢力が強かったのでね」
「ううむ。我らの文明段階はそこまで行ってないが、
科学と文明が栄えると、文化も栄えるというのはうそのようだな。
文明と文化は違う。
文明だけだと、人間は傲慢になる。文化の中にある深い精神性を見失うからだと思う」
「コーヒーをのみませんか」と山岡友彦は絵筆を置いて、
テーブルの上のサイフォンに電気を入れた。
そのテーブルから大きな窓が見えて、窓から湖が見える。
湖の真ん中あたりで、ざわざわと大きな波が見えた。
「お、恐竜のうさちゃんがお目見えかな。
この惑星には、恐竜の子孫が一部、残っているのです。
象か小さなクジラ程度の大きさものですが、
草食系のせいか、おとなしいので、みんなうさちゃんと言って、仲良くしているのですよ」
「なるほど、」
「顔を出すと、ひどく首が長いでしょ。
顔もけっこう可愛い。
そういうのだけが生き残ったのです。
この惑星では人間に進化した哺乳類はけっこういますけど、
やはり、隣のキリン族のユーカリ国、
それにこの国テラ国の鹿族とウサギ族、まだ 熊族 リス族の国がありますがね。
僕はこの国が好きでユーカリ国から移住してきたんですよ。
なにしろ、絵画には偉大な先輩がいましたからね。
しかし、最近、騒がしいことに、異星人なるものが銅山のあたりを占拠して、
新政府となにやら交渉しているようですけど、困ったものですな」
「サイ族の長老をご存知ですか」
「ええ、噂は聞いています」
「アリサさんはご存知でしょ」
「ああ、カルナさんの妹の。素敵な人ですな。私は鉱毒事件でカルナさんと話す機会がありましたから、二度だけ、アリサさんにはお会いしましたよ」
「たった二度だけ」
「うん、会う機会はたくさんあったけれどね。わしが遠慮したのよ」
「遠慮」
「なぜなのですか」
「そんなことはわしにも分からん。わしの昔の思い出がそうさせるのかもしれん」
「そのアリサさんを異星人の長老が妻にもらいうけたいと言っているのですよ」
「何」と山岡友彦はけわしい顔をした。
彼はそんな顔をしながら、
サイフォンで入れたコーヒーを
花の模様の入った白い茶碗に入れて、我々に勧めた。
しばらくの沈黙があった。
我々はその沈黙の意味をかみしめながら、コーヒーを飲んだ。
こくのある甘みと苦みの混じった舌にとろけるような味でうまかった。
「あんな異星人は追い出してしまえばいいんだ。
それが出来ない新政府はだらしない」と山岡友彦は言った。
「追い出すと言っても、
そうなると武力衝突ということになって、
とてもかないませんよ。
彼らはミサイルだの、特殊爆弾を持っていて、
我々と文明レベルがちがいますからね」と伯爵は言った。
「それよりも、カント九条をこの国にも、
それから、異星人のサイ族の長老にも
その意味を教えるのです。
そうすれば、争いのないアンドロメダが誕生するではありませんか」
と伯爵は言って、カント九条の説明をした。
「アンドロメダは広いのですよ。
そのカント九条は我が国に適用して、
まず、この向日葵惑星に広めることですな。
異星人には無理でしょ」
「なぜ」
「白隠が言ったように」と山岡友彦は微笑した。
我は彼が白隠を知っていることに驚いた。
白隠の名はこのアンドロメダの惑星にまで響いているのかという思いがあったからだ。
「つまり、彼が言うには、人間は仏であると。
確かにその通りだろう。
しかし、それは悟った人が言える言葉だ。
現実の人間には悪がある。
魔界のメフィストは常に魔の誘惑の手を伸ばそうとしている。
だから、争いが起きるのだろう。
武器を持ちたがる。
戦争をする。
異星人サイ族にはわしは不信を持っている」
「カント九条は人類・ヒト族の理想です。
理想を実現するには、
ヒト族に親鸞の言うような悪の自覚とその克服への努力が必要でしょうね。
大慈悲心に基礎をおいた粘り強い話し合いによる解決こそ、
希望の未来につながる。
その時、ヒトは宇宙の大生命・大慈悲心に包まれていることを
自覚するのかもしれませんね」と吟遊詩人が言った。
「ニュースの時間だな。
ラジオを入れてみよう」
数分、漫才のような会話がとまったと思うと、
太い男の声、アナウンサーが言った。
「新政府のV長官は 異星人の長老と懇談したそうである。
あくまでも平和裏にビジネスを広げていくという大枠は決まった」
鉱毒事件の問題解決の話はまるでなかった。
要するに、この会談では無視されたのだ。
異星人のとの間には、まだ未解決の問題は多いと、
我は感じざるを得なかった。
「君はアリサが好きなんだろう」と山岡友彦はハルに言った。
「どうしてですか」
「これもわしの画家としての直観だ。
君の剣を長老に突き付けて、
アリサを守れば」と山岡友彦は言った。
14 黄金のサイのミニ彫刻
ハルがある秘密の行動を企てようとしていたことは
あとで我にも分かった。
ハルは長老がアリサを妻にしたいと言った申し出を侮辱と受け取っていた様子から、
何かしらのことを深くは考えていたのだろう。
しかし、それは想像を上回る大胆な計画だった。
ある日、我と吟遊詩人の前に、ハルは不思議なものを見せた。
それは長老の一番大切な守護神だそうだ。
純金で出来た小さなサイの彫刻だった。
それはネズミか小鳥ほどの大きさであったが、
まるで生きているサイのように見事なもので、
純金で出来ていて、持つとどっしりとした重さを感じた。
「これは何」
「長老の一番大事なものさ。
彼は黄金の魔法次元から来たというから、
彼と会った時から、
わしは彼のことと、黄金の魔法次元のことを調べていた。
そうすると、長老はあの司令官たちを指図する指揮権を託されているが、
その惑星の指揮権の象徴がそのサイの彫刻さ。
金よりもその彫刻に価値がある。
それをなくしたら、長老は切腹ものさ。
それを、わしは密かにあの銅山のビルに忍び込み、盗んできた。
これで、長老と取引しようというわけさ。
アリサを妻にしようなどというふざけたことを払い下げにし、
もう一つ大事なことは鉱毒を流さないことと、
彼らの軍が持つミサイルと特殊爆弾の廃棄による正常なビジネスだな。
これを長老に約束させる」とハルが言った。
「凄いものを手にしましたね」と吟遊詩人、川霧が言った。
「具体的にどうやって、長老と取引するのですか」と我は聞いた。
「ロス邸かカルナさんの家に呼び、そこで話をする」
アリサとの結婚を望んでいる長老の思惑を
ハルから聞いたアリサとカルナはアリサの家に呼べば、来るのではないかと言った。
電話はロス邸のを使わしてもらう。
アリサが直接、長老を電話で誘うという段取りになった。
一人で来て欲しいというアリサの願いを、
異星人サイ族の傲慢な力の過信からだろうか、
長老は、この前の祭りの参加でこちらの様子が分かったということで、
ある日、一人で、アリサ〔カルナ〕邸に来ることになっていた。
その時、ハル達がこの晩さん会に参加することは絶対の秘密だった。
リミコからもれると厄介だと思ったからだ。
晩さん会の用意は出来た。
長老はリミコと一緒に来た。
アリサが玄関で「今日は晩さん会で御友達も呼んでありますの。」と言った。
長老はちょつと笑った。
リミコは何か厳しい顔になった。
「姉のカルナの企画なんですよ」とアリサが言った。
吟遊詩人とハルと我はテーブルの席の所で立って、挨拶をした。
長老の誕生日だった。
これはアリサがリミコから聞き、
知っていたことなのだ。
「お誕生日、おめでとうございます」と我々はカルナと一緒にそう言った。
長老はさすがに、一瞬戸惑った様子だったが、
「ハハハ。わしの誕生日か。
誕生日を祝う習慣はわが惑星ではあまり一般的ではないが、
ま、ありがたく受け取ろう。
この国の文化を尊重するのも大切なことだからな」と言った。
「では長老。これをご覧ください」と
ハルが黄金のサイの彫刻を見せた。
ハルの腰には彼の自慢の剣がさしてあった。
「何だ。これはわしの」と
長老はさすがにぎょっとした驚きの表情をした。
「これを長老に誕生日プレゼントとしてお渡ししたいのですが。
条件があるのです」
「条件」
もうその頃は、みんな多少のワインが回って、
いい気持になっているようだった。
「そうです。
アリサさんはあなたの妻になることは御断りしたいと申しております。
まず、それを承諾していただきたい。
アリサさんには画家の恋人がいらっしゃるのです」
「画家だと」
「山岡友彦か」
「よく知っていらっしやいますね」
「知っているさ。
銅山の鉱毒をなんとかしろとよく言ってきている画家だ」
「それからですね。軍のミサイルと特殊爆弾を廃棄して、
我が国と平和なビジネスに入るように司令官を指導していただきたい」
「ハハハ。ハル。いつから、こんな交渉術を学んだ。
お前のところののどかな、魔法次元でもこんなことを教えるのか」
「いえ、自然に思いついただけで」
「よくこのサイの彫刻を盗みおったな」
「今の話、お受けできますでしょうか」
「アリサのことは分かった。
しかし、ミサイルと特殊爆弾は司令官の管轄にあるのでな。
わしはただの説教師でな」
「巧みな説教師と聞いております」と吟遊詩人、川霧が言った。
「サイ族の魂を動かす術を黄金の魔法次元で習得なさったとか」
長老は苦笑いをした。
「君は無茶な願いをしていると思わんか。
武装解除しろと言っているようなものじゃないか。
宇宙の旅は危険がたくさんあるのじゃ。
惑星の文明段階も色々でな。
わしらのより、強力な武器を持つ惑星がある。
そいつらと素手で交渉なんかしてみろ、皆、監獄行きさ。
そして、いい見世物かさらし者にされてしまう。
強いものの意見が通る、
これが黄金の魔法次元の教科書に書かれていることじゃ」
吟遊詩人は微笑して言った。
「弱肉強食ですな。
しかし、野獣の進化段階ならそれも分かりますけど、
ヒト族に進化したからには、
我々は文化を持ちます。
文化は弱肉強食などという野獣の考えに
支配されていては良いものは生まれません。
優れた文化、芸術は優れた宗教と同じように、優れた価値観を持ちます」
「良い価値観が相手を圧倒できるときはそれも分かる。
しかし、やはり、相手に強い武器を見せつけられては、
その良い価値観ですら、相手の良くない価値観で薄められ、
武力のないために
悪い価値観を受け入れてしまうではないか」
「黄金の魔法次元の価値観というのはどういうものなんですか」と詩人が聞いた。
「なるべく武力は使わず、ビジネスで儲け、みんなが豊かになることじゃ。
みんなが幸福になることじゃ」
「豊かになれば、幸福になる」
「そうではないかな」
「人はパンのみにて生きるにあらずと言う言葉もありますけど」
「それは分かる。
しかし、おぬし。そこまでわしに言うなら、おぬしに聞こう。
おぬしの言う優れた価値観とは何だ」
「言葉では具体的に言うことは難しいでしょう。
私が感じているのはあえて言えば、生命です。いのちです。
神と言っても良い。真如とも言う。
愛とも大慈悲心と言っても良い。
虚空ともダルマとも言う。
人は言葉を言うと、すぐにその言葉にとらわれます。
言葉は絶対の真実を示すことはできません。
言葉は真実を指す指先のようなものです。
その優れた言葉や優れたポエムから、
真実を体得しなければなりません。」
詩人はそこまで言うと、微笑した。
一息つき、長老の目を優しく見詰めて、言った。
「そうした絶対の真実が
我々の生きているこの現実の世界に表現されているということです。
それを見いだすことが、人生修行なのではありませんか」
「心身脱落か」
「よく禅の言葉を知っていらっしゃいますね」
「わしは仮にも長老だぞ。
心身脱落すれば不生不滅のいのちを手に入れることができるというわけか。
君はそれでそれを体得したのか」
「いえ、言葉とイメージでは分かってきましたけれど、
まだ心身脱落は体得できないから、こうやって、旅をしているのです」
「旅が修行か」
「ま、そういうわけです」
「わしもな。よその国とビジネスをする。これが修行だと思っているのじゃ。
貴公は何かビジネスを悪いもののように考えているが、
それは心得違いだと思うがな。
ビジネスがなければ、色々な物や食料が全ての人に行きわたることができないじゃろ。
その公正なビジネスを邪魔する強盗や盗人は追い払わねばならぬ。
そのために、武器は必要なのじゃ。
そして、皆が豊かになる。
これが黄金の魔法の次元の価値観じゃ。
どうだ。素晴らしいだろう」
「で、どうなんです。
鉱毒の垂れ流しを中止することと、
ミサイルと特殊爆弾の廃棄はだめなんですか」とハルが鋭く聞いた。
「それはな。わしもな。
武器などなしに、素晴らしいビジネスが出来れば良いとは思っている。
祭りで踊った時にな、そういう思いがふと湧いたものじゃ。
しかし、無理だな。
ヒトは悪を抱えているから。
魔界の誘惑にも弱い。
そんな呑気なことでは面白いビジネスは出来んよ。
夢物語を語りに、
わしは宇宙を飛び回っているのではない」
「それじゃ、この黄金のサイの彫刻はかえしませんよ」
「かまわんよ。
その代わり、ここと伯爵邸とロス邸、
それに新政府の庁舎を砲撃するが、
そんなことをしてよいのかね。
わしも、長老といわれている身、そんなことはしたくはないのでね」
その時、吟遊詩人がヴァイオリンを取って、
弓を弦にあて、不思議で美しい音色を奏でた。
「ほお、音楽か。やれやれ」と長老は独り言を言った。
詩人の声が響いた。
武器を捨てるなんて夢物語 ?
そうだろうか。
軍拡を進めればヒト族破滅もいつの日か
とため息がつくばかり。
魔界の王者メフィストの高笑いが聞こえてくるようだ。
勇気をもって、武器を捨てよう。
武器を持って、脅してビジネスしても、それは本物のビジネスか。
ヒトとヒトがこの世に誕生し、
言葉を交わし、愛を交換し、
真理の光がまばゆいほどに光るその道を歩く時、
ビジネスも心の通い合いとなる
物と物は多くの人に行きわたり、
食料は多くの人の胃に入る
飲み物は我らを酔わし、
果物は幸福のしるしとなり、
いのちは至る所に輝く
街角はカラフルな豊かな衣服であふれ、
人々の口元には美しい微笑がもどる
だからこそ、話し合い、武器は捨てよ。
優しいビジネスは人に息を吹き返す。
平和は人にいのちの復活を約束する