虚空の夢

散文詩を書くのが好きなので、そこに物語性を入れて
おおげさに言えば叙事詩みたいなものを書く試み

瞑想(poem)

2022-11-24 20:18:55 | 

           瞑想 (poem)

 

人の世では、牡丹によって、奥の器械にアクセスする。

アクセスすることによって、世の中は動く

宇宙は広く深い

真理の世界へのアクセスは

瞑想によって、祈りによって

自己と世界が一体になって、真理の世界を見る

全世界は一個の明珠である

そこは人間の見る宇宙とは違って、生命そのもの

宇宙生命そのもであり、大自然である。

しかも、時も空間もない神秘な浄土であり、

愛と不死のいのちの世界である

 

それは素晴らしい世界だと古人は言う

美しい大地に豊かな樹木が生え

宮殿のような壮麗な建物があり

どこからか夢見るような美しい音楽が鳴り

空からは美しいアーモンドのような花が舞い降りてくる

遠くからは清流が流れる音がする

 

太陽の光がなければ生きていけない

故に、太陽も光も自己である

空気もなければ生きていけない

自然の森羅万象は自己である

目の前のコップですら、自己である。

全世界は一個の明珠である

 

今の今を生きること、これは素晴らしいこと

息をしていること、これはすごいこと

様々な景色が見える、音楽を聴く、これも凄いこと

 

今はあちこちにビルが立ち

そこで株式会社が活動し、生産を上げ

しかし、競争は激しく

経済格差社会を生み、差別を生む

そして金銭至上主義は悪を生む

人々は苦痛にあえいでいる

物は豊富なので、しばらくの間、苦痛を忘れる道具はあふれている

しかしそうやって、時は矢のように過ぎ去り

やがて人は死の立て札の前で立ち往生する

 

見よ 六十兆の細胞を持つということ

その細胞に複雑な構造があり、らせんの状のDNAがあること、

これは凄いこと

口から、食物が入り、出るという新陳代謝がある

これも凄いこと

そして一人の人間がいのちの象徴として立っている

これも凄いこと

 

人は死そのものを知ることは出来ない。

しかし、もともと肉体はリアルであるけれども、幻のようなもの 

死によって、本当の自己は幻のように、虚空のいのちの中で遊泳するようで、

花園の中を散歩する人のようであっても

ある時、突然、このシャバ世界に肉体をもって舞い降りてくる

 

虚空の夢のような世界と、シャバ世界は断絶しているけれども、一つのいのちの流れ

としてつながっている。

だから、生死はみ仏のいのちなりという言葉が出てくる

我々は本当の自己に目覚めれば、

この生死のいのちの流れを知ることになり、

この生命は無常で、変化していくいのちであるが、不死であり、愛に包まれているを知る。

一個の明珠とでもいうべき生命体である

このことを知る時、我々は自我にとらわれることなく、煩悩に悩まされても

そこから、抜け出す魔法を知ることになり、

自己の不生不滅のいのちに驚き、祈るようになる

 

 

天啓があるとしたら

あの川がそうだ

 

川が流れ、やがて大海に入る。太陽の光に照らされ、雲となり、雨となり、森に降りそれは川となる、やがて虹になる

刻々と動く自分のいのちを秘めたこの肉体

それは虚空から舞い降りた旅人のようなもの

幻のようでリアルな神秘な姿

しかしそれは時間と共に

幼児から青年そして壮年から、老人と進みやがて死ぬ。

 

死があるからこそ、生があるということは確かなことだ

自我というのは執着のかたまり

理性というのは人間世界を創造するもの

生きている間に、自我をなくし、理性をストップさせるのは座禅【瞑想】

座禅【瞑想】が生きながらにして(生と)死の世界を知る唯一の方法

心身脱落である

 

「空」の世界に入る

耳には美しい音楽が聞こえてくる

目は美しい景色が見えてくる。

空からは美しい沢山の花が舞い降りてくる

 

      

 

            【完】

 

 

 

【久里山不識】

詩と言えば、私の場合、学生時代はもっぱら萩原朔太郎、高村光太郎、宮沢賢治など、欧米ではキーツやバイロン、リルケなどで、現代詩人として多少難しいのでは、詩だけでノーベル賞をとったエリオットの書いた英詩にも手を出してみたが、それほど熱心に読んだわけではない。高齢者になって、驚いたのは座禅をするギンズバークのような現代詩人との出会いである。座禅そのものを歌った長い詩もある。

現代の価値観を金銭至上主義でなく、良い方向に向けるのにはこうした現代詩をつくることや、読むことも少しは役に立つのではないだろうか。

 

 

【参考】

 

 

永遠に

建っているハーレムの1948 年の建物

肥大化した意識の幻想から

私は全宇宙は一心の表われ

ということに気がついた

私の人生の仕事は試作

人類にその自発的な目覚めを伝えようとして             [ 田中泰賢氏 訳        ]

 

     ギンズバーク

 

 

Who

 

From Great Consciousness vision Harlem 1948 buildings standing in Eternity

I realized entire Universe was manifestation of One Mind-

My teacher was William Blake-my life work Poesy

Transmitting that spontaneous awareness to Mankind

 

 


廃墟のような白い城(poem)

2022-11-17 14:56:58 | 

廃墟のような白い城 (poem)

 

細面の目の大きな男がその城に生きていた。すらりとした身長の男だった。

白い色の城はいくつもの塔が空に伸びていた。

白い色の城は、昔は美しかった。

壮麗さを感じさせ、畏敬の念を感じさせるものがあったに違いない。

しかし、今は古びていて、昼間は薄光が窓から差し込む。

だが、あちこちに沢山の本棚があり、世界中から集めた本に数年のホコリがたまっていた。

足音でもたてようなら、ホコリが舞い上がる。

ホコリといっしょに、アレルギーが襲いかかる。

そのことを城の人々は知っており、風邪と並んで、用心する病気と思っていた。

それでも、ホコリを、恐れてはいなかった。静かに、暮らしていれば何事も起こらないからだ。

それに、普通の人は本を読もうとも思わなかったからだ。

それ故に、城の中は物音せず静かであるが、食事をする所だけは賑やかだった。

他の部屋にも本は満載で、城の中で、ホコリのない所はここだけだった。

 

美しい宝石のような赤色の夕日を男は待っていた。

細い窓に光が斜めざしにする時は特別の時なのだ。

男はそこに美しい服を着て、母のむくろのおさまった棺の前で祈り、

夕方になると、父の見えるような見えないような亡霊が現われれるのを知って、そこで祈るのだ。

 

ある日のこと、いつになく綺麗な花が豊富に城の中が飾られていた。

男は花の美しさにうっとりして、不思議に思い聞くと、紫の娘が来たという。

彼女は散歩の途中で見かけた農家の娘で、いつも野菜を運んでくれているのだ。

健康そうなふくよかな顔とシンプルな服は内面の清楚さを思わせ、時々キーツの詩を口ずさむのだった。

 

「何で、お掃除なさらないのですか」と紫は男に挨拶すると、そう言った。

「民が豊かで、城の者は貧乏で、国は栄える。死んだ父が本を読んだ結論がそうだと聞いた」

「それにしても、本はすごいですわね」と紫は不思議そうな目で男を見た。

「世界中から、集めたものじゃ、いくら勉強しても、真理は分からない。これも父君ファウストがおっしゃって言った。私もそう思う。

森の中で、修行した方がいいと、わしは思うがね、あなたは森の道案内はできるか」

「昔、祖父に連れられて、五度ほど、森にはいりましたけど、滅茶苦茶、広いですよ」

「面白かったか」

「小鳥ときのこが面白かったですが、なにしろ、広大な森ですから、夜は怖いですよ」

「座る平たい石はあるかな」

「えーと、何をなさるのですか」

「座禅するのじゃ。真理に到達するには、本だけでは、駄目だと分かったからな」

「ああ、小屋のそばにいくつもの平たい石があります。でも、あのあたりは隣国のシャベリンが撃ち込まれることがあるのですよ。危険という人もいますよ」

「ああ、それは演習だと聞いている、わしが向こうの城にメールを渡しているから、その日付以来は来ない筈だ。わが軍は父の死と同時に解散した、あの日のことをあなたも知っているだろう。わしは争いは嫌いだし、このことは長い間の隣国の交流によって、相手も知っていると思う」

「攻めて来ないかしら」

「わしと、彼とのメールは百回以上に上る。内容はその座る平たい石で、二人で座ろうということになった。向こうも石を探している筈だ。あの森は昔から、どちらのものでもなかった。二人で座れば、争いは意味がなくなる。森は両方の共同管理になろう」

 

 

森は小高い丘陵のようになっているが、森は昔から虎と龍が住んでいるという信仰があった。それを統治しているのが、森のカミだった。

カミが怒れば、龍虎の争いが起き、森は大地が響きをたてて、嵐となり、入ってくる人は殺されるという話だった。

そこで、森そのものがカミであるという信仰は森を挟んでこの二つの国で起き、大昔からこの森を通して両国の文化交流は行われ、宗教も文化も酷似していた。

 

飛行機の時代になっても、両方の側の旅行熱も深かったが、文化と宗教が似ているので、争いは起きなかった。争いが全くなかったわけではなく、シャベリンが森に撃ち込まれる時には森のカミを殺す気かという民衆の声が大きく、カミを殺せばニヒリズムという妖怪に襲われ、人の命を軽く思う人間が増加し、ちょっとしたつまらぬ争いが戦争の元になるというようなことが、城の男と隣国とのメールの内容だった。

 

ある日、満月がこうこうと照る森の中で、

小鳥の鳴き声が聞こえ、

二人の男が石の上で座禅している。

満月は森をこうこうと照らし

広大な樹木の中に、一点のような小屋を浮かび上がらせ

そばに座る二人が宇宙の中心であるかのように、

今の今の不死のいのちの光の中で

満月はすべてが溶け合うように

一服の風景画となって、輝いている。

 

 

                【完】

 

 

【久里山不識】

詩を書いても、長いこと小説を書いていた癖が出てしまいますね。今の日本の大都会は少なくとも、詩的雰囲気にあふれているとはとても言えません。科学文明が発達し、物は豊富で、物凄く便利になりましたけれども、一方、歌川広重の浮世絵にあるような情緒を失いました。

しかし、詩の母体である神秘はいたる所にあります。どんなに、科学が発達しても、目の前にあることで、科学では説明できないことは沢山あるようです。一番の例は、我々の意識です。

常識的には、脳神経細胞の電気信号のからみあいによって生まれるというような話が流布しているようですけど、これは全く証明されていないようです。二十年以上前でしょうか、量子力学で意識を説明した「皇帝の新しい心」という難しい本も出たように聞いていますが、あれも仮説です。今も新説が出ているのかもしれませんが、同じです。意識について今の所、科学的な説明はすべて仮説で、神秘なヴェールに包まれているのだと思います。

つまり、大都会にいても、神秘はいたる所にあるというわけです。

ですから、詩を書くわけですけど、昔のような叙情歌でない現代詩の創作の試みがあっても、いいかと作者は思っているわけです。皆様はいかがお考えでしょうか。

 

 


異次元の遊歩道の道(poem)

2022-11-03 14:48:18 | 日記

15  異次元の遊歩道の夢(poem )

  異次元というのはひょっとすると、ひょっとした所にあるのかもしれません。

都会の片隅の小さな片隅の広場にも、優しい秋の光に照らされてとろとろしていると、夢見心地になってくる。

はっと気が付いた時には、私は 自転車でゆるやかに美しい音をたてて、星空を走っていたのです。

不思議です、銀河の先の方で花火のようなものが上がったのです。天空に花咲いた赤・青・黄色と様々な色の薔薇の花のようなひろがり、ランのような花の広がり、向日葵のような花の広がりとピアノの音のような美しい音を空全体に響かせて、それから散っていくのはちょうど、歌川広重の両国花火を思い出させるような不思議なものを持っていました。

確かに、江戸時代の隅田川も綺麗だし、花火も良かった。

やがて、美しい宇宙の景色が見えてきました。

天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、森は小鳥やきのこを始めとしたあらゆる生き物の宝庫といういのちの光に輝いているのです。

細長い銀色の帯のような銀河の川の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、ピアノ・ソナタのような美しい響きをたてて、どんどんと流れているのです。

 

そして、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。

カワセミを見て、ふと、どこかの寺の懐かしい遊歩道を思い出したのです。

そして、同時に、そこの瑠璃色の川に垂れ下った桜の小枝にいたカワセミを思い出しました。全体にブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。

すると、不思議なことに、私の目に、見える景色の向こうの方に、美しい銀色のカフェー

が見えたのです。

小麦色の遊歩道の向こうには、見事な向日葵畑が見え、広い石畳の遊歩道の横にはカフェーがまるで幻のように光りながら、その向こうには美術館のような建物、いくつもの彫刻がある間隔を置きながら、銀色にきらきら輝いているのです。

 

そしてカワセミが飛んでいます。中には私の自転車と並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。

星空には、この世のものとは思えぬ美しい鐘が鳴り響いてきました。

私の行く手の大空の中に、不思議な惑星が見えて来ました。満月のように丸く美しい光を四方に放っているのです。

 

それから、そばで、自転車に乗っている背の高いほっそりした男がテノールの美しい声を響かせていました。

  「私は知りたい、美しい遊歩道のある街角がこの地上にあることを

そこには美しい花と果物が道の端を飾り、

カント九条と人権は全ての街角で確立され、武器のない平和の町

歩くことが楽しい遊歩道が至る所にあり

緑の柳がおおう清流は道のそばに美しい響きをたてて流れ

人々の美しい微笑は澄んだ空気のように至る所に見られ

緑の葉の光にほほえむようにあちらこちらで歓喜の歌が聞こえる

我らは期待に胸を震わせて,次の町に足を踏み入れる」

  

私と青年とは、星空の途中で、自転車をとめ、少し話をしたのです。

「(町案内)にはどう書いてある? 」と青年は聞きました。

私は 細長い銀色のタブレットのようなものに現われた町の地図を指を使って、少しずつ動かし、見とれるように見ていました。

そして宝石のように美しい水晶のような板の上に、絵画のような地図が広がっていました。見ると、いくつもの駅や塔、それからカフェー、寺院、教会、それから、地下水から湧き出る泉や森が散在しているのです。そうした場所からは宝石のような青や緑や黄色や素晴らしい金色の光が輝いています。地図には、いりくんだ網のようにあちこちの遊歩道がつながっているのですが、街角にかかる多くの小さな鏡には、そうした建物が映り反射して、不思議な美の世界をつくっていました。

私達は小麦色の遊歩道の方に入って行きました。上空から見ると、美しい紅葉色の家が並び、大地は小麦色なのです。

さわやかな空気があふれていました。柔らかい日差しにあふれ、まるで小春日和の夕暮れのようです。駅前広場には、大きなテレビがあって、近くの惑星の戦争の様子が実況放送されています。沢山の人が死んでいます。そこはカント九条がなく、武器があふれた惑星で知られています。

駅の前の、若葉色の彫刻のように見えるプラタナスの木に囲まれた、長い小麦色の道に出ました。周囲は色々なお店が並んでいました。金色の街灯には、ハンギングバスケットにりんどうの花が紫色に輝いて咲き、それがずうっと続くのです。空には、いつの間にか銀河の星がいくつか輝いていました。

  奈良駅から春日大社に至る長い散策ストリートのような美しい小麦色の通りでした。真ん中の道に、時たま自転車が静かに、ゆっくり通るばかり、両側にある広い遊歩道には、町の人たちがゆったりと歩き、どこかの店に消えていきました。

そのようにして、私と青年は親友のように、その小麦色の道を、肩をならべて行きますと、とある銀色のカフェーが目につきました。我々は自転車を降り、並木道とカフェーに挟まれた長く広い石畳の小麦色の遊歩道に足をとめ、そばの銀色のカフェーに向かったのです。

でも、全ては夢でした。ああ、私はそんな夢を見て、何故かそこが私の遠い永遠の昔に歩いた美しい街角の小麦色の遊歩道であるような気がして、懐かしさのあまり、涙が一粒湧き出たのです。

           (完)

【久里山不識  】
読んでいただき、ありがとうございました。体調がよくないことと、諸般の事情により、二週間ぐらい(創作・見る )を休みますので、よろしくお願いします。