虚空の夢

散文詩を書くのが好きなので、そこに物語性を入れて
おおげさに言えば叙事詩みたいなものを書く試み

緑の風 15  (菩薩の舞い  )

2022-05-26 15:38:03 | 



25 菩薩の舞い

駅の近くのカフェーで補佐官と別れた我々は駅に向かった。
通りの並木道には赤い花が咲き、小雨が降っていた。この惑星との別れを惜しんでいるかのような涙が落ちるような降り方に吾輩には思えた。
カフェーでの補佐官との色々な話がぽつりと三人の会話に出ると、
「内の魔法界にも」とハルリラはやや深刻な顔をして話し始めた。
「あの猫族の墓のようなことがあった。長い歴史の中で、今から六百年前に大異変があった。それ以前は暗黒時代で、魔王が横暴な悪をおこなっていた。しかし、六百年前に聖者が現われ、魔王の悪政をいさめ、魔王の十五代目にして、彼は心を入れ替え、それまでの魔女の墓を全部撤廃してしまった。そうした行為には今となっては賛否両論があるようだが、ともかく魔法界も愛と慈悲心によってしか、魔法を使ってはならないことになった。」
「なんだか、ヒットロリーラの話に似ている」と吾輩は言った。
「そうさ。ヒトは悪から目覚め善に向かうというか、進化するという点では似ている、これは心の進化の法則と魔法界では言われている。暗黒時代には魔女狩りが行われ、魔女の墓を国土の至る所につくったそうだ。しかし、それは封印され、今は僅かの資料と伝説的な話として、魔法界の歴史に残された。その内容は長時間労働、ハラスメント、差別、人間のやりそうな悪がその時代には色々と行われ、反抗する者はみな魔女とされ、墓場に行くという伝説となって伝えられている」
「それでは今の魔法界は善政がひかれているというわけだね」と吾輩は質問した。
「いや、魔法界といっても、色々あり、そのへんの知識は叔父さんは詳しいがわしはうとい。邪を脱することの出来ない魔法界がまだいくつもあるとは噂に聞くことはありますよ」

迷宮街の旅とトラカーム一家を思い出すこの惑星でも、虎族ヒットリーラの政治が良くなる変わり目の時代に入り希望の光が見えたという所に、我々は歴史の生き証人となった満足感が幾分あったと言えるのかもしれない。それがこの日の天候に現れているというのは思い過ごしか。涙のような小雨がしとしとと気持ちよく降っている。

ヒットロリーラの演説では、猫族に死者は出なかったと言っているが、あのティラノサウルスホテルの地下の猫族の墓と矛盾するではないか。それでも、リヨウト補佐官のようなしっかりした猫族の幹部が補佐官になったのであるから、いずれ真相が明らかになり、良い方向に向かうだろうという期待を抱き、一抹の不安を抱きながらも、次の旅に出発することにした。

我々三人の出発する虎族の駅【マゼラン・トラ中央駅】は巨大な建物だった。
大理石でつくられた白亜の壁。
駅前に大きな案内図がある
掲示板には、この間のヒットロリーラ大統領の演説が文章になって、掲示されていた。
中には、小奇麗な店がいくつもあった。美しい音楽が流れていたことは、最初に来た時はなかったから、政治が変わるという良い前兆と、吾輩は考えた。

駅は天井が高く、逞しい虎をイメージして模写した透けた巨大なステンドグラスからも薄い日差しが入り、そうしたステンドグラスはいくつもあり、大理石でつくられた白い美しい壁に囲まれた構内を何か明るい雰囲気にしていた。それも、政治の良い変化の兆しと思ったせいか、人々はゆったりと、のんびり歩いているように思えた。

列車は構内の奥深くまで、入り込んでいた。銀色をしたスマートな車体。
十両連結。 窓は上が丸みを帯びた半円形。
中は高級なソファーの並ぶ普通車両。寝台車。食堂車、映画館などがある。
我々は普通車の三号の真ん中あたりに陣取った。さっそく窓を開けると、弁当屋が「弁当、弁当」と声高らかに歌うように言っている。
アンドロメダ銀河鉄道には、色々な民族の人達が乗っていた。虎族、ライオン族、ヒョウ族、チーター族、猫族という風に。
犬族もちらほらいるようですね。時々、「ワン」というような声が聞えます。犬族だけに通じる挨拶の言葉のようですが、猫である吾輩には分かりません。
熊族もキツネ族もいるのです。

トラカーム一家には、お世話になったことは忘れません。それで、アンドロメダ銀河鉄道に乗りましたら、早速、書籍売り場に行き、『星の王子さま』と宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を二人の息子、トカとチカに贈るように手配しました。おそらく、我々がアンドロメダ銀河鉄道で、次の惑星の駅に着く頃は、この二冊の本が二人のもとに届くことは間違いないと思うと、吾輩はなんともいえない喜びに浸るのでした。

我々が自分の席に座り、しばらくぼんやりしていると、広いプラットホームに美しい民族衣装を着た人達が銀河鉄道の見送りということでやって来た。
「長い銀河の旅、ごくろうさまです」と挨拶すると、舞いを踊った。
それから、地球で聞いたことのある歌も披露された。
   
春の日の出発の日に
あなたに春の風を贈りましょう
風は緑の梢を揺らし、
美しい音楽をかきならし、
光を揺らし、素晴らしい衣装を
あちこちに着付けするのです。
梢は風船のように膨らみ
あちこちの街角に葉のざわめきと花を飾り、
宇宙のいのちの喜びを伝えてくれます

青空の向こうに不思議な星があるといいます
そこへめがけて飛び立つ日
その出発の永遠の日の汽笛のように
梢と風は旅への悲しみと歓喜に震えているのです。
ああ、あちらからもこちらからも、聞こえてくる歌声
さわさわとさわさわと、梢が風に揺られているのです。
緑の永遠の喜びの歌声が聞こえてくるのです

歌も終わり、舞いも終わり、人々の歓呼の声にうっとりしていると、いつの間にか、列車は走り出していた。
アンドロメダ銀河鉄道は ゆるやかに美しい音をたてて、桔梗色の天空を走っているのです。吾輩は目を見張りました。
おお、久しぶりに流れてる銀河を見るのは。何と気持ちの良いことか。
宝石のように美しく澄んだその真空の水の流れにはヒッグス粒子がキラキラと輝き、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。くちばしが長く、身体はブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。
美しい宇宙の景色が見えてきました。
天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、川は水晶のように美しかったり、森はあらゆる生き物の宝庫でもあります。
すると、不思議なことに、列車の窓から見える景色の向こうの方に、奈良の薬師寺の五重の塔が見えたのです。薬師寺であることに間違いありません。何故なら、その両側に幻のように日光菩薩と月光菩薩が微笑しているからです。
吾輩は最初、何かの錯覚かと思ったのですが、いえ、そうではありません。
畑や林や緑の丘の向こうに五重の塔が背の高い二人の神々しい菩薩に守られて、まるで幻のように光りながら、それも何と一つの五重の塔だけでなく、いくつもの塔がある間隔を置きながら、信州の盆地に広がる華麗な住宅のように、銀色にきらきら輝いているのです。
そしてカワセミが飛んでいます。中には吾輩の乗っている列車に並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。
「アンドロメダ銀河で、薬師寺の五重の塔を見るとは。不思議なことだ」と吾輩はぼんやり考えました。

アンドロメダ銀河の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、モーツアルトのセレナードを奏でているようで、どんどん流れているのです。

列車の中では、吾輩は猫であるから、ヒト族よりはるかに耳がいいので、隣の声がよく聞こえます。
「あら、こんな所に、フキさんのことが記事になっているわ、マゼラン金属の取締役になったじゃありませんの」
吾輩は、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。
「すごいわね」
「あら、マゼラン金属って、武器をつくっている所よ」
三人で、何か新聞を回し読みしているらしいが、その話題はすぐに終わったらしい。

その後しばらく沈黙が続いたのは、首にダイヤのネックレスをした中年の目の細い小母さんが目の前のテーブルでインターネットを見ていたからだろう。吾輩はこの虎族の女に「チロ」という渾名をつけた。このマゼラン銀河の旅に出てから、猫である吾輩は虎族の人達には複雑な気持ちを持っていた。虎という種族に対する畏敬の念もあったが、そればかりではない。そして、時々、こういう妄想を抱くことがある。あの虎族の人達に魔法をかけて、猫のように小さくして、吾輩のペットにする。この薄いイエローのワンピースにピンクのカーディガンを着ている彼女はおそらく我儘で、ある種の迫力があって可愛い猫のような存在となる。吾輩はこのペットを大切にするだろうと。
そうした妄想を吾輩に抱かせた「チロ」さんは顔を上げて、少し高めの声で言った。
「ほら、あそこの席に座っている猫族の若い女を見てごらん。
これがあの女の人のブログよ。見てごらんなさい。
沢山、小説や詩をかいているのは若いからね、でも、エッセイの方を見てご覧なさい。
わが虎族のティラノサウルス教についてよく書いてないわよ。まあ、それだけなら、許せるけど、親鸞の教えと比較するのが嫌らしいと思わない。親鸞って、地球とかいう遠い惑星で千年前に生きていた僧だっていうじゃありませんか。
何で、そんな男がこの惑星に生まれ変わって来るわけ。その辺がもういかがわしいと思いませんか。
そんないかがわしい宗教とわが虎族の優秀なティラノサウルス教を比較するなんて、猫族らしいやり方ね。」
何と、猫族の中の姫君に相応しい品位を持つ女性、どこかでナナリアという名前を耳にしたが、そのナナリアに、ケチをつけているではないか。けしからんと吾輩は思った。

金のイアリングをした、赤いジャケットの下に絹の光沢を持つブラウスを着た虎族の小母さんには、吾輩は「サチ」という渾名をつけた。その「サチ」さんは低い声で言った。
「今度の大統領演説のあとに、猫族に対する差別をしてはいけないという布告が出たけれどね。こういう猫族がいるとね」
やはり、虎族の猫族に対する偏見はこういう会話を見ると、簡単になくなりそうもないと思って、吾輩は悲しく思った。

緑のエメラルドがいくつもついたネックレスをした、白のブラウスの上に緑のブルゾンを着た目の大きな虎族の小母さんの渾名をつけようとして、直ぐに言葉が出て来なかった。大金持ちのフキが取締役になったマゼラン金属という会社が武器をつくっている所だと指摘した女である。他の二人の虎族の女が持っている雰囲気よりもひどく優しい。
そこで吾輩は「エメラルド」と渾名をつけた。
「ねえ、ヒョウ族の坊や。さすが、ティラノサウルス教に入っているだけあるわ。ヒョウ族もティラノサウルス教に入れるようにしたのは、英断だったわ。それに比べその前の方に座っている虎族の若者はティラノサウルス教に入らないというのはどういうわけ。坊や、どう思う」

「ヒョウ族の坊や」と言われている丸顔の若者は白いパンツに赤いブルゾンを着ていた。彼は小母さん達に呼ばれたのか、自分から行ったのか分からないが、三人座っている小母さん達の席の空いた席に座っている。吾輩の席から見ると、斜め前に座っているヒョウ族の若者と時々、目が合う。

「彼は虎族でもスピノザ協会にひかれているみたいですよ。」とヒョウ族の若者が言った。
「スピノザ協会って、猫族の集まりみたいなものじゃありませんか。そんな所に、どうして優秀な虎族の若者が入るんですか」とダイヤのネックレスをしたチロさんはちょっと厳しい口調で言った。
「そう聞かれても、僕には分かりませんよ」とヒョウ族の若者が答えた。
「ねえ、虎族の若者は、向こうにいる話題の猫族の娘が好きなんですよね。このブログを見ても、彼女はスピノザ協会に入っているようですし。ヒョウ族の坊や。どう」と金のイアリングをしたサチさんは微笑して言う。
「そうかもしれませんね」と何か不服そうな表情をして、ヒョウ族の若者は答えた。
「あなたもあの女の子が好きなんでしょ。こんな風にあの子のブログを私達に教えるなんて、騎士道精神に反しますよ」と目の大きな「エメラルド」さんは笑って言う。

騎士道精神。こんな言葉を虎族の小母さんが言うとは吾輩、予想していなかったから、わけもなく共感した。
「内の魔法界の今の魔王は騎士道精神が好きでね。」とハルリラが声をひそめて猫にしか分からないような言葉を使って、言った。
「魔王なんてまだいるのですか」
「そうさ。いるさ。弱いものを助け、強い悪い奴をこらしめるのが魔法の使い道といつもおっしゃつている。わしも、魔法学校でその魔王の言葉を何度聞かされたかわからん」とハルリラは笑った。
吟遊詩人は黙って微笑していた。

「私たちに彼女のブログを教えてくれるのはいいことよ。でも、本当に好きなのかどうか、私も疑うけれどね」とピンクのカーディガンを着た「チロ」さんは言った。
「好きでも、肘鉄食わされたら、恨みになってそうなるんでしょ」と「サチ」さんは言う。
「僕はそんなつもりで教えたんじゃないですよ。彼女のブログが面白いと思ったから」とヒョウ族の若者が答える。

「第一、 彼女と親しくなければ、このブログが彼女のものだと知ること出来ないじゃないの」と「サチ」さんが言う。
「あ、そうか。あなた、あの猫族の女の子にふられたの」
「困ったな。そういうことには答えられない」
「怪しい。確かに、彼女は美人ね。でも、猫族なんか信用しちゃ駄目よ。あたし達にどんどん彼女の情報、下さいね。面白いから。列車の旅は何か面白いことがないと眠くなりますからね。もうこのアンドロメダ銀河鉄道に乗っている虎族のティラノサウルス教の小父様、小母さま連中にはみな報告しましたから。この列車の退屈な旅をそのブログで楽しんでいることでしょう」と「チロ」さんは言った。

吾輩はこの話を聞きながら、列車の旅がそんなに退屈か、疑問だった。確かに、昼間から寝ている人もいる。
銀河鉄道は宇宙の特別列車だ。惑星にはないものでも、ここでは文明の最先端のものが手に入る。これはアンドロメダ銀河にある銀河鉄道の摩訶不思議なところである。ヘッドホーンをかけると素晴らしい音楽が聞けるし、宇宙インターネットをやることも出来るし、しょうぎや碁をやることは出来るし、映画も見られる車両もある。それに、場合によっては、展望車に行けば、まるでプラネタリウムのような星空を見ることさえ出来るのだ。
確かに長い旅ではあるが、筋トレ車両までついているという。

それにしても、これだけ話題になっている猫族の若い女性ナナリアに、猫である吾輩、寅坊が無関心ということはありえない。大変、気になる。それで、ちょっと後ろを振り返って見て、どこかで見た女性だという印象があった。直ぐは思い出せない。
我輩が真剣に考えていたら、ハルリラが喋り出した。
吾輩の心を読むように、「あの女の人はテイラノサウルスホテルの食堂にいた人じゃないか」とハルリラは微笑して言った。
吾輩は目が覚めたような気持ちで、ハルリラを見詰めた。
「綺麗な人だから、わしも印象に残って、覚えていました」とハルリラは言った。

その通りだ。可憐な感じがする。十八ぐらいだろうか。それとも二十は超えているのかもしれない。情報に汚されていない森と湖のそばで育ったような人というのもおかしい。彼女は宇宙インターネットをやっているのだから。自然人というのもおかしい。そんな野性味があるわけではない。それはともかく、清楚で知的なものを感じる。

ヒョウ族の若者は席を立った。トイレなのか、食堂車なのか、分からない。
「変わっているわね。あの子」
「あの猫族の女の子が好きなのよ。それでストーカー行為して、ライオン族のおまわりさんまで監視に来ているんだもの。」
「あの虎族の若者も怪しいわね」
「虎族はストーカーなんかしないわよ。虎族には美人が多いんだから」

「虎族のあたし達に彼女の秘密のブログを教えてくれたのは、余程腹がたっているのよ。ライオン族のお巡りさんまで乗っているんじゃ何かおこりそうね」
「あの虎族の若者を呼んでみない」
「来るかしら」
「退屈しのぎよ」

ピンクのカーディガンを着た目の細い「チロ」さんが立って、虎族の若者に近づき彼の肩をたたいた。
「あなたこちらに来ない」
「行かない」そんな会話が吾輩の斜め後ろの背後から聞こえる。
「あなた、何でスピノザ協会に入っているの」
「どうしてそんなこと知っているんですか」
「彼女のブログに書いてあるわよ」
「どうして、彼女のブログを知っているんですか。彼女が教えるわけないし、彼女に聞いてみましょうか」
「いいわよ。ヒョウ族の若者が教えてくれたのよ」
「あいつが。また失礼なことをするよ。」と虎族の若者は憤慨したような口調で言った。

突然、列車の中が、金色に輝き、何か神々しいような光に満たされました。
何故か、心が窓の外に向けられ、ふと見ると、もうじつに、ダイヤモンドや草の露や朝顔などの純粋さをあつめたような、きらびやかな銀河の川床の上を水は音もなくかたちもなく流れ、その流れの真ん中に、ぼうっと青白く後光の射した五重の塔が見えるのでした。
日光菩薩と月光菩薩は幻のように、ゆったりと舞いを舞うではありませんか。菩薩の舞いというのを初めて見ました。何と優雅で、何と神々しく、この世のものとは思えない美しさに満ちていました。
風も舞うことがある。落葉も舞うことがある。美しい紙切れも舞うことがある。いや、それよりも美しいのは熱帯の蝶の舞い、小鳥の舞い。ああ、そしてヒトの舞いも素晴らしい。しかし、菩薩の舞いというのは吾輩の想像力を超えた神秘なものでした。全てのものを慈悲で包み、優しい微笑でヒトの心を溶かし、花や森や昆虫のような大自然そのものが舞っているようでした。

                       [ つづく ]





緑の風  14 (魔王)

2022-05-19 20:56:30 | 日記
24 魔王

 花火が上がった。天高く、黄色い光が破裂すると、巨大なバナナのような太い黄色い光の束が下の方向に十本以上あるかと思われるほど、美しく舞い降りる、そして、さっと消えて行き、元の夜空に戻るが、その夜空には黒雲が激しく動き出していた。
花火が終わった頃、雷鳴が轟いた。
「さあ、今晩は早く寝ましょう」と虎族の奥様フキはそう言って、立ち上がった。
そして、何やら、猫族の家族に挨拶をして、しばらく、そこの旦那と話をしていた。
その時、一人の猫族の若い女性がその家族のそばの席に座った。
まるで森と湖のある所から、やってきたような不思議な新鮮さに満ちた女性だった。
可憐な感じがするのに、何か知的な職業を持っているようなリンとした賢さを秘めているような感じだった。
虎族の奥様フキがその場を去ると、そばの席の猫族の男が彼女に声をかけた。
「おや、今日はデートかい」
「いいえ、一人よ」
「ほお、若いのにこんなホテルに勇ましいね」
「取材よ」
我々は最後に出たコーヒーを味わった。キリマンジェロに似ているような味がする。コーヒーを飲みながら、食堂の壁に飾ってある風景画をしばらくぼんやり見ながら、聞こえてくる猫族の男と娘のやり取りを聞いていた。急にシーンとなって、しばらくすると男は家族との会話と食事の方に向いていた。

それから、吟遊詩人と吾輩とハルリラはバルコンに出た。リヨウト補佐官はタバコを吸って、そのまま食堂の椅子に座っていた。稲光が庭園をてらしたかと思うと、直ぐにドーンと大きな音がした。
「どこかに雷が落ちたな」と詩人はつぶやいた。
空には何か不吉な黒い雲が素早く流れている。
そんな嵐の夜中に馬を駆っているひずめの音が聞こえる。
吾輩は「魔王」という詩をふと思い浮かべた。
吟遊詩人は瞑想しているように目をつむり、「今、ふと新しい詩と曲が浮かんだ。どこかに、魔王の影響があるかもしれないが」と言い、目をあけ、吾輩を見た。
私の思いと詩人の思いが一致したことを不思議に思いながらも、詩人が歌うなと吾輩は思った。

歌声は深夜の空気の中に響き渡り、吟遊詩人は殆ど舞台に立つテノール歌手のように素晴らしい声をはりあげた。

 バルコニーの外を見てごらん。
緑の樹木と柳が黒ずんで激しく揺れている
時々、大空に稲光と雷鳴
嬢や、ドアを閉めないと、突風が家の中に入る
家の中から嵐は見るものよ

ママ、聞こえない
あたしを呼んでいる嵐の魔王が楽しいものを見せるって
それは風の音ですよ。
でもね、面白そうな愉快な声よ

嬢や、ドアをお閉め。ママは今、台所仕事に忙しいのよ

でも、これから面白いパーティーをやるんですって
嵐の魔王のパーティーなんて行くものではないよ
ねえ、あの音は太鼓の音みたい
あれはただの風と木がこすり合う音だよ

あらどうしたの
まあ、突風じゃないの
嬢はまあドアにはさまれて、ああ可哀そうに
指に血が出ているわ

わが子はおびえ、顔を隠している。お母さん。魔王が見えない? 冠をかぶり、長い衣服のすそを引いてこちらに来るよ、母は笑って、嬢や、あれは霧が棚引いているだけだよという。
そのように歌う詩人の声は吾輩の耳に響き、次第に声が大きくなってきた。
魔王が変身した霧は楽しそうに嬢に話しかける。
川を渡り岸辺に立てば色とりどり花が咲いている、小母さんが素晴らしい衣服を着て待っているよ、ああ、楽しい団らんのひとときが待っているよと呼びかける魔王の歌詞は
吾輩の耳に響くのだが、やはりそれは魔王の不吉で不気味な響きを伴っていて、外の嵐の急な突風に負けじという感じがするのだった。、

吟遊詩人は歌い終わると、外の樹木の風に揺れるのを見て、「何か不吉な気がする」と言った。黒雲は空を激しく動く。稲光がさっと夜空を明るくすると、ゴロゴロと雷鳴がなる。
「何か、祖父の話が突然思い出される」と吟遊詩人が小声でつぶやいた。
「どんな思い出 ? 」と、素早くハルリラが素直な感じで聞いた。
「私の祖父は誠実なアメリカ人でした。祖父は東京大空襲に参加したことを話してくれたことがあるのです。それは恐ろしいものです。祖父は苦悶の表情を浮かべていました。戦争とはいえ、ひどいことをしたという祖父の心の苦しみと悔恨の声が耳に響くのです。
私はアメリカで育ちましたが、母が日本人でしたから、大学生の時、広島の原爆資料館に行きました。あまりのむごさに、深い罪を感じました」
その時、突然、稲光と同時に恐ろしい音がした。先程のよりも音は大きく、身体に響くようだった。
詩人の声はつぶやきに変わっていた。でも、吾輩の耳には、はっきり聞こえるのだ。いえ、目に見えるようだった。今まで平和な空のように思えた青空の下で、爆弾の破裂と共に、家や建物は破壊され、焼き尽くされ、町は火の海となる。人は死に、逃げ惑う。火の燃え盛る物が淀んだ川に流れ、川に浮かんだ死体は仰向けになり、様々な人々が浮かんでは沈み、流れていく。燃え盛る火の勢いに倒れ、悲しみの叫び、苦しみの叫び、肉親を呼ぶ声、ああ、何ということを人はやるのだ。
詩人の目を見ると、目に涙が一杯だった。
「ともかく、席に戻ろう」と吟遊詩人が言った。
補佐官はまだタバコを吸っていたが、我々がバルコンから食堂の中に入り、着席すると、タバコを消した。
我々の前にはコーヒーが並べられていた。
「何か変な雲行きですな」とリヨウト補佐官が言った。
「以前は、このホテルでは、こんな嵐の晩に猫族の人達が消えていくという噂は本当なのですか」
「ええ、本当です」

その時、突然五人くらいの虎族の男たちが入ってきた。
「わしは検察官だ。この三人を国家機密漏えい罪で逮捕する」
補佐官は驚いたような顔をして「無礼なことをいうな」と言った。
「あなたは猫族のレジスタンスの幹部ですな。抵抗すると、あなたも逮捕しますぞ」
「何を言っているのだ。わしは大統領補佐官だぞ」
「大統領補佐官。猫族が。笑わせるな。そんな話はどこから出た」
「あんたは大統領の演説を聞かなかったのか」
「演説。そんなものは聞いてない。わしらは広場に行く暇などないのだ」
「大統領に電話してみろ」
「わしらは秘密検察局長の指示の元に動くのだ」
「なるほど、君等か。悪名高い、秘密検察。秘密裏に行動するという」
「わしらは国家の機密を守るために、働いているのだ」
「ちょつと待っていろ。大統領閣下に電話するから」
リヨウト補佐官はホテルに据え付けられている黒い固定電話の所まで歩いて行き、受話器を取った。
「何。大統領閣下は僧院にこもっている。緊急以外は電話に出ない。」
「じゃ、秘密検察局長に電話を回してくれ」
数秒の沈黙のあと、再び電話が始まった。
「検察局長か。わしは大統領補佐官だ。この逮捕は何の意味があるのか」
「何。機密保護法違反の容疑だと」
「どんな風に」
「ヒットリーラ閣下に、テイルノサウルス教の秘密を喋ったという国家反逆罪だと、おかしな話だ」
リヨウト補佐官は電話を切ったあと、検察官に向かって
「君等の上司は変なことを言う。ヒットリーラ閣下は変な演説をしたとね。ティラノサウルス教は邪悪であると、これはきっとティラノサウルス教の秘密を喋った者がいるのに違いないとね。秘密検察局が捜査したところ、三人の不審者が入国し、トラカーム一家に何かを吹き込んだという情報を得たというのだそうだ。あの大統領演説があったあとに、そんなことを言うあんたがたの上司は変な奴だよ」

「トラカーム一家が心配です」とハルリラが言った。
「トラカームは虎族です。まず我々が疑うのは猫族なのです。猫族とその一味が国家の機密を盗み、それから、大統領に何かを吹き込んだ」と検察官が言った。
この中で、吾輩と補佐官とハルリラの三人とも猫族であるから、驚いてしまった。
「リヨウト殿あなたは猫族レジスタンスの幹部であるが、奥様フキ殿によるとジャガー族の血が入っているということで我々は大目に見てきた」と検察官は言い、吾輩とハルリラを見てにやりと笑った。
どちらにしても、この惑星に滞在した日数を数えれば、そんなことが出来る筈はないし、大統領に何かを吹き込んだと言うのは親鸞の教えのことだろうが、あれはカチの功績だ。吾輩が何かを言おとしたら、吟遊詩人がそれよりも素早く、りんとした声で言った。
「私達は親念の話をしただけです。トラカームさんも息子のカチさんも親念を尊敬していたから、私も親念について知っている限りのことを申し上げた。
カチさんは親念を尊敬し、お母さまのレイトさんの所に行き、その話に感動した大統領夫人のレイトさんが夫のヒットリーラ大統領にお話ししただけです。
大統領が変心したのは親念の教えを知ったからです。誰もティラノサウルス教の悪口など言っていないと思います」
「親念という変な坊主が布教していることは知っている。やはり、親念の教えを吹き込んだというのは、結果としてティラノサウルス教の悪口を言ったということになる」と検察官は言った。
「そんな理屈はおかしいと思わないか。わしは大統領補佐官だ。その権限で言うが、親念の教えを知らせただけでは、ティラノサウルス教の悪口を言ったことにならないから、法には触れない」
「猫族が補佐官になるとは考えられない。これは何かの間違いであるというのが、わしらの判断でして。ですから、そういう解釈はとらない。」
「大統領に直接、聞いてみろ」
「先程の電話の様子では、僧院にこもっておられるということですよね。こういうことは最近しばしば起きていたのです。そういう時の大統領の代わりをしているのは、副大統領です」
「副大統領は何と言っているのだ」
「大統領が僧院にこもっている時は、自分で判断しろという指示です」

「これは過渡期の何かの間違いだ。君等の身のためにも引きさがっていろ。銀河鉄道の乗客を意味もなく逮捕すると、宇宙鉄道法に違反して、君たちの首があぶなくなるぞ。この三人の方は銀河鉄道の乗客だぞ」
「その証明は」
「金色の服は支配人にあずけた。カードでいいだろ」
「見せて下さい」
「いいでしょ。宇宙鉄道法と国家機密罪のどちらを優先させるかということは、高度の政治判断になります。我々には出来ない。
それまで、猫族の墓場でもご覧になって、この方たち三人に早くアンドロメダ銀河鉄道にお戻りになるようにするのが良いかと思う。そうすれば面倒なこともおこらない。我々もその方がいい」
「脅して、銀河鉄道に帰らせるのか」
「まあ、そうですね。我々の惑星のことに内政干渉のようなことはして欲しくありませんからね。早くこの惑星から出ていってほしいです」
「かってなことをぬかすな」と補佐官は言った。
「猫族の墓場とは」と吟遊詩人が言った。
「いや、わしはよく知らないのだが、なんとなく、噂だけは聞いている。猫族の重要人物がこのホテルに入った嵐の晩、消えるという噂だ」と補佐官は言った。
吟遊詩人は言った。
「銀河鉄道に戻るにしても、その前に猫族の墓場というのを見たいものです」
吾輩も見たいと言った。

「お見せしましょう。このホテルの下にあるのですから、直ぐですよ」と検察官は言った。

昔の地下牢に行くような陰鬱な道を吾輩は想像したが、結果は逆だった。
エスカレーターで地下三階に行き、そこで降りる。黄金でつくられたような山吹色で囲まれた細い廊下を十分ほど歩くと、
その途方もない金の扉の前に立ち、この惑星には金鉱が沢山あるとは聞いてはいたが、これほどの贅沢な扉を吾輩は見たことがない。
それでも、その重さのせいで 扉が開くときには 鋭い快感をくすぐるような異様な響きが漏れた。
中に入ると、暗かった所に一斉に光がはなたれ、広いローマの円形劇場のような建物が見えた。ただ、ああいう廃墟ではなく、やはり、この円形劇場も金色でおおわれている。

検察官の話では、以前はここで猫族の名士を案内し、下の方で本物の野性の虎とライオンを争わせるのを見せたのだそうだ。
名士とか金持ち族はけっこうこういう格闘が好きなようだ。
ここでカクテルを飲み、歓待された名士は、そのあとその下の処置室に行き、そこから墓場に直行になるらしい。
時には犯罪者の虎族の男と猫族の男を剣闘士としてあらそわせることもメニューの中にあるらしい。
しかし、問題は墓場である。
金色の観客席に囲まれたその劇場は大理石のような真っ白で平らな平面になっているが、その下が墓場である。
我々はそこへ行くのに、円形劇場から下に行く、らせん階段をかなり歩かねばならなかった。
そこは鉄色の扉があり、開けると、薄暗い中に、沢山の墓石が並んでいた。
検察官が、明かりをつけると、墓石は多くが猫の顔の首の所を模写した白い石で出来たものだ。その白い所に名前が書いてあり、簡単な略歴が書いてあった。
「まあ、こういう墓石に入りたくなければ、お早く、アンドロメダ銀河鉄道でこの惑星を飛びたつことですな」と検察官が言った。
「そんな脅しをこの方たちにするとは失礼になることが貴様にはわからんのか」とリヨウトが言った。
「わしは猫族の言うことはききませんから」

その時、向こうの側の壁にある小窓から風鈴の音が響き渡った。
「あそこは ? 」
「あそこは猫族の処置室ですよ。ハハハ。あなた方の中に猫族がいらっしゃるじゃありませんか。それで風が吹いたのですよ」
「地下に風が吹くのですか」
「ええ、空気がよどみますからね、換気のためにそうしてあるのです。お客様が来ると、気持ち良い風が吹き、風鈴が鳴るしかけとなっているのです。」
「確かに、美しい音色だ」
「ここに来るお客はもうすっかりカクテルに酔っていますから、この風鈴はとびきり美しく聞こえ、特に猫族のヒトの耳によく響くような仕掛けになっているのですよ。
それで、処置室の方では、準備を整えるわけです」
吾輩は猫族であるから、ぞっとした。
「まるでナチスみたいですね」
「ナチス」
「どっかで聞いたような名前だな」
「君達の猫族に対する迫害は常軌を逸しているということですよ」
「悪人正機と言ったのは、親念ではなかったのか」
「お前みたいに勘違いする愚かな連中は地球のあの時代にもいたのだ。だから、『歎異抄』が生まれたのだ。
どちらにしても、時代は変わったのだ。大統領演説によって」
「まだ全てが変わったわけではありません。以前の法律がそのままのこっていますからな。あれを変えるには手続きが必要なんです。機密保護法はまだ健在なんですぞ」
「勝手な解釈をするな」
「秘密検察局長の解釈です」
「ねじまげた解釈だ」
「国家を守るためには、時には解釈も捻じ曲げるのです。それが権力というものですよ」と検察官が言った。
「いよいょ、本性をあらわしたな。まあいい。わしが補佐官になったからはそういうことを改めさせるように大統領に進言する」
「大統領には、こういう教えも伝えて下さい。仏教で言う如来の室に入って、つまり大慈悲心で、全てのヒトに良い政治を行って欲しいと」と吟遊詩人が言った。
「大慈悲心。つまり、アガペーとしての愛ですな」とリヨウトは答えた。




                     【 つづく 】





緑の風 13

2022-05-13 13:29:08 | 日記


23 座禅
 大広場の演壇の所に一人の背の高い男が長い槍を持って、立っていた。そこは少し前にヒットロリーラが演説した所だ。
「何か用か。ハルリラ、わしを呼んだのではないか。魔法界からここまで、降りてくるのは年のせいか、最近では億劫になってな。それでも甥っ子の一大事とあっては。」
「呼んだ ? わしは念仏を唱えただけだ。ちょっと親念さまに敬意を持つようになったのでな」
「わしは念仏をお前からの助けを求める叫びと勘違いした。ううむ。年はとりたくないものだ。」
この百九十センチはあるかとも思われる背が高く、足から身体すべてが細長い男は年のころ、初老というべきか、長いあご髭は真っ白である。
吾輩はドン・キホーテを思い出した。ハルリラにこういう叔父がいるとは聞いてはいたが、前触れもなく突然現れるとは驚きだった。
ハルリラの両親は死んでいて、兄弟もいず、何人もいた叔父と叔母も死に、このヒト一人がハルリラの唯一の目上の肉親ということになるらしい。
様子からすると、この叔父さんは長いこと、魔法学校の理事をしていたが、結局それも引退、さて、何をしようかと思っていた所に、ハルリラの念仏を聞きつけ、すは一大事、未熟者を助けるのは叔父の勤めとばかり、出てきたら、ハルリラに余計なお世話と言われ、がっくりしたらしい。
「さて、さて。この国は平和になりそうだから、わしの出る番はなかろう。
それではひっこむ。もし、俺を呼びたかったら、そのお前の少しへんてこな念仏が気に入ったから、約束の暗号よりも、その方がいい。それを唱えろ。
そしたら、俺は加勢に出てくる」
「でも、俺は阿弥陀様を呼ぶので、叔父さんが出てきてくれてもあまり嬉しくない」
「俺が気にくわないだと。俺には沢山の恩があるくせに。それに、その念仏には、俺は感動する。その念仏が聞こえてくると、魔法界の空から、美しい大きな花が舞うように降りて来る」

「気持ちは分かるけど。俺は武士なんだ」
「最近は口ばしの黄色いのが一人前のことをぬかす。お前の魔法なんかわしの奥の深いものに比べたら、半人前」
そこで、ハルリラは「叔父さん、もう分かった。もう、色々なことは解決した。叔父さんの出番は今はない。あばよ。呼ぶ時は呼ぶよ」
そう言われた時、花火のようなものが演壇の下からあがり、その煙と一緒に叔父さんは消えた。ハルリラが沈黙していたので、吟遊詩人が言った。
「魔法界って、きっと我々の生きている虚空の世界にあるのではないかな。つまり、娑婆世界も浄土も霊界もいのちに満ちた「虚空」にあるのだが、我々からは娑婆世界しか見れない。魔法界もその「虚空」の中にあるに違いない。
我々の娑婆世界は物質世界、ここは科学の活躍する所でこの世界もどうも幻のようでリアルな存在というような摩訶不思議な世界なのだから、ハルリラの故郷も面白い所なんだろう」
「魔界はどこにあるのかな」と我輩が質問した
「さあね」と吟遊詩人は微笑した。
その時、我々の前に魔界の知路が現われた。緑色の目をして、あでやかなブルーの服を着て、輝くばかりの美しさではないか。吾輩は彼女が突然現れたのも驚いたが、彼女が魔界の人というのも納得できない。
「君を呼んでなんかいないよ」とハルリラが言った。
「あら、あのホテルに行くのでしょ。垂れ幕みたら、あたしを川霧さんが呼んでいるのかと思って」
「吟遊詩人は君なんか呼ぶわけないよ。」とハルリラは大きな声で言った。
「あら、そうなの」と彼女は言って、一瞬の内に消えた。
さて、朝から奇妙なハプニングが二つも続いたこの奇妙さに宇宙の神秘さがあるのではないかなどと、我々は話題にしたが、川霧は沈黙がちだった。やがて、我々はこの国の一番のホテルといわれるティラノサウルスホテルに到着した。
恐竜ティラノサウルスの形をしている大きな金色のホテルである。巨大な恐竜が犬か猫のようにおとなしく大地に両足をつけて瞑想でもするかのように遠方を見ている姿を表現したデザインなのだろう。ヒットロリーラがああいう演説をしたからといって、ティラノサウルスホテルのデザインまで急に変わるわけではないのである。ただ、一つ変わっていたのは、ホテルの玄関に良寛の和歌が書かれた綺麗な垂れ幕が下がっていたことだ。
『天が下にみつる玉より黄金より
春のはじめの君がおとづれ  』

ヒットロリーラが改心してから、世の中はぱっと明るくなった。もともと、この惑星のこの国は美しい土地柄で、悪い政治だけが問題だったのだから、そういうことになる。

吟遊詩人と吾輩とハルリラは ヒットロリーラに新しく採用された猫族の新大統領補佐官が玄関で出迎えでくれ、案内されて、ホテルに入った。
『リヨウト』という名前のこの新しい大統領補佐官を見た時は驚いた。あの猫族のデモの先頭に立っていた男ではないか。目は丸く、黒い口ひげがピンと左右に伸び、黄色い温和な顔をした体格のいい男。まさに彼だった。

この補佐官の横幅のがっちりしたタイプとは対照的だったのが、三十代半ばの吟遊詩人だった。

吟遊詩人はヒト族の中でも背が高い方で、ほっそりしていた。
口ひげのある細面のベージュ色の肌の彫りの深い顔に、優しいブルーの目の光があり、全体に憂いを帯びた感じがある。フランス系アメリカ人と日本人の混血ではあるが、髪は黒かった。肩はがっちりしていて、腕も太かったのに、ブルーの中折れハットに彼の着る百合と薔薇の模様の入った緑のジャケットとジーンズからかもしだされる雰囲気はヴァイオリンを持つ詩人にふさわしかった。頸の所に、銀色のクロスのネックレスをかけていた。

トラカーム一家で、服をプレゼントされ、新調したのだ。吾輩はシーブルーのシャツに茶色のベストを着こんだ。ハルリラは吟遊詩人のよりはもう少し薄い緑の服で上から下までそろえていた。三人とも、銀河鉄道の乗客であることを示す金色のコートは手に持っていた。

ホテルの支配人は虎族だということが、吾輩にもすぐ分かった。虎族の中でもあまり人相がよくない感じがする。愛想は素晴らしく良いのだが、どこかに陰険なものを隠している。

リヨウト新大統領補佐官は平和と自由と平等を基本にしながら親鸞の教えを広め、この国を多様な価値観のある文化の国にするというのがお役目で、ティラノサウルス教にとっては面白くない人物ということになる。
我々はホテルの一室に三人一緒ということで、あてがわれたが、その部屋の豪華なことこの上ない。三人でソファーに座り、珈琲沸かしを使って、飛び切り上等の珈琲を飲んだ。天下一品のおいしさだと味わいながら、壁の大きな絵を見た。

もしもゴッホが海を描いたならば、こんな風になるのではないかというような海の絵だった。その波打ち際のよせては返す海の水に、この惑星の「呼吸」が感じられるような迫力があった。

夕食の時は 新補佐官は食堂にいる我々の所に来て、挨拶をした。外では、花火を上げる予定のようだった。天井の近くまで広がる大きな窓は透明で、沢山の星がキラキラしているし、地上のみを浮き彫りにする特殊なライトのおかげで、庭園の樹木や沢山の花が目を楽しませてくれる。

食事も豪勢で、ワインが出された。ただ、吟遊詩人のだけは特別のメニューだった。キャベツとニンジンとブロッコリーの温野菜と豆腐の料理と玄米食。多くの果物と高級なワインだけが吟遊詩人の地味な食事を宴会にふさわしい豪華なものにしたてる役柄とでもいうようであった。

トラカーム一家では肉も出たけれど、全体に菜食主義の傾向があったので、気がつかなかったが、このホテルで吟遊詩人の食事の好みにはっきり気がついた。
前から、ちらりと聞いてはいたが、この日、彼は「実は慢性胃炎なのです」と告白した。
彼は腕が太く、筋肉質であるわりには、ほっそりした体型はこのあたりに原因があるのかなと、吾輩は思った。

「ピロリ菌が私の胃の中に住んでいるのかもしれませんね。子供の頃、井戸水をよく飲んだのはいいのですけど、あとで知ったのですが、あそこの井戸水は少し汚染されていたようです」
「ピロリ菌は除菌しないのですか」
「まあ、胃もたれ程度ではね。萎縮もあるといわれてますから、いずれは除菌すると思いますよ。慢性萎縮性胃炎ということになると、胃がんのリスクも考えなければいけなくなりますから、時には、塩や肉はなるべく控えめとか、野菜と玄米と畑の肉と言われる大豆という風にしようと思うわけで、今日のようなメニューになってしまうのです。リヨウトさんは胃の方は丈夫そうですな」

「私は貧しい家に生まれましたが、不思議なことに、天は丈夫な身体を私に与えてくれました。胃は物凄く、丈夫。酒でも肉でも、何でも大量に入ってびくともしませんから、今日のようなご馳走は大歓迎ですわ。私の好きな肉も沢山ありますし」
「補佐官は激務ですからね」
「ヒットリーラ閣下によると、このような変身をとげるとは私も考えませんでした。なにしろ、私は猫族のレジスタンスの幹部だったのですから、そんな人物を補佐官にするとは、親念さまの教えはまことに素晴らしい。私も、まだ教えをうかがうようになってから、数週間なので、深い所はまだまだ分らぬ所が多いです。ヒットリーラ閣下によると、悪人という反省に至った者こそ、阿弥陀仏の救いになるという話。
私は自分のことを善人と思っておりましたから、最初は戸惑いました。
私の神はスピノザの神でしたからね。」

「スピノザの神」と、吾輩は小声で言った。
吾輩はデモ隊の先頭に立って、そういう言葉を言っていた彼の威勢の良い声を思い出した。

「ええ、そうです。この地球の哲学者は宇宙のインターネットでも知られていますし、猫族には信奉者がけっこういるのです。

確かに、見かけは阿弥陀仏とスピノザの神は違う。なにしろ、大統領補佐官になるということで、数週間のにわか勉強をしたので、阿弥陀仏はお釈迦さまの教えの流れの中ではぐくまれてきたものでしょうから、縁起の法というのが重要視されますし、『空』という思想が中核にある。そこへいくと、スピノザの神は実体ですから、外見から判断すると、まるで違う。しかし、これはわたしの直観ですが、どこか似ている。いや、殆ど同じような光を見るのです」

「確かにね。私もそんな思いがすることがある」と吟遊詩人は言った。「やはり、一番の違いはスピノザの神は人間の頭脳で考えだされた神ということです。理性でつくられた神です。
そこへいくと、阿弥陀仏は念仏の中で悟った大慈悲心の仏です。頭ではない、理性ではない。南無阿弥陀仏という念仏による心身脱落です。
ですから、阿弥陀仏をどんな仏なのであろうと、イメージで考える、あるいは理性で考えて行くと、スピノザと同じような神になるのだという気持ちよく分かります」

ハルリラが突然、言った。
「わしの魔法の異次元の世界もわしの故郷というひいき目もあるが、この娑婆世界と一枚にあるのだ。しかしそこに普通には入れない。詩人の川霧さんの言うように、もしかしたら魔法界もこの娑婆世界もその一枚【虚空】にあるのかもしれない。しかし、娑婆世界からそちらを見ることが出来ない。娑婆世界は物質でできている。わが故郷には『神秘の一本道』という魔術を使って帰るしかない」
「ハハハ、念仏も座禅も自己を忘れ、新世界【浄土】を見る一本道さ」と吟遊詩人は笑った。

「なるほど。それは傾聴に値しますな」とリヨウト補佐官は言った。
「それはともかく、大統領の価値観が良い方向に変わったということはこの惑星のこの国にとっては、素晴らしいことです。なにしろ、ぼくは猫族ですから、猫族が迫害されているのは見るにたえません」と吾輩は言った。

「レイトさまにも驚きました」と補佐官は立派な黒い口ひげを手で触ってから、言った「あの方は美人で、頭もよく誰が見ても、外見は天使のようでしたので、あのティラノサウルス教を信じているのが、私達には不思議でした。私達猫族にとっては、あのティラノサウルス教というのはどうも好みません。
なにしろ、虎族のような強者のみ人間の価値があるなどと訳のわからぬことを人に教え込むのですから、宗教の慈悲あるいはアガペーとしての愛の原理に反していることばかりなので、私は邪教と思っていました。
もっとも、このことはあまり大きな声では言えません。ヒットロリーラ閣下とレイトさまが変心なさっても、ティラノサウルス教の組織は残っています。これから、どういう風になるのか見ものですな」

「具体的にはどんなことが起きると考えるのですか」
「親念さまの考えるような、全ての人の平等という社会システムをつくる邪魔をするでしょうな。それに、宇宙と地球の宝、カント九条を全て、取り入れることを邪魔するでしょうな。あれほどの素晴らしいカント九条は地球でも長い歴史の中で沢山の人々の平和への願いと努力の結晶として出来た日本国憲法九条をそのまま世界と宇宙にも適用しようというヒト族の思いでつくられたものですから。
わが愛するスピノザ惑星協会の力を借りねばなりませんし、親鸞さまの教えは確実に広がっていますが、まだ少数勢力です。虎族の間に親鸞さまの教えがどの程度広がるかが、鍵になるでしょう。虎族ではやはりテイノサウルス教の人気は簡単には衰えないでしようから」

花火の音に、皆、窓の方を振り向き、「綺麗」というような声があちこちから聞こえた。菊のような大輪の花のようなものが夜空に広がり、散っていくかと思うと、次には沢山の大きな果物のような丸いいくつもの色の輪っかが重なり、不思議な図形をしばらくつくって、花開くという風で、そして素早く散っていく。そんな美しい花火だった。 

「食堂から、こんな花火が見られるとは、中々のホテルですな」と補佐官が言った。
「立派なホテルです」と吟遊詩人が言った。

「私も初めてなんですよ。ただ猫族の間では、奇妙な噂がある。雷がなる嵐の日に、ホテルに入った猫族は消されるという」と補佐官が言った。
「怖い話ですな」

「ええ、ティラノサウルス教というのはこの土地にある古くからの風習を取り入れているので、雷の日の嵐というのは虎族の神々の祭りの日だと言うのです。その祭りの日には、いけにえが必要だった。まあ、大昔の野蛮な風習が、このティラノサウルス教によって復活したというわけです。」
「それで、ヒットロリーラ大統領があのような親鸞さまに帰依するという演説をしたあとでも、その風習は残るのですか」
「いいえ、廃止です。その役割を担当しているのが私です。信仰の自由から言って、ティラノサウルス教を今すぐ解散させるわけにもいきませんが、悪い習慣は法律によって禁止することが出来るわけです。今までの独裁と違って、国会で審議して法律をつくるという当たり前のことがこれから行われるわけです。
全てはこれからで、私の仕事は山ほどあるわけです」

花火があがると、食堂の中にいる人々は大きな窓の方に振り向き、ため息と賛嘆の声が耳に響いてくるのだった。月のような衛星が青い夜空にひときわ美しく白い光を放っている。気がつくと、黄色い閃光と共に周囲に緑色の柳の形を表現しながら下に広がっていく大きな花弁のような花火があがる、その時には、殆ど人の感情の結晶のような音楽とでもいうべき声があちこちから響き渡るのだった。

多くの星も白い衛星も地球で見るのとは違った神秘な趣をなしている濃い青の夜空に、皆、目を向けていた。

ちょうど赤と青と黄色の花火が 暗闇の中から大きな手を広げるように花開くと、そのあとは まさに消えようとする所であった。 
一流ホテルの庭だけあって、豪華な花や樹木が美しく整然としていて、花火はその庭園の空を飾る美しい色彩の光を放つシャンデリアのようでもある。
空に花模様を描き、散っていく様子が何度も何度も繰り返され、その花火の軽やかな音を聞いていると、この日が特別の祭りの日のように思えるのだった。

しかし、祭りといえば、少し前までは、猫族のいけにえがあったのかと思うと、吾輩、寅坊は寒気がした。

「猫族の収容所は解散すると大統領は演説で言っていましたね。それで誰も死者は出なかったのですか」

「幸い、親念さまの布教が早かったので、これもみなあなた様方のおかげですが、死者はでませんでした。
ですから、宇宙のインターネットによると、地球の第二次大戦のように、ユダヤ人を六百万人も虐殺するというようなナチスのような蛮行は防げたのです。これで、価値観というのがどれほど大切か我々もしみじみと感じたしだいです」

ただ、吾輩はテイノサウルス教によるいけにえの犠牲者というのはあったのではないかという疑問を持ったので、そのことを聞こうか迷っているちょうど、その時、そこへ中年の女が入ってきて、我々に近づいてきた。
この女は高級軍人の妻で、リヨウト補佐官の知り合いのようであるが、見るからに金持ちの虎族の奥様という感じがする。耳に金のイアリング。ネックレスはダイヤ。虎のような黄色い大きな鼻には、銀のピアス。腕には、いくつもの宝石のついたブレスレットをはめている。
ひとの噂話が好きで、人は悪くないが、軽薄な感じのする女という雰囲気が年のわりに派手な服装と喋り方から伝わって来る。

「あら、リヨウトさん。あなた、レジスタンスの幹部でしょ。こんな所にきていいの。
消されちゃうわよ。特に雷のなる嵐の日にはね」
「わしは大統領補佐官になったのですよ」
「あら、御冗談がきついわね。あなたは貧乏だし、それにわたしのような影のサポーターがなかったら、とっくに消えて今頃はここにいない筈ですよ。あなたは猫族の幹部でしょ」
「ここに座らしてもらうわね」

彼女は リヨウト補佐官には特別な感情を持っているらしく、丁寧な口調ではあるが、相手によっては、夫の地位を鼻にかけて、どこへ言ってもいばりちらすという風に言われている女である。

リヨウト補佐官は大統領演説の内容を説明した。
「ふうん。そうなの。
それで、おかしなことがあるのよ。ここへ来る前に、天気予報をきいてきたのですけれど、今日は夜半から天気が急変するという話ですわ」
「急変」
「雷鳴がなる嵐ですわ。だから、私はあなたに警告にきたのじゃありませんか。少しは感謝しなさい。そちらの方は銀河鉄道のお客さんのようですから大丈夫のようですけど、リヨウトさんは私の古くからの友人ですからね。 わたしが一人で寂しく今晩はここに泊まろうとしたら、リヨウトさんがいると聞いて飛んでご忠告にきたのですわ。でも、そんな大統領令が出たとなると、リヨウトさんはご無事ということね。それで、あちらに三人も猫族の方がお食事されているのね」

見ると、猫族の親子のようである。中年の父親と六才くらいの息子が談笑しながら、食事をしている。

この虎族の奥様は我々が座っている椅子にかけてある金色のコートに視線を向けて言った。
「それにしても、こんな所に大切な金色の服を置いて、食事をなさるとは無作法ね。支配人も気がきかないわね」と彼女は言って、手でパンパンとたたき、ボーイを呼んで、金色のコートをあずかるように言った。
「アンドロメダ銀河鉄道のお客さまであることを示す大切な服をあずかるのもホテルの役目ですよ」
支配人が飛んできて、彼女に「気がききませんで」とあやまっていた。謝る相手が違うような気もしたが、それだけ、彼女のホテルでの威力を感ずることが出来た。

                  【 つづく 】




(紹介)
久里山不識のペンネームでアマゾンより
  「霊魂のような星の街角」と「迷宮の光」を電子出版(Kindle本)
http://www.amazon.co.jp/

緑の風  12  [珠玉の価値観 ]

2022-05-06 20:08:40 | 日記



22 珠玉の価値観

 吾輩が最初にレイト夫人を見た時の印象を書き留めておかねばなるまい。
カチさんがレイト夫人を親念のもとに連れていって、彼女が感激した話はしたと思うが、こういうことはそのあと、しばしばあったわけではない。
立場上、彼女は忙しかったということだろう。
その忙しい合間に、我々は彼女と出会うという幸運を得た。
そこはホテルの大広間だった。
彼女は吾輩を見た時に、にやりと笑った。吾輩が猫族だったせいかもしれないという直感が頭にひらめいた。
しかし、その彼女の微笑がなんともいえないものだった。微笑と言えば普通相手に心地よい感じを与えるものと相場が決まっていると吾輩は思っていたのだが、この人の微笑には魔性が潜んでいると思えるような感じが悪いものだった。さすが、独裁者ヒットロリーラを陰で操るというご婦人だけのことはあると吾輩は思った。しかし、彼女がカチの方を見ると、彼女からその魔性は消え、普通の母親に変身してしまうのだから、不思議といえば不思議、当たり前と言えば当たり前というべきか。
しかし、このレイト夫人にカチが学んだ親念の教えが徐々に吹き込まれていくことによって、レイト夫人は良い方向に変わっていく。人間というのはこんなに価値観によって、変わりうるものなのか、肌身で知ったのは驚きだつた。

吾輩とハルリラと吟遊詩人はトラカーム一家にしばらく滞在していた。我々はカチさんとトラーカムさんと一緒になって、親念の教えを勉強した。そしてカチさんは自分の母親である大統領夫人のレイトの所に足しげく通い、レイト夫人の変貌ぶりを我々に話してくれた。
それ以外の普段の時の我々は、広いバルコニーの長椅子に座り、読書したり、遠くの丘陵の見えるひろびろした緑の景色を楽しんでいたが、時々、丘陵の向こうの海岸にまで散歩することがあった。
そして、岩の上に乗っかり、ぼんやり海の響きを聞いているのが三人とも好きだった。

ある時、吟遊詩人は言った。
「戦争は人を愚かにする。やることも残虐になる。沢山の市民が犠牲になる。人間の理性は科学を発達させたが、同時に兵器も発達させた。ヒトが生き延びるためには軍縮しかないのだ。ヒトが生き延びるためには、日本国憲法の第九条をモデルにしたカント九条を宇宙に広めていくしかないのだ。昔のように、向こうが拳固をふりあげたから、こちらも拳固を振り上げるという子供の喧嘩みたいな発想は捨てるべきなのだ」
「そうだよね。戦車や軍艦を見て、恰好いいという感覚を捨てるべきだよね。聖書にあるように、野の百合の花の方がずっと美しくかっこいいのさ」とハルリラが言って、高笑いをした。「俺のような武人がこんなことを言うとは俺も変わったものだ」
「そうだよ。軍縮が人類を救う。軍拡を続ければ、必ず戦争になる。そして、近代戦は勝っても負けても破滅的な危害を市民に加える」と吟遊詩人が言った。

「ここのトラカームさんとこで見た、映画「戦場のピアニスト」を見ると、つくづくそう思いますね」とハルリラが言った。
「あれはいい反戦映画ですね」と吾輩は言った。
「建物の中から、沢山のユダヤ人を引きずり出し、男も女も後頭部からピストルで残虐に殺していくナチスのドイツ軍人を見たあと、別の善良なドイツ人もいたということは救いでした。主人公であるユダヤ人の名ピアニストが逃げ惑い、腹もへり、衣服もぼろぼろというみじめな姿で、ある廃墟の群れの一角にある、焼け残ったビルの中の屋根裏で、食糧をあさっていると、かなり、階級の高そうなドイツ軍人が『そこで何をしている』と静かに問う。ピアノがこのビルの中にあったので、それを弾いていたのだろう。主人公がピアニストであることを告げると、将校は弾いて欲しいと言う。主人公の演奏に将校は感動して、食糧を与え、寒さにたえるためのオーバーを与え、もう少し、我慢すれば、君を解放してくれる軍が来るという意味の情報まで知らせてくれた。沢山の残虐なことをしたナチスの中にそういう良い軍人がいたというのは救いですね」と吾輩は言った。

「そのドイツ人をそういう気持ちにさせたのはショパンの音楽でしょう。文化こそ人の価値観を良い方向に変える。親鸞聖人の価値観がまるでショパンの音楽のように、大統領の心の中に入り込んだのだ」と吟遊詩人が言った。
「彼が心を入れ替えてくれるということもあるのかな」とハルリラが言った。
「近いうちに大統領演説があるそうだ。」
「大統領演説」
「そう」
「猫族の人達に対する迫害もこれで終わる。そうすれば、我々は銀河鉄道に戻り、次の旅に出ることになるな」
「次はどんな所かな」とハルリラが言った。
「宇宙は広大だ。わが銀河系の天の川は二千億の星の集まり。つまり、二千億の太陽があるというが、アンドロメダ銀河は一兆個の太陽があり、生物が住める惑星もそれは無数にある。いい惑星もあれば悪い所も」
「気が遠くなるほどあるんだね」とハルリラが言った。
「地球よりももっと住みやすい惑星があるんだそうだ。ここも気候はいい。空気もいい。悪かったのはヒットリーラの政治だけだった。しかし、それも親鸞の教えによって、価値観が引っくり返され、今度の大統領演説が楽しみだ」
「良くなるんですか」
「良くなる。もうすぐ平和が来ると思うよ」と吟遊詩人は微笑した。
「ハルリラさん。この国が良くなるならば、士官の道はどうですか。トラカームさんあたりに口をきいてもらうとか」
「確かに、士官もいいがあなた方と一緒に旅することに興味を持つようになったのですよ。ラーラさんはコリラ君という良い伴侶が見つかった。ここにいて、恋人を探すのもいいが、あなた方の旅にも魅力がある。その中で自然に伴侶が見つかったら、その土地で士官をするということにしました」

「ドミーさんはどうなったの ? 」
「ドミーさんは解放されて、永遠平和を願うカント商店街で書店兼カフェーで働いているそうだ」
「ああ、そう言えば、カント九条と永遠平和を宇宙の惑星にという標語のもとに、最近カント商店街と改名した所が話題になっている。あそこは道路の突き当りが高い階段になっているから、馬車が通れないために、道路がまるで細長い公園のようになっている。ヒトだけが道を歩き、カフェーでは戸外の椅子に座り、静寂と美しい太陽の光を楽しめるというわけだ。以前から人気のあった所だ」

それから、我々は沈黙して、海の波の音を聞いた。夕方までぼんやりしていた。
日が海に沈む姿は荘厳だった。真紅の太陽が水平線に近くになるにつれて、青かった空はあかね色に変わり、そして、徐々にその淡い色から濃い色に変化していく、それを見ていたハルリラは腰から真剣を抜き放ち、「こんな武器のいらない惑星が見つかったら、俺のような武人でも海と溶け合う太陽に永遠を感じることがあるかもしれない」と叫んだ。

帰り、緑の丘陵の上を歩き、ちょっとした買い物のために市街地に寄ったら、猫族のデモに出会った。
茶色のジャケットを着た猫族の男が先頭に立って、声をあげている。猫族としては、虎族なみの体格を持った男である。目は丸く、黒い口ひげがピンと左右に伸び、黄色い温和な顔をきわだたせている。
「スピノザの神をたたえよ。たたえよ。スピノザ。大自然の中に見る神。 
かぐわしい草花があたりに緑のじゅうたんとなる頃、タンポポの花が咲く。そして、樹木の上には梅の花から、桜の花へと、満開を楽しむと、それはやがてひらひらと地上に降り、土色の大地は雪が降ったように、白くなる。その白さの中に春のいのちのピンクが見えるのは何という美しさだ。スピノザの神はこのピンクのようなものだ」
「やがて、吹く風。降る雨。それらと一緒に散っていく春よ。
そして、美しい恒星の光がわが惑星にこの世ならぬ光の束をもたらす。
おお、この光の中に、スピノザの神を見る」と、若い女が男の後ろから大きな声をあげた。ジーンズと緑のカーディガン、それに赤いベレー帽をかぶった女だった。
「どこからか響く、ヴイオロンの響き。その旋律の中にスピノザの神を見る。
雷がなり、ざっと降る夕立のあとに、天空にかかる虹の橋。そこにスピノザの神を見る。
自然は神そのものだ。
自然は神が姿を現わしたものだ。
五月になると、草や木が成長しあたりが新緑に覆われる
その緑の木陰に身を寄せて 小鳥たちは楽しげに鳴いている、この小鳥たちの生きる喜びに、スピノザの神の声を聞く者は、新しいわが惑星の門出を信じるだろう。歌えよ。奏でよ。生きることだ。我らもその神の一部なのだから、この喜びを共にわかちあおうではないか」と先頭の男が言ってから、プラカード「信仰と思想の自由」を大きくかかげる。
同時に、後ろの女は「カント九条をこの惑星にも根付かせよう」というプラカードをかかげる。その後ろには、「表現の自由」のプラカード。その後ろには、「基本的人権の確立」のプラカードという風に続いている。

「スピノザはあの男達の精神のよりどころだったのだよ。それだけに、ティラノサウルス教という邪教には我慢できなかった彼らはスピノザに夢中になったのだと思うよ」と吟遊詩人は言った。  
「自然イコール神ということなんでしょ」とハルリラが言った。
「そうか。我々がご来光に手をあわせる気持ちと同じだね」と吾輩は言った。
「神という実体が形を現わしたのが自然と意識ということになるのかな。スピノザは汎神論だな。仏教は真如という風に言うこともあるが、スピノザの神と真如はイメージは似ているが、まるで違う」と吟遊詩人は言って、微笑した。
     
それから、数日して我々はトラカーム一家から少し離れた広場のオープンカフェの椅子に座った。吾輩はブラジルコーヒーを注文したが、吟遊詩人はキリマンジャロを注文した。ハルリラはしばらく迷ってから、ビールを飲むことにした。広場には、多勢の観客が集合していた。周囲のカフェーの椅子に座る者。広場に沢山並べられているベンチに座る者。みな、前方の大統領が現れる演壇に注目していた。

「大統領演説が始まります」という女のアナウンサーの声が聞こえる。ヒットリーラは自慢の小判のような山吹色のふさふさした髪の毛を殆ど切り落とし、黒っぽい肌が露出した頭になって、顔も黄色い髭をそってしまったので、まるで卵と岩のコラージュのような顔になって、テレビに登場した。

ブルーの帽子に、山吹色の民族衣装を着た大統領は演説した。
「皆さん。私は悪人だった。ティラノサウルス教を信じ、強者こそ、生きる価値のある者で、天国も強者のものと思っていた。
強ければ、悪いことも許されると信じた。そこで猫族の人には大変、申し訳ないことをした。不幸なことであったが、最悪の結果は避けられている。収容所ではいまだ強制労働だけで、死者も病人も出ていないということだ。今、ここに直ぐ解放することを宣言する。彼等には医療と年金を与える。
わしは悪人だった。しかし、親鸞さまはその悪人と自覚した者こそ救われるとおっしゃつてくれた。本来ならば、わしは地獄に行っても、当然の男だが、そういう悪を身にまとったわしのような心の貧しい男を救ってくださるのが阿弥陀仏だと親鸞さまはおっしゃった。わしは阿弥陀仏に帰依する。」
そこまで言うと、大統領はコーヒーを飲んだ。この国はコーヒーが飲料として盛んにのまれる。そのせいか、吾輩の飲むのも天下一品、うまい。
それに大統領のコーヒーカップは、茶室で使われる黒楽茶碗のあの渋みのある肌の黒色だった。

大統領はそこまで言うと、一呼吸してまた始めた。
「わしの悪人としての自覚とこの阿弥陀仏の救いへの感謝への気持ちとして、全ての民族の平等、信仰の自由、表現の自由、基本的人権、戦争の放棄が書かれたカント九条を含む平和憲法を取り入れる。

こうして、わしは隣の国と文化交流それから、芸術交流をしていけば、国民と国民が理解し合える。そうすれば、軍備など最小限で良いということが分かった。残った金は福祉にまわせる。
確かに、今の状況では、隣の国の軍備増強は気になる。しかし、軍拡は間違いだ。
お互いに軍拡を続ければ、いずれは戦争になることは目に見えるようだ。
隣の国民もこの軍拡が間違いと気づいてくれれば、軍縮にいくように政府に働きかけるであろう。そのためにも、国民と国民の文化交流が大切だ。スポーツ・芸術ありとあらゆる文化活動そうしたお互いの交流が、人の心をなごませ、大きくする。そのことによって、国民がお互いに理解し合えれば、軍縮は可能になる。そして、我々の国と隣の国は平和共存できるという確信を抱くようになる。」

大統領は帽子を取って、テーブルに置き、コーヒーに少し口をつけた。
それから、手を合わせ、しばらく目をつぶった。瞑想なのだろうか、ティラノサウルス教ではこういうことはしないというから、画期的なことである。そして彼はおもむろに、再び話し始めた。

「親念さまには感謝する。なにしろ、あの浄土から還相回向によって、舞い降りてきたといわれる素晴らしいお坊さんである。
私は以前は、できの悪い者、煩悩深き凡夫が神仏によって救われることはあるまい、わしのいきつく先は地獄だ。しかし、わしはそんなものは信じない、と思っていた。そして、猫族の人達を迫害した。

私は自分の悪に苦しむ心もないわけではなかったが、わしは開き直り、ますます悪の道にまっしぐらで、猫族の人達をいためつけようとすら考えていた。心の底では、自分のことを救いようがないとは思っていた。
そういう時に、
親念さまは 仏さまは、悪人と自覚し反省した凡夫をまず救ってくださるという。こんな教えに出会ったのは初めてで、わしは生まれて初めて、感動した。
わしの心に、悪を自覚する心が残っていたことは驚きで、手遅れにならない内に、わしの全ての悪い行為は全廃することを誓ったのだ。
阿弥陀仏に包まれていることを知ると、不思議にわしに慈悲の心が湧いてくる。
猫族の皆さん、まことに申し訳なかった。ここに民主主義にもとづく大統領選挙をあたらしく始めることを宣言する」

そのあとの、大統領の演説が終わった時の一人の記者の質問も衝撃的な内容だった。
「隣国が軍拡をしているのに、わが国が軍縮をしたら、軍事バランスが崩れて、隣国の強硬論の勢力によって戦争が引き起こされるのではないか」
「それは分かる。だから、軍縮は同時にするものだ。何事も過渡期というものがある。その間は、最新鋭の防衛力と知略を使って我が国を守る。その間もカント九条を全面的に取り入れて、平和を訴えていく。その方が説得力があるではないか」

いつの間に、レイトが大統領の横にいた。トラーカムは見て、驚いた。一年前に見た時も、昔の天使のような美しさは年のせいか、掻き消えてしまっていた。昔の美人の顔立ちは残っていても、顔に品性もなくなっていたのは中身が年齢が上がるにつれて、にじみ出してきたに違いない。吾輩が見たあの魔性の微笑もその名残りだつたのかもしれない。
この日の彼女は微笑していた。地獄から生還した喜びがあるとでも思えるような不思議な微笑だった。

大統領の演説の内容はトラーカムにとって、奇跡としか思えなかった。価値観が正しい方向に転換することによって、この惑星にも奇跡は起きたのだ。
地球の歴史で、第二次大戦に起きたナチスの野蛮なことが、この惑星で再び行われる危険性があったにもかかわらず、親鸞の教えにある素晴らしい価値観への転換によって、危険は回避された。

地球のナチスの残虐さはこの惑星にまで、知られていた。なにしろ、六百万人のユダヤ人の虐殺。人間はここまで残虐になれるのかと、絶望的な気持ちになるほど、善の仮面をかぶったナチスの蛮行はひどかった。
それがこの惑星では、回避されたのだ。

こうして、我々は大統領に感謝され、この国の一番のホテルに招待された。
吟遊詩人が言った。
「良い価値観への転換が争いのない社会にするために必要だということがこの惑星での経験でよく分った。僕も随分勉強になったよ」
「本当にそうですね」とハルリラが言った。
吟遊詩人はうなずいて、ヴァイオリンをかきならした。
そして、一呼吸置くと、歌を歌った。

ふと思う、旅の悠久の流れ
人間社会の善だの悪だのと争うことも夢のよう
ピストルと排気ガスは消え、わが山荘に、梅のような花が降っている、
そこで、永遠の古典を読み、神仏の空気を吸おう、

  街角は花壇にあふれている、果物と音楽
  ベンチで人が微笑し、やわらかい雲が塔をつくっている
  私は歩いている、無一物で歩いている
  向こうから、友が来る、無一物でやってくる

  おお、友よ、ここに透明な田園と森をつくろう
  そしてどこからともなく訪れる妖精の国としよう
  汚れのない、砲弾のない、花のような、宝石のような街角
  人が永遠を食べることの出来る町をつくろう
  空気がおいしい街角、呼吸して霊気を感じられる街角があれば
  太陽が神である街角、友よ、そのカフェーで珈琲を飲もうではないか
 

               (つづく )