Walking Holidays ~ニュージーランド編~

大好きなトレッキングを中心にニュージーでの生活を綴ります。なのでWorkingではなくWalking Holidays!

山フェスティバルからもらったコト。

2012-11-04 | かなのカナダ暮らし。
Banff mountain festivalも最終日を迎えました。

全体を通して、期待していた以上に行く度に自分の好奇心を満たすものが獲られて本当によかったです◎

今日も、まずはナショナルジオグラフィックのワークショップで刺激を受けました。

そして、オーストリアの女性登山家ゲルリンデ・カルテンブルンナーさんのバックパッキング講座というのにも参加。
まずこの女性、超人です。女性にして初の無酸素8000メートル峰全14座の登頂に成功した人。
日本では女性登山家といえば田部井淳子さんが有名ですが、そのさらに上を行く人でしょう。

しかし実物に会ってビックリ。
言われなければ、とても死と隣り合わせの冒険をしている人には見えない、柔らかそうな雰囲気の人。かつては看護婦さんであり、お金を貯めては登山の遠征をしていたとか。
そんなスゴイ人とこんな近距離でQ&Aができるなんて。知らないからいいや~、と数日前の彼女の講演に行かなかったのをちょっと後悔しました。

彼女が「私はラッキーだった」と何度も口にしていました。
どんなに準備して用心しても、予想もしないハプニングが起き命を落とすことに繋がりかねない8000m級の世界。そんな話を聞くと、やはり8000mの世界はまだまだ怖くて、実現したい夢に掲げることすら躊躇してしまいます。

そして、南極横断のフィルムもありました。
「え!」と見ていてビックリしたのが、南極はある意味で、遠征をしたいチャレンジャーにとって「整った場所」であること。

1、「南極遠征の行程の相談にのりまーす、サポートしまーす。」っといった感じのエージェント(?)があること。南極にオフィスの建物がありました。そして人も建物内にいっぱい。クリスマスには騒いでいるではないですか!・・・私のイメージする厳しい南極隊のイメージが崩れた瞬間 笑。

2、「南極点はあちら」と書いてある道路標識みたいなのがある(笑。
冗談かと思ったら本当でした。そして南極点の上には、よく山頂にあるような記念柱のようなものが立っていて、その周りをぐるぐる回って喜ぶフィルムの主役達(笑)。
・・・・あれ、吹雪の中がんばって国旗なんかを「エイッ」て刺すんじゃないの?・・・またしても私のイメージが(笑)

それでもやっぱり歩くのは自力。
そして南極の厳しい環境、猛烈な吹雪は変わらない。


8000m級の山よりは、南極歩きの方が今のところやりたいかな。


自分の知らないアクティビティ、山のこと、世界のこと、組織のこと・・・。
まだまだ知らなかった世界にたくさん触れられ、吸収できた1週間でした。

そして、このロッキーで過ごしてフィルムフェスティバルに参加できたことは、
フィルムに出てくる壮大な自然の世界が、もはや遠いどこかの国の話ではない。
そう、外に出れば同じような景色が広がり、リアルに感じられるいうこと。
それはお金では買えない貴重な経験となっています。

登山という文化が身近なだけではなく、日本では気づきにくい地球規模の環境異変も身近に「リアル」に感じる場所です。

そうそう、同じような岩山でもヨーロッパの山々、ヒマラヤの山々、それぞれの地域ではやっぱり違う。
世界にもっと旅立ちたくなりました。




Hapiness:ブータンよりバンフへ

2012-11-01 | かなのカナダ暮らし。
バンフ・マウンテンフェスティバルで一番気になっていたイベントへ行ってきました。

それは、
「Hapiness: from Bhutan to Banff」

科学者であり、環境問題の活動家であり、セヴァン・スズキの父でありというDavid Suzukiとブータン王国の王室秘書(何と訳せばいいのでしょ・・・まあ、国政に従事している方には違いないです。)のDasho Kinley Dorjiの対談でした。

今年の前半、日本にもブータン王国のプリンスとプリンスセスが来て話題になりましたね。
そのとき一緒に話題になったのが、国民総幸福度(GDH).

今宵はそのGDH
とは何なのか、ブータンが考える幸せってなに?といったテーマで話が展開されました。

と、その前に、驚いたのが対談のセッティング。
さすが日本と違う、オシャレだ!まるでテレビのショーのセッティングのように。

二人の背後には障子風のつい立てをセット。後ろから間接照明があたりイイ雰囲気を醸し出している。
二人はホテルのラウンジにあるようなカウチに向かい合わせで腰掛け、ステキな電気スタンドがたった丸テーブル越しに対談。
分かりやすく例えるなら、『徹子の部屋』のようなセッティングが舞台上にされたってかんじでしょうか(笑)。

◎今日の印象に残った言葉、キーワード◎
・「私はwealthy manとして死ねる。」スズキ氏の父が死が近くなったときに言った言葉。
決して物質的な財産に富んでいた訳ではなかったけれど、お父さんは友人、隣人、家族など人とのつながりを大切にし振り返ったとき、死の直前そういう風に言っていたそうで、suzuki氏にとっても衝撃だったそうです。

・「自分にとっては(カスタマイズしつづけて落ち着く家は)pricelessなもの、けれど不動産屋にとっては(手が入りすぎた家は)worthlessなんだ。」
by suzuki


・「幸せとは達成するものじゃないんです。」by Kinley



今回、英語で聞いていて思ったことは、Q&Aの時に「どうしたら幸せになったって気づくんだ?」「今日、幸せに暮らそうと目標において生活してる人がいるでしょうか?」
など、ゴールがクリアじゃなきゃモドカしいよー症候群と命名したいくらい、西洋の価値観ってクリアにしたがるんだなーっと。

といいつつ、「正解は一つ」「○○を達成する」「目標を掲げ、それを達成すべき」のような概念って日本でも当たり前、自分もそういう考えにすごく影響されていると、改めて実感。

今日、ブータンのDorjiさんが言っていた「幸福」とは、追い求めて達成するものではない。もっと内面で自分に問い確認していくもの。

ただ、ブータン王国でも、ブータンの掲げる「幸福」とはこんなもんです!!っという確立したものはまだないそうです。


個人的な感想として、「幸福」とは自分の内面で問うていくものだとしたら、それは自分を精進していく一種の修行のようなものだなと思いました。
だって、人と比べた時点で「ああ、自分にはあれがない、足りない。もっと欲しい。」などという考えが未熟だと溢れてくると思うのです。
自分の中で絶えず問答していくということ、それは螺旋階段をグルグル上がっていく感じで気づいたら高まっているようなものなのでしょうか。


最近自分の中での節制キャンペーン標語が「知足」なのですが(笑)、まさに「
足るを知れー!」ってことは高い「幸福」度に繋がるキーなのかなと思いました。
そして感謝の心を持つ、心に余裕を持つなど、やはりブータンだけあって仏教的な考え方の影響を受けた「幸福」なのだと思いました。

「measure」「achieve」「complete」
英語で聞いていたからこそ自覚し耳障りに感じたのは(笑)、人って(西洋の価値観にどっぷり影響されている人々だけ?)、
どうして一つの物差しではかりたがるのだろうか?どうして、「達成or達成できなかったら無意味」というようなゼロサムの考え方になってしまうのだろう?
日本語では無意識だったけど、そんな考え方だったら、そりゃストレス溜まるわなっと再認識(笑)。


幸せとは感じるもの


そう言ってしまえば、漠然すぎるようにも聞こえるけれど、
そうだよなーっと思う今宵でした。


ブータン、行ってみたい国の一つです。




























Banff mountain film festival Day2

2012-10-29 | かなのカナダ暮らし。
フィルムフェスティバルで、「ヒマラヤ・ソング」という作品と「Nomadic Nights]を観ました。


ヒマラヤソングは、伝統的な楽器を使ったショーを予想していたら、違った(笑)。

インド系アメリカ人の女性二人と中国系アメリカ人のトリオが、電子楽器を使用し演奏。
その演奏の間に一人の女性が物語を語り、映像が流れる。

物語は、ヒマラヤ地域出身の亡きお母さんが2050年を生きる娘にかつてしてくれた話いった設定で
話が進められていった。

「ヒマラヤはかつてこんな感じだったけど、氷河が溶けて洪水がおき、周辺の村の人々を多く飲み込んでいったの。」
何かのニュースで使われた映像なのでしょうか。語り部の後ろのスクリーンには、氷河の氷溶けで起きた突発的な洪水に巻き込まれる人々。

そしてお母さんも里帰りしたとき巻き込まれ、帰らぬ人になってしまった・・・。

ARTを通して環境問題が語られた作品でした。

個人的に、電子音楽や電子映像(?)は苦手なのですが、素晴らしいコンセプトだと思いました。

自然環境、環境問題に関心のない人にも関心を持ってもらい、エコ・フレンドリーな行動を取ってもらうようにするには、
どんな媒体や方法で引きつけることができるか。それが自分のテーマであり、大学院でも勉強をしている訳ですが、改めて
アートのチカラって偉大だ!っと感じました。

アカデミックな分野では、感情的に語ることは、一人の主観で語ることになるので御法度ですが、人の心に伝えようと思ったとき、「 I(アイ)」の考え・メッセージを伝えることって、受け入れる人、受け入れない人と分かれますが、強く心に響くものだなあと、改めて思いました。


後半のフィルムは、ヒマラヤ地域で暮らす「ノマド(遊牧民)」の暮らしを追ったドキュメンタリー。

感想;資本主義や物質主義の世界にさらされ、その価値観を知ってしまった遊牧民の人たちにとって、遊牧式の暮らしは負担と感じる部分もたくさん出てきているんだ、
ということ。

都会に出ればお金が稼げる。お金が稼げる職業にも就くチャンスがある。だから子ども達は街に行かせたい。
けれど、自分たちはたとえ行ったとしても、ガテン系の仕事にしかつけないだろう。羊たちとの暮らしは好きだ、けれど都会に出ればもっと稼げる仕事がある。

印象に残ったのは、
彼らは家畜が逃げないように石を積んで石の囲いの柵を作っている。
それを、毎日家畜を外に出したり中に入れて閉じ込めるために、崩したり積み直したりしている。

彼らの生活は移動式の生活。それを全て崩せば後には何も残らない。
だから、自然に対し負荷もほとんどなく、理にかなった生活なのじゃないかと思っていた。

けれど、フィルムの中で言っていました「俺は毎日積んだりおろしたりしている。後に残らないから空しい仕事だ。これが毎日積み重なっていく仕事だったら、今ごろ大邸宅になっているはず。」と。

この修行のような「やっても達成感を感じられない労働の空しさ」って人間が根本的に持つものなのかもしれない。
けれど「移動」は彼らの暮らしの根本にあるものだから、最後はゼロに戻るのは当たり前。なので、上のセリフのようなこと昔から思っていたのだろうか。


彼らのテントの中には、街でも売っているような物がたくさんあった。
どうも自分の持つ固定観念では、ノマドライフって、持っているものは最低限のもので、いつでもさっと移動できるのかと思っていた。

けれど、現代を生きるノマドの生活には、たくさんの品物が街から入ってきて、引越準備も大変そうだった。

資本主義や物質主義の価値観って、ほんと人間にとって、甘い蜜のような強い力を持つものだと実感。
























Banff mountain film festival @ Banff

2012-10-28 | かなのカナダ暮らし。
バンフ・マウンテン・フィルムフェスティバルが総本家(?)、バンフで始まりました。

頂いたチケットで早速、一日目夜のショーを観てきました。

観ていて思い出したのは、

そういえば去年、このフェスティバルが日本で開催されるとき、行ってみたいな~と思っていました。
その時は「え、バンフ?カナダのロッキーあたりにあるんだっけ?」といった感じでした。

まさか翌年、そのバンフに、しかも会場から10分くらいのところに住むとは思ってもみませんでした。

そして、

ロッキーの中で生活することで、今まで本やテレビなどに載っている雄大な山々の景色を「(ブラウン管などの)向こうの世界」だと思っていた
世界が、今は現実として感じられることを実感。


スクリーンに流れるアルプスの光景、ヒマラヤの光景も、
「ああ、きっとロッキーの光景の延長線上みたいなものか」と思えるようになりました。

今までリアルに感じられなかった地球の一部のエリアが、リアルに感じられる範疇に入ってきてくれたこと、それに改めて気づき、感激しました。

自分の身体全身で体感することで、はじめて分かることがあると思います。
はじめてその様子を自分の言葉に変換できるのだと思います。

こんな景色を常に目の当たりにしていれば、地球の環境変化も目に見えて分かるのだと思います。

私は今年の一時期を過ごしているだけなので、自身のカラダを通して以前と比べることができず、長年住む方々の持つ危機感は私には分かりません。

目の前にある氷河が以前と比べてこんなに後退している。
展示物を見るけれど、正直私には「ヤバいじゃん!!!!」と深刻に思うほど感じられません。
それは、やはり繰り返しになりますが、自分の目でその経過を見てきてないので、今の結果だけみてもワガコトには思えないのです。

え~、なんでフェスティバルの話から環境問題の話に脱線したかというと・・・

seeing is believing が大切だということ。

そして、
温暖化などの環境問題って本当は地球人全員、特に先進国の人間が考えないとならない。
けれど正直、都会に住んでいると、氷河が溶けているなんて異次元の話でリアリティーを持てない。
ただ少しでも考えなきゃと思うなら、自然を観にいくことって大事なのかなって思うのです。別に氷河じゃなくて良いんです。裏山だって、田んぼだって。
もちろん旅行で色々な地域や海外に行くのも良いと思います。

別に環境問題なんて・・・とかったるく感じるなら、そんなこと別に考えなくてもいいと思うんです。
ただいつも見ない自然に目を向けてみるだけで。

そうすることで、自分にしか見えない世界、自分にしか感じられない世界があると思うのです。
seeing is believing. 自分だけが語れる真実が。

もし見続けることでおかしな変化を感じたら、環境問題に関心を持ってみる。

その時は今までと違って、本当に自分の近辺で起きている問題だとリアルに感じられるのではないのでしょうか。

長々書きましたが、
言いたいこと!それは・・・「せっかく地球に住んでるのなら、地球を感じに出かけよう!」
                                                         以上。












Being Banff Local

2012-10-25 | かなのカナダ暮らし。
改めて、私はカナダ・アルバーター州バンフに暮らしています。

バンフはロッキー観光の中心地です。


世界中から観光客が来るのはもちろんのこと、世界中からワーキングホリデーやワーキングビザを利用して
働きにくる人々も多いのが特徴です。そして、たいていは一人でやってくるのが特徴だそうです。

私もその一部ですが、たいていは観光業の仕事についています。
まあ、バンフ全体が観光で食べているような街です。

なので、バンフ市が外部から移動してくる人々を対象に、バンフをまずはよく知ってもらい、
知識を持ってから、観光客に対応してもらおうということで、「Banff Ambassoder Program」という事業を行っています。

私も友人に教えてもらい、つい先日参加。

パート1、パート2と分かれていて、
パート1ではスライドでバンフ国立公園の歴史やバンフの見所をざっくり説明してもらいました。
その他、この事業を行っている「Banff Life」という部署(?)が行っている外部から一人でくる若者たちをサポートするその他様々なプログラムの紹介もありました。
例えば、仲間を作ろう!!という「スパゲティーnight」とか。
そして、最後にはバンフ市民としての誓いをみんなで宣言(笑)。

パート2はバンフを知ろう実践編です(笑)。
通常の観光客に混ざり、通常70ドル近くする観光ツアーに5ドルで参加できるんです。
私はバンフ&レイクルイーズを回るツアーに参加しました。


その他にも、
バンフの街中で買い物するとき、「ローカルです」といえば若干の割引をしてくれる店がけっこうあったり、オフシーズンの今は、各ホテルやレストランが「ローカルスペシャル」と題して様々な特別メニューを出して暇な席を埋めようとがんばっています(笑)。
ちなみに、この前友達と普段はお高めのレストランにローカルスペシャルを食べに行きました。


物価の高いバンフ。
こんな広大な大地のカナダですが、国立公園内の限られた土地を人が利用しているので、賃料も驚きの東京・銀座並み。
聞いた話に寄れば、一軒家を買うなら1億円台はするとか・・・。

ローカル割りはありがたいものです。