先日『モーターサイクル・ダイアリーズ』で
ガエル・ガルシア・ベルナルにやっつけられているシウ。
ここのところ忙しくて映画館にいけないので
DVD鑑賞でガエル・セクシー君に再会。
あの『バベル』にも出ていたんだけど
その時はあまり気にしてなかった。
良い役じゃなかったからかも。
たしかに衝撃的。
昔からよく言われる教会の腐敗。
こうしてみると教会というのは何のためにあるのだろうって思う。
でも多くの貧しい教区民たちが
心の拠り所としているのを見ると
やはり必要なんだろう。
教会とそこにいる神父様たち、という形がそろっていることが大切で
それを救いに自分の心を保っているのだ。
だからその神父様たちの本質がどうあろうと
極端な話、関係ないのかしら。
謎なのは
この作品が『ラブストーリィ』と分類されていたこと。
若き神父と少女の禁断の愛・・
それは違うよね。
アマロ神父と少女の間には“純愛”なんか1つも無かった。
この作品は完全に貧しいメキシコの色々な問題と
汚いお金だろうとなんだろうと教会に寄付されたものは良い。
と言い切る司教と、
逆にどっぷりと貧困な農民たちの生活に入り込んでしまうと、
結局はゲリラの手伝いをしてしまわざる得ない神父と、
そんな聖職者たちの物語。
少女の方には愛情があったけど
アマロ神父の方には少女への愛情なんかないし、
最初から肉欲の対象でしかなかったと思う。
ガエル君の素敵なお顔だから
アマロ神父への同情も沸いてきちゃったりしがちだけど
アマロ神父って実は人間のクズなのだった。
自分には才能があるから
多くの人を助けられる。
そのために君1人を犠牲にするのは
神様も認めてくれることなんだ・・・
君1人・・っていうのが
時として“その人々”だったりする。
そういう勘違いをする人種。
偉い人にはなんと多いことか。
ま、そういう物語とは別に。
ガエル君と少女のラブシーンは必見。
男の人のどこに弱いって、
“手”に一番弱いシウには大満足の1本でした!
モーターサイクルダイアリーズのガエル君。
ガエル・ガルシア・ベルナルにやっつけられているシウ。
ここのところ忙しくて映画館にいけないので
DVD鑑賞でガエル・セクシー君に再会。
あの『バベル』にも出ていたんだけど
その時はあまり気にしてなかった。
良い役じゃなかったからかも。
たしかに衝撃的。
昔からよく言われる教会の腐敗。
こうしてみると教会というのは何のためにあるのだろうって思う。
でも多くの貧しい教区民たちが
心の拠り所としているのを見ると
やはり必要なんだろう。
教会とそこにいる神父様たち、という形がそろっていることが大切で
それを救いに自分の心を保っているのだ。
だからその神父様たちの本質がどうあろうと
極端な話、関係ないのかしら。
謎なのは
この作品が『ラブストーリィ』と分類されていたこと。
若き神父と少女の禁断の愛・・
それは違うよね。
アマロ神父と少女の間には“純愛”なんか1つも無かった。
この作品は完全に貧しいメキシコの色々な問題と
汚いお金だろうとなんだろうと教会に寄付されたものは良い。
と言い切る司教と、
逆にどっぷりと貧困な農民たちの生活に入り込んでしまうと、
結局はゲリラの手伝いをしてしまわざる得ない神父と、
そんな聖職者たちの物語。
少女の方には愛情があったけど
アマロ神父の方には少女への愛情なんかないし、
最初から肉欲の対象でしかなかったと思う。
ガエル君の素敵なお顔だから
アマロ神父への同情も沸いてきちゃったりしがちだけど
アマロ神父って実は人間のクズなのだった。
自分には才能があるから
多くの人を助けられる。
そのために君1人を犠牲にするのは
神様も認めてくれることなんだ・・・
君1人・・っていうのが
時として“その人々”だったりする。
そういう勘違いをする人種。
偉い人にはなんと多いことか。
ま、そういう物語とは別に。
ガエル君と少女のラブシーンは必見。
男の人のどこに弱いって、
“手”に一番弱いシウには大満足の1本でした!
モーターサイクルダイアリーズのガエル君。
人間の弱さみたいなものがむき出しになるのが
すごく切ないです。
でも見て良かったと思える作品ですね。
ついつい触ってしまいたくなりますよね。
カッコイイ男子の手だけですけど。
この映画って
イケメン映画では決してないんですが
アマロ神父自体は許せないというか、切ないのですが、
でもガエル君、なんですよね。
おすすめします。
これも忘れかけの映画ですけど・・・
ストレートに肉欲に負ける神父・・・
嫌いなストーリーではありません。
肘より先の腕の部分もだけど、指先もですの~~♪
この映画、内容は辛いかもしれないけど、
シウさんのレビュー最後のワンパラグラフで、「must wathch」リスト入り決定!
ありがとうございます。