誰かがネットで
「子どもの大学の卒業式に出席したいが、
親は何を着ていけばよいのか?」
という質問をしていたの。
で、興味があって見てみたんだけど・・・。
第一番目に
「大学の卒業式に親が行くなんて、
あんた、バカじゃん?
子離れしたら。」
みたいなお答えだったんだよね。
これを読んでくださっている方はどう思う?
まず、シウが思ったのは
「大学生の子供がいるような年代で
そういう席に何を着ていけば良いのか
人に聞かなければわからないってことが
はなはだ疑問。」
なんだけど、
それは置いておいて。
大学の卒業式に親が行くのは
そんなにおかしなことなのか?
ということ。
もちろん、
お手手つないで泣きながら校門をくぐり、
ビデオを激しく回しながら
記念写真を撮ってる親子(特に母と息子)
なんていうのがいたら
こっちが急いで写真を撮り、
“要注意人物・・社会に放たれます”と銘打って
ネットに流すこともやぶさかではないけど。
大学の卒業式に
「子どもの為に参加しなきゃ」って思っている保護者がいたら
それはそれでやはり怖いと思うけれども。
子どもの大学の卒業式に
親が自分自身の為に参加したいと思うのは
そんなに変じゃない気がする。
子ども一人を育て上げ、
大学を卒業させるということは
一大事業だと思う。
その達成の日を
親も“卒業式に参加”という形をもって
実感したいと思って、悪いだろうか?
他の事でもそうだけど
世の中って決め付けが多いよね。
男子が母親の話をしたら=マザコン
好きな人に何度か電話やメールをする=ストーカー
前述の大学の卒業式に親が来た=過保護 等々
(もちろん、それが真実の場合もあるけど)
もう少しいろいろな面から
いろいろな可能性やパタンを考えるって
というか、
もう少し他人のあり方に対して
優しい余裕ある気持ちで見るって、
できないのかな~って思った。
「子どもの大学の卒業式に出席したいが、
親は何を着ていけばよいのか?」
という質問をしていたの。
で、興味があって見てみたんだけど・・・。
第一番目に
「大学の卒業式に親が行くなんて、
あんた、バカじゃん?
子離れしたら。」
みたいなお答えだったんだよね。
これを読んでくださっている方はどう思う?
まず、シウが思ったのは
「大学生の子供がいるような年代で
そういう席に何を着ていけば良いのか
人に聞かなければわからないってことが
はなはだ疑問。」
なんだけど、
それは置いておいて。
大学の卒業式に親が行くのは
そんなにおかしなことなのか?
ということ。
もちろん、
お手手つないで泣きながら校門をくぐり、
ビデオを激しく回しながら
記念写真を撮ってる親子(特に母と息子)
なんていうのがいたら
こっちが急いで写真を撮り、
“要注意人物・・社会に放たれます”と銘打って
ネットに流すこともやぶさかではないけど。
大学の卒業式に
「子どもの為に参加しなきゃ」って思っている保護者がいたら
それはそれでやはり怖いと思うけれども。
子どもの大学の卒業式に
親が自分自身の為に参加したいと思うのは
そんなに変じゃない気がする。
子ども一人を育て上げ、
大学を卒業させるということは
一大事業だと思う。
その達成の日を
親も“卒業式に参加”という形をもって
実感したいと思って、悪いだろうか?
他の事でもそうだけど
世の中って決め付けが多いよね。
男子が母親の話をしたら=マザコン
好きな人に何度か電話やメールをする=ストーカー
前述の大学の卒業式に親が来た=過保護 等々
(もちろん、それが真実の場合もあるけど)
もう少しいろいろな面から
いろいろな可能性やパタンを考えるって
というか、
もう少し他人のあり方に対して
優しい余裕ある気持ちで見るって、
できないのかな~って思った。
で、自分が親になった現在は娘の入学・卒業式にはどれ一つ参加できなかった私ですが、もし日曜なら参加していたと思います。
過保護といえば過保護ですが、ここ数年東京大学の入学式に保護者がめちゃたくさん参加しているというニュースをみて、「親」の立場になればそれもわかるかなぁってところが正直な気持ちです。
やっぱりこれは、親がここまで努力して来たことへ対する儀式なのだなーーって。
ここからは、「あんたは一人でガンバンナハイ」って意味合いを強く感じましたね。
だって、もう凄い人数でやってきて喜び全身に表して。これはこれで可愛い!! 子供にだって、親に感謝してもらいたいかな。
もちろん、行きたくても出席できない親もいらっしゃいますよね。
それもそれで・・
韓ドラ漬けなので、
あの濃い親ばかぶりを見ていると
それこそ、マザコン当たり前の世界なんだけど。 逆にあこがれちゃったりもします。
日本人って、子供にもテレがありますねえ。
現代の日本は
親子一丸となって大学卒業までこぎつける、
っていう感覚が以前よりもずっと強いと思います。
何かと物騒になってしまった昨今、
子どもの塾やお稽古事で
おやが送り迎えをするのは
過保護でなく当然のことになっている部分もあるし、
進学や通学に親が関わる形は
だいぶ違っていると思うんです。
もちろん、それを過保護という意見もあるかと思いますが
一緒に成し遂げたことに素直に感動することが
最後に“恥ずかしいこと”になるなんて理不尽。
喜びを素直に表現しちゃいけないのかなって思います。
もし日曜日でしんちゃんが卒業式や入学式に参加していたら
きっとお嬢様は素直に喜んだと思うし
それでこそきちんと育てられた人であると思います。
外国の映画の中の卒業式は
両親も祖父母も参加だったりして
皆で大喜びで抱き合ったりしますよね。
そんなことを考えれば考えるほど
日本の、この妙な、体裁を気にする風習がおかしなものに感じます。
やりたいようにやればいいのに。
というか、
やりたいようにやるのが素敵なこと。
誰かを大事に思うことを
ストレートに表に出して
なにが悪い、って気がします。
ただ一度だけでも大学の構内を見てみたかった。
私は中卒で言っていますが、高校入学は県南の
進学校に入学しました。入学式その日だけで
中退しました。
だから大学には憧れは持っていました。
そのうち行く機会もあるかなと思う内に
けっこう時間は経ってしまうものですよね。
シウは附属高校から大学に進んだので、
入試に成功した喜びみたいなのが親子とも無く、
入学式にも卒業式にも親は来ないし、
自分自身あまり覚えていなくて、
ちょっと残念です。