どうもit'sよしおです。
本日は『友人とは』についてです。
私it'sよしおは友人と呼べる間柄の人物は3人います。
おっと、ここで言う『友人』の定義を先に述べます。
『友人』=『親友』
簡単に言えば、情けない姿や言動を晒したとしても平気な間柄です。
…。ここまでは俗に言う『一般的』な話。
私it'sよしおとしては、本当はもっと深い話だと思うのですよ。
真の友人を獲得するためには、如何に『考えたか』が必要だと思うのです。
では、何を考えるのか…。
まずは、『自身に徳』があるのかです。
『徳』=『品性』
自身の徳を上げなければ、人生の豊かさが上がることは無いのです。
じゃあどうするか❓
そのためには一度立ち止まって、自身と向き合う必要が生じます。
人生の価値観、人生のプランニング。
これらを精査するには、人に対しての言動を振り返り、何を善とし、何を悪とするのか。
善悪の規範や、閾値の精度を高める必要があり、
また、今後どのように振る舞うかを吟味する必要があります。
私it'sよしおは思ったんです。
これこそが、自身を『大切』にするのだと。
すると、ここで疑問が生じます。
自身を振り返り、今後もそのようにし続ける私の友人も、自身を振り返っているのだろうか❓
すなわち、
友人自身も自身を大切にしているのか❓
友人自身も徳を意識しているのか❓
であれば、自身のことも大切にしている人を私は友人としたい。
友人を選択するのは当然当人です。
であれば、友人と呼べる存在は極限られてくるわけです。
もちろん、これはit'sよしおの個人的な価値観です。
なかには、アドレス帳やLINEに登録されている人は全て友達と認識している人もいるでしょう。
そのような考えの方の思考を否定しようとは思ってはいません。
さて、如何だったでしょうか❓
古代ローマの哲学者、マルクス・キケロ。
キケロ氏がこのようなことを綴ったのは、紀元前の話です。
なんと勇敢でありながら、丁寧な繊細さも持ち合わせています。
人生のお手本の一つだと思う今日この頃でした。