人生って守破離かな

1987年生 it'sよしおです。中堅サラリーマンの想う所
好物ジャンルは、心理学、脳科学、神経学、経営学、帝王学、哲学

兼聴と偏信

2022-05-31 03:30:00 | 日記
どうもit'sよしおです。

本日は『兼聴と偏信』についてです。

さて、皆様方は上記の言葉をご存知でしょうか❓

簡単に言いますと、

兼聴とは、広く聴く事。
偏信とは、偏って聴く事。

なんじゃそらそら❓

具体的に言いますと、

兼聴は敵味方問わず、尚且つ各々の立場などで判断せずに様々な情報を聴く事です。

また偏信はと言いますと、好きな部下や同僚、好きな仲間が言っている自分にとって都合の良い事"だけ"を一方的に聴く事を指します。

この兼聴と偏信は、it'sよしおの好きな
『貞観政要』という古典に出てくる、
いいリーダー像ってどんなかな❓の問いに対して、
魏徴という家臣が放った言葉と言われています。

いやー、これ中国は唐の時代の話ですよ。

日本で言うところの飛鳥時代(630年頃)です。

時代を知っている方なら当然ご存知ですが、年代的にはあの遣唐使を派遣していた頃の話ですね。

さて、現代の世情に照らし合わせて見ていかがでしょう❓

まあ仕方のない事ではありますが、
特別意識しなければ、偏信のオンパレードです。

もちろん、サラリーな方々はこれに塗れて生きていると思いますし、
学生の方もこれに準ずる生き方となられている事でしょう。

そりゃ、人は本能的・心理的にハロー効果(良い印象に引っ張られる=好きな人のことを信じる)が働くわけですから、
偏信から逃れるためには一定の知識が必要なわけですね。

it'sよしおとしては、偏信でなく、兼聴で生きて行きたい。
と強く今日この頃なのでした。

自分の機嫌を取る意義

2022-05-29 12:02:00 | 日記
どうもit'sよしおです。

本日は『自分の機嫌を取る意義』についてです。

さて、皆様は機嫌を取ると聞いて何を思うのでしょうか❓

もしかしたら、
他人の機嫌を取ることに"だけ"集中してしまう人が
ほとんどなのではないでしょうか❓

私it'sよしおは、他人の機嫌を取ることを
基本的にはしません。

だって、数百年前に発行されたとかしないとかの『人間取説大全』に載るほどの
無駄だから。w



いやいやいやいや、it'sよしおさん❓

人間はコミュニケーションが大事だし、
どの人もどこかしらのコミュニティーに所属してるんですよね❓
であれば、有力者のご機嫌を伺いながら生きていく方が楽じゃない❓

こんな風に思われた方。
沢山いらっしゃるとは思いますし、否定は出来ません。

しかしながら、他人のご機嫌を取って、
本当に良かった〜

と思ったケースって一体どれほどありますか❓

私は…正直言ってありませんね。
時間が経てば、疲弊していたことに気付くことが大半ではないでしょうか❓

さらにはですよ。

そんな自分を誰かが労ってくれることは
まず無いと思って間違いないですね。

何故なら、
世の中は取る側の人間と取られる側の人間しかほぼほぼ存在しないためです。

そう、誰かのご機嫌なんかを取ったならば、それを他の人が見ているのです。
そして、『自分の機嫌も取ってもらおう』と勘違いヤローが近寄って来るわけですね。

というわけで、もっと自分に優しくしましょう。


…と、ここで終わらないのがit'sよしお流。

じゃあ一体誰の機嫌を取るのか❓

当然自分のですよ✨


誰か他人が取ってくれないならば、自分でやる❗️

要はセルフサービスです。w

これは、大変難しい話になってくるのですが、
些細なことを幸せであると認識する訓練が必要です。

例えば、休日のバカ暇な時に、
『いやー、平日"そこそこ"がんばったから今があるんだな〜』

とかですかね。
そもそも休日に予定が無ければ暇なのは当たり前ですが、
如何にこじ付けで幸せと変換出来るかがキーと思います。🔑

そもそも、自分が自分は幸せ(満たされている)と思えていないと、
コミュニティー内でも卑屈になってしまうわけです。

すると、知らず知らずのうちに、誰かに機嫌を取ってもらおうとしてしまっているかもしれません。

それって恐ろしくね❓

と、it'sよしおは思うわけです。

自分の機嫌取りは巡り巡って周辺の安泰にも繋がるわけですね。✨

懐かしのボクシングと初めましてのサザエさん

2022-05-23 01:35:00 | 日記
どうもit'sよしおです。

今日はただの日記です。学びはほぼほぼありません。

『懐かしのボクシングと初めましてのサザエさん』についてです。

いや実はですが、

かれこれ20年前にit'sよしおはボクシングをしていました。

そして、月日は流れに流れ…

いきなりですが、再開しようかなと🥊


そもそもですが、

私は関節が弱いのです💧

そして、弱い関節はほぼ全身。


例えば、一日中歩くか立ってるかの様な、
ネズミーランド🐭

あんな感じのところに行くと、決まって股関節が痛くなります。

腕立て伏せをすれば、ヒジからパキパキ音が鳴り…

ふとしたタイミングで指の第二関節が痛くなったり…

天候はあまり関係なく、急に来ては急に去り…。

屈伸中に突如としてヒザに激痛が走ったり…

こんなんだから運動もあまりしたくないと思うようになりました。


ところがどっこい。

ここ最近、会社の若者達が筋トレにハマり出しました。

そしてつられてit'sよしおも筋トレブーム。

気付けば、うっすら腹筋は割れてきました。✨
※現状の体脂肪率は16%みたいです。

が、浮き輪肉は有酸素運動でしか勝てん。

じゃあ、サンドバッグでも叩こうかなと思い今日に。

そして、本日バンテージとサンドバッグをポチポチしてしまいましたとさ👍


学生時代はサンドバッグを叩きにジムへ通っていたわけです。

当然サンドバッグを作ったことはありません✨

サンドバッグは外の皮のみであり、中身は自分で作るわけです。

全量砂ではなく、布ウエスでいこうかなと。

今から作るのが楽しみです。

というか、
今までの人生で経験の無いことをするのが
とても楽しい35歳なのでした。


終わりに、これまた先日初めて作った
サザエさんです。

これが加工前。



こっちは真珠層を出した姿。







いやー、初めてやることは色々と勉強になります。

左のサザエさんはやり過ぎで穴がいっぱい空いてしまいましたが、

サザエの真珠出しはこれからも趣味の一つとして楽しみたいなと思う

今日この頃なのでした。

教育テレビの底力

2022-05-17 01:32:00 | 日記
どうもit'sよしおです。

本日は『Eテレ』についてです。

突然ですが、もしかしたらEテレをご存知無い方もいらっしゃるかもしれませんので、

念のため申し上げます。

そうです。NHK教育テレビです。

実は、2010年に認知度を向上させる目的で『教育テレビ』から『Eテレ』に名称変更した経緯があります。

ちなみにですが、Eはエデュケーショナル(educational=教育的な・教育に役立つ)という意味です。


さて、このEテレ、大人になってから改めて見ると…。

今の大人に必要な『道徳』をこれでもかというくらいに含んでいるんですね。

例えば、
何かの物事が上手く行かなかったときに、たまたま一緒にいた友達にキツく当たってしまった。
あとになると、それはそれは友達に大変可哀想なことをしたと気付く。
その後、友達に謝りに行くと、逆に心配されていたことに気付き、素直に謝り丸く収まる。

このように、最後には安堵出来て、ほっこり出来る話で溢れています。

しかし、現代社会においてはいかがでしょうか❓

会社の仲間、同僚、上司、部下…

はたまた、学校のクラスメイト、先生、部活顧問…。

当然、『信頼』出来る間柄もあります。

しかし、残念ながらニュースなどで取り上げられる内容のほとんどは残念なものです。

一概には言えないこともあるのがこの世の中ではあります。

しかし、Eテレの幼児・児童向け番組は

中学・高校・大学・社会人と『改めて』向き合うことで

世の中がほんの少しほっこり出来るのかなと感じてしまいます。


さて、大人こそが本来必要な『道徳感』

少しずつ私も高めて行きたいと思う、今日この頃なわけです。

あまりこのような時間は無いとは思いますが、
平日の朝方や、夕方にたまたま手隙な時間があったら。

童心に帰って、映してみるのも

たまにはアリなことと思う次第です。

イドラの存在を理解する。

2022-05-16 03:19:00 | 日記
どうもit'sよしおです。

最近は更新をサボタージュしてますが、

定期的に読んで頂きありがとうございます。

また、初見の方々、私の文を読んである種の喜びを得て頂けたら幸甚です。

さて、本日は『イドラ』についてです。


…イドラって何❓

そう思われた方々。正解です。

この単語に関しては、一般認知度はかなり低いと私も推測します。

なので、お読みになられた今日から血肉としていきましょう。



さて、このイドラですが、

要は先入観です。

そして、イドラは4つに分類されています。

1.種族のイドラ
これは、人類故の本性に潜む物事の考え方から来る先入観

2.洞窟のイドラ
個人個人の価値観から来る先入観

3.市場のイドラ
各個人が所属している社会等から来る先入観

4.劇場のイドラ
既にある学説から来る先入観

となっているわけです。

ちなみにですが、これを提唱したのは

1561〜1626にかけて生涯を送った
イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンさんです。
また、このベーコンさんは帰納的推理による研究法(帰納法)の父であります。

ようわからんぞー❓
という方々向けに説明すると、
簡単に言えば、
思い込みあり気で人は考え、発言し、行動するよね。

ということです。

例えば、黒い液体入りのペットボトルに無糖と書かれていたら、
『これはブラックコーヒーだな』
だったり、
『ブラックは苦手だからミルクと砂糖入れよー』
と思ったりやったりするわけです。

まぁ経験則から来るところもあるので
仕方のないことでもありますが。

しかし、この現代・日常で考えた場合、
『これやっといてー』
『はーい』

『…こうじゃなくて、こうやってよ💢』
『…すいません…』

こんな会話が成立しているケースもあるわけです。

いやー、思い込み・先入観ってやつは
怖い存在ですね。

出来ればいつも先入観を持っているんだと自覚しながら生きて行きたい。

そう思う今日この頃です。