金曜の19時からという不思議な時間。
あんころもちの通う小学校の講堂で
開催された1.2年生の父兄対象
希望者参加の講演会。
以前にもあり、参加したことがありますが
少しがっくりしました。
今回、
担任の先生がチャットで紹介して下さった
講師のバックグラウンドを見ると
母親で、教師で、退職しているけど、
現役時代は
全国でも優秀教師賞を受賞、
興味本位ですが、
どんな方なのか、
少し期待して聴講しに行きました。
まず、早かったので
最前列に座って聞いてたら、
最初っから
「ちょっと、ちょっと」
会場は、ゆるやかな階段式の
映画館のようなソファ席。
肘掛に半テーブルが引き出せるようになっている。
となりに座ってるおばあさん。
どこか、
上海に住んでた時の大家さんを思わせる声と風格、
携帯取ったと思ったら、
でかい声で
「話してよ、話してよ、大丈夫」
『話(ショー、ショー)、(メイスー)』
って、
あなた、
最前列に座ってて、
講師と至近距離で顔ばっちり見られているのに
その肝っ玉の大きさは
どこで受けた教育なのでしょうか。
孔子さま、
どうやって、人生の先輩であるこの方を敬ったら
よろしいのでしょうか。
途中で先方の電話は切れたようですが
何度もしつこく、リコールしている
講師の方、熱弁中ですよ~
講師の話はメモ取ったり、
スクリーンの文字を
携帯で写真撮ったり、
熱心なの分かりますが
それよりも、
お孫さんに先に教えるのは
公共マナーの方でないんですか。
と
横目で、見ながらひそかに思考をめぐらせておりました。
講演内容は、故事をあげて、
その例から、
保護者に分析してもらうんですが、
『お坊さんの鐘つき』
という、
『なんでやねん』
と
つっこみたくなる題材を通し、
子供に何かさせる際には
基準を示す必要がある、
ということを紹介しておりました。
鐘なんかいまどき日本でも
年末くらいやろ、
身近な日常生活とはかけ離れた例題
と
覚めた目で見ておりました。
保護者の年代を
恐らく、祖父母がほとんどだとふんだので
わざわざ古いネタを利用したのでしょうか。
全体としては、
長女の中学でも強調されつくされた
良い習慣を身に着ける為には
どうやって関わるか
ということがテーマでした。
結局、
印象に残ったのは、
悪い例。
実際、この先生が
あんころもちの小学校の正門で
見かけたある母子の登校時の様子。
BMで小学三年生の息子を送り届けた母親
(公立の小学校ですよ、一応)、
自分が先に降りて、
なんと
子供の扉を開けてあげた後、
びっくりした様子。
日本風に訳すと
「ランドセル、忘れた~」
叫んだのは母親
息子でなくて
まだ小学三年生の息子に怒鳴られて
ひっしにわびを入れる母親。
「このアホ兵隊っ」
と
自分の母親を罵倒したらしいよ。
会場一斉に大爆笑。
兵隊って、、、、
小学生の口から自然に出てくるなんて
それだけで
そのバックにある教育方針がうかがえるかと。
ここでこの講師が強調したかったのは
責任の所在、
自分で責任を負う、
宿題も
翌日の準備も自分でやる。
『そんな、当たり前のことやん』
と
思うでしょう。
ここは、中国。
まだまだ、皇帝どのはたくさんですよ~
14歳の例。
相手に暴力をふるった中学生男子
父親が先方に謝罪に来たと思ったら、
「息子、わざとじゃないんだよな、
弁償するんならお父さんがいくらでもしてやるよ」
と
その息子をよしよし、
抱きしめたらしい。
『みなさん、道理がありますか?』
保護者にくっついてきた子供が
「筋が通らない」と発言。
講師は、この子供をステージにあげて
意見を言わせた。
「もう14歳だから、自分のことは自分で責任をもつ」
こういう子供まきこむやり方は賛成。
過保護で
子供をつぶしてしまってはいけない
自分の行為は自分で責任をとる、
ということを
強調なさってましたが。
刑事事件だと
未成年だからそうもいかないけど。
過日の春秋航空での子供。
となりにいるママは
子供がどんなに
壁どんならぬ
背もたれどんどこしてても、
平気の平治
本人の責任にしない、
「お姉さんに叱られるよ、ほら。」
公共マナーうんぬんという概念がなくて
子供の迷惑はみんなで受けて立とう
というくらいの感覚かも。
だって、このママ、
着陸した後、
中国の童謡、でかい声で歌ってたよ~
いい声してたけどさ、、
日本についてうれしいのはわかるけど
親戚が迎えにくるらしいけど、
機内では、酔っ払い以外、ふつう歌わんよね。
あっ、
ととろ、歌ってたおっさんおった
もう一つの話題は、
大学教授のクラスで
教室にバナナの皮が落ちていた、
と始まった。
あっ、思い出した、、、
四川外大でも、前職の大学でも、
教室は床にゴミがあふれている。
ティッシュ、ヨーグルトのストロー付き飲みカス、
菓子パンのふくろ、
肉まんのビニール袋、
とぐろまいた髪の毛、、、
窓のふちにまるめたティッシュや
食べかけ入りのビニール、
どうやったら、そんな微妙な場所におけるわけ?
授業前は
心もち早く来るわたし、
足ですみっこにどれだけ追いやったことか。。。
日本みたいにゴミ箱を探すのが大変なのでなくて
四川外大では教室内の出入り口にくずかご
前職の大学には
各フロアーごとに
廊下に
遠くからでもシュート出来そうな
でかいゴミ箱があります。
で
会話のクラスなのですが
他の言語でも同じ教室のようで
そんなばっちい教室、
決まって
黒板には英語の文字がびっしり、
なんど黒板も消したことか。
きわめつけ、
ガラス製のマグが割れて
水が散らばっているのに知らんぷりの先生。
明らかに朝一のクラスの
あなたのクラスで起こった出来事なのに、
なんで
次のクラスの講師のわたしが
管理部に電話しなくてはならないのでしょうか。。
嫌な事思い出したわ。
で、
その教授のエピソードは何かというと、
何百人?という学生が
このバナナの皮をよけて通り過ぎた。
うん、日本でもそうかもね。
この教授は
バナナに向かって
「おい、バナナ、お前はどこで眠ってるんだ?
お前の寝る場所は、あっちだろ?」
と
さんざん罵倒したあげく、ゴミ箱を指さす。
その間、
学生がぼそぼそ、言い出す。
「教授、ゴミ箱に捨てたら?」
我が意を得たり
というように、
そのバナナを捨てる姿を学生に見せた
というのだ。
で、
ここで強調されたのは
良い習慣を育む話。
教授、お疲れさま~
と
言いたくなりますが、
こうしないと中国の90年代の大学生には
通じないのでしょうか。
わが師の師の師の厳しいお言葉。
しかも、
的を得た道理。
道の真ん中に、
大きな岩があり、道をふさいでいる。
その岩をどけないのは、
その岩を置いた人と同じ行為をしたことに等しい。
いいことをしないのは
その結果において
悪い事をしたのと同じ。
というもの。
極端やな、
という意見もあるかもしれない。
自分がどこまで責任を感じられるか
でしょうか。
それでも、この講師と
じっくりお話してみたいな、
と思い
スクリーンに書いてあった
お名前を書いてるうちに
画面が変わり、
ケータイ番号も書き損ねてしまいました。
講演の後は
4人くらいに囲まれていましたので
もう20時半すぎ、
その場を後にしました。
講演後のアンケートには
選択肢の足りない設問があり
その他「 」欄もなく
自分で項目を勝手に作って回答、
学校に何か要求あれば意見をどうぞ、
とあったので
「講演前には、保護者にケータイマナーを促しましょう」
とだけ書きました。
以前なら、
カルチャーショックに出会うたび、
境涯が低くなっていく錯覚に陥っていましたが
今は、
『びっくりさん』に出会うたびに、
そのヒトの来し方に思いをはせることが出来るように
なれた気がします。
もし、そのヒトと
同じ境遇だったら、
果たして自分は
自分の理想とする教養あふれる人格者に
なることが出来るのだろうか、と。
自分の中にも
自分が気づかない汚い部分がありますから。
それが表面に出ないだけで。
いつもいい部分を出していけるよう、
たまの生ビールは欠かせませんな。
生ビールは嗜好品でしょ。。。
自らの生活に感謝と喜びを見出す生き方、
続けることが日々の挑戦です。
自分に拍手
さびしすぎる~