the Saber Panther (サーベル・パンサー)

トラディショナル&オリジナルの絵画芸術、化石哺乳類復元画、英語等について気ままに書いている、手書き絵師&リサーチブログ

J.M.W. ターナー:「戦艦テメレール号」模写 for クリスマス

2013年12月20日 | 絵画の世界






J.M.W. ターナー:「戦艦テメレール号」模写
油彩 on F20 canvas(デジカメ撮影。 )

ⓒサーベル・パンサー


ターナーと作品について

英国の美術史上、最高の巨匠として万人に認められている存在が、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord
William Turner)その人である。風景画というジャンル、および水彩画においても他の追従を許さぬほどの業績を残したが、画業後期に
は抽象的な芸術表現にまで踏み込んでいる点が特筆される。


若くして王立美術アカデミーの教授職を得ていたターナーは、初期にはクロード・ロランやカナレット、ロイスダールらの伝統を受け継ぐ、緻
密で写実的な-いわば美術アカデミズムの理想に抵触しない-風景画を量産していた。画風の質的な変化は、念願のヴェネツィア旅行を
果たした頃より見られ始める。

水の都でターナーは、経験したことのない鮮烈な陽光と、四方を取り囲む水面に反射する光の効果、常に霞がかったような異国情緒漂う
街並みなどに、すっかり魅了される。色彩と筆致重視のヴェネツィア派の作品群に、直に触れ、感化されたことも大きかったのだろう。

イタリア滞在後のターナーは、一瞬、一瞬の煌びやかな陽光の効果を大胆な筆致を駆使し捉えつつ、対象物の具体性よりも、空間や
「雰囲気」の描出に重きを置く方向性が顕著にな
っていく。印象派に先鞭をつけた画家と評される所以である。

油絵の具、特に鉛白の可塑性を十重に活かし、技巧をこらして作り込まれた「光、蒸気、空気のマチエール表現」には、今もって尽きせぬ
魅力が溢れている。ターナーこそは、画家に最も愛される画家と言うことができると思う。

画業の絶頂期に位置付けられる1830年代~40年代の作品群は正しく傑作揃いであるが、上述の「雰囲気を描く画家」としての独自性が
深化した結果、ほとんど具象性を消失し、抽象表現にまで至っている作品が少なくない。

時折しも新古典主義の権勢が美術界を蹂躙していた19世紀半ばであり、当時の批評家たちにとって、ターナーの作品は到底受け入れら
れる代物ではなかっただろう。
常に辛辣を極めた批判、中傷に晒されていた晩年のターナーであったが、よほどの信念の人であったと見えて、最後まで体制側のアカデ
ミズムにおもねって、スタイルを変えるようなことはなかった。

ここまで来ると、ターナーはアヴァンギャルドの画家であると言いたい。モネら印象派を生み出すインスピレーションの源泉になったというだ
けにとどまらず、20世紀のアヴァンギャルド美術(特に抽象絵画)を、100年先取りした画家でもあったのである。


戦艦テメレール号』は、トラファルガー海戦で目覚ましい活躍をした同戦列艦が、解体を控えて最後の停泊地へと曳かれていく様子を描
いている。荘厳な美をたたえた戦列艦や落陽とは対象的に、醜い黒煙を噴き上げる曳船は、拡大の一途をたどる当時の産業革命を象徴
しているとされる。

生前の画家本人が「My darling」と呼んで最も気に入っていた作品であり、発表時には高値で買い取りを希望するパトロンがいたにもか
かわらず、生涯手放さず、手元に置いていたという。

技量的に絶頂期のさなかにあった1839年の作であるが、この頃に顕著だった抽象性は抑えられ、あたかも正統的な具象風景画に立ち返
ったかのようにも見える。
しかし、沈みゆく夕陽が最後に放った眩いネープルイエローの光と雲のマチエール描写、様々な色調のブルーとオレンジに還元されたシ
ンプルな色面構成などに、絶頂期のターナーの真骨頂が窺い知れる。

実はこの作品、都美術館で現在開催中のターナー大回顧展には出展されておらず、大変残念な思いをしたのであるが、この機会をきっか
けに模写をと思い立った時、私自身も一番好きな本作以外に、選択肢は浮かばなかった。


絵と文:ⓒサーベル・パンサー


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