1月28日・火曜日
昨夕は、T・Bと高校の同級生のA・Kを事務所に呼んだ。
一人では不安に襲われる。
打ち合わせがしたいとテーマを無理矢理でっち上げて来てもらった。
惠子が倒れたとはじめて打ち明けた。
二人とも「えっ!」と声を発する。
土曜日には退院するよ。日々よくなっている。努めて明るく言う。
T・Bは見舞いに行くよ。来られては困る。今は会わせられない。
ワインを一本開けた。つまみらしい、つまみなし。
明日の13時半からの介護認定とケアーマネージャーの件で病院相談員から電話。
奥様は30日木曜語に出ると言ってます。準備は整っているのですか。
なにも。まだケアーマネージャーとは会ってもない。
確認しようとしていたら惠子から携帯。
30日木曜日にはここを出る。介護ベッドも車イスがなくてもいい。
帰りたい。朝来るように陵太郎に行ってくれ。
まるで幽界から伝わってくるような、せつない声を絞り出す。
医者にも伝えたとのこと。
よし、30日の朝、
陵太郎と連れに行くと確約する。
家のガス・水道・電気代、2万5千円ほどをコンビニで支払う。
1月27日・月曜日
「限度額適用認定書」を取得して、お昼に、病院へ行く。
惠子がiPADで検索し、何かを真剣に見ている。
あの家がまだあるか、聞いておいて。
以前、房総に見に行った別荘の事である。唖然とする。
これからは房総の田舎に住んで。
野菜を作って暮らす。
そうする。
ゆっくりと、しっかりした口調で宣言する。
知らない人が聞いたら、まぁ、お金持ちなんだ。とうらやましがるだろう。
ここの入院費、これからの治療費・介護費。それさえ心許ないのに。
いや、絶対うまくいく。いいことがある。心配するな。手首を振りながら言う。
楽観論者の惠子。人一倍心配性の私。
確かにこれまで何度か、惠子の信じる奇跡が起きた。
そして、何の心配もない、幸せな時があった。
でも、それもつかの間。いつも信じられないような不運がやってきた。
秤に掛けるなら、不幸な時間の方が倍ほど長いような気がする。
私の人生。
今日のリハビリで、よくなっていると褒められたと喜ぶ。
惠子、ガンバレ。
1月26日・日曜日
実は、救急車で運ばれそのまま入院した惠子と私は、夫婦ではない。
私と惠子は、一昨年暮れに離婚している。
運が悪いことが続く。姓を変えたと言い出し、
旧姓に戻るために、彼女が離婚届を出した。だから法律的には他人。
病院ベッドの横にいても、これから私が介護するのだろうなぁ。
ボーッと、まるで人ごとのようにしか思えない。
こんな私でも、愛してる?
寝返りを打てない体。首を傾け、絞り出すような声で聞いてくる。
一瞬、ギクっとする。
逃げるのなら、逃げられる。法的には何のとがめもないはずだ。
一体、夫婦って、なんなのだ。
正直、この信じたくない悪夢のような状況から逃げ出したい。不安、絶望。
すべての始まりは、あの救急車のサイレン。
アタマの中でワゥ~ン、ワゥ~ン、こだました。
この先どういう展開が待っているのだろうか。
1月24日・金曜日
夕刻、5時頃に病院に行く。
血糖値も、血圧も、良くならない。脳梗塞も進行しているようだ。
リハビリもおざなり。何も直せない。病院にいてはだめ。家の方が良い。
iPADで調べ、車いすと介護ベッドををレンタルしておいて。そう言う。
しかしトイレにも行けないのに一人、家において良いのか。
転倒したらどうする。けがをするし、立ち上がれない。
家は病院ほど暖かくない。
しばらくは、私が介護するしかない。
とにかく明日、主治医と話すので、
どうするかは、それからにしようとなだめる。
1月25日・土曜日
11時に私と陵太郎、惠子も入って3人で主治医の話を聞く。
脳梗塞の進行を止めきれなかった。若干進行してしまったとのこと。
すぐさま医者に連れて来るべきだったと悔やむ。
本人も私らも強く望んだので、様子を見てではあるが、来週の土・日には退院のとなった。
ソーシャールワーカーが医療費、介護に関して新設にアドバイスしてくれた。
「限度額適用認定書」を取りなさい。
健康保険は治療費の3割が自己負担、でも入院費となるとビックリするような高額になる。
「限度額適用認定書」があると8万円に総医療費から26万円引いた金額のわずか1%で済むとのこと※。
ラッキーである。感謝感激である。※詳しくは病院の窓口かソーシャールワーカーに聞いて下さい。
もう一つ。役所に介護が必要であるとの認定を受ける必要がある。これを要介護認定という。
介護の必要度によって、要支援1から要支援5まである。それによって、在宅サービスの支給額が決まる。
要介護認定は一月ほど掛かるから、早めに役所に申し込みなさいというので、早速近くの「高齢者相談センター」に手続きに行った。
税金だ、保険金だとか、何でこんなに払わなければいけないんだ。普段はボヤいている。
手のひらを返したようで申し訳ないが、公金のありがたみが身にしみた。
反省。
1月24日・金曜日
夕刻、5時頃に病院に行く。
ケイ子は言いつのる。
血糖値も、血圧も、良くならない。脳梗塞も進行しているようだ。
リハビリもおざなり。何も直せない。病院にいてはだめ。家の方が良い。
iPADで調べ、車いすと介護ベッドををレンタルしておいて。そう言う。
しかしトイレにも行けないのに一人、家において良いのか。
転倒したらどうする。けがをするし、立ち上がれない。
家は病院ほど暖かくない。
しばらくは、私が介護するしかない。
とにかく明日、主治医と話すので、
どうするかは、それからにしようとなだめる。
1月23日・木曜日
伝えておいたので、
今日はケイ子の所には行かなかった。
早く出たいと携帯に抗議が来た。
ほとんど聞き取れない。意味不明。
適当に合図地を打つ。
お金がない。仕事が来ない。先がない。希望がない。
気づくと、ため息ばかり。
一体何のために生きているのか。生きて行かねばならぬのか。
すべてを捨てて、楽になりたい。そう言う思いにとらわれ。
これは危険な兆候だ。
一人でいたら、話すことがない。
ろくな事しか思いつかぬ。考えない。
孤独死。よくわかる。
ハァ~イ。明るく行こう!!!
明るく!!! いい天気だ。
1月21日・火曜日
今夜は、友人との新年会。私が言い出しっぺ。
ケイ子がこうなるのであれば言わなきゃ良かった。後悔。
ケイ子さんは元気?
3,4人に、やはり聞かれた。
ああ、元気、元気。
笑って、ごまかす。
聞くな! バカヤロー!!!
倒れた。深刻な事態だとは言えない。
惨めになる。
事務所に来た人や電話には、
ちょっと体調が悪く寝ている。
そう話している。でも、いつまで?
一人でいると宇宙空間に投げ出されたよう。
この先どうなるのか。
検査、リハビリで忙しいのか気落ちしているのか、
約束の携帯、鳴らぬ。
新年会の前、4時頃に病院へ。
部屋を変わっていた。一歩前進か。
上の空の新年会は苦痛だった。
1月20日・月曜日
ケイ子と救急車に乗って、5日目。
いい話があった。
入院費をどうやって払おうかと悩んでいたところに
B氏が未払いのお金、35万円を払うとのこと。
なんでも、遺産が入るからという。
入院費ができた。すぐにケイ子に伝えるべく携帯するが出ない。
何度目かに通じた。ゆっくり入院していたらいい。キッと仕事もうまく行く。
入っても右から左。とても足りないお金だが、努めて明るく振る舞う。
次女の「さやか」はどうした。母親が大変だとメールしても、
携帯しても連絡が取れない。全くの無視。
どうして。そんな子になったのか、さっぱり分からない。
親を徹底的に毛嫌いしている。
父親と気が合わないのは、ままあることかもしれないが、
しかし、まるで仇かゴキブリかのようにケイ子まで無視するのは許せない。
もう5、6年、姿を見せない。
住所さえ教えない娘「さやか」。
負けず嫌いのケイ子は、放っておけばいいと言う。
30過ぎの反抗期なんて聞かないぞ。
どこでどう間違えたのか。訳がわからない。
とくにケイ子は仕事を抱えながら一生懸命育ててきた。
この断絶は、つらく、悲しい。
夜陵太郎の車で病院に行く。
うまくしゃべれない。ちっとも良くならない。
自分に怒りをぶつける。確かに他の人に合わすことは出来ない。
よし、美智子さんで行こう。
皇后様のようにゆっくりゆっくり威厳を持って話せば良い。と私。
1月19日・日曜日
午後、陵太郎と病院へ。
今日も午前中に3分間の歩く練習をしたとのこと。
昨日は薬を飲むための水を飲む練習をしていた。
すぐむせる。口調は廃人。
たった、3日ほどでケイ子が壊れた。
果たして回復するのだろうか。
絶対直すという。しかしその目に涙がにじんでいる。
次の仕事の手がかりをつかんだかのように見える矢先だった。
それなのに残酷だ。
脳内出血の夫に、脳梗塞の女房。
まったく、ひどい組み合わせだ。
朝、昼、夜と日に三度は携帯くれるように言って帰ってきた。
1月18日・土曜日
朝5時過ぎ。ベッド脇のテレビを付けてうつらうつら。
起きる気がしない。でも陵太郎が部屋に来るかもしれない。
気を取り直してテーブル周りを片付ける。
食欲なし。コーヒーのみ。
午後、陵太郎と病院へ。
ベットの脇に車いすがたたんであった。
午前中に3分間の歩く練習をしたとのこと。たった3分!!
これでリハビリと言えるのだろうか。私の場合は30分はした。
リハビリ室までその車いすで行ったらしいから、それが限界なのかも知れない。
昨日、夕刻に薬を飲むための水を飲む練習をしていた。
すぐむせる。口調は廃人同然。。果たして回復するのだろうか。
絶対直すという。しかしその目に涙がにじんでいる。
次の仕事を模索し、やっと手がかりをつかんだかのように見えた時だったのに。
それなのに残酷だ。
ケイコは私をなじる。何でも私に頼ってきた。
これからは一人でやれと、目をぬぐう。
明日の退院の件、主治医に話せと迫る。土・日はいないと看護婦。ホッとする。
火曜日に話して水曜日に退院させようと思う。
陵太郎と車いすを押して談話室で20分雑談。このときも点滴も一緒に移動。
退院したらおいしいパンを食べたい。お寿司を食べたい。
私は食欲なし。
1月17日金曜日
誕生日の昨夜は深夜に2割引の寿司パックを買ってきた。半額でないのが不満。
一緒に翌日の昼飯用に半額のおにぎりを三個と500mの缶ビールをワンカートン買った。
これが私の66回目のバースディケーキである。
昨夜は風呂を沸かす気もない。着の身着のままで布団に入る。
いつものようにが朝4時半に目が覚め、テレビをつけてうつらうつら。
風呂に入らずシャワーも使わず、いつも通り7時24分のバスに一人乗る。
7時45分に事務所に着く。ドア開けても誰もいない。
日差しが元気よく燦々と入っている。残酷な風景。一人では全く口を開かない。
どうするんだ。この先。暗澹たる気持ちのみが120%。真っ黒に私を覆う。
脳梗塞との診断。呂律が回らない。ふらついてまったく歩けない。
ケイ子が壊れた!!!
本人が一番イライラしている。ケイ子は19日の日曜日には退院。家に帰る。
陵太郎を呼べ。と再三、声を荒げる。
誕生日に併せ15日の深夜から後生掛温泉に行き、
4日間楽しく過ごし20日の早朝に帰ってくる予定が吹っ飛んだ。
そして人生最大の危機が襲ってきた。
後生掛温泉
12日午後、知人夫婦が事務所に来た。ワインを飲む。恵子が酔った。
飲み過ぎかと思った。足下がおぼつかない。私に捕まりながら歩く。口調も気になる。
まあ、酔いが覚めればと思う。翌13日、祭日の月曜日は私が一人が事務所へ。
ジャスコで待ち合わせしてマヨネーズなどを買ってもどる。
夜とんかつ。14日火曜日、後生掛温泉に持って行く大型バックを持って朝9時頃二人で事務所へ。
12時頃体調悪いから帰って寝るとケイコ、退社。川村氏来社。
翌15日、朝7時20分のバスで一人オフィスへ。。だんだん悪くなるとの電話で家に飛んで帰る。
10時頃に救急車呼ぶ。
後生掛温泉のオンドルの上で寝そべっているはずが、病院のベッドに拷問のように縛り付けられている。
トイレに行くな。ベッドでやれ。点滴のチューブが二本。なんたることか。
いつも活発溌剌。アグレッシブ。美人で負けず嫌い。プライドの高いケイコ。可哀想。残酷。
今後は私に甘えるな。頼るな。
あなたがすべてやれ、と私に命令する。
1月16日は私の66回目の誕生日。
祝ってくれるはずのケイ子がいない。
昨日、救急車で入院した。
二三日前から体調の悪いケイ子を寝かしたまま、朝、一人事務所にいた。そこに携帯電話。
「だんだん悪くなる」。ろれつの回らないその声を聞いて、ぞーっとした。背筋か寒くなった。
頭が真っ白になった。そしておろおろした。どうしょうか。こまったなあ。医者に行くか。
ちょっと待て陵太郎に相談する。などと口走る。
この状況から逃げ出したかった。
救急車を呼んだらと仕事中の陵太郎。そうか。そうだ。
すぐ帰るとケイ子に電話。コートを着て飛びだす。
ベッドに抜けがらのようにぼんやり腰掛けていた。
病院嫌い医者の嫌いの恵子を説得口論しながら119を押したが通じない。
ふと、足をすりむいただけで救急車を呼ぶ。タクシー変わりに呼ぶ。
そんなTVの番組を思い出す。
この場合はどうか。ネットで調べる。そして電話相談。
即座に119番に電話しなさい。
携帯で掛けたが繋がらなかった。
携帯からはだめなのでは?
繋がりますよ。再度挑戦。送信ボタンを押してなかったのか。と気づく。
隊員3人は手慣れていた。タンカーに乗せられて救急車に。
着いた先が済生会病院。CTスキャン、MRIと検査がつづく。
「今日は何の日か知っているか」「えっ?」「16日 、誕生日」。
ベットに力なくグッタリ横になっている恵子が手を伸ばしてきた。
その手を握ると「おめでとう」ニコッと笑顔をくれた。
これが66回目の誕生プレゼントである。
暗澹たる気持ち。
ビール一本飲んでクィーンサイズのヘッドへ。一人寝る。
後生掛温泉に行ってきた。「ごしょうがけ」と読む。22時半に夜行パスで東京を発つ。
翌朝6時半に鹿角花輪駅に着く。「かずのはなわ」と読む。秋田県である。
従業員が乗るマイクロバスに乗せてもらい50分ほど。
目指す後生掛温泉に到着。
食事はすべて自炊。(三食付きの旅館の部もある。)自慢は床が地熱を利用したオンドル。実に暖かい。
真冬、外には大量の雪。なのに建物中ではTシャツ、短パンが常識。重装備していった私と妻は、びっくりして苦笑。
実に快適。難を言うと床が少々暑すぎること。靴下をはき、レンタルの布団の上で横になる。
直接触れては低温やけどしそう。オンドルの暑さ対策である。
ここでは「寒い」という言葉を一度も口にしたことなし。すばらし。6種類の浴槽がありこれも文句なし。
さらに、ネットも携帯もつながらないテレビもない生活を3日間体験できるのも最高。静かである。
今のネットに囲まれた生活は果たしてなんなのか。
まるでネットにコミュニケーションに脅迫(強迫)されている。24時間365日。
やることと言えばひたすら温泉に入るだけ。のどが渇くのでビールがうまい。
持って行ったワインを窓の外で冷やして飲む。
グラスを借りるのも面倒で一番してはいけない紙コップで飲んだ。
また湯治に行きたし。後生掛温泉へ。