“読み込む”の③
般若の経だけでなく、華厳経、法華経そして浄土関係、次々に請来する経典の数々は仏教思想の広がりとともに書き言葉の広がりもたらしたのではないかと思う。そして、もう一つ“心経”を読んでいて感じるのはそのリズムである。軽快である。小学三年の孫が、ある夏、ゲーム機を覗いていたはずなのに、仏壇の前にいた妻に「おばあちゃん、そこ違うんと違う」と突然指摘したのである。羯諦(ぎゃてー)、羯諦(ぎゃーてー)の、あの終盤あたりで一部飛ばしたらしい。「えっ、あんた、いつ覚えたん・・・?」。どうもこのリズムが柔らかな子供の音感機能を刺激していたらしいのだ。
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二世紀から六世紀にかけてインドから中国に入った各種般若経典を合わせると六〇〇巻。それらの“ええとこどり”したエキス、神髄が“心経”だと言われている。言ってみれば、この二七六文字は長大な大般若経の前書きにあたるのではないか。釈迦が真の悟りを得るために出家して苦行に出ていたインド北部。小国が争い、疲弊して民も苦しむという時代である。「教え」は弟子たちによって書かれていったのであろうが、そういう背景があったことを「心経」は感じさせる。
我が新憲法の前文(576文字)はどうか。
「・・・われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。いいリズムである。そしてなぜこういう文が出て来たのか推測してみる。仏教は、こちら側・此岸から、あちら側・彼岸を考えるが、今、我々が立っているところから大戦前のあちら側を見てみると、・・・。
『政府の行為によって、先の大戦は起こった』のである。その結果は『惨憺たるもの、惨禍である』。全土にわたって自由はあったか『ノー、真逆』である。それどころか言論は圧殺された。諸国民との協和はあったか。『ノー』。民族を対象にした五族協和思想はあったが、何か軍主導の胡散臭さがつきまとい、“諸国民との協和”の発想自体がなかった。主権は国民に存していたか。『ノー』。
そして此岸にあっては「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」、「平和を愛する諸国民と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」と決意した。加えて「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と宣言するのである。
主な参考文献=*平田精耕著『仏教を読むシリーズ「一切は空」般若心経+金剛般若経』(集英社、1983年10月、第1刷)
*プラトン著、久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波文庫、1999年7月、第81刷)