(この人麿の歌・131番は)恋い歌の多い「相聞歌」に加わり、その後挽歌へと向かうが、その相聞の「取り」に位置しているこの長歌。後半部分の訳は、こう。
「この海岸に向けて、和多津の荒磯のほとりに、青々とした美しい藻、海底深くはえる藻を、朝は朝とて溢れるように風が寄せて来るし、夕べもまた溢れるばかりの夕浪が寄せてくる。この浪と一緒にゆらゆらと寄って来る玉藻のように私に寄り添って寝た妻を(または、愛しい妻の手元を)露や霜のおくように後において来たので、この旅路の多くの曲がり角ごとに、幾度となく振り返って見るのだが、ますます遠く妻の里は離れてしまった。ますます高く山も越えて来たことだ。夏草のように、恋しさに萎えては私のことを思っているだろう妻の家の門を、ああ私は見たい。靡け、この山々よ。」
「藻」が、心情を表すのに重要な役割を果たす。「人麿歌集にある」と紹介される歌々ににも頻繁に出てくる「霞たなびく」の「たなびく」もそうだが、横に向かって静かに動く「さま」を連想させる。
石見国分寺のある唐鐘海岸から江の川河口にかけての海岸(6㌔くらい)はほとんど磯も、入り江もないのだが、中間にある波子・大崎鼻の周辺にはいい磯=写真=がある。大崎鼻に灯台があり、このあたりに立つと、東西の海岸美を観賞できる。
この歌に、「夏草」とある。ちょうどいい、同じ季節だ。何十年ぶりか、少年時代に潜った磯へ行ってみた。総称してボバと読んでいた海藻類、昔は豊富で、春にはワカメ、カジメ、ホンダワラなどがゆらゆらと靡いていたものだ。荒れた時には波に打ち寄せられる。それを拾って畑に持って行った。とってもいい肥料になるので、祖母に喜ばれた。
近年、この一帯に熊が出るといい、隣の浜田市の山中では噛まれる被害もテレビが伝えていた。大きいの、小さいの、岩が重なり、ビニールロープ、発泡スチロールの漁具、ハングル・ラベルのボトル類など漂流物が間に挟まっている。幸い、流れついた角材を見つけて、それを握りしめ、杖にもなるので用心しながら、岩を伝った。近くの大きな県の水族館へ向けて海水を引いている個所があるので、さすがに水はきれいだ。しかし、藻類は少なかった。海水温度の激しい変化だろうか、漂着も含め藻類は確実に減っていると感じた。
◇ ◇
柿本朝臣人麿が活躍するいわゆる白鳳万葉期。壬申の乱後であるが、この宮廷歌人は天皇を讃え、皇子たちと付き合うが、持統天皇への歌を詠んでいると、讃歌以上のものを感じるのである。
1300年前の宮廷に思いをはせながら、磯から帰ってくると、テレビが“生前退位“をにじませた天皇のビデオメッセージを流していた。長い天皇家の歴史を背負って、これから進む、「国民の象徴」としての天皇。非常に憲法を意識しておられるな、と感じた。
そういえば持統天皇は女性天皇であった。
(「文・ぶん・ブン」は、つづく)