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ウィン・ウィン経済論。お金に愛があるか?

2019-04-06 | 社会問題
  4月6日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


経済に新しい概念、次元を附与されるなら、古い理論は使えなくなる。

マルクス資本論とアダム・スムス国富論、この二つを足して二で割ると、

導き出されるその答えは、投資によって社会が前進するウィン・ウィン経済論だ。

このウィン・ウィン経済論の根底にあるものは、「愛」 であり、

「愛」 があれば、この世の法則 「必要悪」 も調和する。

経済に欠けた最大のものは、

自分自身の関心(マネー)に他人を結び付ける 「愛」 にある。

自らの関心(マネー)の方向性が集団に結び付く時、

全生命を懸けて打ち込める自信(パワー)が沸き上がる。

逆にこれが欠けた毎日は、退屈で、いい加減で、身勝手な、自己中心的な行動へと

つながることなき無目的が、悪意ある関心(マネー)へと人を向かわせる。

一体何時になれば、揺るぎない経済活動が実現するのだろうか? 

なぜ? 関心(マネー)は求めるが善悪は傍観するのか。

関心(マネー)を経済学と称するビジネスマンの英知であるなら、

何を不安がり敬遠しているというのだろうか。

ここで逆説だが一度、

勇気を出して、熱意をもって、集めた資本を社会に差し出してみることだ。

得る前に与えるならばウィン・ウィンの道が開かれる。

愛とウィン・ウィンで集団社会に提供するのである。

まかり間違っても元々ではないか。

汝は、自らの良心のみ恐れ、それに従う者に、

断固として実践する自信と勇気が経済理論として異議を持ち得るように、

統べての経済は、凡ての生活は、全てのマネーは、

社会の実践的な毎日に直結する限りにおいてその意義を持ち直し得る為には、

私達の関心(マネー)による裏付けの無い綺麗事だけでは長続きしない悲しい現実だ。

関心(マネー)は私達に、否、私自身に具体的な生活を動かす限りにおいて意味がある。

生活と経済の一致。関心(マネー)とウィンウィン(愛)との一致。

それらバランスが労働意欲として、幸福で慎ましく楽しい毎日の成果主義である。

この社会で生き抜く為に従うべき労働観念には、

日常生活の安定の中から生まれるものでなければならない。

社会正義や道徳観念をどれほど巧妙に積み重ねても上手く行かないのは、

いかにも 「必要悪」 という法則との遊戯にこそ、

真にウィン・ウィン経済という幸福論の名に値する。


ウィン・ウィン経済論の根拠は 「愛」 にある。

「愛」 が関心(マネー)の根拠となる。

「愛」 を定義するなら、認識であり、認識されたものは実在する。

経済活動は認識出来ないものとは、関係を築けない。

その関係を築けないから 「愛」 が無い。

「愛」 が同一性の原理だと結び付くまでは、経済活動に自由は無い。

自由は単純に言えば可能だ。「愛」 を原理的に認識しさえすればいいからだ。

実際、「愛」 の無い人とはシェアしたくないように、

「愛」 と 「自由」 は内部にある。むしろ外部が立ちはだかる。

あらゆる関心(マネー)は、知的なものであれ、友情的なものであれ、

何らかの欲求には違いないのだが、「愛」 がバランスを現出させるのである。


    つづく。



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