4月 2日 木曜日
おはようございます。 年上の女性です。
「今日、お集りの皆様。
皆様にお話ししておきたいことがございます。
それはとても重要なことなのです。
ですがその話を聞いて
中にはショックを受けられる人もいるかもしれません。
しかし、私たちの将来にとって大変重要な問題定義なのです。
本日お集りの皆様。
それではよろしいでしょうか。始めたいと思います。」
「人はみな生まれながらにして平等だと信じています。
それは人類の願いであり、法の理念です。
平等は世界の目標であることに疑う人はいないと思います。
しかし、理想と現実を見てください。
本当に私達の社会は平等だと言えるのでしょうか?
いいえ。違います。
今日お集りの皆様の中にも、
心の中で薄々お気づきの方がいることと思います。
そうです。その通りです。
私達は平等社会という理念の中で暮らしていますが、
事実は平等ではない。不平等なのです。
皆様の中には社会が平等だと信じている方もいることでしょう。
ですがそれはそう信じ込まされているだけではありませんか?
私には真実がどこにあるのか見えないのです。
それは機会の平等にも言えることなのです。
チャンスの平等であります。
私はそれすら平等に与えられていないと思えるのです。
なぜなら、
機会の平等には同じ条件でなければ成立しないからなのです。
問題はここにあります。
なぜ? チャンスの神様は前髪しか伸ばさないのでしょう?
その答えを解くカギが今日ここにあります。
結論を急ぎましょう。
本日お集りの皆様。
今日はこれだけを覚えて帰って下さい。たった一つです。
「財産権の無効」 これだけで平等が実現します。
財産権を失くせば平等な機会が成立します。
真の法による平等社会の実現とははっきり言ってこれです。
解りやすくご説明いたします。
現代の法の概念は三つ。
1、生存権(動物権)です。
2、幸福追求権(人権)と呼ばれるのもです。
3、財産権(金持ち権)これが特権なのです。
一つ目の生存権は、むやみに殺すなかれです。
二つ目の幸福追求権は、誰であろうと幸せに生きる権利のことです。
ここまでは皆様も同意の上にあるはず。
問題なのは三つ目の財産権なのです。
これはお金持ちだけが優遇された不平等法なのです。
一部の人だけに与えられた特権であり自然法違反なのです。
はっきりと申し上げます。
財産権は不平等法だと。平等だというのなら教えてください。
どこが平等なのかを。答えられなければ「アウト」だ。
それともう一つ疑問があります。
私達は一体いつ財産権に同意したのでしょうか。
財産権が生まれ持った権利ならば証明してください。
これが平等だといえますか?
是非ともご回答をお待ちしております。」
「私達が生きている間に稼ぎ出したお金は勿論、
自分自身のお金ですから自由に使っても何も問題はありません。
むしろ沢山使うべきでしょう。死海とガリラヤ湖とのたとえです。
ですが思い出してください。そのお金は誰のものなのかを。
財産として所有するそのお金は一体何処から得たのかを。
人は自然の恵みを借りて、
それをエネルギーに換え成果を手に入れます。
そこから得た財産を自然に返すことが自然界ならば
ごく普通に行われていることなのです。
人間も同様です。裸で生まれて裸で自然に帰るのです。
所有権とは、
自分が使用するに必要であった以上の権利を言います。
格差社会とはつまり、
これらの所有権、財産権、相続権を失くさば良いのです。
実に単純で簡単、シンプル・イズ・ベスト。
真実の美しさは見る者の目の中に映る単純でシンプルな現象だと。
実際、義務を伴わない権利がないように、
義務を伴わない財産権はないのです。
つまり財産権の制限には、
消滅しているかで限界点とする、死を以て無効とするのです。
この当たり前の現実が見落とされています。
おそらく皆様の中には、
財産権の無効と聞いて驚いた方もいることでしょう。
財産権が無効になるなど夢にも思わなかったことでしょう。
中にはお金がなければ天国へ逝けないとさえ思われたのでは?
この際はっきり言わせて頂くと、
平等社会と一握りの金持ちとどちらの優先順位が高いのでしょうか。
もしもここに功利主義のベンサムがいたら何と言うでしょうか。
神様はどちらに味方すると思いますか?
人は平等に生まれて平等に死ぬべきです。
それこそが真の平等だと言えるものなのです。ほかにはない。
この世界が不平等なのは財産権に問題がある。
今日お集りの皆様。どうぞこれだけは覚えて帰ってください。」
「本日お集りの皆様。
たった今、
財産権が平等社会の妨げになっていることに気づかれました。
だから早急に財産権を白紙にしてしまえと思うかもしれません。
ですがことはそう簡単には行かないのです。皆様もご存じのはず。
なぜなら、この現実社会はお金持ちが支配するシステム下にあるからです。
知らず知らずの内に誘導された社会なのです。
しかもこの支配が千年続いた歴史なのです。
これはあくまでも私の仮説なのですが、
真の平等社会が実現するには20年~30年くらい掛かると思います。
いや、数百年以上掛かるやもしれない。
なぜそう思うかと言えば、
私達は非力だからです。数では勝っていますが相手は強者なのです。
世界の富の80%が全体の20%の金持ちが独占している事実を見れば明らかのように、
これが格差社会の現実なのです。
嘘だという人は皆無と思います。
なぜ? 私達の銀行口座に残高が記載されないのでしょうか?
銀行口座に記載されるのは支払いばかりです。
ちょっと持ってください。
じつは、お金は銀行に行けばいくらでもあるのです。
ただ、私達に無い。あるところにはある。
そのお金が広く社会に出回れば良いですよね。
そのお金を社会に返そうとするのに邪魔をするものが
凝り返しますが 「財産権」 なのです。
あなたが稼ぎ出したお金はあなたのものです。
疑う余地はありません。
しかし、真の平等社会とは、
同じ機会、同じチャンス、同じスタートラインがあってこそ可能です。
私達は幸福を手に入れたいのです。
だったらお金を手に入れさえすれば良いだけの話です。
なにも難しい話ではありません。
ただ、その機会が平等であれば最高なのです。
これが自然法と呼ばれるのもです。平等法なのです。
自然法とは普遍法であり万民法なのです。
これは神から与えられた権利だと認められているものなのです。
認めていないのは財産権の方なのです。同意していないのは財産権です。」
「断言いたします。今日お集りの皆様は、
真の平等社会の実現に向けた最初の人となることでしょう。
自然法を明確に打ち出した最初の人となるのです。
千年続いた不平等社会に終止符を打つ為に行動を起こした最初の人となるでしょう。
そうです。私達が世界を変えます。歴史の一ページに残されるのです。
そのために、平等社会を志して共に立ち上がろうではありませんか!
その方法が、財産権の無効を言い続けることなのです。
これは決して容易いことではありません。
たとえそれが何百年掛かろうとも言い続けなければならないのです。
それが私たちの責任なのです。なぜなら、
今日ここで知ってしまったからなのです。
私の話を聞いてしまったからなのです。
知らない方が良かったという人もいるでしょう。
何も知らなければ何もしなくて済みますからね。
しかし、知ってしまった以上、そうはいきません。
もう二度と後戻りは出来ないのです。
それはエントロピーの法則が働くからです。
この話から降りられない。逃れられないのです。
本日お集りの皆様。
今日は大変な所に来てしまいました。
どうか私を恨まないでください。これは必然なのです。
いつかはやらなければならない時が人生にはあります。
それを運命と呼べば宿命と呼ぶ人もいます。
この世に偶然はないと言われるように、
今日この場を以って私とあなたはつながりました。
これは事実です。
もちろん皆様には選択の自由があります。
この社会が不平等でも構わない今のままで良いと、
思われるのでしたらそれもまた人生です。
今日聞いたことは固く口を閉ざして
今はまだ時代が早過ぎると良心をなだめれば
きっと気分も安らぐでしょう。犠牲になるのは、
負け組だと考えれば自らの慰めになるかもしれない。
ですが皆様。偶然はありません。
選ばれた者であればご理解いただけれると思います。
世界を変える一歩を今日ここから踏み出そうではありませんか!
平等社会を実現するには時間が必要でしょう。
何事をするにしても時間が掛かるのもです。
しかし、「時」 は金持ちたちに味方していない。
「時」 は不平等を支持などしていない。
自然法は確かに実在します。
私達が気づかないだけなのです。
そんな私達は難攻不落の大富豪たちに立ち向かう
愚かなドンキホーテーに見えるかもしれません。
たとえそうだとしても100年後の人達に本日、
私達が立ち上がったことを誇りに思ってくれると信じます。
どうか未来の人達に神の祝福を。
そして私たちに祝福を。
つづく。
おはようございます。 年上の女性です。
「今日、お集りの皆様。
皆様にお話ししておきたいことがございます。
それはとても重要なことなのです。
ですがその話を聞いて
中にはショックを受けられる人もいるかもしれません。
しかし、私たちの将来にとって大変重要な問題定義なのです。
本日お集りの皆様。
それではよろしいでしょうか。始めたいと思います。」
「人はみな生まれながらにして平等だと信じています。
それは人類の願いであり、法の理念です。
平等は世界の目標であることに疑う人はいないと思います。
しかし、理想と現実を見てください。
本当に私達の社会は平等だと言えるのでしょうか?
いいえ。違います。
今日お集りの皆様の中にも、
心の中で薄々お気づきの方がいることと思います。
そうです。その通りです。
私達は平等社会という理念の中で暮らしていますが、
事実は平等ではない。不平等なのです。
皆様の中には社会が平等だと信じている方もいることでしょう。
ですがそれはそう信じ込まされているだけではありませんか?
私には真実がどこにあるのか見えないのです。
それは機会の平等にも言えることなのです。
チャンスの平等であります。
私はそれすら平等に与えられていないと思えるのです。
なぜなら、
機会の平等には同じ条件でなければ成立しないからなのです。
問題はここにあります。
なぜ? チャンスの神様は前髪しか伸ばさないのでしょう?
その答えを解くカギが今日ここにあります。
結論を急ぎましょう。
本日お集りの皆様。
今日はこれだけを覚えて帰って下さい。たった一つです。
「財産権の無効」 これだけで平等が実現します。
財産権を失くせば平等な機会が成立します。
真の法による平等社会の実現とははっきり言ってこれです。
解りやすくご説明いたします。
現代の法の概念は三つ。
1、生存権(動物権)です。
2、幸福追求権(人権)と呼ばれるのもです。
3、財産権(金持ち権)これが特権なのです。
一つ目の生存権は、むやみに殺すなかれです。
二つ目の幸福追求権は、誰であろうと幸せに生きる権利のことです。
ここまでは皆様も同意の上にあるはず。
問題なのは三つ目の財産権なのです。
これはお金持ちだけが優遇された不平等法なのです。
一部の人だけに与えられた特権であり自然法違反なのです。
はっきりと申し上げます。
財産権は不平等法だと。平等だというのなら教えてください。
どこが平等なのかを。答えられなければ「アウト」だ。
それともう一つ疑問があります。
私達は一体いつ財産権に同意したのでしょうか。
財産権が生まれ持った権利ならば証明してください。
これが平等だといえますか?
是非ともご回答をお待ちしております。」
「私達が生きている間に稼ぎ出したお金は勿論、
自分自身のお金ですから自由に使っても何も問題はありません。
むしろ沢山使うべきでしょう。死海とガリラヤ湖とのたとえです。
ですが思い出してください。そのお金は誰のものなのかを。
財産として所有するそのお金は一体何処から得たのかを。
人は自然の恵みを借りて、
それをエネルギーに換え成果を手に入れます。
そこから得た財産を自然に返すことが自然界ならば
ごく普通に行われていることなのです。
人間も同様です。裸で生まれて裸で自然に帰るのです。
所有権とは、
自分が使用するに必要であった以上の権利を言います。
格差社会とはつまり、
これらの所有権、財産権、相続権を失くさば良いのです。
実に単純で簡単、シンプル・イズ・ベスト。
真実の美しさは見る者の目の中に映る単純でシンプルな現象だと。
実際、義務を伴わない権利がないように、
義務を伴わない財産権はないのです。
つまり財産権の制限には、
消滅しているかで限界点とする、死を以て無効とするのです。
この当たり前の現実が見落とされています。
おそらく皆様の中には、
財産権の無効と聞いて驚いた方もいることでしょう。
財産権が無効になるなど夢にも思わなかったことでしょう。
中にはお金がなければ天国へ逝けないとさえ思われたのでは?
この際はっきり言わせて頂くと、
平等社会と一握りの金持ちとどちらの優先順位が高いのでしょうか。
もしもここに功利主義のベンサムがいたら何と言うでしょうか。
神様はどちらに味方すると思いますか?
人は平等に生まれて平等に死ぬべきです。
それこそが真の平等だと言えるものなのです。ほかにはない。
この世界が不平等なのは財産権に問題がある。
今日お集りの皆様。どうぞこれだけは覚えて帰ってください。」
「本日お集りの皆様。
たった今、
財産権が平等社会の妨げになっていることに気づかれました。
だから早急に財産権を白紙にしてしまえと思うかもしれません。
ですがことはそう簡単には行かないのです。皆様もご存じのはず。
なぜなら、この現実社会はお金持ちが支配するシステム下にあるからです。
知らず知らずの内に誘導された社会なのです。
しかもこの支配が千年続いた歴史なのです。
これはあくまでも私の仮説なのですが、
真の平等社会が実現するには20年~30年くらい掛かると思います。
いや、数百年以上掛かるやもしれない。
なぜそう思うかと言えば、
私達は非力だからです。数では勝っていますが相手は強者なのです。
世界の富の80%が全体の20%の金持ちが独占している事実を見れば明らかのように、
これが格差社会の現実なのです。
嘘だという人は皆無と思います。
なぜ? 私達の銀行口座に残高が記載されないのでしょうか?
銀行口座に記載されるのは支払いばかりです。
ちょっと持ってください。
じつは、お金は銀行に行けばいくらでもあるのです。
ただ、私達に無い。あるところにはある。
そのお金が広く社会に出回れば良いですよね。
そのお金を社会に返そうとするのに邪魔をするものが
凝り返しますが 「財産権」 なのです。
あなたが稼ぎ出したお金はあなたのものです。
疑う余地はありません。
しかし、真の平等社会とは、
同じ機会、同じチャンス、同じスタートラインがあってこそ可能です。
私達は幸福を手に入れたいのです。
だったらお金を手に入れさえすれば良いだけの話です。
なにも難しい話ではありません。
ただ、その機会が平等であれば最高なのです。
これが自然法と呼ばれるのもです。平等法なのです。
自然法とは普遍法であり万民法なのです。
これは神から与えられた権利だと認められているものなのです。
認めていないのは財産権の方なのです。同意していないのは財産権です。」
「断言いたします。今日お集りの皆様は、
真の平等社会の実現に向けた最初の人となることでしょう。
自然法を明確に打ち出した最初の人となるのです。
千年続いた不平等社会に終止符を打つ為に行動を起こした最初の人となるでしょう。
そうです。私達が世界を変えます。歴史の一ページに残されるのです。
そのために、平等社会を志して共に立ち上がろうではありませんか!
その方法が、財産権の無効を言い続けることなのです。
これは決して容易いことではありません。
たとえそれが何百年掛かろうとも言い続けなければならないのです。
それが私たちの責任なのです。なぜなら、
今日ここで知ってしまったからなのです。
私の話を聞いてしまったからなのです。
知らない方が良かったという人もいるでしょう。
何も知らなければ何もしなくて済みますからね。
しかし、知ってしまった以上、そうはいきません。
もう二度と後戻りは出来ないのです。
それはエントロピーの法則が働くからです。
この話から降りられない。逃れられないのです。
本日お集りの皆様。
今日は大変な所に来てしまいました。
どうか私を恨まないでください。これは必然なのです。
いつかはやらなければならない時が人生にはあります。
それを運命と呼べば宿命と呼ぶ人もいます。
この世に偶然はないと言われるように、
今日この場を以って私とあなたはつながりました。
これは事実です。
もちろん皆様には選択の自由があります。
この社会が不平等でも構わない今のままで良いと、
思われるのでしたらそれもまた人生です。
今日聞いたことは固く口を閉ざして
今はまだ時代が早過ぎると良心をなだめれば
きっと気分も安らぐでしょう。犠牲になるのは、
負け組だと考えれば自らの慰めになるかもしれない。
ですが皆様。偶然はありません。
選ばれた者であればご理解いただけれると思います。
世界を変える一歩を今日ここから踏み出そうではありませんか!
平等社会を実現するには時間が必要でしょう。
何事をするにしても時間が掛かるのもです。
しかし、「時」 は金持ちたちに味方していない。
「時」 は不平等を支持などしていない。
自然法は確かに実在します。
私達が気づかないだけなのです。
そんな私達は難攻不落の大富豪たちに立ち向かう
愚かなドンキホーテーに見えるかもしれません。
たとえそうだとしても100年後の人達に本日、
私達が立ち上がったことを誇りに思ってくれると信じます。
どうか未来の人達に神の祝福を。
そして私たちに祝福を。
つづく。
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