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軍部の暴走。

2019-12-30 | 歴史
 12月30日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


国家に関係なく、政府と軍部との間には対立が生じる。

国家のパワーバランスが比例だと仮定すれば、

偏った軍部へと何らかの切り替えが行われるのだろう。

仮に政府と軍部が行き過ぎた社会体制に協力することが可能ならば、

国家のパワーバランスは比率に安定したはずだ。

ところがそうは上手くいかない。なぜか。


歴史から紐解く。

日本が文明国と呼ばれるようになったのは、

当時、世界最強と謳われたバルチック艦隊に勝利した後である。

ポーツマス条約により南樺太を獲得し、

韓国の保護権と遼東の租借権を手に入れる。

日本が勝ったのはロシアで、朝鮮ではない。

大正3年(1914年)第一次世界大戦が勃発、

日本は中国に「対支二一カ条の要求」を突き付け、

中国では反日活動、五四運動が起きる。一方、

ロシアはレーニンによる世界初のプロレタリア国家が誕生、

大戦はヴェルサイユ条約で終結し、国連が発足、米国は参加しなかった。

大正9年(1920年)日本海軍艦隊計画に着手、

世界一の海軍を目指す翌年、原敬が暗殺される。

大正11年(1922年)ワシントン軍縮会議が開かれる中、

日英同盟が破棄される。その翌年、関東大震災が襲った。

大正14年(1925年)

ロカルノ条約によるヨーロッパの集団的安全保障体制が引かれ、

中国では蒋介石による北伐が始まった。日本では東方会議が組織される。

昭和3年(1928年)

張作霖爆殺事件が6月に、パリ不戦条約に調印したのが8月。

昭和天皇が即位したその翌年、ウォール街で大暴落が起き、世界が大恐慌に陥る。

同じころ、トロツキーが追放されソ連が秘密裏にスターリン体制に入る。

翌年には、ロンドン軍縮条約が、ナチスドイツが第二党に躍進、

日本国内は軍部と政府との統帥権問題で大振れに揺れる。

昭和6年(1931年)満州で万宝山事件が起きると、

9月、関東軍が満州鉄道を爆破、その満州事変の翌年、上海事変を起こし、

その後、満州国建国が宣言される中、桜田門にて天皇暗殺未遂事件があり、

青年将校による五,一五事件が起きる。

日本が完全に狂い始めた年として永久に記録されることだろう。

昭和8年(1933年)日本は国際連盟から脱退、

日本軍による長城線を超える侵入を開始し、

日本にとって一番最悪なシナリオへと進んで行く。

折しも、国民は何も知らされていない。

いったい何が日本を破滅へと狂わせたのだろうか。

軍部の暴走だ。近代戦争は全て軍による暴走である。

張作霖爆殺事件で関東軍作戦主任が責任を取り、

満州事変は関東軍司令官の本圧、作戦主任参謀の石原、同高級参謀の板垣の三人で書かれた。

満州を平定するのが一番だと考えた関東軍は、板垣征四郎が上海事変を一人で書く。

日本の敗戦後、

東京裁判で満州事変は侵略戦争の開始だと結論付け、

日中戦争や太平洋戦争の前提に当る国際法に背いた戦争犯罪だと裁定された。

東京裁判が 「勝者の裁き」 であることは否定しない。

しかし、国際連盟条約や不戦条約、軍縮会議に参加する日本と、

関東軍による行為は明らかに暴走以外の何物でもない。

帝国主義は独断による個別の主義ではなく集団によるもので、

親愛なる日本国民を戦争へ引き込んだ関東軍の暴走は、

決してあってはならないと再度認識すべきなのだ。


   つづく。





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