桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

しばらくお休み。美味しい?おいしくない??

2017年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
6月15日(木)

6月13日(火)

スーパーでキャベツを買った。
何時もより手頃なね案だった。
しかし、それからがどう美味しく食べるか思案が始まった。

キャベツだけでなく、レタスも同じようなことが言える。
折角の葉物だから;できるだけ新鮮に食べたい。
しかし、しおれたり、いたんだりと折角の新鮮さを失ったりして料理をすることが出来ずに無駄にしてしまうことも多い。

今回も、新聞紙にくるんでなんとか新鮮さを保つことができた。さ!これから、頑張らなければ!

何時もは、姉がロールキャベツを作ってくれる。私は少しばかりお手伝い。

しかし、今回は姉が「きついきつい」と言うので、私一人で作ることにした。
今回のキャベツは状態が良い。
肉は合挽きの国産。
なんとか出来た。ひどいのは爪楊枝三本などという物もあるが、格好だけは美味しそう。

ところが、味付けになると、見よう見まね。それに無手勝流。
親!この肉、脂が多いようだ。今日のセールだったからかな?
国産の肉って聞いて買ったのだから安心していたのに。

味は少しばかりぼけているような気がする。
いろいろな調味料を入れた。勿論、我が家の月桂樹の葉も、(もう、今は無い何、まだまだ葉だけは重宝している。

結局、味がぼけているので、ケチャップを入れた。(ここで、姉の途上)

やっぱり美味しかった。しかし、脂がきつい。

試食?をしている人のご意見は?
弟にもお裾分け、


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6月15日より富士山へしばらく行ってきます。
ブログはお休みします。

大変だけど、頑張らなくては1

紫陽花が今年も美しいけれど‥

2017年06月13日 | 一年前
6月12日(月)〜13日(火)
先日なくしたSuicaとアトレーのポイントカードを戻すために手続きに行った。
結構、時間がかかると分かったが、ここで一安心。なくしたカード類は拾った人物が使っているものと思う。それにしても、ポイントカードなどはそのままのようだから、せめて、返してくれると良いのだが、無理な話。

大体、運転免許証などには住所や氏名が書かれているのだから、明らかに盗まれているのだ。自分の落ち度とはいえ、腹立たしい。

それ以来、私の精神的な状態は体調と共に狂い始めたようだ。まったく、大袈裟な話だが。
山梨の家を処分することにしたので、急に忙しくなった。
5月末から先週金曜日まで打ち合わせへ行く。
自動車もないので、富士山の一合目で日を送るのは難しい。もっとも、一日にシャトルバスが麓まで巡回しているが、日常の生活に必要な物の購入も制限がある。

と、いうわけで、羽田飛行場から出る河口湖行きの高速バスを利用した。
とりあえず、四泊して帰京。
今回の帰りのバスは非常に順調だった。行きの羽田行きは事故のため、空港から京浜蒲田までの折り返し電車が出るまで随分、手間取った。
お陰で、出発時間に間に合わせるためにはジュース一本買う暇もなかった。
もう、空港まで行くのはこりごり。これからは品川駅東口にしようと思う。

我が家の玄関前の紫陽花が大きく紫の花を咲かせている。
私の好きな花だが、殆ど世話をしなくても綺麗に咲いている。
心が休まって、季節の移り変わりをしみじみ感じる素敵な花だ。


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もう六月?

2017年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
5月31日(水)

えっつ!もう六月?
今年程、月日の経つのが速いと思った事がない。
やる事が何もできていないのにと考えると、焦るばかりだ。

私自身の事もあるけれど、世の中、様々なことが次から次へと起こっては、、解決がつかないままに次の問題が顔を出す。
昔は問題が少なかってような気がするが、やはり今と同じぐらいにあったのかな?
兎に角、イライラすることであり、なんとも救いようがない気がする。

明日は久しぶりに、本当に長い間、会っていない人達と会うことになった。
マニラ時代の人達である。それも、大人ばかり。

マニラへ派遣された時には、フィリピンなどへは行きたくなかった。
当時、NHKの大河ドラマで、フィリピンで一生を送ったキリシタン大名のことを舞台にした物語が行われていた後だった。
主人公の像は今も残されている。

飛行機から見えるルソン島の景色に『私も彼らと同じようになるのか?』と、いささか、気を落としながら眺めたものだった。
しかし、それは以前に観光旅行で訪れたフィリピンではなく、かつての日本人先駆者の活躍を讃えたものだと気づく。
『住めば都』が理解出来始めた。

外国で暮らすというのは厳しいことであり、派遣された使命感の元に自分の行動を注意しなければならない。


当時はまだ、戒厳令の敷かれたフィリピンであったから、外出にも拘束があり厳しかったが、なんとか順応するしかなかった。
そうした中で、フィリピン人と結婚している異本人の存在は有難い。
Mさんもその一人であった。
彼女のお陰で、色々と生活の知恵を授けてもらい、ご主人も日本で大学留学をした親切で優しい方だった。

また、Mさんの他にもAさんがいて、仲良くしていただいた。
今は、彼女からの便りは無いが、時々、いろいろな場面で思い出すことが多い。
この二人を含めた在留外国人の方々のお陰で、厳しい海外生活を安全で気持ちよく暮らせる技や感覚を教えていただいたのだった。

さあ、今日のMさんはどうされているか、楽しみが待っている!