桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

新年おめでとうと言いたい私

2018年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
1月4日(木)

今日はなんにちだった?新年早々!自問自答。

とんだことです。
今の私には、テレビなし。ラジオなし。
音のない世界が二日続きです。
だから、補聴器なんて面倒なものはいらない。



えっ!聞こえなくなったって?
いいえ、それではありませ~ん。

テレビが見られなくなったんです。
音なし!
画像見えない。後の話は今度ね!

おくりばせながら

2018年01月05日 | 一年前のその日
12月8日(金)

直ぐにコメントをいただけるなんて、なんて幸せなんでしょう!
すっかり、お返事を忘れていました。

『島みかん』って、島でできた名物のみかんで、わざわざ、東京から取り寄せているようです。
贈り主の彼女は、私が教師になって初めて教えた子供の一人です。
彼女たちも昭和20年に生まれたのですから、すでに70歳以上になっています。

嬉しいですね。そんな遠い昔のことなのに、今でも、よく覚えていてくださるのですから。
このみかんは、とてもみずみずしくて、あま~いみかんです。
彼女の優しさと、みかんの爽やかな甘い味が、懐かしさと変わらない新鮮さをひしひしと感じさせられます。

久しぶりに彼女と話しました。
何時迄も、私のこおを覚えていてくださって幸せです。
日頃のグズグズも解消。もっと、しゃんとしようと改めて思いました。


幾つか、届け物がきますが、これほど、時間をかけた贈り物はあまりないものです。
特に小学校時代のことは記憶にない人が多いですから。
今でも、便りがあると、教師冥利につきるものです。

特に贈り物がなくても)

元々、私は教師にはなりたくなかっt。
それは、子供の頃、担任教師から受けた扱い方がgrんいんのひとつだったからです。
私は、本当は画家かデザイナーになりたかったのです。
胃y、モッよなりたかったのは、化学者でした。
きゅりー夫人に憧れていましたから。
でも、無理でしたね。

一番、行きたくなかった学芸大学へ進んで、初学金を貰えば、どうしてもきょういんになるしかなかったのです。
今、考えると、『罰当たり』ですね。

でも、初めて小さな一年生の子供を受け持って幸せを感じさせられました。
しかし、当時の私は小さい子供たちと話したり、遊んだりするのが苦手でしたよ。
司会、絶対に、私自身が受け持ちの教師のようにはならないぞ!と、けっしんだけはしていました。
多分、その気持ちだけは通じたと自負しています。

39年間の思い出はたくさんありますが、相当、変わっている教師だったんだと思います。

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毎日、日を追うように足の動きがひどくなりつつあります。
悲観しました。’
しかし、もう、マイナスになる心の動きには『待った!』をかけようと思います。
とにかく、転ばないこと、そして、気持ちを明るくして暮らしていこうと思います。