桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

紫陽花が今年も美しいけれど‥

2017年06月13日 | 一年前
6月12日(月)〜13日(火)
先日なくしたSuicaとアトレーのポイントカードを戻すために手続きに行った。
結構、時間がかかると分かったが、ここで一安心。なくしたカード類は拾った人物が使っているものと思う。それにしても、ポイントカードなどはそのままのようだから、せめて、返してくれると良いのだが、無理な話。

大体、運転免許証などには住所や氏名が書かれているのだから、明らかに盗まれているのだ。自分の落ち度とはいえ、腹立たしい。

それ以来、私の精神的な状態は体調と共に狂い始めたようだ。まったく、大袈裟な話だが。
山梨の家を処分することにしたので、急に忙しくなった。
5月末から先週金曜日まで打ち合わせへ行く。
自動車もないので、富士山の一合目で日を送るのは難しい。もっとも、一日にシャトルバスが麓まで巡回しているが、日常の生活に必要な物の購入も制限がある。

と、いうわけで、羽田飛行場から出る河口湖行きの高速バスを利用した。
とりあえず、四泊して帰京。
今回の帰りのバスは非常に順調だった。行きの羽田行きは事故のため、空港から京浜蒲田までの折り返し電車が出るまで随分、手間取った。
お陰で、出発時間に間に合わせるためにはジュース一本買う暇もなかった。
もう、空港まで行くのはこりごり。これからは品川駅東口にしようと思う。

我が家の玄関前の紫陽花が大きく紫の花を咲かせている。
私の好きな花だが、殆ど世話をしなくても綺麗に咲いている。
心が休まって、季節の移り変わりをしみじみ感じる素敵な花だ。


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わたし、困っていますパソコンに

2017年05月30日 | 一年前
5月29日(月)

私、困っています。
パソコン関係、つまり我が家のIT関係、全てがこの私の悩みの元になっているのです。

原因はパスワード、それも、いろいろなパスワードが混み合っているので困惑の状態です。
結局、物事をきちんと整理出来ない性格が大きな原因となっているのです。

メモ帳(それも何冊もある)を開いても、長い期間に、いや、中には短い期間にパスワードが変えられているのでは、どうしようもありません。
つまり、怠け者で、だらしが無い為に問題が起こるのです。
近所の職場にいるN君に助けを求めに行こうかな?と、考えているのですが、何とか自分で解決するつもりで、控えています。

ところで、そのような私の自負心を傷つけるような事件が起こりました。


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5月24日(水)

姉と待ち合わせをして駅ビルまで行きました。
お目当ては、先日以来、気になっていたローストビーフを買う事です。今日も、高いたなに置かれている商品は分かりにくく、もう買えないかと思いました。
やっと見つけたローストビーフに心の中はニコニコ!
「こんな物を買って」と言われるかもしれないけれど、調理に適当な肉を見つけられず諦めていた私は、もう、よだれが出そうでした。


結局、ダメだったね!と二人で、今、食べたばかりの天ぷらそばの文句を言いながら、バスに乗りました。
姉は途中で薬局へ寄るので、後、一停留所まで私は乗り続けました。
バスから降りた途端に、ポケットに入れて置いた定期入れが気になったのです。でも、ポケットの中はカラカラ。


今日のバスはひどく混んでいました。
ちょうど、午後2時。
家へ着くなり、電話にかかりっきり。
まず、カード会社へ電話。なくしたクレジットカードを無効にしてもらいました。
バス会社へ落し物の問い合わせ。
そして、もう一枚のカードも電話。その時、このカードの会社がドコモに変わっていることに気がつきました。
兎に角、カードの届けは済んで、後は警察へ電話をして、届けを出しにくるようにいわれました。

後、何を入れていたかな?
ポイントカード、そして、もう使わないが、大事にしていた運転免許証、交通関係カード、それに明日必要な診察券が入っていました。
一応、電話で手続きを終えて、警察までタクシーで行く事にしました。

警察では、すでにほとんど連絡事項はすんでいたので、届け済みのカードをもらって帰宅しました。
とんだ一日になってしまい、姉にも心配をかけてしまいました。
結局、二時から六時過ぎまで落し物の手続きにかかってしまったのです。
Suicaについては記名をしているので、大森駅に確認したが、これは諦めるしかないようです。

今日のバスはひどく混んでいたので、揺れていた時、ステッキを拾おうとしたが、その時、浅いポケットに入れたカード入れを落としたのか?原因はわかりません。
以前の場合には、バス会社からの知らせで、海岸寄りのバスの事務所まで受け取りに行来ましたが、落とした事に気がつかなかったようです。

今回の場合は、拾ってくれた親切な人もいないようで、この調子では全く諦めるしかないと思いました。


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5月25日(木)

あくる日の木曜日は『御茶ノ水の日』
K先生に話すと、笑われ、直ぐに処置したことはさすがと言われましたが、全く、自慢にはなりません。
N先生に区に提出する証明書をお願いしました。

帰りにGINZA MATSUYAへ寄りました。
ここのカードだけは別のリュックに入れていたので、安心して使えました。
だんだん、歳を取ってくると、忘れっぽくなるので、気を引き締めなくてはいけません。
大分、ボケてきたぞ!
反省!しきり!!

未だにカード入れは見つからずにいます。誰かが悪用しようとしたのだろうか?
この処置だけは、自分を褒めておこう!


5月27日(金)

なんと、驚いた事には、最初に届け出たクレジットカードD社から速達便で新しいカードが送られてきました。
処置の早い事!

さすが!すご〜い!!カード会社!

今度はしっかり扱わないといけません。       


5月28日(日)

もう一つのカードも届きました。
ああ、よかった!

それにしても、カードを悪用しようとした者は、結局、記名してあるPASMOをこっそり使うしか出来なかったのです。
こころをひきしめよう!
自慢にはならない。

気を引き締めて!引き締めて!




                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

何とか復活かな?

2017年05月23日 | 一年前
5月23日(火)

まあ、何日、Macに向かって奮闘しているんだろう。
もう、すっかり諦めというか、ついには、どうでもいいや!といったようなやけ気味になる。

とにかく、何回やっても、最後にはそれらの記録が全部、どこかへ消えてしまった。
大切なIDとPAにはさんざんなめにあった。
いや、今も現在進行中である。(まさにご苦労な事!)

実は長い時間をこのパスワードに悩まされ続けて、もう、Macなんてどうだっていいや!と思い始めた。
それが、なんとまあ、私の大切にしているブログ『桜子でーす』につながったのである。
結局、Macと長い付き合いで真面目に取り組んでいたと思い込んでいた私には、所詮、無駄だったのだ。

「エーイ!!どうとでもなれ!」と、やけ気味になった私は、随分、貴重な時間や体調や労力などなど、まだ、他にもある他の生き方を無駄にしていたのだと、今更のように気づく。

今朝方、洗濯物を干している間に、道路から挨拶をしてくる男性がいた。
「オヤッ!ああ、そうだ!彼だわ」
随分、久しいが、彼にはパソコンについて世話になった事がある。
かつての隣のクラスの生徒だった彼とは、車の事やMacに関して世話になっている。

自分でなんとかするけれど、若しかすると、あなたにSOSするかもしれないよと伝える。
彼はいつでもいいですよと爽やかに答えてくれた。
「でもね、今は、自分でなんとかやってみるわ」
「そうですね。ブログをまで書いているのだから大丈夫。偉いですよ」と爽やかな表情を見せて勤務へ向かった。

それから、またもや画面が消えてしまい、悪戦苦闘が続く。
一向に快方へ向くどころか、ぜーんぶ消えてしまったのだ。
そうなると、iPadもiPhonもまともに作動してくれない。開店休業日。

先日、買っ分厚い『パーフェクトマニュアル』も、まったく役にたたずである。
いや、この特に詳しく、よく出来た本を抱えて、二階まで何回上り下りした事か、このようなものは素人の私には役立たと気づく。

本をまともに読まない私『だから効果なし』である。
何よりも、Macを担いで銀座へ通った何年間にどれだけの効果があったか?
今、しきりに、かつての人任せの勉強ぶりを反省する。
若い頃の私は少なくとも真面目で研究熱心だったのにな!

春の食べ物

2016年02月10日 | 一年前
2月9日(火)

姉が『ちらし寿司』を作った。
久しぶりに取り出した皿がとても綺麗だったから、これで食べたいわと話が決まった。
それに、節分の恵方巻はやめたが、急に寿司が食べたくなったのだ。

卵焼きは私の役目みたいになっている。
何時も思うのだが、どうしても、うまく焼けない。
結局、今日も一枚だけが成功した。
まあ、いいか!私にしてはうまく出来たのだから、これからも頑張ろう。

切れ切れになった卵焼きでも、結構、寿司は美味しかった。
今度は何時作るのかな?
二人の誕生日?雛祭り?

昨日はいい物を見つけた。
『ウルイ』は早い春のしるしみたいな物。
薄緑色が何とも言えない魅力だ。
ぬたにして食べようと思う。

もっとも、この山草は私のMacでは、デスクトップで、毎日、何回もお目にかかる。

東京に雪が降る:<仁川の冬1>

2016年01月18日 | 一年前
1月18日(月)

朝、障子を開けて外を見た。
雪である。
6cmぐらいかな?
テレビでは大雪だと言う。
あれっ!そうかな?これぐらいで大雪?
ず~っと前の東京では、ずんずん積もる雪に、車で帰る苦労をしたことがある。
その前には渋谷の宮下町の坂道で、滑って転びそうになったり学校のぐちゃぐちゃの運動場に敷かれたむしろの上を校舎まで歩いた思い出がある。
あの頃の東京の雪はひどかった。それに、比べて、今日の雪は少ないと思う。
しかし、日頃、雪が降らない場所では、雪に対する注意や対策がわかっていないからだろう。
交通機関までが、日頃の便利さに抗うようだ。

幸いと、我が家のある地域は雪があまり積もらない。
積もったらどうしよう!と思う。
以前の私は、率先して雪かきをしたものだった。
もう、そのような元気は無い。
立つのも厳しいからだ。

雪といえば、思い出は多い。
戦後、途中で、学校へ行くにも、田んぼの真ん中の縄手で雪を払えなくて、休んだこともある。あの時はきつかった。こういう時の田舎暮らしは辛いものだ。

交通機関は可成り厳しくなる。多くの人達の苦労が一度に吹き出した感じだ。

ああ、今は責任のある仕事についていない事を幸いだと思う。
それに、今日は、やはり病院の予約はしなくてよかったと思う。

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<仁川の冬:その1>

仁川の冬は厳しかった。朝鮮は三寒四温がはっきりしている。
めったに降らない雪が降ると、なかなか、雪は解けずに滑りやすくなる。
電柱などの周りにかき寄せられた雪はそのまま春まで解けないことが多かった。

子供達は面白がって、雪の小山に足をずぶりと入れる。
入れた足の穴は、そのまま、春の訪れを待つ事になる。
これも、この街の風物詩ではないかと思う。

時には、坂道の多い仁川では、凍りかけた雪道で誰それさんが転んだと言うニュースも伝わった。
道路にまいた水が凍って、姉がスケートをした事を思い出す。

霜焼けやヒビになった痛む手を、手袋も出来ずに寒い朝礼で我慢した事もあった仁川の冬。
春を迎えるまでの『我慢の子』だった。
私たちは教室に入ると、一斉に石炭ストーブに当たりに行ったものだった。

それにしても、春の日差しを浴びるようになって、電信柱の雪の山が日に日に解けていく様子は、まさに仁川の冬の思い出である。

着物の思い出

2016年01月12日 | 一年前
1月11日(月)

成人式。
街のあちこちで華やかな振袖姿が通る。
今日は、なんとなくうすら寒い日だ。
「これが本当の冬なんだろうね」と、私はつぶやいた。

着物は寒くないかしら?
今年は暖かい日が続いたから、白いふわふわしたストールもあまり見かけない。
ところが、急に寒くなりだした。
慣れない着物、しかも振袖では、動きも大変だろうな?

私は振袖を着たことがない。
そんな優雅な時代ではなかったのだ。
別に羨ましいとも思わないが、それでも、正月には着物を着た。

殆どは、母の仕立てだ。
母は、着物を縫うのが上手だった。それも速い。時には仕立てを頼まれていた。
ある時、突然、私は自分で着物を縫ってみると言い出して、自分の着物の仕立てを始めた。
布を裁つ事から始まる。縫い方にも、いろいろある。
結局、母に厳しく注意されながら、なんとか仕上げたが、母とは比べ物にはならなかった。

小学校の時も、学校で、一つ身(赤ちゃんの着物)を教えられた。
更に、女学生になってからは、家庭科(昔はそう言わなかった)で、四つ身(子供の着物)から浴衣、着物(袷)襦袢、帯などの縫い方を教わった。
結局、そうして苦心した物は、今、一切、役に立てないでいる。

小学生の頃の思い出に、学校で習った事で、その縫い方は違うなどと母に言われたものがあった。
私はそのことを、直ぐ樣、先生に話した。
先生は生徒を集めて、縫い方を訂正する。
今、考えると、私もお節介な生徒だったのだなと思う。

今では、押入れの高い棚やスーツケースにしまい込まれた着物や帯は、そのままになっている。
『虫干し』さえしないから、どうなっている事やら。

時折「あぁ!着物っていいな!」と思う事もあるけれど、洋服、特に活動的なジーンズやセーターの方が気楽な生活になった。
むしろ、それは、生活の密着し過ぎた無精な服装なのかもしれない。

母が地味な着物で、参観日に来るのが気に入らず、翌日、母が学校へ着て行く着物をうるさく注文した思い出もある。

また、自分で買って来た着物地の柄や色が余りにも洋服じみたもので、母に言われた事も思い出す。
「あなたの着物時は洋服見たい。モダンで地味過ぎる」と…

日本の着物の美しさ、優雅さは、外国でも定評があるが、着物をめぐる母の思い出が度々出てくるのも、私が適当な歳になった所為だろうか?

 昨年同じ日に書かれたブログ

2015年10月26日 | 一年前
1944年10月25日とは……
10月25日(土)最近、かつては重大な秘密になっていた様なニュースが続出して、戦時中を体験している私でも初耳が多い。今朝も『神風特攻隊』の話題が出た。残念ながら、当時の報...

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2015年05月16日 | 一年前
5月16日(土)

慣れない事を一気にするものじゃないと、今更、気にする。
起きた時から、足の疲れがひどい。
『酷い』のも当たり前だと分かっている。

暫く休んだら、何とかなると考えたが、結局、一日中、きつかった。
でも、自分で分かっている事をやったのだから仕方がない。


昨日、買って来た物を使って夕食の準備をしようと思ったが、だんだん、きつくなる。
結局、明日へ回すことにした。
優柔不断はいけないなぁ!
明日は絶対にやる!


* 今日は、先日の旅行の一部分の写真を載せることにする。

  5月10日/今日は伊東滞在第一日


  

  

  


   
  

Macはお休みかな?

2015年04月03日 | 一年前
4月2日(木)

間違いなく、11時にはリハビリへ。
相変わらず、駐車箇所は無い。と、言うより、数分の差だった。
もう少し、左に寄ってくれれば良いのに隣の車とは広く開けている。
私だったら、いや、私も同じ事かも知れないなぁ!と思う。

また、呆けていた。今朝、出かける前に診察カードをしっかりと確かめた。
しかし、いくら探しても無いではないか!
「いいですよ」と受付の男性が言う。
今日は月初めだから保険証だけはしっかりと出せるようにしていた。

結局、忘れていると思う。私は全くのボケナス!遂にダメになったか!

今日は背中が痛む。
何故だろう?
EIさんに主治医に相談するように言われるが「こんなの、言っても仕方がないわ」と答える。
本当は、結果を知るのが怖いのだ。
背中を中心に揉んでもらったが、下を向くのさえ痛むので、やはり気になる。
どうか、早くなんでもないようになって欲しいと心の中で願う。

帰宅しても、やっぱり背中の痛みが気になる。昨日の運転の所為かな?



ところで『マイnote-book』が一杯になってしまった。
マックを開く度に警告が出る。は~て、どうすればいいのだ?
もう、銀座アップルへは行かないし、今日、院長さんがまた、アップルへ行くのか?と尋ねられたが「もう、行きません。こんな格好で、アップルへ行くなんて見っともないから」
と答えたばかり。

しばらく、マックを触るのは止そうかな?
それとも、誰かに聞こうかな?と、迷っている。

最高の日でした!!

2015年03月12日 | 一年前
3月11日(水)

3月11日の話題は東日本大震災の事で、どこも持ちきりになる。
私も、この日が気になって仕方がない。
そして、さすがの私もこの日は銀座が苦手になっている。それなのに、昨年までは銀座へよく出かけたものだ。

帰宅困難で、夜7時になると、JR新橋駅では避難していた人たちを外部へ出して、無情にも駅を閉ざしてしまった。

その後、新橋の第一ホテルのロビーで一夜を過ごした思い出は今でも鮮明に残っている。
あの時以来、私は、避難客を拒まずに一夜を過ごさせてもらえたホテルには、かつて嫌な思い出があったにかかわらず、すっかり好意を持つようになった。

どうしてもこの大災害に思いがいくのも、余りに衝動が大きすぎて、忘れることが出来ないためだが、何よりも『3月10日』が前日である事のショックが大きい。


昼に、電話がかかってきた。
昨日に電話を受けたIKさんからである。
「今、品川駅にいます。これからケーキと弁当を持って行きます」

一時間もしないうちに、ケーキと寿司を持った彼が門の前に立っていた。
部屋の中は退院以来めちゃめちゃに散らかっている。

姉も入って、まず、ケーキにろうそくを立てた。
そして、美味しい素敵なケーキと心づくしの若狭名物の押し寿司をいただいた。

昭和27年、私が新米の教師で渋谷へ赴任、そして一年生になったばかりの終戦っ子のIK君たち。
教室は隣のクラスと交代で勉強を始める。まだ、渋谷の街は戦後の姿が残り、遥かに神宮方面が見渡せた。
そうして、近所では青山通りを造成中だった。

勿論、物資不足で、甘いものやバナナでさえ口に入りにくい時代だったが、子供たちは素直で仲良く
元気だった。

この子供たちのおかげで、新米教師の私も育っていったのである。有難う!!!


彼らとは、未だに時々、会を開いているが、昔に変わらない和やかな雰囲気を持っている。
もう、その彼らも今年は70歳になる。
14歳の年の差は、すでに、大人の域に入って、同等の立場になっているのだなと実感する。
お互いに年寄りになっても、会えば、子供と教師になるのが可笑しいが…

姉が言った。
「いいわねー。何時迄も、こうして過ごせるなんて…」
人から羨ましがられる関係が、何時迄も続けられるとは、なんと幸せなことだろう。

今年は良い年だった!!

ブログを読んで、mayuzaさんやumekoさん 、賢ちゃんもコメントで祝って下さった。
渋谷、高輪台、マニラとそれぞれ会った場所は違うが、幸せで嬉しい便りである。

やはり、3月10日は最高の日であった。
もう、こだわらない。


* おめでとう!












がんばれ!自分のためにも

2015年02月23日 | 一年前
やっと、終わった!
2月21日(金)やっと、家計簿の整理(私の受け持ち部分)が済んだ。なんと、何と、表計算をしている中に、大事な表が何処かへ?これも、バージョンアップの所為だよ!と、恨む。...


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2015年02月23日 | 一年前
計算ソフト
2月20日(木)表の計算に、まだ、こだわっている。新しい機能は、慣れる迄には取っ付き難いが、約束事が分かって来ると、その便利さが分かって来る。そんな事は当たり前の話だが、た...


ハッピーなチョコレートの日

2015年02月14日 | 一年前
2月14日(土)

どこを歩いても『ハッピーバレンタイン』
きれいに飾られたチョコレートが、ケースの中に飾られている。
今日は、そのバレンタインデー。
休みが多い土曜日だから、もう、昨日、プレゼントをしたかな?

そういえば、店内には若い女性が目立った。
あげる人がいるの?
家に帰って、手作りのチョコレート?

自分の若い頃を思い出した。
若い頃の思い出は物資の少ない頃で、チョコレートなどは進駐軍つまりアメリカ製の板チョコがたまに手に入るとか、国内産はチョコレートとは程遠いものだったと覚える。

何時頃だったかしらん?
本物に出会えるようになったのは?
そんな時代にはバレンタインデーなどと言うものは無かった。
なくて幸せ、あって大変。
お小遣いだって少しだものね。

そんな時代を過ごした私にだって、夢はあった。
自分でチョコレートを手作りしたことがある。
もともと、好奇心の強い私だから、必ず試してみる。

出来上がったのを誰にあげたかって?
それはヒーミーツと言いたいところだけど、誰にあげたか覚えていない。本当よ!
だいたい、なんでも出来ると、弟や家族に上げたから…
そして、もちろん、自分のために。
味はどうだったかな?甘いだけだったかしら?

やっぱり、それ程美味しいものではなかったようだ。
何回やったか忘れた。
チョコレートの製品を数多く仕入れる店があって、色々と手に入り易くなると、買った方が余程良いと思うようになってから久しい。

先日。久しぶりに、その店を覗いた。
私のお気に入りの大人向けの品物が無くなっていた。時代だな?と思う。
チョコレートその物よりも、色々変化の富んだものが、消費者の気に入りになっているのだ。

駅ビルにある『SI』へ行ってみた。
あるある!ある!
でも、それは、私の背丈では届かないところに並べられていた。
店員に頼んで取ってもらったベルギー製のビターチョコレート。
これはこれは、なつかしい!
一人だけ、上げたい人がいる。
きれいにリボンを飾ってくれた。

さあて、今日はOスーパーへ行ってみようかな?
『ハッピーバレンタイン』のお客は来ているかな?
平和な一時よ!




13日金曜日ですよ

2015年02月14日 | 一年前
2月13日(金)

久しぶりに買い物のついでにラーメンを食べようということになった。
本当に長いこと、ご無沙汰をしている。
昨年、入院した後は一度も食べたことがない。喉の通りに自信がないからである。

最初に、駅ビルにあるクリーニング店へ立ち寄る。
改装以来、この店の位置も変わった。ここはラーメン屋どころか、随分、長い間、利用していない。
今回は富士山の家に置いていた革のコートである。
これは、わざわざ、マドリードで買った思い出のコートで、旅行コンダクターをしていたYさんから教えていただいた店である。

このコートを買うために、冬だというのに薄いコートで日本を旅立った。
私たちの服装を見て、毛皮を着た婦人達はカツカツ海外旅行をする貧乏人と見ていたらしい。
スペイン旅行の帰りにはレザーコートを着て、珍しいバッグを下げるなど、変わった姿に驚いたらしい。
二人で「余程、貧乏でカツカツの旅行をしていると思ったらしいわね」と笑った。

そう、日本を立つ時の持ち物や服装は、荷物にならないように嵩や重さを軽減するためだったのだ。
旅慣れって言うのは賢く(ちゃっかり)なるものだと、二人で笑った。

コートは日干しもせずにカビ臭くなってしまった。
スエードはクリーング代が高くかかると店の人が言う。
それでも良いからと依頼した。
えらく高い。おかげで、駐車料金はサービス。

地下で買い物をした後、お目当てのラーメン店へ行く。
本当に久しぶりだから、ラーメンを全部、食べる自信はない。

と、言ってこの店にはサイドオーダーしかない。
「ラーメンの量を半分にして下さい」と頼んだ。           
もう、昼はとっくに過ぎたというのに、次から次とお客が入ってくる。
この店は美味しいので、長い事よく続いている。
値段も何回変わったのだろう?

餃子も美味しかった。ああ、私って、こんなに小量で十分だとは情けないものだ。
姉も私が食べられなくなってから初めてだから満足したらしい。

帰る途中、西の空が異様な暗さで、上は青く下へ薄暗く分離されていた。
「気持ちが悪いわね。どうしたのかしら?」

帰宅して部屋で休んでいると、ニュースが流れた。
厚木で竜巻が起こったそうだ。
やっぱり、あの空の異様さは……
それに家に着いた瞬間、白い物がちらつき始めた。雪である。

庭の掃除をしている間に、雪は、もう降っていなかった。
妙な天気である。

おお!これぞ13日の金曜日と言うべきか!