桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

ぼけたのかな?パソコン

2017年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
4月26日(水)

先程まで、私の頭は混乱していた。
いや、長いことである。

4月4日、大森のドコモへ行った。その結果、ドコモとの関連をしながら、支払い方法を変えてもらった。
しかし、その事で、十分に理解していたわけではない。
私は、もう少し、これらの事を理解して,解決出来る力があると思っていたが、それが誤りだった事を身にしみて分かった。

ドコモからの光開通の知らせを受けて書類が来ると、混乱が始まった。
何しろ、留守の間に全ては終わっていたし、知らせの内容は理解できない点が多すぎる。
何より、様々な書類の文字があまりにも小さ過ぎて、読み取るのに混乱した。

悩んだ末、そのまま放っておく事にしたが、矢張り気になる。
なん度も、沢山の書類を読み返したが、途中で、もう嫌になった。
その事が始まって、もう間も無く、月が変わる。それもゴールデンウィークとなれば、安閑としてはいられない。

今日は頑張る事にした。
だんだん、体が寒くなって、とうとう、二階へ…
気分も悪くなったが、それは、ゴロゴロしながらの間食の所為。

せっかく、姉が買って来てくれた美味しそうな弁当も、まだ食べられないほど、気分は良くない。
でも、やらなくては……

頑張ったけれど、結局、降参。
ドコモのお客様サービスへ電話をする。

親切な女性の係員は、詳しく説明をしてくれた。感謝。
電話をさっさとすればよかったのだ。
自分が、まだ、コンピューター関係に理解力があると思ったのは全く良くなかった。

「私、86歳ですけど」と、先ず、宣言する。そうだ!この手で行こう!
事情を話すと、なんの事はない。
全て、オーケーだったのだ。

ナーンダ!
全て、4月4日で終わっていたのだ。
あの、若い係りの男性がきちんとしていてくれたんだと分かる。

もう、自分の事を信じる?いや、そうではなくて、謙虚にならなくては…
今まで、ストップしていたブログも再開しようと、溜めていたものを早速アップした。

ところで、もう一つ、好い事がある。
NTT東日本から『光ポータブル』の無償譲渡の知らせが来た事だ。
ウフフフフ……

これで、胃が痛かったのが治るかな?
パソコン、頑張るぞ!

筍と蕗

2017年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
4月25日(火)

一昨日、筍と蕗を買って来た。
早速,姉が茹でて、煮つけてくれた。
これこそ、春の香り。
その香りをもっと深めるために、隣の庭から山椒の葉をもらってきた。

以前には、山から持ってきた山椒の木があったのだが、もう,我が家の花壇にはない。
その後、スーパーで山椒の植木を買ってきたが、結局、いつの間にか枯れてしまった。
山椒好きの私達にとっては貴重なスパイスだったが、嫌いな人は庭にその木があることを嫌がる。

隣の家、との境目にある山椒二本は、みずみずしいあおい実と柔らかな葉をいっぱいに茂らせてくれるので大変重宝していたが、結局、棘が嫌いだと言って切られてしまった。

そういえば、枇杷の木も月桂樹もみんな切られてしまった。
香りのする植物は、もっと、大事にして欲しいモノだ。

今、庭は一番、植物が賑やかな時だ。
以前は、毎日、眺めたモノだが、今は一日のうちに外へ出る事さえしなくなった。
こんな事では、脚がよくなる筈もないと思うのだが。

あの可愛いチューリップも何時の間にか、消えてしまった。
もう、季節はどんどん変わっていく。
今年は黒い椿も咲かなかった。紫陽花の枝がはみ出し過ぎている所為だが、これも整理する事が出来そうもない。

外を眺めながら、悲観的な考えはよそうと思う。
しかし、今の私には、眠れない程の悩みがあるのだ。
それはパソコンがらみの事。

それにしても、筍と蕗、美味しかったよ!
春の一番人気かな??

御茶ノ水の帰りにあったこと

2017年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
4月21日(金)

今日は肌寒い。
もしかすると、それは私だけのことかもしれない。
昨夜は随分、不思議な時間に目覚めた。
昨日(4月20日)は毎月の『御茶ノ水の日』だった。
ドクターNには何時も通りに励まされて、手早く終わる。しかし、ここへ来る患者は皆、早く話し合いが終わる。
それでも、少しでも日頃の悩みが言えるようになって(私って、図々しいのかな?)毎月、次回の約束をして帰る。

次はS先生。こちらは体の事でうかがいたいことや教えていただきたいことなど、止めどもなく悩みを訴えるが、いつも、ニコニコして聞いて下さる。多分、他の患者さんに対しても同じことだろうと感じる。

結局、医師の仕事は、患者の悩みを患部から治す事と、日頃の悩みを聞いて心の病を解きほぐす事の大切さであると思う。

だから、多少、病院が遠くにあっても、姉と二人で月に一回の御茶ノ水行きをしている。

ところで、
二人の楽しみは帰りに銀座へ立ち寄ること。
今日も4丁目までタクシーで出かけた。
目的はコアビルに立ち寄ること、その後、三越のレストラン街へ、そして、いつものMATSUYAで買い物をすることである。

いつもより早い時間だった。
まだ、11時過ぎ。銀座通りは観光客であふれていて、銀座の雰囲気が違うな!と思った。
これはオープンした『ギンザシックス』の所為らしい。
観光客が多い事!いつもより凄い。

レストランは幾つかのレストランがあるが、今回は『飲茶』にした。
女性の客が殆どで混んでいた。
しかし、久しぶりの飲茶は期待はずれ。
随分、値段は高いのに美味しくない。分量が多過ぎて私は残してしまった。
やはり,箱根の蕎麦店の方が正解だと思った。
それにしても、混んでいて待っている人がいるというのに、長~いおしゃべりが続いている人がいて驚く。人のことなんか気にしない心理が理解出来ない。

MATSUYAへ行く。
店内は、何時もより、客が少ないように思った。新しい名所の所為かな?

久しぶりに『笹巻ずし』を買う。
店の女性が声をかけてきた。
「今も、Macへいっているのですか?」
「まあ1よく覚えていて下さったのね!」
先月は、彼女がいなかったので、他の店員さんへ「よろしく」と、言付けて行ったが…よく、覚えていてくれたのだと感心する。
もう,何年経ったのかしら?
以前は、銀座アップルの帰りに、毎週のようにこの店や浅野屋へ立ち寄ったのに……
もう,この足では心もとない。


帰宅したら、もう、一日仕事になった。
恐ろしく疲れている。
二階で一休み。ごろりと寝たら、そのまま眠ってしまった。

夜中に目が覚めた。目覚めは悪い。
もう,次の日だと思った。
時計を見ると、19時と出ている。
「嘘!そんなはずないわ〜!」と思う。
試しにテレビをつけたら、まだニュースをしているところもある。

「寝直し!」また、ごろりと寝てしまう。相変わらず、脚を引き出しに載せて……

また、目が覚めた。まだまだ,宵の口。
余裕のある就寝になってしまったのだ。こんな珍しいことはない。
これも、日頃の不健康な生活態度を改める指針になるのかな?

私の耳

2017年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
4月18日(火)

おーい!どこへ行ったの~?
私の大事な耳が無い。

電話が鳴った。
私一人しかいなかったので、仕方なく電話へ出る。
実は補聴器を付けていると、聞こえが悪いのだ。
受話器を取ると、必ず、右耳の補聴器を外すことにしている。そして……
「すみません。私の耳は聞こえが悪いんです。大きい声で話して下さい」と答える。

昨日もその通りだった。
用件はつまらない事。自分史作製の会社員が我が家の近辺を回るのでよろしくとの事。
「もう、書く気もないから、来ないで下さい」と丁重に断る。
仕事を辞めてから、この種の誘いは多い。
この誘いに乗るかどうかは自由だが、出来上がった本を見て喜ぶのは、本人の自己満足に過ぎないと私は思う。(これはひねくれているのかな?)

ところが大変!!
おーい!私の大事な補聴器はどこへ行った?

電話を切った後、補聴器が無い!

私の耳は右しか聞こえない。
それはムカシからの話だが。
小学生の頃、だんだん、耳が聞こえにくくなった。耳鼻科へ行くと外耳炎だと言われた。
そのうちに、とうとう、全然、聞こえなくなったのだ。
母に言わせると「あの耳鼻科の先生が鼓膜を破ってしまったのよ」という話だった。

それから、私の戦いが始まった。それも内緒の戦い。
「耳が聞こえない」と言っても、外面から見ると、どこにも悪い兆候は現れない。
つまり、本人の訴えも信用もされないし、ましてや、同情もしてくれない。
一人で、聞こえの悪さを隠し、悩むしか無かった。

それからは、耳が聞こえ無い悩みを人に知られないように、いや、こんな他人には分からない弱点は、出来るだけ隠しておきたい気持ちでいっぱいになってしまった。

今なら「私、聴こえないんです。済みませんが大きい声で話して下さい」と素直に言える。
若い頃は、自分のそうした弱さを隠したかった。

それは、歳をとって,仕事をもつようになると、更にエスカレートしてくる。
聞こえが悪い為に、仕事に不都合が起こり易いし、しっかりした答えが出来なくなる。
『聞こえない』事を知られないように隠す為に、結局、私は二重人格はになってしまった。

聞こえる時は『しっかりした態度が取れて意見を述べられる』
聞こえの難い時は『何とかまともに答えよう』として、かえって的外れになったり、自分の弱点を知られまいとする苦心で無愛想になる。

責任のある仕事になり始めると、益々、このような障害があることは厳しいものになった。
いい加減な返事は出来ない。
だから、心の重荷も大きくなる。

ところが、大発見。
いつも、絶対に同じ方向にしか座らない人がいる。
彼も同じ仕事。なぜだろうと思った。
分かった事は、二人の話し合いで、同じ立場だという事だ。
世の中、案外、ひっそりと悩みを抱えている人が多いと気がついた。

今は、すっきりと障害を話せるようになったが、長い長〜い苦労だった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<後日談>

補聴器が見つかった!
見つかったんです。
なんとまあ!
椅子の上に転がっていた!
私、座っていたの!
もう、つかわないつもりだったんだけど。
とっても、高価なんですもの!
今更、新しいモノを遣う気もなくなっている。
ますます、聞こえは悪くなりそうだから、自然のままの方が良いと思っている。

戦争中に生まれ、戦争でこの世を去るなんて

2017年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
4月17日(月)

桃の実が直径1cmほどの大きさになった。
こんなに変わりやすい世の中だというのに、自然界だけは、確実に季節を取り入れている。

花壇のチューリップは六本、以前より鮮やかな紫がかった色を見せて花を開かせている。
全然、世話もしないのに、なんと素敵な色を見せてくれるのだろう!
そう言えば、門の隅に黄色いタンポポが毎年のように咲く。その花がまあるい綿毛を形良く見せていたので、写真に撮った。
ところが、明くる日になったら、もう、綿毛のほとんどが風に吹かれて飛んで行ってしまった。
「かあさん!あの綿毛は何処へ飛んで行ったのでしょう?」私は思わず呟いた。

自然界では、まだまだ、昔のままの姿が残っているのに、今の世の中はどうなっているのだろう?
信じる事の少なくなったこの世が、無事に人の暮らしを全うさせてくれるか疑わしい限りだ。

昨夜、姉が準備してくれた食事をとりながら、二人共、だんだん、憂うつになった。
犯人は北朝鮮のテポドン不発のニュース。
失敗してくれてよかった。だが…だが……である。

そんな事で済む事ではない。
先ず、否応なしに沖縄の米軍嘉手納基地には、ミサイルを迎え撃つ強力な弾薬類を搭載した軍機が準備され、夜中には最強な戦闘力を持つ航空機が飛び立って行った。  

二人は次第に鬱の状態になっていった。
「結局、私達は、戦争の中で生まれ、戦争に巻き込まれて死んでいくのよ」
そんな、望みの全く無い気持ちが押し寄せてきたのだ。
「そうよ!もう、何もやる気が起こらない。物を片付けても無駄なんだわ」

全てがむなしく感じられる世の中、日本は自らこの大問題に関わって、敢然と戦ってはいけない、いや、戦いに臨もうとしない安易さを持つ政府。
一体、私達はどう対応すれば良いの?
戦いの中で、誰の助けも無く死んでいくしか無い。そう、考えると、全てが虚しく、目の前にある食べ物までが味いを失くしていった。

今日のニュースによると、この様な国にとって緊張した日に、以前からの計画とは言え、タレントたちを招待した花見の会を新宿御苑で開催したと言う安倍首相の常識を疑う。
なんと、問題の夫人まで同行と言うから驚きである。

つい、先日、近所のスーパーでチーズの宣伝をやっていた。
「どこの製品?」と、私は聞いた。
「Mです」
「ツマが嫌い」と、即座に答えた。ああ!と、さもありなんとばかりに若い会社員は見本のチーズを引き込めた。
「多分、あの宣伝員は、私の言葉の意味が分かったのよ」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…の言葉が当てはまりそうな『ツマ』の意味。
M製菓!かいたくないよ!買いたくないよ!まさにこれはやり過ぎ?
でも、買おうとはしない私。有名なエンジェルマークでもね‼︎

それほど、世の中って難しいんだ!

一日経った。でも、二人の虚しい思いは消え去らない。

我が国の無責任で弱い政府。
アメリカに頼りっぱなしの首相。何の為にゴルフをやったの?

アメリカ人はどうしてトランプ大統領を選んだの?

分からないなぁ!

鯖料理を食べる

2017年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
4月16日(日)<その2>

時々、急に魚を食べたくなる。
先日、地域に配られる宣伝紙をなんとなく見ていたら、小さな記事が出ていた。
先に読んだ姉の話によると、大森駅近くに『焼き鯖』専門の店があるという。

早速、読んでみた。
鯖漁獲で有名な港の店から運ばれて来る物を、この店で定食にして提供しているとのことだ。
昼食の時間は混むだろうから、空いている時間に行ってみることにした。

JR大森駅の線路に沿って小さな店が並んでいる。
ランチタイムになると、大勢のサラリーマンが行列を作って開店を待っているのを見かけた。
大体、この時間帯には近寄らないことにしているが、この一帯へは行った経験がない。

ああ、駅ビルの側なんだ?と一応、確かめたが、その後、出掛ける機会はなかった。

桜の花も、もう、終わりそうになって、未だ、今年は出かけていないから、久しぶりに花のなごりでも見るついでに、あの鯖の店へ行ってみようと決めた。

最近は、めったに乗らないバスだが、運良く到着した。
駅から然程、遠くもない店が、今の私にはきつい。

やっと、たどり着いた店は、間口が狭く、中へ入ると、二階へどうぞ!と言われた。
「エッツ!二階?」無理に改装したと思われる階段は、折れ曲がっている上に、きつい傾斜。
やっと、靴を脱いで、畳の間へ入る。
わずか、十人ほどしか座れない大きなテーブルが一つ。
既に、女性の客が五人来ていた。

私は座れない。足を投げ出して、背中にクッションを置いてもらっても壁に寄りかかるのがやっと。今度はテーブルに手が届かない。
洒落た民芸風にしているので、私のような人間には実用的ではないのだ。

運ばれてきた料理は、盆を膝に載せて食べる事にした。
鯖の半身がしっかり焼かれており、味噌汁と大根の酢の物、おひたし、漬物等がついて千円。
お代わりのご飯はおひつに入って運ばれて来る。
すべて、落ち着いた雰囲気だが、この様子ではランチタイムには大変だろうな?と思った。

店員の男性たちは親切だ。気分は良い。
私の様子を気にして、食後は、階段で手を取って降ろしてくれた。

しかし、もし、火事にでもなったら、逃げられないねと二人の感想。
美味しかったけれど、この体験で終りにしようと決めた。

買い物をした後、もう一つの目的の桜を見に行く。
姉は「忘れていた」と笑う。
昨年までは近くにあると思っていた桜並木も、私たちの足では遠すぎる。

公園の入り口近くの桜の木までたどり着いて、もう、いい事にしようと決めた。
風が吹いてきて、桜の花びらがひらひらと散り始める。
道端の花びらをステッキでかき混ぜてみた。柔らかい感触がある。
ああ、桜も終わりなんだ!

タクシー乗り場は混んでいるし、もう、見たから帰りましょうと、バスへ……
えらく混んでいたけれど、無事、席に座れた。

二人共、ご苦労さんでした!桜餅でも食べましょう!公園で食べるつもりだったけれど。

只今、料理作りは休止中

2017年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
4月16日(日)

私の朝は早い。
目が覚めると、シャワーをどうしようかと考える。
結局、寒くても、先日よりは未だましだと考えてシャワーを使うことにする。

こういった毎朝の行事?で、あとはボケっとテレビの前で過ごすか、もう一度寝直すかする。
結局、寝直しは一日の生活がすっかり乱れてしまうから、避けた方が良い。
兎に角、朝起きると、相変わらず脚のご機嫌が悪いので、もう、諦めるしかないかな?と思う。しかし、ここで、弱気になってはいけませんねと、心の中で戒める。


今日は何を作ろうか?食事のメニューを考えるが、大体、レパートリーのとぼしい私には、決まった物しか作れない。
つい、この間、姉に「あなたの作った、おかずは多すぎてあまり食べたくない」と仕方がなさそうに言われた。
私は、彼女のために、色々と無い知恵を絞っているが、作る量が増えるので、嫌われているようだ。それに、何と言っても二人の好みが違うから無理もない。
そこを理解しなくては……せっかくの気持ちも分かって貰えないと、押し付けがましい私は思う。

とうとう、私は作るのを休止した。
本当は反省しているのだけど…
私の相手に対する思いやりとか、謙虚さが足りないのだろう?

料理を休止して、今日で二日目。
朝起きて、何かを作ろうと思った。
しかし、相手はまだ二階。

自分のために、冷凍物のお握りとピザ。どちらもあまり美味しくはない。
それを食べた私は『姉不幸』をしたバチが当たったのかな?

そろそろ、機嫌を直して、私なりの腕を振るおうじゃないか!
なあ!桜子よ!

ある日の意地っ張りな妹の感想でした。

私の好きな料理は

2017年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
4月13日(木)

な、な、なんと、驚き!
今朝の私の足はすんなりとしている。
タンスの引き出しのお陰だ。
しかし、足のよろめきは一向に良くならない。マッサージが必要か?それとも、もう、この足には望みが無いのか?
いや、何とかしなくては…ネ!


夕方、足の運動も兼ねて、買い物へ行く。
夕日が美しい。

ここのところ、肉類が多かったので、魚が食べたくなった。
カツオの刺身を選ぶ。なんでも良いけれど、私が食べたいと言わなければ、姉の好みは塩鮭とかタラコ、貝類である。
今晩は刺身。それも私の好物のカツオとあれば、この上なし。
考えただけでも、よだれが出そう。

新ジャガも買ってきた。久しぶりに煮ようと思う。
こういう物は、私の係。
昨日、姉が言った。
「あなたのお陰で、煮物が多いから、お腹の調子が良い。でも、多過ぎるわ』と。

そう、野菜類、それも根菜が好きな私は、ここのところ、牛蒡、人参、大根、芋、玉ねぎ、蓮根、椎茸…と、買う物が決まっている。

だんだん、歳をとり出したらしい。
しかし、お気に入りで得意なのは、アボカド、キウイ、リンゴ、マンゴー、パパイヤ、きゅうり…などで作ったサラダである。
先日、ドレッシングを買ってみた。何時も作る手作りと、どれ程の違いがあるか試したくなったのだ。
結局、自分で作った方が美味しいとわかる。
以前は、マヨネーズまで自分で作った。

今晩は新ジャガの煮付けをしよう。どんな物ができるか、姉の評価が楽しみだ。

脚を載せる?

2017年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
4月12日(水)

足の腫れは血流を良くするために上へさすること、そして、足を高く上げなさいと言われて久しい。
無精者の私は、つい、サボってしまうが、それは自分の脚を大事にしないことになる。まさに、自らを痛めつけているに過ぎない暴挙である。

それでも、なんとか、脚を上げる工夫をすることにした。
部屋を眺めまわして思いついたのは、タンスの引き出しを利用すること。
私のタンスは横長で高さが低く四段構え。小さな引き出しが二列と長い物が一列四段になっている。
小引き出しをうまく使えば、なんとか、高さを調節出来ると考えた。

普通なら、足を載せるために大事なタンスの引き出しを使うなどと考える不届き者はいない。
しかし、窮余の策とでもいうか上手い考えだと気付いた。
今更、大事な家具をこの様な道具にしてしまうかは、もう、迷うこともなかった。

何よりも、適当な台が無い。それに、狭い私の部屋では、これ以上、物を増やす事は出来ない。
洒落た感じに出来ているこのタンスは、即座に気に入って買った物であるが、まさに利用価値のある家具だった。

早速、試してみた。
一晩、足を載せて寝てみたら、なんと、今まで腫れ上がっていた足がすんなりとなっているではないか!
もう、タンス本来の目的や価値などについてはどうでもいい。
私の足が治りさえすれば良いと思っている。
他の人が聞けば、呆れるかもしれない暴挙だとは思うけれど。

最近の私は『物』に対して考え方が変わってきたように思う。
それは私が歳を重ね過ぎたからだと実感する。
この事をマイナスに取るか、プラスとして素直に迎え入れていくかである。


四人で誕生会

2017年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
4月11日(火)

急に冬に戻ったような気がする。
折角、足の腫れが戻ってきたように思えたのに、また、なんだかおかしい。
季節に、いや、気温に左右されるようで、足の動きがもどかしい。わざと、よろめいていないはずなのに、一歩一歩が危ないのだ。
夜中も、寒かった。でも、やはり、シャワーに入る。

どこか温泉へでも行きたいわね~。どうせ、不自由な体なら、行き慣れた伊東にしようかと話し合う。
つい、先日、私が属している団体から分厚い今年度の会員用のマニュアルが送られてきた。
カードに自分の番号を入れるようになっているが、いくら探しても以前のカードは見つからない。
なんて、不親切なんだろうと、自分のだらしなさを棚に上げて、色々と探し回した。

結局、見つからない。嫌だけれど、明日にでも本部へ電話をするしかない。
気がつくと、以前に何回か来た会の冊子の袋は開封もしていないというだらしのなさ。
見つけ出した郵便物を調べてみたら、宛名の下に小さく個人番号が印刷されている。これも個人情報を守るための細やかな配慮なのか。

早速、先日来た資料の箱を調べてみた。
あった!宛名書きの側に私の誕生日も含まれた番号が小さく記入されているではないか!
すっかり、無精者になった私は『落ち着いて考える』事さえ、しなくなったと気がつく。

こんな事では老化が激しくなるよ!怠け者の自分自身の所為で『進行』が激化する。


ところで、今日は雨がひどかったが、Iさんと約束がある。
約束の場所には既に弟さんと、待っていらっしゃった。
先日「今度は弟も誘って来ますよ」とIさんが話していた。
本当に約束を守っていてくださったのだ。
元気な可愛い子供だったJさんは、もう70歳に近いとは嘘みたいに生き生きしていて魅力的。

いい兄弟だなぁ!と思う。この人たちのご両親の会話や日頃の動きを彷彿とさせられて、懐かしく、ほのぼのとする。

笑ってしまった。姉3月9日、私10日、Jさん11日。
こんな、偶然なことってある?
お兄ちゃんは4月9日、来年は4人で誕生会かな?

姉が言った。
「毎年、忘れずにいて下さって嬉しいわね!」
本当に、そうだわ。

何時迄も、忘れずにいて下さって有難う!!
Iさんの優しさは、まるで宝物。今日の寒さなんて消えてしまった!

今年もチューリップがお目見え/南の果物

2017年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
4月9日(日)

ふと、庭を見やると、枯れたススキの中にかき分けるように『赤い花』の固まりが見える。
大きい二本のチューリップは明るい赤。
その側に寄り添うように、二分の一ぐらいの小ぶりの花が三本、顔を出し始めた。
色は黒味がかった赤。こういう色も、私のお好みの色だ。
しかし……この花は…
最近、自分で探し求めたものではない。何年も前から土中に球根が埋まったままで、毎年顔を出してくれる。
『赤い色』って、なかなか、強くて我慢強い色だねと、一人で感心する。

これらの花は枯れススキの中でも、凛として咲いているから、いじらしさを感じる。
先日、「あのススキを切らなくては…」と姉に言った。
「あら!私はあのススキが好きなのよ」と姉の反対。

そうか!二人の好みを考えないと大変よ!
今の私は自分で、この『猫の額』のような花壇の整理さえ出来ないのだもの。
庭を掃除してくれる姉の気持ちを優先して引くに限るわ。(チューリップには悪いけど…ネ)

それ以来、いささか、影になりがちな小さなチューリップの花を気の毒に思いながら、これもいいかと思っている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<南の果物>

なんだか、蒸し暑い日が続く。
でも、夕方になると、風が強く、肌寒い。地球全体が昔の気候と変わったのかな?
寒さには抵抗のある私は、時々、東南アジアの気候が懐かしい。それでも、あのマニラで、⒋、5月頃になると急に暑くなって、運動をすると、あっという間に頭がクラっとする厳しさを思い出す。

そんな時に、救われるのはメロン。美味しかったな!
それから、マンゴーにアボカド、スイカ、パパイヤ、マンゴスチーン、ドリアン、椰子、パイナップル、バナナ等など……まだまだある。

でも、苺はあまりね???

最近、一番お気に入りはアボカドだ。
選ぶのにいささか苦労する。しっかりとした実に当たらないことがあるからだ。下手をすると、ぜーんぶ、無駄にすることもある。
だけど、サラダにすると、彩りが爽やかで、新鮮な味がする。(マグロではないよ!)
八百屋もちゃんと、消費者の足元を見ているなぁと思う。
賢い消費者にならないと、損をする経験の一つだ。

さあ1今日もなんとか頑張ってみよう。美味ししい果物を食べながら………

小学校時代の思い出<1>

2017年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
4月8日(土)
 
<体が弱かった私> 

すっかり、暖かくなった。
朝のシャワーも厳しさを乗り越えて、温かい湯にかかりながら、まだ大丈夫と思いたくなる。

しかし、その後がよろしくない。
朝ごはんの用意でもするかと思いながら、だらだら時間を過ごすことが多い。
それは、何よりも、足の具合が一向に良くないからだ。
正座は無理。座る姿勢になると、そのまま、ひっくり返ってしまうのだから始末が悪い。

少しは身の回りを整理しようと思っても、まともな姿勢になれないから、本当に桜子ちゃんは気の毒。

と、いうわけで、まだ、あの世行きは無理というものですね~

最近になって、世間では嫌な問題が多過ぎるが、そのうちの幾つかは、過去にもあったかな?と思うようなものが多い。
何時か、この事について書いてみようかな?と考えている。
考え付く時間はいくらでもある。いささか、感情を高ぶらせて書けそうだ。

ところで、仁川という町は、とても、穏やかで、良い所だった。
何よりも、親の愛情に囲まれて幸せに暮らした町だった。

姉に言わせると「あなたは親にすごく大事にされていた」
「そう!その通り!」私は体が弱くて色々な病気をしたもの。親は大変だったと今も思う。
その結果、他の人に迷惑をかけている。
特に、弟は友達を家へ連れてくる事を遠慮させられたし、姉は体が丈夫だったから私のようにかばわれなかった。
その話は、今でも聞かされている。
聞く度に「結局、『にんじん』という(ジュール・ルナアル作)小説の主人公と同じだったのね」と二人の話題となる。

しかし、体が弱い本人にとっては、あまりに大事にされることが辛かった。
結局、1年間、留年した程だから「落第生!」と、男の子に言われるのはとても嫌だった。
それに、先生から「掃除はしなくて良い」と言われた事も、特別扱いが悔しくて仕方がなかった。
今なら、掃除免除なんて、凄く喜んだのになぁ!

小学4年生になって初めて、女子組に入って嬉しかった。それまでは男女組だったのだから、憧れのクラスだ。
私の学校、龍岡尋常小学校は隣の旭小学校が高等科もあるのと違って、のどかな学校だったし、兄も、姉も弟もこの学校へ行っている。

その後、太平洋戦争勃発で、国民学校となる。
今、騒いでいる『教育勅語』も修身の時間に、覚えたり清書するのが大変だった。

久しぶりに大阪の幼稚園の子供達が口を揃えて暗唱しているのを聞いて驚いたものだ。
何時までも、この勅語を大事にしている人がいたのだなあ!と驚き、過去の決して楽しくもない記憶を、無理矢理、押し付けられた気がした。

男女組から女子組へと憧れていたクラスだったが、そのあとの様々な出来事は未だに忘れられない。
それは私の人生観に大きく影響したもので、成人してからのあり方の決め手となっている。

この歳になっても忘れられない事があまりに多過ぎた小学校5、6年生時代の記憶は、心を落ち着かせながら、何時か、述べていく事にする。


ドコモは大変ですよ!

2017年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
4月5日(水)

私のiphonはおかしくなった。
先週、駅側の大森ドコモへ出かけた。
話によると、今から(2時頃かな)3〜4時間は待つ事になるという。
タクシーで行って損をした!

予約で『4月5日12時』となる。
大分、遅れるけど、まあ、仕方がない。


と、言うわけで、今日『5日』になった。
タクシーで、やっとついたのは11時59分20秒、運転手さんはうまくビルの真ん前に横付けてくれた。

しばらく待っていると、若い新入社員の男性が現れた。
誰でもよろしい。こんな器具は若い人程、詳しいいんだと思う。

親切にあれこれを見てくださった。
分からない事が多すぎるし、もう、面倒だ。
結局、2時近くになった。そうだなぁ!これじゃあ、予約なしに行っては大変だ。
ついでに、銀行の支払いを私にする手続きもした。これで、姉に怒られる事もなくなる。

帰りに、久しぶりに石井へ寄って、ケーキを買う。
ついでに、お祭り広場で、カロリーメートを6個も買った。これは特別な催しで大塚製薬の社員が売っていた。
なんと180円の物が100円で買えたから、得をした。姉に見せると「私は嫌いよ」と即、返事あり。
たまには外出もしないとね!

とにかく、疲れた。もう、後のコンピューターのパスワードに関する問題解決は休もうっと!

マイナンバー受け取りに……

2017年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
4月7日(金)

もう、すでに4月7日。
ブログに書く気持ちは大いにあるが、せっかくの名文?が浮かんだ時には、もう、夜中とか、書いている状態でない時ばかり。

結局、私は自分の怠慢さを、つまらない言い訳で済ませている。
どうして、こんなに酷くなったんだろう?
もっと、やる気を出さなくては…

さて、4月3日には『マイナンバー』を受け取りに、わざわざ、蒲田まで出かけた。
悪いけど、私はこの蒲田駅周辺が嫌いだ。
だから、滅多に行くことはないし、出来るだけ他の場所で所用は済ませるようにしている。
しかし、今回の『マイナンバー』受け取りの予約は、区役所の他は受け取り箇所が限定されている。
「行きたくないよ!」と、二人でぶつぶつ言いながら、結局、出かけて行った。

バスの終点から区役所まではそれほど遠くはない。
しかし、それは私の足が健康であった時代で、今は歩くのに最大の注意と努力が必要だ。

やっとの思いで、区役所へ着いた。
会場は一階の一番奥にある。
親切な係員がいて世話をしてくれた。
それでも、つい、ぶつぶつが出てくる。
「なんで、こんな面倒なカードが必要なの?」
結局、大変なカードの手続きをしてしまったようなもの。
もう、要らないのになぁ!バアさんには…
国は必要以上に国民を縛り付けるんだな。

帰りに駅ビルで食事をした。
避けていて、滅多に行かない所だから、エレベーターのある場所も探すのが大変だ。

やっと、見つけたレストラン街。
月曜日なのに、暇そうな人たちが大勢並んでいる。

結局、ハンバーグを食べた。(本当は私の好きな物ではない)
結構、値段は高いが、油が多かった。
何よりも、子供の声がうるさく、その上、隣の若い女性のおしゃべりも気になる。
私の耳でさえ、聞こえが酷いのだから、普通の人は落ち着かないだろうな?
最近の日本人って、あたりを気にする人間が少なくなったみたいだ。はずかしいよ。

散々だった。やっぱり、蒲田は『鬼門』だ。
以前の区役所は池上通りにあって、静かで、おまけに家に近かったのに。
前の区長の時代に蒲田駅側に移転してしまったのだ。
「区長さんは家に近いからでしょう?」「いや、そんな事はない」と、私は区長に文句を言った事がある。

もう、すっかりくたびれてしまった。
こんなカードなんか要らないのに。(私の大嫌いな暗唱記号もあるのに)
すっかり二人とも、不機嫌になったようなものである。
特に、今日は暑かったから……ネ。
やっぱり、蒲田はこりごり!!

お花見あれこれ

2017年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
3月31日(金)

午後は雨と聞いていたが、午前中に、もう雨が降っている。

今日は最後の金曜日だから、花見に出掛ける人も多いだろう?
花の見物をしているのか、食べたり飲んだりと騒ぐのが楽しみなのか分からないが、日本人は『お花見』が好きだなとしみじみ思う。

さて、私自身のお花見は何時やったのだろう?

大人になってからは、義理のようになって、都内の彼方此方に花見へ行った。
中には、勤めの関係で、目黒川付近の彼方此方へ出かけたり、大田区の著名な作家や画家の住んでいた辺りを歩いたものだった。

特に、 JR大森駅側の線路に沿った公園へは、弁当を持って、毎年のように出かけている。
これで、花見は済ませたようなもので、ずいぶん、無精になったものだった。
さて、今年はどうしたものだろう。まだ、花見をしようとする意欲も乏しい。

子供時代は戦争があったから、何かと不自由だった。しかし、まだ、朝鮮は内地ほど厳しくはなかったから、子供なりに楽しんだと思う。

中でも、家族と行った仁川の月尾島。
この島は全体が人々が楽しむ島だった。
陸地側から遠浅の海中に突堤が築かれていて、人々は歩いて渡る。         
春先から夏にかけて島へ遊びに来る人の列が遠くからも見渡せるような盛況ぶりだった。

島の中には海水プールや海水の風呂、座敷、レストランなどがあり、一大遊園地になっていた。
今はどう変わったかな?

桜の花がとても美しかった仁川は、今はインチョンと呼び、韓国の一大空港となっている。
私の記憶では子供時代を過ごした穏やかな仁川の『桜の花見』が、一番、懐かしい。