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小室眞子さんは“甘い”「肉じゃが」新婚生活も、義母の職場は絶縁で「もう知らない」

2021-10-29 10:00:00 | 日記

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です。

 10月26日─、この日がついに訪れた。
『聴覚障害者教育福祉協会』の松本末男専務理事は、ご結婚を祝福しつつ、感慨深げにこう話す。
「眞子さまには、'14年に紀子さまとともに『聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会』にご出席いただいたのですが、当時のことを知る桜井博専務理事は、今年3月に亡くなってしまいました。
 桜井専務理事は、眞子さまの結婚問題をとても気にかけていました。いつも“どうなるのだろう”とすごく心配していて……。こうして、結婚が決まったことを聞いたら本当に喜ぶと思います」
「誠実に生きていく」覚悟
 婚姻届を提出する3日前の10月23日には、眞子さんは30歳のバースデーを迎えられた。
「お誕生日に際し、宮内庁はお住まいの赤坂御用地で撮影された6枚の近影を公開しました。眞子さんにとっては、皇族としての最後の公式写真になりました。そのうちの1カットには、物憂げな表情で赤い実を見つめられるお姿がありました」(皇室担当記者)
 赤い実の正体は『カラスウリ』。夏の夜に白い花を咲かせ、秋になると朱色の実をつけるのが特徴だ。
「眞子さんは、今年3月に行われた『歌会始の儀』でもカラスウリの和歌を詠まれました。ご自身の考えなどを公にする機会が少ない皇室の方々にとって、『歌会始』で詠む短歌は“お気持ち”を表に出せる貴重な機会でもあり、何らかのメッセージがあるとも推測されています」(同・前)
 カラスウリの花言葉は“誠実”。和歌に引き続き、最後のお誕生日写真でもカラスウリが登場したのは、偶然ではないだろう。
「“誠実さ”は、眞子さんがこの30年間、何よりも大切にされてきたこと。実際に、異例の結婚が決まってからも、卑屈になられることなく、公務やご親族への挨拶をきちんとこなされました。
 そんなご自身の姿勢をカラスウリの花言葉に重ねられ、“皇室を離れてからも、誠実に生きていきます”というメッセージを、国民にお伝えしたかったのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
 眞子さんが強い覚悟を暗示されるのには理由もある。
「民間人となられたら、生活はこれまでと一変します。例えば、納税や保険加入が必要になりますし、ガスや水道、スマホの契約もご自身で行わなければなりません。環境の大きな変化に適応すべく、努力することが求められるのです」(宮内庁OB)
 孤軍奮闘の大変な日々が想定される一方で、眞子さんが“奥さん”として輝く姿を想像している人物がいる。香川県にある旅館『紅梅亭』の料理長・武田利史さんだ。
いまだに燻る佳代さんの職場トラブル
「日本を離れるとお聞きしており寂しく思いますが、素敵なご家庭を築いていかれると思います。ぜひ、NYで甘みの染み込んだ肉じゃがをお作りください」
 武田さんは、'13年6月に英国・在エディンバラ日本国総領事館で開かれた日本食のPRイベントで、留学中だった眞子さんに日本料理の説明をした。
「肉じゃがの説明をした際、眞子さまからは“エディンバラのじゃがいもや人参はどうでしたか”とご質問がありました。“少しかためで甘みが少なかったので、お砂糖でしっかりと煮詰めてからお醤油で味を調えました”と説明すると、“おいしそうですね”と透き通るような笑顔でおっしゃったのが忘れられません。その後も、私が説明しやすいように相槌を打ってくださり、気持ちよく説明できました」(武田さん)
 その後、眞子さんに夕食として、肉じゃが、お寿司、すき焼き、胡麻豆腐、味噌汁などを振る舞ったという。
「お箸を用意するのを忘れてしまったのですが、眞子さまは自ら調理場に取りにこられました。食事後には、眞子さまが食器を厨房まで運んでくださり、“ご馳走様でした。肉じゃが、野菜に甘みがしっかり染み込んでいておいしかったです。ありがとうございます”と、あたたかいおことばをちょうだいし、思わず涙ぐんでしまいました」(同・武田さん)
赤坂御用地に自生するカラスウリの実を見つめられて('21年10月6日)
【写真】小室圭さん、眞子さまではない外国人美女と笑顔で密着
 このとき、すでに眞子さんは小室さんと交際されていた。武田さんの説明に熱心に耳を傾けられる一方で、いつか彼に手料理を振る舞う日を夢見ていたのかもしれない。
 それから8年─。いよいよ結婚生活が始まる。
 結婚に先立ち、新郎の母・佳代さんは……。
「今年6月、佳代さんは職場の洋菓子店に対し“更衣室でアキレス腱を断裂した”と労災を主張。目撃者がいなかったこともあり、お店側は困惑していました。
 その後、佳代さんは無断欠勤を続けたため、洋菓子店の社長は“懲戒解雇も視野に入れている”と話していました」(前出・皇室担当記者)
 そんな中、佳代さんはとあるアクションを起こしていた。
「ケガの治療費や休業補償を給付してもらうためには、労災申請書を『労働基準監督署』へ提出し、労基署職員による調査のうえで、労災だと認定される必要があります。
 10月中旬、佳代さんは労基署へ書類を郵送していました。洋菓子店と接触することなく、トラブルを収めることができるように手配したのでしょう」(秋篠宮家関係者)
 事情を聞くべく、洋菓子店の社長のもとを訪問。佳代さんの名前を出すと、
「もう知らない。関係ないから。正式に辞めたと言っていいのかどうか……。とにかくもう来ませんよ」
姑との同居生活へ
 15年近く勤めた洋菓子店との縁が切れてしまった佳代さんだが、そんな不安を紛らわしてくれるのも、新たな家族の一員だった。
「眞子さんは、パスポートやビザを取得して渡米するまで都内の高級マンションに滞在しています。ただ、いずれは小室さんの実家である神奈川県横浜市内のマンションに一時的に生活される可能性があるのです」
 そう明かすのは、前出の秋篠宮家関係者。10月中旬、ある引っ越し業者が小室さんの自宅マンションに数箱の段ボール箱を搬入。関係者の間では「眞子さまの私物では」という話が上がっていた。
「小室さんの実家前にはポリスボックスが設置されていて、近隣住民も厳戒な警備体制に慣れています。それに、一定期間だけでもこの家に身を置かれれば“公金から住居費が捻出されているのでは”と、さらなる批判を浴びることもありません」(前出・秋篠宮家関係者)
 しかし、小室さんと過ごせる時間はつかの間だという。
「職場の弁護士事務所に“早く戻るように”と急かされている小室さんは、結婚後すぐにNYへ飛び立つ見通しです。つまり眞子さんは、佳代さんと小室さんの祖父である國光さんと同居されることになります」(同・前)
小室圭さんの祖父・國光さんと眞子さんと小室佳代さん
 秋篠宮ご一家が'19年2月から仮住まいとされていた、3階建ての延べ床面積が約1378平方メートルの『御仮寓所』から、約50平方メートルの2DKのマンションで、姑と義祖父との3人暮らし……。
「眞子さんは“小室さんの妻”という自負を強くお持ちですから、小室家にうまく溶け込むことができると思います。それに小室さんが不在だからこそ、嫁姑間の“取り合い”が起こるのではという余計な心配事もないでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
 決意を胸に、眞子さんは小室家の敷居を跨がれる─。


命に関わる心臓だからこそ予防が大切 肥満を改善し動脈硬化を防ぐ

2021-10-29 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイヘルスケアデジタルからの借用(コピー)です。


 日本人の死因のトップは「がん」だが、1985年以降、「心臓病」は「脳血管疾患」を抜いて第2位になっている。その原因は心臓に負担のかかる生活習慣が増えているからだと考えられている。しかも新型コロナ禍による巣籠り生活はそれに拍車をかけたといわれる。何に気を付ければいいのか? ニューハート・ワタナベ国際病院の渡辺剛総長に聞いた。

 ◇  ◇  ◇

「医療の本質とは、病気を治すことだけではなく、病気に苦しむ人に、現状での最大の満足を届けることにあると確信しています。しかし、最も大事なことは病気にならないことです。とくに心臓病は命に関わる病気ですから、予防が大切です」

 心臓は1分平均で約70回、1日約10万回、休むことなく拍動している。生涯で30億回程度動き、1回の拍動で70~80mlの血液を、全身で約10万キロの長さだといわれる血管に送り出す。

むろん、拍動の回数はいつも同じではない。子供は大人より脈拍数が少し早く、精神的緊張や運動により増える。病気で発熱したときも増え、体温が1度上がるごとに1分間の脈拍が10~20回増えると言われている。

 臨機応変にこれだけ酷使されている心臓や血管は、年齢を重ねるごとに機能が衰え、病気になるのは当然。年齢が上がるにつれて突然死の引き金となる狭心症や心筋梗塞を発症しやすくなる。

 狭心症とは心筋(心臓を動かす筋肉)に血液を送る冠動脈が動脈硬化を起こして狭窄し、心筋が酸素不足に陥る病気のこと。心筋梗塞は冠動脈が閉塞する病気を指す。狭心症と心筋梗塞を合わせて虚血性心疾患というが、平成30年の厚労省患者調査によると、その数は男性が35歳から、女性は30歳から増えている。

「その年代は心臓病を引き起こす8つのリスクが重なりやすいからです。①高コレステロール血症②高血圧③高尿酸血症④糖尿病⑤喫煙⑥肥満⑦ストレス⑧家族歴(心筋梗塞の家系)です。これらはすべて動脈硬化につながります。このうち①~⑦は新型コロナ禍の巣籠り生活でアップしたと考えられます。ここ1年の間に外来でフォローアップしている患者さんの多くは、LDLコレステロール等の悪玉コレステロール値が以上となっていることが見受けられました」

■肥満になるとなぜ動脈硬化が進むのか

 では心当たりのある人はどうしたらいいのか? まずはこれらの数値を調べるために持病のある人は病院で調べてもらうことだ。健康な人も可能なら健康診断を受けるのが良いだろう。そうしたことが難しいという場合は、体重を計り、新型コロナ前よりも重くなっているようなら体重を減らすことを目指すといい。

「そのためには、塩分、糖分、脂肪分の多い食事を避け、ウオーキングなど呼吸をしながら行なうような有酸素運動を日常生活に取り入れることが大切です。運動は無理する必要はありません。息が切れない、軽く汗をかく程度の運動を、少しでも毎日続けて肥満を解消すれば動脈硬化は防げます」

 そもそもなぜ肥満になると動脈硬化が進むのか? カギを握る要素のひとつは白色脂肪細胞だ。肥満が進んだ白色脂肪細胞からは悪玉の因子を放出するように“不良化”してホルモン分泌が異常になる。

 たとえば、動脈硬化を抑えるなどの働きがあるホルモンのアディポネクチンの分泌が減少する一方で、食欲を抑えるレプチンが効きにくくなり、血液中からブドウ糖の取り込みを抑制するTNFーαやレジスチン、血管を収縮させる物質の材料となるアンジオテンシノーゲンの分泌が増加する。

 その結果、高血糖によって血管内皮が傷ついたり、血管が収縮して細くなって血圧が上がり、血管壁を傷つけたりする。さらに、血管の素材となるコレステロールがどんどん供給されて血管内に蓄積し、それを処理するためのマクロファージの死骸も重なって堆積。血管が膨らみ本来のしなやかさを失い、急速に動脈硬化が進むことになる。

「ほかに気をつけたいのはがん患者さんです。心臓に影響を与える抗がん剤も少なくありません。がん患者さんは定期的に心臓の検査もした方がいいかもしれません」

渡辺剛
心臓血管外科医
1958年東京生まれ、ニューハート・ワタナベ国際病院総長。日本ロボット外科学会理事長、心臓血管外科医、ロボット外科医、心臓血管外科学者、心臓血管外科専門医、日本胸部外科学会指導医など。1984年金沢大学医学部卒業、ドイツ・ハノーファー医科大学心臓血管外科留学中に32歳で日本人最年少の心臓移植手術を執刀。1993年日本で始めて人工心肺を用いないOff-pump CABG(OPCAB)に成功。2000年に41歳で金沢大学外科学第一講座教授、2005年日本人として初めてのロボット心臓手術に成功、東京医科大学心臓外科 教授(兼任)、2011年国際医療福祉大学客員教授、2013年帝京大学客員教授。


ひきこもりの40代男性が、父の介護を担うまで回復した道のり。必要なのは「正論」でなく「傾聴」

2021-10-28 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jからの借用(コピー)です。

ひきこもり状態にある40〜64歳の中高年は全国で60万人以上いると推計され、「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支える「8050問題」という言葉もよく聞くようになりました。一方、ひきこもった本人やその家族と接してきた精神科医の最上悠先生によれば、年を取れば取るほど克服するチャンスが失われて深刻化する可能性があると言います。またその原因はさまざまでも「背景」には共通する点があるそうで――。
「原因」はそれぞれでも「背景」には共通する点が
ひきこもり自体は医学的に正式な病名ではなく、状態を指す言葉であり、社会的ひきこもりとも呼ばれます。しかし、さまざまな精神疾患が関係していることも少なくないうえ、そもそもひきこもり自体は決して健康的なことではなく、私自身は精神疾患の生まれる背景と共通する部分も多いと思っています。
では、子どもはどんなことが原因で自立に向かうことから目を背ける(心理的ひきこもり)ようになり、ときには社会的ひきこもりにまで至るのでしょうか。
ひきこもりのきっかけや原因は人それぞれで多様なのですが、背景には共通する点もあるように思います。
それについて述べるのは、精神科医である私としては非常に勇気が要るのですが、日頃診療に当たってきた患者さんたちのケースを見ると、ひきこもりや問題行動など、子どもの心の行き詰まりの背景には、深刻なケースやこじらせているケースほど、親との確執や葛藤を抱えていることが少なくないという印象を抱かざるを得ません。
病名はさまざまであっても、長くひきこもり生活などに苦しむ患者さんたちに、初診時に私が、「心の行き詰まりは、本音の感情を押し殺し続けた結果生じてくる現象とも考えられています。あなたも小さい頃からこれまでずっと、自分の心を殺して我慢してきたのではないでしょうか?」と聞くと、ほぼ大半のかたがいきなり目を真っ赤にし、なかには涙が止まらないかたもいるほどです。
感情を押し殺してきた対象の大半は「親」
では、誰に対して感情を押し殺してきたのでしょうか? その大半は、もちろん親に対してです。
でも多くの親は、「こんなに好き勝手なことを言い、やっているのに、この子のどこが我慢しているのか?」と言います。実は、親が未だに気づいていない、信じられないとさえ思っている、この行き違いの原因こそが、問題の核心なのです。
問題の核心は「親子の行き違い」
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ここで誤解していただきたくないのですが、私は親にすべての原因があると言うつもりはありません。そう決めつけるのは大きな誤りだとさえ思っています。
どこにかわいい我が子をひきこもりや病気にしようと思って育てる親がいるでしょうか。どんな親も我が子には立派な人間になってほしいと願って一生懸命に育てたはずだと私は信じたいと思っています。
それでうまくいったケースも世の中には数え切れないほど存在しているのも事実でしょう。ただ、なかにはそのやり方では、心に行き詰まりを抱えてしまう繊細な子どもがいることも事実なのです。そのような心の行き詰まりを抱えた子どもや家族と接して感じるのが、多くの場合、子どもは親が思うよりはるかに繊細な感受性を持っているということです。
一方、立ち直ったすべてのケースで、ターニングポイントになっているのは、親による子どもへの「傾聴と共感」です。
「傾聴」とは、我が子の話を真剣に聴くこと。「共感」とは、話を受け止め、我が子の心の奥底にあるつらさや悲しさといった感情を理解し同じ気持ちになろうと努めることです。親がただひたすら子どもの話に耳を傾けるだけで子どもは大きく変わります。
著者が新刊で紹介した傾聴・共感の方法は「家族療法」と呼ばれる治療法の一環として行われたものです。ケースによっては心の悩みに苦しむ成人の子ども本人ではなく、親だけに指導されることで、たとえ精神疾患であっても、そして診察に一度も来ないお子さんまでもが回復することもまれではありません。 
ここで「傾聴と共感」の一例として、親が我が子への考え方を見つめ直し、接し方を変えたことで、子どもが心の行き詰まりから立ち直った例をご紹介しましょう。
行き詰まり具合としてはかなり重い部類に入りますが、こんな厳しい状況からでも子どもは立ち直れるのだということを示す好例だと思います。
「父親の重圧から解放されて立ち直ったSさん」の例
【子ども】
男性Sさん:40代前半。ひきこもり、複数回にわたって自殺未遂を起こす

【両親】
父親:70代後半。母親:70代前半

※子どもと親の年齢は、「家族療法」開始時点のものです。
* * *
Sさんは、二人姉弟の長男で、父親はある地方都市で自ら創業した会社を経営していました。父親は会社だけでなく、家庭の中でも絶対的な存在で、Sさんの母親も夫には絶対に逆らいません。
父親がSさんに望んだのは、他人様に自慢できる立派な大学を出て、自分の跡を継がせること。幼い頃から帝王学を学ばされたSさんは、父親に反論したり、自分の意見を言ったりすることなど想像もできませんでした。
大学はなんとか自分の志望する東京の学校に進んだSさん。そして、大学4年になり、本当は就きたい仕事があったものの、それを父親に切り出すことができないまま、父親の経営する会社に入社します。
Sさんは、入社してからの1年はなんとか仕事をこなしていました。ですが、同僚や取引先など、周囲の人々とのコミュニケーションがうまくいかず、入社2年目には会社を休みがちになり、自室にひきこもるようになりました。

「お前にいくらかけたと思っているんだ!」
そんなSさんに、父親は、「お前にいくら金をかけたと思っているんだ!」「**家の跡取りがそんなだらしないことでどうする!」と激しい言葉を浴びせます。母親も、見て見ぬふりをして、救いの手を差し伸べようとはしませんでした。
追い詰められたSさんは自殺未遂を図ります。幸い命に別状はなく、一度はすすめられて精神科を受診しましたが、担当医からは「あなたは病気ではないから」とあまり有用なアドバイスも得られなかったために、長続きしません。それを何度か繰り返すうちに、Sさんは40歳を過ぎていました。
そんな状況に我慢できなくなったのか、このときすでに80歳近くなっていた父親はある日、Sさんにこんな厳しい言葉をぶつけました。
「もう、お前なんか必要ない!」
この言葉に打ちのめされたSさんは再び自殺を図りました。今回もなんとか一命をとりとめましたがSさんの度重なる自殺未遂は一家に大きな衝撃を与え、ついに母親の目を覚まさせました。
「ひきこもりのまま、後の半生を過ごさせるのはあまりにも不憫だ」
そう考えた母親は、家族全員でSさんの治療に臨むことを決意したのです。
ひたすら話に耳を傾ける
家族療法による治療は、Sさん自身ではなく、母親と姉が、ある家族会(家族だけが集まる形式)に参加し、セラピストのアドバイスを受けるところからスタートしました。
『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(著:最上悠/マキノ出版)
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Sさんが何度も自殺を図ったのはなぜでしょうか?
「誰も僕の本当の気持ちや苦しみをわかってくれようとはしない。僕が死ねば、少しは僕の死後に何かをわかってくれるかもしれない」
これは後になって、Sさん本人が話したことです。
Sさんは、この年になるまで、自分の本心を両親に打ち明けたことがありませんでした。正確には、幼少期にそれが叶わないと諦めてしまったと言えます。言いたいことは心の底にため込まれてきて、その処理ができなかった苦悩の蓄積が、究極的には自殺未遂という極端な形になって表れたのです。
セラピストは母親と姉に、「とにもかくにも、まずはSさんの言いたいことや気持ちのすべてに、丁寧に耳を傾けて聴いていただけませんか?」と提案しました。大切なSさんを失いかけた母親と姉は、「Sの話すことは、何でも聴くようにします」と答えました。助言されたことを忠実に実践すべく、二人はSさんの話に耳を傾けることを開始し、続けました。
母親にすれば、それまでそんなことをしたことがなかったので、どうしてよいか戸惑い、ときには苦痛も伴ったはずです。でも子どもは、親が自分の話に耳を傾けてくれることで親の「愛情」を感じるのです。 
一方、父親は当初、セラピーに加わるのを大の男のやることではないと嫌がっていました。しかし、妻から家族療法やSさんへの接し方に関するアドバイスを聞くうちに、頑なだった態度が少しずつ変化していったのでした。
以前はSさんの言うことに全く耳を貸そうとしなかったのが、息子を死なせかけたことがよほど心に響いたのか、妻や娘と同じように、Sさんの話に耳を傾けるようになっていったのです。
父親の一言が転機に
母親と姉が家族療法を学び始めてから1年後、Sさん自身に大きな変化が表れていました。両親が自分のことを理解しようと努力しているのがわかったことで、少しずつですが、両親に対して口を開くことが増えていったのです。
少しずつ心を開いていったSさん(写真提供:写真AC)
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両親も、子どもが少しずつ心を自分たちに開いてくれていることが実感できるのでうれしくなり、さらにSさんの話に耳を傾けるようになりました。そして、Sさん自身にもなんとかしたいという前向きな気持ちが育まれ、自ら希望してカウンセリングに通うようになりました。
転機となったのは、父親がSさんにかけたこんな言葉でした。
「会社は姉さんに継がせる。もうお前は好きにしていい」
その言葉で、Sさんは長年の胸のつかえが取れたそうです。それからはまるで別の家族のように互いに満たされた時間が経過していきました。
しかし数年後、父親は認知症を発症していることがわかり、自宅で療養することになりました。このときなんとSさんは、父親の身の回りの世話を買って出ます。食事の世話や入浴、そしてオムツの交換までしたそうです。
ある日、お風呂でSさんが父親の背中を洗っているとき、父親が涙を流して感謝している姿を見て、Sさんは「親父がしたことのすべてを許そう」と心の底から思えたのだそうです。
数年後、父親は亡くなりました。そのとき、Sさんはこう言いました。
「僕も親不孝をしたけど、親父がわかってくれて、最後に親父の面倒を見ることができて、本当によかったと思います」
父親が亡くなった後、Sさんは家業である会社の仕事を少しずつ手伝うようになりました。その後、母親も80歳を過ぎて認知症になってしまったものの、Sさんは家で仕事をする傍ら、母親の面倒を見ながら二人で仲よく暮らしています。
「親の正論」は一発逆転どころか四面楚歌を招く
ひきこもった子どもが未成年や20歳そこそこであれば、親子の問題の所在もわかりやすいことが多く、常識的にも親が子への関わりを受け入れやすく、親もまだ若いので子の問題に向き合うエネルギーもあります。
しかし、子どもの苦悩やひきこもりが長引いて自立できないまま中年を迎えると、親は我が子を支えることに疲れ果て、「もうどうすることもできない」「成人しているのだから、この子は自分の力で立ち上がるしかない」「親の努めは、もう終わっているのだから……」とあきらめてしまいがちです。
ときに親が自分の不安解消にしか目がいかず、一発逆転を狙った言動の典型が「お前なんていらない」とか「家を出ていけ」といきなり罵倒するパターンです。
親としては正論を吐くことで「愛のムチ」を振るってやった、などと自身の責めを負うことから目を背けることができても、言われた子どもは、中年になって追い出されるとなると、四面楚歌の状況に一気に追い込まれます。
その際、衝動が内側に向けばSさんのように自傷行為に及びますし、「親のお前のせいでこうなったのに」と恨みが外に向けばときに他害となります。「ひきこもりの中年息子が、自立を促した老親を金属バットで傷害を与えた」と、警察沙汰になり報道される事件の背景にはこのような経緯が多々あります。
それでも、Sさんのように親が自分のことをわかってくれたというだけで、子どもは大きな苦しみから抜け出すきっかけがつかめ、長く苦しんだぶんだけ、かえって親に対して深い感謝の気持ちが生まれることさえ珍しくはないのです。
とりわけ親のことでこれほどにとらわれて苦しむ子どもというのは、本当は親が大好きでたまらず、大好きな親に認めてほしいという気持ちが人一倍強く潜在しているから、このように苦しむのだと理解してあげたいものです。
※本稿は、『8050「親の傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の一部を再編集したものです。 


睡眠障害での受診タイミングは?睡眠薬の服用はOK?

2021-10-28 13:30:00 | 日記

下記の記事はハルメクWebからの借用(コピー)です。

生活習慣を見直してもどうしても眠れない……そんな状態が続くようなら病院を受診した方がいいでしょう。でも、どんなタイミングで、どの病院を受診すればいいのでしょうか?また、市販の睡眠薬は飲んでもいいのか? 専門科医に聞いてみました。
目次
    1. 「睡眠障害?」と疑ったときに病院にかかるべき?
    2. 睡眠障害は、どの病院にかかるべき?
    3. 睡眠薬は飲んでもいいもの?
    4. 服用を続けてもいい睡眠薬と駄目な睡眠薬は? 
    5. 睡眠サプリの効果は?
    6. 取材先・監修「睡眠障害?」と疑ったときに病院にかかるべき?
睡眠障害を疑ったときには、どのタイミングで病院にかかるべきなのでしょうか? 睡眠の専門医である医師、白濱龍太郎さんは次のように話します。
「眠りに対して悩んでいる人は大勢いらっしゃいます。不眠だと思い始めてすぐに病院を受診する必要はありません。だからといって、放っておいて本物の不眠症になっていく場合もありますから、まずは睡眠習慣を整え、深睡眠ストレッチを行い、セルフケアを行ってみましょう。そして睡眠障害だと思う症状が“1か月続く場合”は、病院での受診を考えてみてください」
 睡眠障害は、どの病院にかかるべき?
睡眠障害は、睡眠時無呼吸症候群や更年期による諸症状である更年期障害、うつ病など、さまざまな原因が複合的に関係している場合があります。では、どの病院にかかるのが適切なのでしょうか?
「睡眠障害で病院にかかるなら、まずは『睡眠外来』に足を運ぶといいでしょう」と白濱さん。日本睡眠学会のホームページには、「日本睡眠学会専門医」と「日本睡眠学会専門医療機関」が掲載されています。病院を探すときは、そこで最寄りの病院を探すことをおすすめします。
「ただし、ご自宅の近くに睡眠外来があるとは限らないと思います。そのときは内科の病院にかかるといいでしょう」(白濱さん)。
他にも、気分の落ち込みなら心療内科、いびき・睡眠時無呼吸症候群なら、いびき外来、耳鼻咽喉科、呼吸器内科、閉経前後10年の更年期にあたるなら婦人科にかかるという手もあるそう。
睡眠外来で受診をした際は、どのような処置が行われるのでしょうか?
「睡眠習慣の可視化と改善からスタートします。そして睡眠の状況を見ることで、不眠の原因を探ります。他に基礎疾患や睡眠時無呼吸症候群の鑑別を行っています」と白濱さん。
睡眠習慣を正す指導を受けることと同時に、睡眠障害の原因として疑わしき病気がある場合は、各専門医と連携を取り治療にあたることになるそうです。
 睡眠薬は飲んでもいいもの?
睡眠をもたらす薬は、ドラッグストアや薬局でも手に入れることができます。ドラッグストアや薬局で購入できる薬は「睡眠改善薬」と呼ばれています。また睡眠外来でなくても、どの医療機関でも「睡眠薬」を処方することができます。
眠れないときは、薬局で販売されている睡眠改善薬や処方された睡眠薬を使ってもいいのでしょうか。
「一般薬として、安易に睡眠改善薬が買えるようになりました。しかし、薬局で買えるような睡眠改善薬に頼るのは得策ではありません。花粉症の薬を飲んだときに眠たくなるのと同様の仕組みで、眠りをもたらすようにできているため、自然な眠りをもたらすものではないからです。
また睡眠時無呼吸症候群で熟睡感が得られていない場合に、睡眠改善薬や睡眠薬で無理やり寝ようとしても不眠は改善されません。不眠感があると、さらに強い薬を服用するようになって悪循環に陥るだけです」と白濱さん。
一般的には、睡眠薬や睡眠改善薬は、寝られない人がぐっすり寝るために服用するものというイメージがありますが、医師としては「ゴールを考えてから飲むべきもの」として考えてほしいそう。
「睡眠の専門医が睡眠薬を処方する際のゴールは、睡眠習慣を身に着けて自然と眠れるようになることです。そうなるように考えて処方をしています。薬局の睡眠改善薬に頼るときは、どうしても眠らないといけない場合の一時的な対処方法と考えた方がいいでしょう」服用を続けてもいい睡眠薬と駄目な睡眠薬は? 
では、飲んでもいい睡眠薬と飲んではいけない睡眠薬はあるのでしょうか?
「治療方針に沿った正しい処方が行われていれば問題はありません。病院で処方される睡眠薬の成分は時代とともに進化しており、睡眠の質の改善を目指して睡眠薬も開発されているため、すべてが問題あるわけではありません。1950年から睡眠薬は存在していますが、2000年代に入ってからも副作用が少ない睡眠薬が生まれています。
先ほどもお伝えしましたが、睡眠薬の服用は、ゴール設定が肝心です。昔ながらの依存性が高く、副作用も出るような睡眠薬を長期間で処方される場合は、望ましくありません。かかりつけ医に、いつまで飲むかと治療方針を聞いた方がいいでしょう」
また、睡眠薬を服用するときはアルコールを摂取してはいけないことは必ず覚えておきましょう。
■主な睡眠薬
睡眠薬は、次の3つに分けられます。
    * ・ベンゾジアゼピン系「ハルシオン」「レンドルミン」「サイレース」「ソメリン」など
昔ながらの睡眠薬。強制的に脳の活動を抑制し、「眠る」ポイントを切り替えるように作用します。記憶障害、運動障害、依存性、持ち越し効果など、副作用があることも。持ち越し効果とは、翌朝まで眠気が続いてしまうことです。

    * 非ベンゾジアゼピン系「アモバン」「マイスリー」「ルネスタ」など
ベンゾジアゼピン系と同じ仕組みで作用し、強制的に脳の活動を抑制します。ベンゾジアゼピン系よりも依存性や副作用が軽減されています。

    * ホルモン作動系「ロゼレム」「ベルソムラ」「デエビゴ」など
眠りをもたらすホルモン「メラトニン」の受容体に作用する薬や、覚醒をもたらすホルモン「オレキシン」受容体に拮抗し、自然睡眠に近い生理的睡眠をもたらす薬。「ロゼレム」は2010年、「ベルソムラ」は2014年、「デエビゴ」は2020年に認可されたもので、比較的新しい薬。ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が持つ副作用が出にくく、睡眠時無呼吸症候群の患者や高齢者も安心して服用できる睡眠薬。
 睡眠サプリの効果は?
睡眠薬だけでなく、昨今は睡眠の質を高めることを目的にしたサプリが多く販売されています。睡眠サプリの効果は、どのように考えるべきなのでしょうか?
「眠りに必要な栄養素を摂取する、という仕組みのものがほとんどだと思います。科学的・理論的には合っていると思いますが、効果があるとは言い切れません」と白濱さんは注意を促します。
「眠れないときに気持ちを落ち着かせるためにハーブティーを飲むように、睡眠習慣の一つとして取り入れるのはいいですが、睡眠障害の原因は、栄養だけではない場合がほとんどです。そのサプリを飲んでいるからといって、そもそもの眠りをもたらすメカニズムをおざなりにしてしまうのは本末転倒。頼り過ぎないようにしましょう」
次へ▷次回「閉経後の女性は要注意!睡眠時無呼吸症候群の対策は」を読む取材先・監修
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック 院長 白濱龍太郎さん

しらはま・りゅうたろう 2002年、筑波大学医学群医学類卒業。東京医科歯科大学大学院統合呼吸器病学修了。東京共済病院、東京医科歯科大学附属病院を経て、13年にクリニックを開設。日本睡眠学会専門医。   


《皇室のいちばん長い日》「小室さんは何から何まで逃げる人だった」眞子さんの“結婚記念日”の東京ルポ 日比谷では反対デモ、小室さんの地元では…

2021-10-28 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

2021年10月26日は、日本の皇室にとって大きな転換点となった。
 秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん、今月30歳になった2人は婚姻届を自治体に提出して入籍を果たした。眞子さまは小室眞子さんとなり、2人揃っての結婚会見が都内ホテルで開かれた。
 当初は会見で質疑応答を行う予定だったが、前日19時過ぎに質問への回答が文書になること、2人が冒頭のあいさつのみで退席することが発表された。25日の眞子さんは、オレンジ色のワンピースに身を包み、上皇上皇后陛下に結婚の挨拶を行っている。沿道に集まった人や報道陣にも手を振って応えていた。
 国民的な祝い事になるはずだった内親王の結婚記念日は、そのスタートから不穏な空気に包まれていた。前代未聞の日、日本の長い1日をルポする。)
沿道からは「バンザーイ」
 午前10時、水色のワンピースに長い黒髪をまとめた眞子さんが、チューリップの花束を手に赤坂御用地にあるお住まいの玄関から姿を現した。続いて秋篠宮さまと紀子さま、佳子さまが外に出られ、最後の挨拶を交わす。佳子さまは眞子さんを抱きしめ、目を合わせて頷く場面も見られた。御用地の家を出発する眞子さんと抱き合う佳子さま 
 眞子さんは報道陣に一礼して車に乗り込むと、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、そして職員に見送られながら住み慣れた赤坂御用地を後にした。
 赤坂御用地付近は多くの警察車両が厳戒態勢で警備を敷いていた。その中を眞子さんを乗せた車が走ると、テレビや新聞など数十社の報道陣が一斉にフラッシュを光らせる。沿道からは「バンザーイ!」という掛け声が上がり、眞子さんは窓を開けて笑顔で沿道に手を振っていた。
 結婚会見の会場となったホテルグランドアーク半蔵門の周辺は警察と報道陣が100人近くごった返し、「今日は朝の9時からお祝いに来ました」という一般の人も。70代の女性は「歌舞伎を観に近くまで来たんですけど、こんなこと一生ないと思い、もう眞子さまにお目にかかれないかなと思って初めて来ました。お2人には幸せになってほしいです」と心配そうに様子を見守っていた。
「茶番会見やめて」「皇室特権の氾濫を許すな」
 一方その頃、日比谷では結婚に対する抗議デモがスタートしようとしていた。午前11時に日比谷公園に集まった約120人のデモ隊は、日比谷から銀座までの1.7キロを40分かけて行進した。
 デモ隊は「茶番会見やめて」「皇室特権の氾濫を許すな」「NO KOMURO 皇室利用を許さない」「皇室は私達のよりどころ」など様々なメッセージカードを掲げて歩き、沿道では怪訝な視線を向ける人がいる一方で、拍手があがることも少なくなかった。デモの主催者だという男性は、狙いをこう語る。
「9月12日から新宿を皮切りにデモを始めて、今回で12回目になります。国民は眞子さまの結婚に反対しているわけではなくて、小室家に対して誠実な対応をしてもらいたいと願っている。眞子さまは結婚に反対していることが誹謗中傷という認識を持たれているようで、それを聞いて個人的には落胆しました。小室さんに対しては最後くらいは自分が矢面に立って、責任を果たすのが夫としての役割じゃないかなと思います」
 参加者は50~60代の女性を中心に年齢も性別も幅広い層が参加していた。横浜から1歳の子供を連れてデモに駆けつけた20代の女性は「皇室に対するイメージはだいぶ変わってしまいました。以前まで皇室は自分たちとは住む世界が違うやんごとなき方たちで、日本のために色々がんばってくださると思っていたんですけど。ネットでの厳しい意見は自業自得としか思えません。眞子さまの身から出た錆だと思います」と厳しい口調で語った。新宿アルタの巨大モニターにも表示されていたが、足を止める人はすくなかった
 14時に眞子さんと小室圭さんの会見がスタートすると、半蔵門のホテル前に集まった人々は各自がスマートフォンを開いて中継を見守った。新宿でもアルタ前の大型ビジョンで会見の速報が流れていたが、足を止める人はいなかった。
 会場のホテル前で会見を見守った80代の女性は感動した様子でこう話す。
「私は28年来の眞子さまファンで、会見を見てジンときました。眞子さまもしっかりしているし、小室さんも前の会見とは少し違った。眞子さまには結婚おめでとう。これからもお幸せにと言うしかないですよね」
 会見から約3時間後の17時40分ごろ。眞子さんを一目見ようと集まった人で再び会場付近は埋め尽くされていた。
 会場に入る際は窓を開けて会釈した眞子さんが、帰りは小室さんと後部座席に並んで座り、窓を開けずに会釈をしながら通り過ぎ、眞子さんが帰ったことに気づかない人々が多数だった。「ウソ、もう行っちゃったの?」と落胆する女性の声も聞かれた。
 眞子さんが渡米するまで生活する渋谷区のマンション前では、会見中から30人ほどの報道陣が待機しており、17時近くになると近隣住民も集まって100名ほどが眞子さんと小室さんの到着をいまかいまかと待ちわびていた。
 4年前に眞子さんと小室圭さんの婚約内定会見が行われた時は、商店街をあげてのお祭り騒ぎだった。
 しかし26日は商店街に祝賀の垂れ幕や張り紙は一切なく、4年前の祝祭感はどこにもなかった。
 商店街の人も、「4年前は駅前で商店街の振興組合が地元の梅酒を1000人以上に振る舞って、和菓子屋さんでもお赤飯が売られていました。でも今日は静かですね……」と寂しそうだ。
 近くに住んでいるという男性は残念そうな表情でこう話す。
「駅前でお祝いのメッセージを掲げていた人もいたみたいですよ。小室さんはちゃんとアメリカで自分の道を切り開いて諦めずにやってきたんだから私は立派なもんだと思いますけどね。一時金も受け取って幸せになって欲しかった」
 大倉山商店街のレストランで学生時代にアルバイトをしていた当時の小室さんを知る女性は、懐かしそうに顔をほころばせた。
「今は男らしい感じですけど、当時はかわいらしい印象でした。小室さんがアルバイトしていたレストランにはよく家族で行っていましたが、きちんとナイフとフォークをテーブルに並べてくれてね。今日の会見も立派だったと思います。このあたりの人は心からおめでとうと思ってますよ」
1日ではがされたお祝いメッセージ
 とはいえ、4年前は祝福一色だった商店街では先月、ある“事件”が起きていた。眞子さんと小室さんの結婚へのお祝いのメッセージとともに2種類の饅頭を発売した老舗の和菓子屋に無言電話や「もう二度とお店には行かない」という抗議の電話がひっきりなしに鳴ったという。お祝いメッセージは1日ではがされてしまったという。
 秋篠宮さまと紀子さまは眞子さんの結婚について「今回、皇室としては類例を見ない結婚となりました」とコメントを発表。小室さんは来月中にもアメリカへ戻る予定だが、眞子さんの渡米日程はまだ決まっていない。今後お2人はどのような道を進むのだろうか。
 警察官が大声で交通誘導する中、上空にはドローンも出現。17時55分頃に眞子さんと小室さんを乗せた送迎車が到着し、2人が車の中から窓を開けずに会釈すると、「結婚おめでとうございますー!!」という祝福の声が挙がった。
「眞子さまが小室さんに依存しているようにしか見えませんでした」
 眞子さんと小室さんの結婚、そして会見は国民の目にどう映ったのだろうか。サラリーマンの聖地・新橋で仕事を終えて帰宅途中の人々に話を聞くと、厳しい反応が多く返ってきた。
「(会見で質問を受け付けなかったことについて)悔しい。小室さんは何から何まで逃げる人だった」(男性・30代)
「『私にとって圭さんはかけがえのない存在です』とか、国民はそんなことを聞きたいわけじゃないですよね。2人の惚気話を聞かされただけでした。一方的に自分たちの意見だけ押しつけて、国民の代表であるメディアの質問には答えない。そんな身勝手なことを30歳になった大人でやっていいのでしょうか。これから社会に出てやっていけるのか疑問です。眞子さまが小室さんに依存しているようにしか見えませんでした」(女性・30代)
 そんな賑わいをみせる都内と対照的だったのが、小室さんの実家がある横浜市大倉山だ。朝は小室さんの出発姿を見ようとする報道陣が多くいたが、会見終了後には10名弱になっていた。