下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
妻が口をきいてくれません』『消えたママ友』『ママ友がこわい』『離婚してもいいですか?』――。漫画家、野原広子氏の作品はどれも胸にチクリと刺さる。一連のタイトルからわかるように、ほのぼのとしたタッチで描かれるのは、1つひとつの出来事はささやかながら、ボディーブローのように心を圧迫する精神的な暴力の問題だ。
ていねいに描いた作品から浮かび上がるのは、子育て世代のリアルな孤独。一見幸せそうな人たちが、いったいなぜ孤独に苦しむのだろうか。
ママ友については誰もあまり語らない
成人した娘を持つ50代の野原氏は、自身の体験や周囲の声、文献などから想像力を広げ、作品化している。子育て世代を描く作品で、重要な役割を果たすのがママ友だが、ここに「闇」があると野原氏は見る。
「夫婦関係については、ちょっと聞いただけで皆さんすごくしゃべってくださるんです。ところが、ママ友に関しては皆さん本当に何も話さない。そこに闇があると感じているので、その雰囲気を吸い取りつつ描きます。1999年の文京区幼女殺人事件をはじめ、ときどきママ友に関する事件は起こっているので、関連記事や本を読み、そこに漂う人間関係の闇も参考にさせていただいています」
『ママ友がこわい』は、いじめ問題を描いている。「一番大切な子どもから始まっているママ友同士の関係は繊細で、ちょっとしたことで崩れる、と感じています。打ち明け話もするけれど、突っ込んだ話はしない。敵に回しちゃいけない相手。説明が難しいですね」と考えながら言葉を選ぶ野原氏。
子育てという「仕事」をする同僚みたいな関係ではないか、と聞くと、もう少し深い関係だと野原氏は説明する。「子どもが小さいときは、ママ友がおむつを替えてあげたり、よだれを拭いてあげたり、モノを食べさせたりすることもあるんです。そうすると、その子のお母さんは一気に心を開く。ほかにそういう関係性は見当たりません」。
ではなぜ、そんな仲よしのママ友同士で大事件が起こるのか。「ママって全力で何でもやるから、コミュニケーションのちょっとしたつまずきで相手が裏切ったと感じてしまい、ヘンな方向に行くのかもしれません」と野原氏は言う。
ある日、仲よしだったママ友に何も告げず失踪する女性を軸に描いた『消えたママ友』からは、ママ友たちの孤独がくっきりと浮かび上がる。野原氏によると、母親の孤独には3つの要因がある。
母親たちを孤独にさせること
1つはSNSでの情報交換が活発なため、周囲の視線が気になり、「楽しくなきゃいけない、幸せじゃなきゃいけないということが、頭のてっぺんにある」ということ。しかし、そうした孤独は、SNS以前の時代にもあった。
「私自身、子どもが小さいときはとても孤独を感じていました。お母さんは幸せで当たり前、いいお母さんで当たり前と思われている。おっぱいが出ないだけでも、『じゃあもっと努力しろ』、と世の中から突き放される」
2つ目の要因は、そうした世間の側の問題だ。
「小さい子どもを抱えるママは肩身が狭い。『妻が口をきいてくれません』の中で、バスの中で子どもがぐずったら、乗り合わせた男性に怒鳴られた、と妻が話すシーンがあります。それは私が実際に目にした場面がもとになっています。バスで泣く子に対しておじさんが『うるさい!』と怒鳴った。席が遠かったので何もできなかったんですが、申し訳なさそうに降りるお母さんの姿が心に残っています。母親はしっかりしろ、というプレッシャーが強いから孤独なのかもしれません」
『妻が口をきいてくれません』は手塚治虫文化賞を受賞した(野原広子/集英社)
3つ目の要因は、家族の中でも孤独なこと。先のシーンで妻の話を聞いた夫は「それはママが悪いよ」と決めつける。味方になってほしい夫が、世間の側に回ってしまう。母親の孤独の最大の要因は、夫婦関係ではないだろうか。
「夫婦の話をいろいろな人に聞くと、壮絶な話は多いんですけど、あえて普通のところを拾って描かせていただいています」と野原氏。十分に怖い描写が多いが、現実はマンガの上を行くらしい。
『妻が口をきいてくれません』を描いたきっかけは、知り合いの男性から「うちの妻が口をきいてくれないんだよ」というぼやきを聞いたこと。インターネットで検索したところ、「すごい数の『妻が口をきいてくれない』という投稿が出てきて、読んでみると、『家に帰りたくなくて動悸がするほどひどい』『精神科に通っている』といった人も多い。家に帰った途端、妻が明かりを全部消したことがショックだった、という人もいました。
私自身も夫に口をきかなかった時期があって、何となくやっていたことだったんですけれど、調べて初めて夫たちの苦しい状況を知りました。男性はこんなに繊細なのか。大変だなと思って、作品化の方向を探り始めたんです」
妻と向き合わずに「逃げる」夫たち
一方で、この尋常ならざる事態に対し、「妻と向き合うのではなく、別のところに行く人が多い。同作中でも夫はアイドルに逃げる。旦那さんも仕事で疲れているのはわかるんですけど……」。
妻も向き合わず、口をきかない戦略に出るのはどうなのか。「女性には、察してくれないとあきらめてしまう人が多いのかもしれません。男性から見れば『エスパーじゃないんだから』となる。でも、口で言うとムカつかれるのを知っているから、妻は話さないのではないでしょうか。他人は話し合えばわかる、と簡単に言いますが、それができないから皆さん悩むのです」。
『妻が口をきいてくれません』(野原広子/集英社)
夫婦2人だけで子育てをするのではなく、両親などほかに頼れる人がいれば改善するのでは、とも単純に言えない。『消えたママ友』では、祖母が手伝いの口実のもと、跡継ぎとなる孫を取り込んで母親の出番を奪っている。その関係性も、野原氏が実際に聞いた話がもとになっているという。
「結婚前からつき合いがある友人が、子育てが終わってから打ち明けてくれた話なんです。お姑さんとちょっと仲が悪いのかなとは思っていたんですが、おばあちゃんが孫を抱いているのを見ても過呼吸になるほど追い詰められ、結局別居。それを今になって打ち明けることにも衝撃を受けました。本当に深い悩みは、誰もわかってくれないだろうと思って、友人に言わないことも多いかもしれません」
確かに年齢が上がるほど、悩みは複雑になり、親友であってもそうたやすくは打ち明けられない。そして母親ならではの最大の苦しみは、母親の役割からは逃げ出せないことではないだろうか。
「世間は冷たい、家族も理解してくれない。だから、保育園で同じ悩みを共有できるママ友が現れると、どっぷり深みにハマっちゃうんです。仲良くなってからの年数も短いのに、すべてを委ねられるような気がして、間違いが起きる。まだ人間として未熟だということに、自分自身も気づいていない。結局、ママ友同士の関係も、みんな失敗しながら学んでいくのでしょうね」
ママ友はそれでも、一定期間が過ぎれば離れることができる。ママ友同士のトラブルは、歳月を重ねれば記憶が薄れることもある。野原氏は、ママ友問題を描くことに決まったとき、編集者からトラブルの体験はなかったか聞かれた。
「平和でしたよ」と答えていたにもかかわらず、描き終えてから「すごいのがあったわ」と自身の体験を思い出したという。行動範囲が広がり視野が広がると、ママ友との関係は変化することもある。そして、子どもの手が離れれば薄れがちな関係性でもある。
「夫より大事なものがある」から離婚しない
問題は夫婦関係だ。離婚するかどうか悩む女性を描く作品もある野原氏自身、離婚している。直接的な離婚の要因ではないものの、子育てはワンオペ状態だった。
「私の親は遠くにいましたし、夫がとにかく家にいない人だったんです。娘が赤ちゃんのときは、家の中で事故を起こさないか心配で、1週間自分の髪の毛が洗えないときもありました。近くに義母が住んでいたので、義母と2人で育てたような感じでした」と話す。
実際に離婚をすると、見えてくることがあるという。
「離婚したいと思っていたときは、周りの友人たちも『離婚する』と言っていたのですが、結局本当にしたのは私だけ。断念した理由を聞くと、経済的にやっていけないという人が多いです。熟年離婚をしようとしたら、成人した子どもに止められた人も。いくつになっても、子ども中心という人はいるんですね。
離婚を恥と考える年上の世代には、『旦那が死ぬまで我慢する』という人もいます。離婚をすると、長年住んだ家や地域、友人を捨てなければならなくなる。夫よりも大事なものができていることが、離婚しない要因になるんです」
夫婦関係を再構築する糸口が見えたから、ではなく、結婚生活を支えるその他の要因ゆえに離婚しない。しかし、話し合いをあきらめて口をきかなくなっても向き合おうとしなかった夫とは、うわべだけの関係しか続けない。密かにそんな結論を下した妻と同居を続けている男性も、実は多いのかもしれない。本人が気づいていないだけで。
野原さんから話を聞くと、母親たちのつらさは単に孤独なだけでなく、孤立しているからとわかる。ママ友とは親しいようでいて距離がある。家族からも母親としての責任を押しつけられる。世間の眼も冷たい。本来子どもは、育っていくうえで何人もの手助けを必要とする。
今は大きな顔をしている大人たちも、たくさんの人の手を借りてきたから今があるのだ。それなのに、母親に全責任を押しつけ子どもを排除しようとしている。せめて母子を温かい目で見つめる寛容さが、私たちには必要なのではないだろうか。
阿古 真理 : 作家・生活史研究家
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