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ひきこもり歴20年、33歳長男がアルバイトの初任給2万円で母親に花を贈るまでの全ストーリー

2021-04-30 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

中学時代にいじめやからかいに遭い、ひきこもりになった長男(33)。ここ20年間、一度も働いていなかったが、父親が定年間近で「そろそろ働かなきゃ」と動きだした。当初、社会に出ることへの恐怖心が強かったが、厚生労働省委託のNPOなどが運営する地域若者サポートステーションや勤務先の心優しい同僚にも支えられながら、初任給の2万円を手にした――。
ひきこもってから20年経過して33歳になった長男の「復活」
ある日、ひきこもりの長男(33)を抱える母親(57)が筆者のもとへ相談にやってきました。緊張しているせいか、硬い表情のまま母親は相談の目的を告げました。
「主人(59)は来年で60歳になり定年を迎えます。そのためか、最近になって長男はお金の不安を口にするようになってきました。そこで主人が定年を迎える前にお金の見通しを立ててみて、それを長男にも伝えておきたいのです」
「なるほど、分かりました。では、まずはご家族構成やご長男のことからお話いただいてもよろしいでしょうか」
筆者はそう言い、母親から聞き取りをすることにしました。
【家族構成】
父 59歳 会社員
母 57歳 専業主婦
長男 33歳 無職
長女 29歳 既婚。両親家族とは別居
長男は小さい頃からぽっちゃりとした体形で、動作もゆっくりしていました。会話のキャッチボールもあまり得意な方ではなく、相手の求めているであろう受け答えをすることが難しかったそうです。そのためか、中学生の頃に、からかいやいじめの標的にされるようになってしまいました。ひどい時には後ろから頭をたたかれたり、背中を蹴られたりといった暴力も受けたそうです。
母親は学校の先生に相談をしましたが、先生からは「皆と遊んでいるうちに少しエスカレートしてしまっただけでしょう」というような受け答えで、真剣に話を聞いてくれませんでした。
そうこうするうちに長男の様子がだんだんおかしくなってしまいました。元気がない、食欲がない、いつもお腹を下しているといった症状が出てきたのです。
心配した母親は長男と話し合った結果、しばらく学校を休むことにしました。少しの間だけ休むつもりだったのですが、復帰のきっかけもつかめず、そのまま長男はひきこもるようになってしまいました。
父親は当時も会社員で仕事に忙しく、長男のことは母親に任せっきり。母親は「このままではいけない」と思いつつも、長男は両親に暴力をふるったり暴言を吐いたりすることもなかったので、何もしないまま日々を過ごしてきました。
気づけば、20年近くの歳月が経過していました。現在、父親は定年間近、長男も30歳を超え、本人に焦りが見られるようになったそうです。
「学力も技術も何もないから正社員にはなれない。働くのは無理だ」
母親は険しい表情で長男の話を続けました。
「長男は『そろそろ働かなきゃ』ということを口にしています。ですが、その一方で『正社員にならないと、途中でお金が足りなくなって生きていけない。でも自分には学力も技術も何もないから正社員にはなれない。もう働くのは無理だ』と嘆いているのです……」
筆者は次のようにお答えしました。
「確かに『働く』ということを考えたとき、どうしても『正社員になって自活できるようになる』といったことをイメージしてしまいがちです。ここで言う『自活』とは、例えば月に20万円くらい稼げるようになり、自分の生活費は自分で何とかする、といったことを指します。本来なら自活できるようになるのが望ましいと私も思います。ですが『自活することが難しい方もいる』というのが現実です。そして『自活できなければ働く意味はないのか? 生きていけないのか?』というと、そんなことはないとも思っています」
そして、次のような提案をしてみました。
「正社員にならないと本当に駄目なのか? 将来お金が足りなくなってしまうのか? 大まかになってしまいますが、今ここでお金の見通しを立ててみましょうか」
「はい。お願いします」
母親はそう答えたので、筆者はさらに聞き取りをしていきました。
【家族の財産】
現金預金 3500万円(父親が60歳の時にもらえる退職金1000万円を含む)
自宅の土地 1500万円
________________________________
【収入と支出】
■収入
父親の給与 手取りで月額 約40万円
※60歳から65歳は継続雇用 手取りで月額 約20万円
■支出
基本生活費など 月額 約26万円
親亡き後、長男は生き延びることができるのか
父親が65歳から継続雇用で働くようになった後は支出を見直さないと月額6万円ほどの赤字になってしまいます。そこは父親と母親のお小遣いを見直すことで赤字を月額3万円以内に抑えるようにしてみる、ということになりました。
年金生活に入った後は両親の年金収入の合計は月額で24万円ほどになるとのこと。それならば、年金生活に入った後も赤字が急拡大することは今のところなさそうだ、ということが分かりました。
そこまで確認した筆者は、次に親亡き後の長男のお金について考えることにしました。
まずは「長男の親亡き後の生活は何歳から何歳までの間になりそうか?」というおおよその見通しを立てるところから始めます。
親亡き後、長男の老後の収入は月7万円のみ、自宅を売却するしかない
筆者はスマートフォンを取り出し、画面に厚生労働省のサイトからダウンロードした資料を表示しました。その資料をもとに、次のような図表を作成しました。
筆者は表の中にある数字を一つひとつ指さしていきました。
「統計データを参考にし、お父様の平均余命は25年、お母様の平均余命は32年としてみます。すると、親亡き後の生活が始まるのは今から32年後になります。32年後にはご長男は65歳。仮に83歳まで存命だとすると18年間分の資金について考えることになります」
そこまで説明した筆者は、次に長男の収入と支出の見通しを立てていくことにしました。
まずは収入です。長男は20歳から国民年金に加入しています。保険料の支払い状況を確認すると、父親が「年金の支払いは義務だから」と20歳当時からずっと支払ってきたそうです。そしてこのまま長男が60歳になるまで支払を続ける予定ということでした。以上をふまえると、長男の65歳からの収入は次のようになります。
売却した自宅土地代と貯金を残せば何とかなりそう
次は、親亡き後の支出です。自宅は長男一人で住むのには大きすぎるということなので、両親亡き後は自宅を売却し、住み替え(賃貸物件)をすることを想定。支出は基本生活費と住まいのお金(家賃)で月額15万円としておきました。
以上のことから、親亡き後の必要資金は次のように計算できます。
収入は月額7万円、支出は月額15万円、月の赤字は8万円。18年間では8万円×12カ月×18年=1728万円となります。
自宅の土地を売却した資金と長男のために現金をある程度残しておけば、お金については何とかなりそうだ、という見通しが立ちました。
月3万円のバイトを30年続けたら1080万貯金でき、老後の蓄えに
筆者は母親に視線を向けたあと、ゆっくりとした口調で伝えました。
「正社員でなくてもお金は何とかなりそうです。例えばアルバイトで月3万円の貯蓄を30年続けた場合、3万円×12カ月×30年で1080万円になります。月4万円なら1440万円です。アルバイトでもご長男の必要な資金の大部分をまかなうことができます。計算はあくまでも目安ですが、それでも『正社員にならなければ生きていけないのか?』というとそんなわけでもなさそうです」
「確かにアルバイトでも何とかなりそうですね。ですが、長男は今まで仕事をしたことがありません。一体何から始めればよいのか……」
母親の不安ももっともです。
働くことに悩みを抱える15~49歳を対象にした「サポステ」
そこで筆者は、地域若者サポートステーションの説明をすることにしました。
地域若者サポートステーション(通称サポステ)では、働くことに悩みを抱えている15歳から49歳までの方を対象にした支援を行っています。サポステは厚生労働省が委託したNPO法人や株式会社などが運営しています。主な支援内容としては、相談、スキルアップ講習、職場体験です。
仕事の悩みに関する相談にはキャリアコンサルタントの資格を持つ専門家が対応してくれます。スキルアップ講習には、コミュニケーションや社会人のマナーを身に着ける講座、パソコン講座(ワードやエクセルの基本的な操作を覚える)などがあります。
職場体験は、協力企業に出向いて実際に仕事をしてみるというものです。このようにサポステではさまざまな支援を受けることができ、費用は交通費などの実費を除き無料となっています。
筆者は実際に何度かサポステへ見学に行ったこともあるので、その感想も交え母親に提案をしてみました。
「支援者の方々は温和で親しみやすかったですし、利用者の方にも話を聞いてみたところ『最初は不安や怖い気持ちがあったけど、勇気を出してサポステに来てよかった』と言っていました。もしご長男に働く意思があるようでしたら、サポステを利用してみるところから始めてみるのもよいかもしれません」
「確かにサポートステーションを利用するのはよさそうですね。でも、果たして長男一人で相談に行けるかどうか……。何かよい方法はありますでしょうか?」
「おっしゃる通り最初からご長男お一人で相談に行くのはハードルが高いかもしれませんね。私もお母様と同様の疑問を持ったことがあるのでサポステに聞いてみました。すると『最初は保護者の方とご一緒に相談に来るケースも多いですよ』という答えが返ってきました。なので、最初のうちはお母様とご一緒に相談に行くことは全然アリです。慣れてくればご長男お一人で通えるようになるでしょうし」
「なるほど、そういう方法もあるのですね。よく分かりました。今日いろいろお話いただいたことを長男にも伝えてみます」
そう答えた母親の表情はだいぶ柔らかくなっていました。
働くことに躊躇「中学の時のように、馬鹿にされたらどうしよう」
筆者との相談から半年がたった頃、母親から「長男がサポステで支援を受け、アルバイトをすることになりました」という報告がありました。母親からその経緯を教えてもらいました。
母親からお金の見通しやサポステの話を聞いた長男は「ちょっと考えさせてほしい」と答えたそうです。母親は長男を急かすことなく、長男からの返事を待つことにしました。
長男は「中学の時のように、また馬鹿にされたらどうしよう。自分のことを受け入れてもらえなかったらどうしよう」と、どうしても不安や恐怖が先だってしまったそうです。
しかし同時に「やっぱりこのままではいけない。何とかしたい!」といった思いも生まれてきました。そしてその思いの方が不安や恐怖よりも少しだけ勝りました。
母親からサポステの話を聞いてから1週間後、長男はサポステで支援を受けることに決めました。ただし最初から一人で行くことがどうしてもできなかったので、母親に頼んで一緒にサポステへ行ってもらうことにしたそうです。
不安な気持ちを抱える長男をサポステの支援者たちは温かく迎え入れてくれました。長男の担当になったのは50代の小柄な女性。その担当者は長男の話を否定することもなく、途中で受け答えに詰まってしまった長男が再び口を開くまでじっくりと待ってくれました。そのような対応をしてくれたため、2回目以降は一人で行けるようになったそうです。
人生初の仕事はショッピングモールの早朝清掃
長男は担当者との面談を繰り返す中で、自分の好きなこと、嫌いなこと、出来そうなこと、無理そうなこと、やってみたい仕事のことなど、時間をかけて様々なことを語りました。面談と並行してスキルアップ講習もいくつか受けていきました。ある程度の下地ができ上がってきた頃、担当者から「そろそろ職場体験をしてみませんか?」という提案を受けたそうです。
「とうとう仕事をする時が来た。自分にはできるだろうか?」という不安もありましたが、その一方で「早く仕事をやってみたい」という気持ちも芽生えていました。
担当者と話し合った結果、ショッピングモールの早朝清掃を体験することに決めました。
「ぜひウチで働いてほしい。採用面接を受けに来てくれませんか?」
職場体験当日。長男は朝5時に起きました。緊張していたため、朝が早くても眠気はあまり感じなかったそうです。職場に向かう道中、ひんやりとした空気を感じつつ、長男の心の中は期待と不安でいっぱいでした。20年近くも自分の部屋にとじこもった生活をしてきて、人生で初めて働くのですから、無理もありません。
職場についた長男は緊張でがちがちになっていましたが、職場の人たちは温かく迎え入れてくれたそうです。そのおかげで、長男は少しだけ心に余裕を持つことができました。
職場体験で指示された掃除の内容は、自動ドアや看板の雑巾がけ、フロアにあるゴミ箱の中身を捨ててきれいにするといったもの。もちろん最初から自分一人で掃除ができるわけではないので、ベテランパートの60歳女性とコンビを組んで掃除をすることになりました。パートの女性から優しく丁寧に掃除のやり方を教えてもらい、長男は黙々と一生懸命に作業をしていきました。
すると、その様子を見ていた採用担当者が職場体験終了後に長男に声をかけてきたのです。
「ぜひうちの会社で働いてほしい。今度、採用面接を受けに来てくれませんか?」
そのようにスカウトされた長男は「こんな自分でも受け入れてくれるところがある。すごくうれしい! この会社で仕事をしてみよう」と思ったそうです。
初任給は2万円、父にハンカチを母に花をプレゼント
後日、長男はその清掃会社の面接を受け、無事アルバイト採用されることになりました。
アルバイトで仕事をするようになった後も掃除のやり方は丁寧に教えてもらえ、長男からの疑問や質問にもきちんと答えてくれたそうです。また、職場で厳しい言葉を投げかけられたり怒られたりすることもありませんでした。
なぜ、そのようなことが可能なのか?
それはその会社の企業風土にありました。社長を含め従業員全員が働くことが難しいお子さんに理解を示していたからです。もちろんそのような会社はどこにでもあるわけではありません。サポステの担当者が日々靴底を減らし、理解を示してくれるような会社を一つひとつ見つけていったからなのです。
職場の方々はいずれも長男に優しく接してくれていますが、その中でも特に“フレンドリーなおばちゃん”がいて、長男が仕事を続ける原動力にもなっているそうです。そのおばちゃんからは、出勤時には「今日も来てくれてありがとう。一緒に頑張りましょうね」と言われ、退勤時には「今日もおばちゃん助かったわ~。次はいつ来てくれるの?」といったように必ず声かけをしてくれるそうです。それにより「よし、次も頑張ろう」という意欲が湧いてくるのでした。
長男がアルバイトを始めて1カ月がたった頃、念願の初給料が出ました。
時給は最低賃金なので手取りは2万円程度でしたが、それでも「自分で仕事をしてお金を稼いだ」ということが何よりもうれしかったようです。
長男はその初給料で父親にハンカチを、母親に花をプレゼントしました。
長男からの思いがけないプレゼントに両親は驚きましたが、同時に長男の成長を心から喜びました。自信がついてきた長男は「もっと仕事の時間を増やして稼ぎたい」と両親に告げたそうです。
母親は最後に次のように語ってくれました。
「仕事内容は本人に向いているようですし、職場の方々が長男に優しく接してくれているのでとても助かっています。いつまで仕事が続けられるかは分かりませんが、親としては静かに見守っていこうと考えています」
勇気ある一歩を踏み出した長男。その後、支援者や職場の人にも恵まれ、働くことに自信を持てるようになって本当に良かったと筆者は心から思いました。
田 裕也(はまだ・ゆうや)
社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー


「YouTube」がやめられない人が陥っている状態

2021-04-30 13:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

自由に使える時間を有効に使う
南カリフォルニア大学の心理学教授、ウェンディ・ウッド氏によれば、人の行動のうち60%は無自覚だそうです。つまり、1日のうち半分以上は、自分でも何をしているか自覚していないうちに過ぎていることになります。
幸福度を上げるためには、1日のうちで自分が自由に使える時間を把握し、それを有効に活用することです。時間を記録するには、ウェブカレンダーを使ったり、手帳に書き込んだりもできますが、便利なアプリも多数あります。
1日の時間の使い方といっても、大半は仕事だよ! という方もいるかもしれませんが、1日は24時間。24時間から会社の就業時間を引いたら何時間残るか、試しに計算してみましょう。会社が8時間を就労時間と定めていたら、1日のうち16時間はプライベート時間ということになります。リモートワークが進んだ会社では、もっととれるかもしれません。
心理学者のアンダース・エリクソン氏によれば、人がもっとも高い集中力を発揮できる時間は1日におよそ4時間だそうですから、ダラダラ仕事しないで、就業時間を終えたらさくっと切り替える方が、かえって生産性が上がるのです。そして、プライベートの時間をどう過ごすかが、人生の満足度、充実度を上げてくれることになります。
今日のプライベート時間を確保したら、仮に3つに分類して、それぞれ所要時間を考えてみましょう。理想は次のようなバランスです。
・睡眠、食事、家事などにかかる「必要時間」 9~11時間
・趣味や勉強、ジムでエクササイズなど「能動的に過ごす時間」 3~5時間
・NetflixやYouTubeなどの動画視聴、ネットサーフィンなど「受動的に過ごす時間」 1時間以内
もしも「受動的に過ごす時間」が1日のうち2時間以上あった場合は、改善が必要かもしれません。もちろん、目的があって動画を見ていたり、趣味としてネットを見ている場合はいいのです。リラクゼーションの時間としてゲームをするのも大賛成です。その場合は、動画を見る時間もゲームをする時間も「能動的な時間」としてカウントできると思います。
ただし、こうしたアプリやゲームは、脳が次々に見たくなるような反応を起こすようにつくられています。Netflixの調査では、61%の人が、一度見始めると2~6話を連続して見ているという結果になりました。5人に3人は連続視聴をしていることになります。また、NBCニュースは、動画を連続視聴しているときの脳は、ドラッグ中毒者と同じ状態になっていると告げています。
ついNetflixを見続けてしまうワケ
目的があって見始めても、いつの間にか見ようと思っていなかったものまで見続けてしまうことはよくあります。が、それではあっという間にプライベート時間が消えてしまいます。これらのアプリは脳の性質を利用してつくられた仕組みですから、意思の力では勝てません。対抗するにはこちらもこのサイクルにはまらないような「仕組み」をつくらなくてはなりません。
心理学者のマイケル・ゼイラー氏によれば、脳は決まったパターンで与えられる報酬よりも、予期しないパターンで報酬を与えられた方が、喜びが大きくなるという特性があります。
ネットサーフィンやYouTubeも全部が面白かったり、有益であるわけではありません。でも、たまに面白かったり「へえ!」という驚きのある記事にあたるからこそ、私たちはネットサーフィンをやめられなくなってしまうのでしょう。ギャンブルと同じ構造で、脳がハマってしまうのです。
しかし研究によれば、同じ娯楽の時間であっても、目的意識のないままに過ぎてしまう時間は、能動的に楽しもうとする時間に比べて幸福度が下がることがわかっています。
ある習慣を引き起こすきっかけを「トリガー」といいますが、これには2種類あります。1つはインナートリガーといって、「自分の身体」がトリガーになっているケース。「お腹が鳴る」というトリガーから「お菓子を食べよう」という悪習慣が発動します。
もう1つはアウタートリガーといって、「環境」がトリガーになっているケースです。「LINEの通知が出る」というのがトリガーで「スマホを触る」という悪習慣が発動します。
生活の中で強く習慣になってしまっている行動は、このインナーとアウターのトリガーの連鎖です。ネットサーフィンの場合、「疲れた~」というインナートリガーが「仕事じゃないことをしたい」という気分にさせてスマホを手にさせ、スマホの画面に現れる通知やアプリのアイコンというアウタートリガーからYouTubeやNetflixのアプリを押して動画を見るという習慣に入ってしまいます。
この場合、「疲れた~」と思ってスマホを見ても、アウタートリガーとなる通知を切っておいたり、アプリを削除しておくことで一連の流れに入ることを止めることができます。
「やりたいこと」をメモしておく
データによれば、2019年の日本人が所有するアプリは平均99.3個、利用しているアプリは37.5個だそうです。あなたはいくつ持っているか、自分で知っているでしょうか? 時間泥棒のアプリはブラウザから能動的に見に行けば見られますので、いったんスマホから消してみましょう。時間の使い方に意識的になれます。
『タイムマネジメント大全』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします)
また、自分がやりたかったことを思い出すことで、受動的な時間を減らすこともできます。
・もっと本を読みたい
 ・〇〇の映画を全部見たい
 ・もっと家族と時間を過ごしたい
 ・もっと仕事以外の世界と触れたい
というように、自分のぼんやりと思っている欲望を書き出して、時間の使い方を具体的にイメージするのも効果的です。
時間をどう過ごすか考えることは、人生をデザインすることです。同じ動画を見るにしても、惰性ではなく、ちゃんと見たほうが何倍も楽しめるもの。せっかく手に入れた時間ですから、意識的に過ごしてみてください。きっと1週間後、1カ月後の自分に変化が訪れます。


眞子さまが結婚に一途なのは、実は皇室を離脱したいから?

2021-04-30 11:00:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

4月8日、小室圭さんが金銭問題の説明文書を公表した。西村泰彦宮内庁長官は絶賛しているようだが、ホントに大丈夫だろうか。この文書の中で「将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした」という文言が出てくる。すでに眞子さまと将来を約束したようにも読めるが、もしそうなら眞子さまは結婚を諦めていないということだろう。

「小室くんの怪しい雰囲気もそうですが、彼のお母さんを見て、品があると思う人はあまりいませんよね。雅子さまも美智子さまも、皆さんキリッとされているし、違いは明らかです。面と向かえばドン引きしそうな風貌なのに、眞子さまは、あのお母さんにほんとに優しく接しているそうですよ」

本欄で以前、小室さんとの結婚を諦めると次のご縁がどうなるかわからないからと書いたが、どうもそれだけではないらしい。結論を先に言えば、なにがなんでも結婚して皇室を離れたいお気持ちなのだという。

 皇室離脱が結婚の目的?――もちろん成人皇族だから皇籍離脱は可能だが、ハードルは高いし反対も多い。しかし結婚なら正々堂々とできる、と考えているようなのだ。

 ここまでの心境になった背景を探ってみたい。

 天皇陛下が今年2月のお誕生日会見で眞子さまの結婚に触れ、眞子さまに「ご両親とよく話し合い」なさいと述べられたことで、小室さんとの結婚を静かに見守ってくださっていると思っていたのは自分だけだったことがわかってしまった。もともと眞子さまと両親の間は断絶状態といわれ、さらに天皇のお言葉で、結婚のハードルが高くなった。

これでは眞子さまも諦めるのではないかと思われたが、歌会始で詠んだ歌《烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に》から、それはみじんも感じられないという。

「秋が深まる30歳までには、烏瓜の実が熟すように、私の結婚も成就したいとも読めます」(前出の皇室関係者)

お相手は小室圭さんでなくてもいい?
 では秋篠宮さまはどうなのか。一時は結婚を認めると言ったのだから、眞子さまがそれなりの覚悟で臨めば、父として承諾するのではと思われたが、どうもそれほど単純ではないようだと関係者は言う。

「宮内庁に電話が殺到しているのは事実です。それもほとんど抗議の電話。対応するのが秘書課で、その電話を受けるために専任のスタッフを2人置いています。内容は、一時金を辞退しろ、結婚はやめるべきだ、小室さんは眞子さまの相手にふさわしくないといったものです。それなのにここで結婚を認めたとなれば、おそらく秋篠宮さまに『皇嗣なんてやめちまえ!』となりそうです」

 この展開は宮内庁が最も恐れている。

 天皇陛下が、眞子さま自身と秋篠宮さまにボールを投げた以上、秋篠宮さまが決断する以外に選択肢がなくなった。ところが、眞子さまからお願いされても結婚を認めることはできず、かといって中止させることもできず、ついに窮まってしまったのだ。

こうした複雑な経緯を考えれば考えるほど、常識的には、眞子さまは身を引く以外に解決の道は見えないのだが、現実は逆に向かっている。

 そこで「なぜ? そこまでして?」なのだが、皇室の関係者はこう言った。

「おそらく、どうしても皇室を出たいのではないですか。皇室を出られるなら、小室さんでなくてもよかったのかも……」

 なるほど。そういう理由なら合点がいく。いくら周囲に反対されようと結婚を諦めない意思の固さも納得できる。

 眞子さまがこんな心境に至った背景になにがあるのか。


高齢者クレームで途方にくれる子育てママ、公園の子供は騒音か

2021-04-30 08:30:00 | 日記

下記の記事はLIMOからの借用(コピー)です

「お年寄りが危ないから、走り回ったりボール遊びをしたりしてはいけない」「お年寄りに迷惑がかかるから、大声を出してはいけない」という警告文が掲示された公園がある―。
子育て中のママにとってはいささかショッキングなニュースが、ネットで話題になったのは記憶に新しいところです。果たして公園は、いったい誰のものなのか? 公園はいったいなんのためにあるのでしょうか。
「公園で遊んでいる子供の声がうるさい」という苦情
最近SNSで立て続けに話題になっていたのが、公園に掲示された「警告文」。
ある児童公園では「子供たちの遊ぶ声がうるさい。近隣にはお昼の時間帯でも静かな環境を望んでいる人がいる。どうか想像力を働かせてほしい」。
また、別の公園に掲示されたのは「公園で子供が走り回ったり、ボール遊びをしたりすると、お年寄りが怪我をする危険性があるので禁止」というもの。
子供たちを遊ばせようと公園を訪れたママたちが、この警告文を見て途方に暮れる姿は、想像に難くありません。
公園の意味を辞書で調べてみると「市街地にあり、人々が休息したり、遊んだりできる場所」とあります。
さらに、「児童公園」の定義について調べてみましょう。児童公園とは、1956年に制定された都市公園法に基づいて、児童の遊びやレクチャー、スポーツに供する公園施設のこと。
ただし、平成5年の都市公園法施工令改正によって、「児童公園」とされていたものは「街区公園」と名称変更されました。
これは児童の利用のみならず、高齢者や街区内の居住者が利用することを視野に入れた、コミュニティ形成の場としての役割を担ってくれるよう、行政の期待が込められた改名です。
つまり、公園は「子供たちの遊び場」であると同時に、「あらゆる世代のコミュニケーション、レクリエーションの場」。本来の公園の在り方とは、世代を問わず、近隣住民誰もがさまざまな楽しみ方ができる「憩いの場」というわけです。
子供の声は「騒音」なのか?
2007年、西東京市の「西東京いこいの森公園」内にある噴水で遊ぶ子供たちの声がうるさいと、近隣に住む女性が騒音差し止め仮処分の申し立てを行いました。
これに対し東京地裁八王子支部が、噴水を使用してはいけないという仮処分を決定。つまりこのケースでは、子供の声はれっきとした「騒音」であるという判断が下されたのです。
たとえばこれが、マンションなど集合住宅のエントランス、公共施設、住宅地の道路…であるのなら、「騒音」と定義づけられるのはよくわかります。なぜならそこは、「遊び場」ではないからです。
しかし公園は、上記にある通り「子供たちの遊び場」であるはず。しかも時間帯も早朝、深夜ではなく、日中。この判決が賛否両論を巻き起こしたのも無理からぬ話です。
この公園裁判の事例以外にも、「子供たちの声がうるさい」と公園や幼稚園、保育園に苦情を入れたり、裁判を起こしたりする人は少なくありません。
1969年、東京都は「公害防止条例」を制定。その後2000年に「環境確保条例」として全面改正されました。それによると、低層住宅が主に建てられている「第1種低層住居専用地域」では、8時~19時の間は45デシベル以上の音を「騒音」と規制。
すると、「子供の声が45デシベル以上の騒音にあたる」と規定を理由に苦情を言う人が増加。東京都議会は2015年に「環境確保条例改正案」を可決し、子供の声は騒音規制の対象から除外することを決定しました。
この流れを見て思うに、「公害防止条例」を制定した当初、行政は、まさか「子供の声が騒音である」という訴えが起きるとは想定していなかったのではないでしょうか。
これから公園はどうなるの?
では、なぜ冒頭のような「警告文」が掲示される公園が出てきてしまったのか。それは、単に「声を上げるか上げないか、その差」でしかないのでは…?と筆者は想像します。
公園の子供の声が騒音だと思っていない人、公園は子供がボール遊びをしたり、走り回ったりするための場所であると考えている人は、わざわざ行政に「どうぞ公園で、子供たちを思いっきり遊ばせてあげてください」なんて訴えません。
なぜならそれが「言わずとも当然」のことだからです。
一方、それが許せないごく一部の人は行政にクレームを入れる。クレームが入った以上、行政は動かざるを得ない…その結果の警告文。
しかし、ボール遊び禁止、大声ではしゃぐこと禁止、走り回ること禁止となった公園に、誰が好き好んで訪れるのでしょうか。
「子供たちが外で遊ぶ姿を見かけなくなった」とはよく聞くセリフですが、その背景の一つに、子供たちを外で遊べなくしている世間の風潮があるのかもしれません。
おわりに
筆者が子供の頃は、放課後の遊び場と言えば近所の公園が定番でした。また、子供が生まれてからも、同世代のママとの交流の場であったり、ママ友との出会いの場であったり…。
子育てに大きな役割を担ってくれている「公園」という存在。しかし、今後、公園が子供たちにとってのびのびと遊べる場所でなくなってしまったら…それが果たして誰の得になるのでしょうか。

追記:私の住んでいるマンションの裏に幼稚園があります。管理組合の総会で幼稚園の子供たちの声がうるさいと発言がありました。また駐車場の近くで子供(住民の子供)が遊んでいると危ないから遊ばせるなとも発言。子供は日本の宝。身勝手な高齢者が多すぎる。自分達が注意して考えれば良く分かること。


瀬戸内寂聴、死期を感じる? 「夜、昼の区別もなく、眠り続けています」

2021-04-29 15:30:00 | 日記

下記の記事はAERAdotからの借用(コピー)です

 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

*  *  *
■横尾忠則「生と死が混濁した感覚は遊戯的創造の核です」

 セトウチさん

 朝、目覚めると同時にまるで天気予報のようにコロナのニュースをテレビが報じています。この間、大阪のコロナ感染者が666人と報道されました。この666という数字が画面に描かれた時、僕の背筋に冷たいものが走りました。

 セトウチさんはご存知でしょうか。この666というのは悪魔の数字だということを。悪魔主義的な人間と言っても日本人にはピンとこないでしょうが、西洋では反キリストを指す数字として、ヨハネ黙示録には世界の終りが近くなると神が野獣と呼んだ人物が登場して、世界を支配するということが書かれています。

 そんな恐しい666という数字がテレビの画面に表れた時、僕は本当に背筋が凍(い)てつくほど驚きました。もし西洋人がこの数字を見たらどんなに驚いたか知れません。仏教徒のセトウチさんには666なんて別にどーってことないかも知れませんね。世界の終りは弥勒(ミロク)の出現で救われると仏教では語られています。セトウチさんはこの前、僕の言った終末時計よりも、自分の終末生命の音の方が身近に聴こえるとおっしゃっていました。

 われわれの年齢になると世界の終りも自分の終りもさほど変らないかも知れませんね。僕は20代の頃から終末意識が強く働いて、その意識で創作活動をやってきたように思います。1999年のノストラダムスは回避されましたが、物造りの人間にはこの終末意識がエネルギーになるという変な業のようなものに背中を押されて仕事をしてきたように思います。生きることは死ぬことだみたいな考え方にとらわれて今までやってきました。

 死は一時僕の中では浪漫主義のような甘美な思想にとりつかれた時期もありました。その頃は幻想絵画や幻想文学に憧れ小さい世界に閉じ込められていました。そこから脱却したのはセザンヌのロマン主義が純粋絵画に転向した経緯に触れたことが大きかったと思います。だけど現実世界が全てだと考える唯物主義は僕の中で否定され、この現実と分離したもうひとつの現実への認識の拡大が僕の創造領域をうんと拡張してくれました。それは思想的なものではなく、幼少時代から今日まで僕の内部に棲みついている異界体験が巻き起こすイリュージョンです。ここにいながら、もうひとつの領域にいるというバイロケーション現象です。

 普通は幼少期特有のものとして自然消滅していくものなのに、僕の場合、老境に至る今日まで、僕の肉体と精神の両域にまたがって、一向に衰えようとはしません。生と死が混濁したような感覚はいい意味で遊戯的創造の核となっています。僕の中のインファンテリズムはもしかしたら、この虚実の共存から発生したものとして、今では温存させるようになりました。そんなことから生と死は分離されたものではなく、一体化された輪廻的な原郷への回帰のような懐かしさを感じます。

 そして、そこで出会ったのがこの前にも触れました寒山拾得(かんざんじっとく)的生き方です。この存在は人というより、理念そのものだと思います。666の終末というより、弥勒的世界です。まあ、われわれは死後の世界で千年王国を見つけましょうか。

■瀬戸内寂聴「寂庵は平安時代、死体捨て場だったのよ」

 ヨコオさん

 今朝は、嵯峨野の空は、雲のかけら一つなく、実に爽やかな風が吹き通っています。

 桜はとうに散ってしまって、今は椿が満開です。

 こんなに椿があったかと、びっくりして、一本、一本見渡しています。

 お寺に椿が似合うのか、嵯峨野のお寺には、どこも椿が鮮やかです。

 寂庵の椿は、どれも自分が進んで植えた記憶はなく、それを下げてきてくれた人の笑顔や、着物の色が、花と一緒に浮かびあがってきます。

 花が咲いても、散っても、常に美しい寂庵の庭を眺めながら、こんな美しい広い庭を、一人占めして四十七年も棲み続けてこられた稀な幸福を、死の近づいた今になって、つくづく、しみじみ感じていっているこの頃です。

 ここを見つけた時、造成地で、だだっ広い、木一本なかった赤土の広がりだったことを想い出します。

 方々見回った後で、信じられないほど地代が安かったので、どうしてかと案内の人に聞いたところ、何時間か一緒に嵯峨野を巡り合ったその案内人は、ちょっと目を伏せて、私の顔を見ず、低い声で、

「この辺りは、昔、死体捨て場でしたからね。」

 と呟きました。

「昔」がどれくらい前のことか聞くまでもなく、出家していた私には、それもふさわしいと求める条件になりました。

 その頃は、まわりに家はなく、ほんとに「野」に家を建てた感じだったのです。

 地代も安くて、銀行で借りられるお金で間に合いました。

 何年かたち、ようやく棲み慣れた頃、親しくなったヨコオさんが遊びに見えて、すっかりあたりを気に入られて、近くへ引っ越してくると話が進みましたね。ところがそれを聞いた美輪明宏さんが、

「あそこへ行けばヨコオちゃんは仕事がなくなり、病気になって死んでしまうよ。」

 と止めに入って、ヨコオ夫人がびっくりして、

「でもセトウチさんはあんなに元気じゃないですか。」

 と言ったら、美輪さんが、

「あの人は坊主になったからいいのよ。あそこは平安時代は、死体捨て場だったのよ。」

 と言うことで、ヨコオ夫人がすっかり脅えて、隣にくる話はオジャンになりましたね。

 神秘的な美輪さんの言うことは、信じておくが安全です。おかげでヨコオちゃんも八十代も半ばの老境まで長生きしちゃってるし。

 ヨコオさんの話に近頃出てくる寒山拾得の居たお寺へ、昔、昔、中国旅行で行きましたよ。門を入ったすぐ右側に二人の銅像がありましたが、およそ想像と違う今様のサラリーマンのような平凡な顔をしていました。亡くなった日本の榊莫山さんの笑顔の方が似ているように思いませんか?

 そういえば莫山氏も、寒山拾得が好きだったらしく、よく彼らの風貌を描いておられましたね。

 さて、いよいよ私は死に近くなったらしく、夜、昼の区別もなく、眠り続けています。夢も見ません。起きている今が、夢なのでしょうか?

では、また。