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日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後になってから
日本人の平均寿命(0歳の人の平均余命=出生時平均余命のこと)のおおまかな推移を辿ると意外な事実がわかります。
たとえば江戸時代、日本人の平均寿命は35歳くらいでした。明治時代になってもあまり変わらず、30代後半程度だったと言われています。
人間五十年――織田信長が吟じたとされる『敦盛』の一節ですが、戦国時代はおろか江戸時代も明治時代も、日本人の平均寿命は50年にはるか及ばなかったのです。そもそも信長の「人間五十年」は天界と比べた人間の人生の儚さのたとえで、平均寿命のことではありませんが。
実は、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後になってからのことです。厚生省(現厚生労働省)によると、1947年の平均寿命は男性50.06歳、女性53.96歳。ここで初めて男女ともに50歳を上回りました。つい70~80年前まで、日本人は50年間生きるのがやっとだったのです。
その後、戦後の高度経済成長期に伴って平均寿命も延び、1971年には男女とも70歳を超えました(男性70.17歳、女性75.58歳)。WHO(世界保健機関)が2018年に発表した「世界の平均寿命ランキング」では、日本は「男女の平均寿命」で世界1位(84.2歳)という世界トップクラスの長寿国になりました。
医療の進化が「病気で死なない時代」を実現する
こうした超長寿時代を実現した背景にあるのが医療テクノロジーの画期的な進化です。
奥真也『「生存格差」時代を勝ち抜く 世界最先端の健康戦略』(KADOKAWA)
さまざまな説や考察がありますが、総合すると生物学的に見た人間の限界寿命は「120歳くらい」と考えられています。つまり「理論上、120歳まで生きることは可能」だということ。では人間がこれまで、その限界寿命を全うできなかったのはなぜか。その最大の理由は「病気によって志半ばで死を迎えてしまうこと」でした。
それが最新の医療テクノロジーの恩恵によって、結核や肺炎を患ったらまず助からなかったという時代と比べても、人間は圧倒的に「病気で死ななくなってきた」のです。
医療テクノロジーの進化においてエポックメイキング的な出来事となったのは「抗生物質の普及と実用化」でしょう。それによって、かつては「死病」と呼ばれていた結核などの感染症を克服できたことは、病死の減少や平均寿命の延伸に大きく貢献したと考えられます。
近年では、タミフルなどインフルエンザの強力な治療薬も登場し、オプジーボ(免疫チェックポイント阻害剤)に代表される画期的ながん治療薬にも注目が集まっています。
また、不治の病と恐れられていたエイズ、難病とされる筋ジストロフィーなどの遺伝的疾患などにも効果が期待される新薬が続々と開発されています。
さらにiPS細胞(人工多能性幹細胞)技術などによる臓器の再生や代替、ロボット手術やAI診断の導入など――今もさまざまな分野で医療テクノロジーは進化を続け、あらゆる病気が克服され始めています。病気で人が死ななくなる「不死時代」はすぐそこまで来ているといっても過言ではないでしょう。
医療の進化によって大敵「結核」を攻略
「死の脅威となる大病」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「がん」だと思います。
厚生労働省によると、2018年の日本人の死因第1位は悪性新生物(がん)、2位が心疾患、3位が老衰、4位が脳血管疾患、5位が肺炎となっています。
長い間、がんは不動の1位に君臨していますが、それ以前に日本人の大きな死因だったのは「結核」、つまり感染症です。世界的に見てもペストやコレラなどの感染症の流行は大きな死因のひとつとなっていました。
しかし前述したように、ペニシリンなどの抗生物質の普及により、結核で死亡する人は激減。医療の進化によって「感染症」という巨大な敵を攻略したことで、それ以降の主な死因は、がんや心疾患や脳血管疾患へと移行していったのです。
そして不治の病、最大の病魔とも言われるがんもまた、新たな治療法や新薬の登場に後押しされ、克服度合いは確実に上がっています。
多くのがんは「恐れるに足らない」病気になる
たとえば、がん細胞だけをピンポイントで狙い撃ちすることで個別のがんに対応した治療を可能にした「分子標的薬」による治療の確立。
がん細胞によって沈黙してしまった免疫細胞を覚醒させ、再びがん細胞を攻撃できるようにする「免疫チェックポイント阻害剤」という画期的な治療薬の開発。
さらに、がん細胞に感染して溶解させる性質を持った腫瘍溶解性ウイルスを使用した治療薬といった新薬の治験も、多くの企業で現在進行形で行われています。
また、アメリカ国立衛生研究所(NIH)に所属する小林久隆医師が開発した「光免疫療法」は、分子標的薬による「標的療法」と「近赤外線による光化学反応」を組み合わせた新しいがん治療。日本では、楽天メディカルジャパン社(旧楽天アスピリアン社)というベンチャー企業がライセンスを受けて2018年から治験を開始。2020年3月に承認申請され、同年9月25日に頭頚部がんを対象に正式に「アキャルックス」という名で承認されました。
胃がんや直腸がん、大腸がん、乳がんなどは、大方の人にとってもはや不治の病ではなく、手術や治療で克服可能な「普通の病気」になってきています。また、血液のがんである白血病も、「不治の病リスト」からもうほぼ消えました。
ほとんどのがんが「恐れるに足らない病気」となり、がんによる死亡率が「ゼロ」になる日も決して遠くはないでしょう。
ただ誤解のないように申し上げると、すべてのがんが「恐れるに足らず」というわけではありません。克服可能ながんは増えるけれど、膵臓がんや胆管がんなど現代の医療をもってしても克服が険しいがんも存在しています。それゆえ、医療テクノロジーのより一層の進化が期待されているということは認識しておく必要があるでしょう。
老朽化した臓器を“交換”する時代に
人生120年の不死時代を迎える私たちにとって注目すべき医療テクノロジーに、老朽化してきた臓器を新しい人工の臓器に置き換える「臓器代替技術」があります。臓器の交換には提供者(ドナー)の存在が不可欠な臓器移植という方法もありますが、人工臓器との交換ならばドナーに頼らない治療が可能になります。
実は、医療の現場ではすでに部分的な臓器の交換が行われています。たとえば水晶体を人工レンズに交換する白内障の手術は立派な臓器交換と言えます。また、損傷した角膜にiPS細胞からつくったシート状の角膜細胞を移植する治療も臨床応用に近づいています
やがて肺や胃、関節も代替可能になるだろう
心臓については、大動脈弁を人工弁に入れ替える手術も臓器交換のひとつ。さらに現在ではiPS細胞技術を用いた心筋シートが実用段階に入っているほか、外部心臓とも呼べる「補助循環装置」の臨床使用も広まってきています。
腎臓に関しても、携帯型の透析治療装置が実現する日は近いと考えられ、将来的には腎臓そのものを人工腎臓に総取り換えすることも可能になるでしょう。
現段階ではまだ研究開発や実験段階のものも多いのですが、これ以外の肺や胃、関節なども近い将来、人工臓器で代替可能になるだろうと期待されています。
「五臓六腑」すべての臓器を“総取っ換え”して全身を機械の体にすることはさすがに難しいでしょう。しかし、部分的にせよ臓器の多くが「傷んだら交換できる」時代になってきているのは事実。臓器代替は、不死時代の行方を大きく左右するファクターになるのではないでしょうか。
AI診断の導入で「誤診」が激減する
医療テクノロジーの飛躍的進化がいくら最新の治療法をもたらしても、治療の前段階である医師による診断(見立て)が間違っていたら元も子もありません。病気の克服のためには、診断プロセスにおける最初の「誤診」をなくすことが重要な課題になるのです。
そのための取り組みとして大きく期待されているのがAI(人工知能)による診断の導入です。誤診の多くは、医師の思い込みや疲労といった要素が影響した判断ミスによって発生しています。ならば人間のような思い込みや疲労のないAIのほうが、むしろ安定した正確な診断ができるということ。AIの導入によって「人間だから間違いはある」というヒューマンエラーによる誤診リスクが激減するのです。
また、AIはITテクノロジーとの親和性が高いため、インターネットを通じた遠隔診断や自動診断の実現にも普及にも大きく貢献します。医療の世界、とくに「診断」の分野においてはそう遠くない将来に、AIがデータ分析や照会を行い、最終チェックやその結果を参考にした診断を人間の医師が行うというスタイルが主流になっていくでしょう。
がんの克服、人工臓器への交換、AI診断による誤診の激減など、医療テクノロジーがもたらす「病気で死ぬリスクの激減」が、人生120年という不死時代、超長寿時代の到来を強く後押ししているのです。
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「結婚するならば、一時金を辞退なさるべきでは」「民間人のために、税金を使うのはいかがなものか」「結婚にはどうしても納得できない」
秋篠宮家の長女・眞子さま(29)がお気持ち文書を公表した日から、関連ニュースが流れるたびに宮内庁の電話は朝から忙しい。熱量の高さは皇室への思いの深さとはいえ、「参った……」と弱音を吐く職員も少なくない。
そうしたなか注目されているのが、政府が「皇女」制度の創設を検討している、という報道だ。いまの皇室メンバーは18人。30代以下の若い皇族は7人で、悠仁さま以外はすべて未婚の女性だ。「女性宮家」創設案が結婚後も皇族として皇室にとどまるのに対して、「皇女」案は結婚して皇室を離れながらも特別職の国家公務員として「皇女」という呼称をおくり、公務を続けてもらうものだ。
想定する対象は、天皇陛下の長女・愛子さま。眞子さまと妹・佳子さまの内親王にあたる3人だ。もちろん皇女候補の筆頭は婚約延期中の眞子さまだが、結婚自体への反発が強いなか、「皇女第1号」として輝かしいスタートを切ることができるのか、先行きは不透明だ。
そもそも結婚生活がどうなるのか。たとえば、タレントの小島慶子さんも「眞子さまは結婚に失敗する自由と権利がある」などと発言を繰り返しているように、「ダメだったら離婚すればいい」という大胆な意見は意外に多い。
というのも、民間に出て苦労を重ねる皇女や皇族女性の存在は、そう珍しいことではないからだ。4人の女性について振り返ってみたい。
■日本最古の旧家同士の慶事の行方/千家典子さん(32)
2019年12月、高円宮家の三女・守谷絢子さん(30)が男児を出産した。高円宮家の当主、久子さまにとっては初孫の誕生だ。
明るいニュースに顔がほころぶ一方で、気になるのは、日本最古の旧家同士の慶事と祝福された高円宮家の次女・典子さんと出雲大社の宮司の長男・千家国麿さんとの結婚生活だ。
新型コロナウイルスの感染が広がる直前の20年2月、東京ドーム(東京都文京区)で開催された「世界らん展2020-花と緑の祭典-」を両陛下と久子さまが鑑賞した。そこには、典子さんが同行していた。
「典子さんは、この展覧会の実行委員会名誉顧問という肩書を持っていらしたようです。それにしてもまた、出雲を留守にして東京に戻っているのか、と思いました」
と話すのは、居合わせたメディア関係者だ。
14年の結婚から間もない時期。「宮司の妻」という将来に備え、島根県・出雲で過ごしているはずの典子さんが、頻繁に帰京している、という話が出回った。
「典子さんが出雲になじめないようだ」といった話から、「離婚」や「別居」のうわさまで流れた。実際、16年の三笠宮崇仁親王の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」の参列は典子さんのみ。翌17年に行われた高円宮憲仁さまの15年の墓所祭で目頭をおさえる典子さんを支えたのは、義母の礼子さんだった。
この時期、千家家と親しい人物からは「国麿さんは精神的に参ってしまっている」という話も漏れてきた。ただ、典子さんと嫁ぎ先の関係は悪くはないようで、典子さんはなれ初めなどを楽しげに話す場面もあったという。
「千家家は、憲仁さまのご縁で、尊祐宮司が高円宮家を経済的なことはもちろん、あらゆる面で支援してきた」(神社本庁関係者)
家を背負った婚姻であるのは、神社界では有名な話だ。お世継ぎ問題はどうか。
「出雲大社は直系だけで続いた家ではありません。親族にも優秀な人材はそろっていますから、お2人の間に子どもがいなくとも大きな問題にはならないでしょう」
出雲大社の祭神は“縁結び”の神さまだけに、明るい未来を期待したいものだ。
■夫はガス中毒死、自宅に強盗、悲劇の皇女/鷹司和子さん(享年59)
幸薄い皇女と呼ばれたのが昭和天皇の三女・鷹司和子さん(孝宮)だ。
お相手は摂政や関白を務めた五摂家のひとつ、鷹司家の平通さん。戦後初めての女性皇族の結婚であり、華族制度の廃止によって「平民への初の嫁入り」と騒がれた。結婚式では三笠宮さまが、双方の名前をとって「平和結婚」とスピーチした。
だが、第1子は死産し、そのあと子宝には恵まれず、1966年には平通さんが銀座のママの自宅でガス中毒死する。その2年後、強盗に遭う。自宅の台所に包丁を持った男が侵入。口をふさがれ、けがを負ったが、自力で玄関まで逃げた。事件を機に、赤坂御用地内の古い木造平屋の乳人官舎に移り、伊勢神宮の祭主を務めながらひっそりと暮らした。
晩年は乳がんが全身に転移して闘病生活を送るものの、弱音を吐くことはなかった。89年5月、59歳の若さで息を引き取った。
ツキノワグマやライオンなどが入る動物舎はひどく老朽化し、檻(おり)はさびだらけだ。檻の前には「1年分の餌代」の説明書きがあった。岡山市の市街地の北に位置するこの池田動物園は、昭和天皇の四女・池田厚子さん(順宮)が園長を務める。
厚子さんは21歳だった1952年、皇女から「牧場夫人」へと転身した。お相手は旧備前岡山藩主・旧侯爵家の16代当主、池田隆政さん。隆政さんは学習院高等科卒業後、岡山で牧場を経営し、家畜改良などに打ち込んだ。
結婚を機に動物園を開園。新居は敷地内のフラミンゴの池のそばに建てられ、観光客が「厚子さんと一緒に写真を」と玄関先で頼み込む光景も。厚子さんは自ら園内を清掃することもあった。その姿を見た地元民から「皇女が草むしりか」とうさわをされながらも、努力のかいもあって87年度の入場者は18万人超を記録した。
厚子さん自身は30代で敗血症を患って長期入院した時期もあったが、奉仕活動をする国際ソロプチミストに参加するなど地元に溶け込んだ。
88年からは、姉・鷹司和子さんのあとを受けて伊勢神宮の祭主となり、17年に黒田清子さんに引き継ぐまで務めた。
一方で、平成に入ると園の経営は苦しくなった。2004年度の入場者は87年度の約半数にまで落ち込んだ。
さらに今年は、コロナ禍による休園と入場者減が追い打ちをかけた。
「現在の累積赤字は2億4000万円前後でこれまでと変わりません。他から借金をしているわけではないので、大丈夫です」
と園の担当者は話す。赤字分は池田夫妻が補てんしてきたというが、返済のめどは立っていない。市民が有志で「池田動物園をおうえんする会」を結成。寄付金を募り、公営化をめざして市に働きかけているが先は見えない。
それでも昨年、動物園に新しい入場ゲートが完成。記念式典に池田厚子さんが姿を見せ、テープカットをするなど明るいニュースもあった。
厚子さんはいまも園の敷地内にある自宅に住む。
「コロナで外出はされませんが、お元気です。たまに営業していないときは園内にもおいでになりますよ」(園の担
■聡明(そうめい)さと人柄で皇女の王道を歩む/黒田清子さん(51)
聡明さと穏やかな人柄から、政府で「女性宮家」や「特別職の国家公務員」制度の創設議論が起きるたびに、「清子さんに民間から公務をサポートしてほしい」との声が絶えなかったのが、上皇夫妻の長女・黒田清子さん(51)だ。
05年、東京都庁に勤めていた黒田慶樹さんと結婚。豊島区にコンシェルジュ付きの高級マンションを2人の共同名義で購入。支払いも折半で、清子さんは一括で支払う半面、黒田さんはローンを組むなど夫妻らしい堅実さをにじませた。
清子さんは伊勢神宮祭主として兄である令和の天皇を支えつつ、鳥類学者としての研究も続け、夫と平穏な日々を送る。優等生的“元皇女ライフ”を送る一人である。
昨年、令和の新天皇が即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)を終えたことを伊勢に報告する「親謁(しんえつ)の儀」の際は、伊勢神宮祭主として兄夫婦を出迎え、儀式を支えた。
三重県にある伊勢神宮の祭主は、古代から天皇家の女性が務めるのが習わし。17年に、昭和天皇の皇女だった池田厚子さんから神宮祭主を受け継いだ。
祭主は、天皇の代理として伊勢神宮に赴き、10月の神嘗祭など毎年、五つの大祭をつかさどる重要な役目を担う。東京と伊勢を行き来する生活だ。
鳥類学者としての顔も健在だ。いまは玉川大学教育博物館で外来研究員として勤務。昨年は、東京芸術劇場(東京都豊島区)で開催された特別展「ジョン・グールドの鳥類図譜」を企画した。会期中のパネルディスカッションでは、パネリストとして参加し、独自の見解を述べるなど、上皇さま譲りの学者としての一面をのぞかせた。上皇ご夫妻を案内するほほえましい場面もあった。
「黒田さんは、月に3回ほど、研究のために通っています。新型コロナで博物館も閉鎖されていましたがこの秋からは、勤務も再開なさっています」(同博物館担当者)
結婚前に研究員として勤務した山階鳥類研究所でも研究を続け、論文も執筆している。
皇女時代から、気取らない人柄だった。バードウォッチング時は、兄の秋篠宮さまらのお下がりのジャンパーを着て、皇居の庭で双眼鏡を握りしめていた。いまも、ズボンにジャンパーやパーカーをはおり、首には双眼鏡、がウォッチング時の定番スタイル。皇居で観察し、そのままご両親の住む御所に寄ることもあったという。
気さくな人柄は近所のスーパーの買い物客の目撃談からも伝わる。
「パンコーナーで4枚切りの食パンに同時に手を伸ばした女性の顔を見たら、黒田清子さん。ビックリしました」(50代女性)
清子さんは、京都の帆布カバンのエコバッグを手に、デニムのパンツ姿という質素ながらも品のいいスタイルであった。
眞子さまに待ち受けている結婚後の未来も、どうか穏やかな人生であってほしい。 (本誌・永井貴子)
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大腸がんの死亡率は高いが、早期発見すれば9割以上は治る
日本人の2人に1人は何らかのがんにかかると言われています。がんの発症には食生活の欧米化や運動不足、飲酒や喫煙など、さまざまな生活習慣が影響します。人口の高齢化に加え、検査技術が大きく進歩し、かつては見つからなかったがんを発見できるようになったことも、がん増加の背景にあると言われています。
そんながんの中で、このところ目立って増えてきたのが大腸がんです。最新の統計では、大腸がんの罹患率(人口10万人当たり:2017年)は、男女合わせて1位(男性3位、女性2位)。死亡率(人口10万人当たり:2018年)も男女合わせて2位に上がってきました(男性3位、女性1位)。大腸がんで亡くなる人は、年間5万人を超えます。
大腸がんにかかる人も、亡くなる人も多いと聞くと、「大腸がんは、かかったら死を免れない怖いがんなのだ」と思う人もいるかもしれません。ところが、がん・感染症センター都立駒込病院外科部長の高橋慶一さんによると、実はそうとは言いがたいそうです。
高橋さんは、大腸がんの治療に長年携わってきた医師。その経験から、「他のがんと比べると、大腸がんはおとなしいがんだといえます」と話します。
罹患率も死亡率もかなり高いがんなのに、おとなしいとは一体どういうことなのでしょうか。まず、がんと診断された人が5年後に生存している割合、「5年生存率」を見てみましょう。全てのがんの5年生存率の平均は66.4%ですが、大腸がんに限ると72.6%と、平均を上回っています。5年生存率が10%を切るほど低い膵臓がんなどと比べれば、ただちに命を脅かすがんではないわけです。
大腸がんの5年生存率は平均を上回る
全国のがん診療連携拠点病院における、診断後5年経過時の相対生存率を示すグラフ(2010~2011年)。大腸がんは、膵臓・肝臓・肺などのがんに比べれば、比較的おとなしいといえる。(がん診療連携拠点病院等院内がん登録生存率集計 生存率報告書より)
大腸がんにかかる人の数自体が増えているため、人口10万人当たりの死亡率もある程度は高くならざるを得ません。それでも、罹患率3位の肺がんと比べて死亡率が低く抑えられているのは、治療効果が高いことが一因だと推察されます(肺がんの死亡率は1位)。
「他のがんに比べると、大腸がんは治療効果が非常に高いという特徴があります。手術で治しきれる可能性が高く、万一進行しても、抗がん剤による化学療法が比較的よく効くがんです」(高橋さん)
他のがんでは、転移後の治療が難しいことが少なくありません。一方、大腸がんは転移しても、手術で切除すれば生存率を延長できる可能性が高いといいます。
「例えば胃がんでは、『腹膜播種(ふくまくはしゅ)』という転移がよく起こります。腹膜播種とは、胃や肝臓などを覆う腹膜にがん細胞がばらまかれるように転移するもので、手術で取り除くのは困難です。しかし、大腸がんで腹膜播種を起こす頻度は高くありません。多いのは肝臓や肺などで、転移した部分を切除すれば生存率を高めやすいのです」(高橋さん)
しかし、いかに大腸がんの治療効果が高いといっても、それは早期に発見・治療してこその話です。大腸がんは早期に発見して治療すれば5年生存率が95%を超えるものの、進行すればガクンと急降下し、20%を切ってしまいます(図2)。「大腸がんは治療効果が高い」という恩恵にあずかるためには、いかに早く病気の存在に気づくかが大切になってきます。
比較的おとなしい大腸がんも、進行してからの生存率は低い
病期別に⾒た⼤腸がんの5年⽣存率(相対⽣存率)。大腸がんは根治術の5年後に再発しなければ治ったと考えるのが一般的で、早期に発見・治療すれば9割以上は治ると言える。だが、進⾏すると⽣存率は急減してしまう。(がん診療連携拠点病院等院内がん登録⽣存率集計 ⽣存率報告書より)
便潜血検査を受け続ければ、大腸がん死亡が6割減るとの報告も
現在、最も一般的な大腸がんの検診は、職場の健康診断でもおなじみの、便を採取して提出する「便潜血検査」です。このほか、人間ドックであれば、大腸内視鏡検査やCTによる検査など、便潜血検査以外の方法を選択することも可能です。
「検診を受けていれば、症状がない早期のうちに大腸がんが見つかる可能性が高くなります。便潜血検査を受け続ければ、大腸がんによる死亡が約6割も減るという報告もあります(*1)」(高橋さん)
こうした検診の機会を逃さずに利用することが、大腸がんで命を落とさないために非常に重要と言えるでしょう。
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みなさん、こんにちは! アナウンサーの魚住りえです。
このたび、東洋経済新報社より『たった1分で会話が弾み、印象まで良くなる聞く力の教科書』を出版いたしました。
前著『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』は本当に多くの方に手に取っていただき、おかげさまで15万部を超えるベストセラーとなりました。みなさまに深くお礼を申し上げます。
第2弾となる今回は、コミュニケーションをとるうえで、「話し方」以上に大切な「聞き方」について書きました。早速、5万部を超えるヒットとなり、多くのみなさまに読んでいただけていることを、心からうれしく思います。
本記事では「嫌われる人のイラッとする返事」よくある7つのNGを紹介します。
相手に聞き返した言葉、それで大丈夫?
『たった1分で会話が弾み、印象まで良くなる聞く力の教科書』は、早くも5万部のベストセラーになっている
仕事でもプライベートでも「いいかげんな返事」をする人って、けっこういますよね。
どんな話にも「そうですよねー」と適当に返事をしたり、本人に悪気はなくても、うまく聞き取れないときに、「は?」とぶしつけに返事をしたり。
それ以外にも、「そっけない返事」や「テキトーに聞こえる返事」、ちゃんと返事をしているつもりでも「イラッとくるような返事」もいろいろあります。
相手がいいかげんな返事だと、「話を続ける気力」が失せてしまいますよね。
実は、「相手が不快になる返事」は意外と多く、しかも自分で気がつかないうちにしてしまっていることも多いものです。
せっかく楽しく話をしていても、返事の仕方を間違って台なしにしてしまってはもったいないですね。
話を聞くときは、「返事の仕方」も大切なポイントです。
では、嫌われる人の「イラッとする返事」とはどんなものでしょうか。ここでは、よくありがちな7つのNGを紹介します。
まず、「イラッとする返事」でよくありがちなのが、「は?」と聞き返してくる返事です。
相手が不快に感じる返事は意外と多い
【1】「は?」と聞き返してくる
相手の話が聞き取りにくかったりしたときなど、思わず「は?」と聞き返してしまうことはないでしょうか。
何げなく言っていることが多いと思いますが、「は?」と聞き返されて不快にならない人は、ほとんどいないと思います。
「見下されている」「バカにされている」と思われる可能性も高く、特に仕事での会話では要注意です。
そんなときは、「すみません、もう一度言っていただけますか」など、きちんとした言葉で返すことを心掛けましょう。
【2】どんな話にも「マジ?」と答える
若い世代に多く感じるのが、「マジ?」という返事をする人たちです。話の内容にかかわらず使っていると思いますが、特に職場では要注意です。
親しみを込めて使ったつもりかもしれませんが、相手にはとても軽い返事に聞こえかねません。「自分の話をちゃんと聞いていないんじゃないの?」と思われる可能性もあります。
職場では特に、使う相手を考えたほうがいいと思います。
【3】「知ったかぶり」の返事をする
どんな話になっても「そうですよねー」「わかります、わかります」を連発する人もいますよね。
もちろん、本当に知っている、理解しているのならいいのですが、往々にして「知ったかぶり」で、適当に「そうですよね」「わかります」と相づちを打っているケースも少なくありません。
「知ったかぶり」は、相手が指摘しなくても、大抵の場合、相手にはうすうすバレているものです。年配の人の場合、いい加減な返事をすると「本当にわかっているの?」と注意する人もいますよね。
いずれにせよ、相手は不快な気持ちになるので、適当な「知ったかぶり返事」はやめましょう。
次によくあるのが、「相手の話にかぶせた返事」をすることです。
返事では「声の高さ」と「スピード」も大切
【4】話にかぶせて返事をする
話が終わらないうちに「はいはい、わかりました」「ああ、もう大丈夫です」などと、話にかぶせて返事をする人がいます。
「もう十分理解しているから最後まで聞かなくても大丈夫」という判断かもしれませんが、相手は話を遮られているため、あまりいい思いはしません。
相手にイヤな思いをさせないように、わかっている内容でも「相手の話は最後まで聞き、きちんとした返事をする」ことが大切ですよね。
【5】「声のトーン」が極端に違う
きちんと返事をしていても、「極端に高い声」で返事をしてしまうと、「この人、大丈夫かな?」「信用できるのかな」と相手に軽く見られかねません。
また反対に、「声が低すぎる」と、「そんなに低い声で反応しなくても……」と会話が盛り下がってしまい、その後の話も弾まなくなってしまいます。
「相手の話に合わせた声のトーン」で返事をすることも大切です。相手の話のトーンから大きくずれないように注意してみましょう。
【6】返事のスピードが速すぎる
返事をするときは、「スピード」にも注意が必要です。
慌てたり、テンションが上がったりすると「高音で速い返事」になってしまいがちですが、それではかえって相手をイライラさせてしまいます。
そんなときは、「ゆっくりと丁寧」をできるだけ意識するようにしてみるといいと思います。
最後に、意外と多いNGが、会話をしているのに「きちんと返事をしない」、とりわけ最近、特に多いのが、スマホから目を離さずに「ふーん」「へー」と適当に返事をすることです。
あなたは「スマホに返事をしている」のですか?
【7】まともに返事をしない、「スマホから目を離さずに」返事する
「相手の話に対して何も返事しない」。これは絶対やってはいけないことですね。
まったく反応をしないのは、たとえ話を聞いていても「関心がない」「無視されている」と相手に思われかねません。
そして、相手は「あなた」と話しているのであって、「スマホを見ているあなた」と話をしているわけではありません。
職場で「スマホを見ながらの返事」はさすがにNGすぎて、する人は少ないかもしれませんが、家庭では「夫や妻の話」「親や子どもの話」を、スマホを見ながら適当に聞いている人は、けっこう多いように思います。
話している人は、話しながら「聞いている相手」のことをよく見ています。
相手の話は「きちんと聞き」「きちんと返事をする」べきです。少なくとも、相手の顔を見て相づちを打つなど、「話を聞いている意思表示」は必要だと思います。
「嫌われる人のイラッとする返事」7つのNG
・「は?」と聞き返してくる
・どんな話にも「マジ?」と答える
・「知ったかぶり」の返事をする
・話にかぶせて返事をする
・声のトーンが極端に違う
・返事のスピードが速すぎる
・まともに返事をしない、「スマホから目を離さずに」返事する
以上、「嫌われる人のイラッとする返事」を挙げてみました。いかがでしょうか。
この連載の一覧はこちら
返事の仕方ひとつを意識するだけで、相手との会話をより楽しく弾ませることができます。ほんのちょっとのことですが、誰でもすぐに実践できることです。
逆に、日頃の「よくない聞き方」の積み重ねが、「あの人は、全然、話を聞いてくれない」「あの人と話をしても楽しくない」というマイナス感情を相手にもたれ、嫌われるケースもたくさんあります。
「相手にイヤな思いをさせない返事」ができれば、今よりもっと「聞き上手」になれますよ!
下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です
秋篠宮家の長女・眞子さまの結婚問題。秋篠宮さまは「結婚は認める」としながらも、「結婚と婚約は違う」というご発言もあり、苦しい胸の内がみてとれる。世の中には「お互い納得しているのなら」という声もあるが、反対の声も無視できないほど大きくなっている。どうしたら国民の多くが納得し、祝福できる状態になるのか。名古屋大学准教授(歴史学)の河西秀哉氏に聞いた。
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――今回の眞子さまの結婚問題に世の中が騒ぐ理由として、人々は皇族に関しては「家」と「家」の結びつきを重視する、旧来の価値観を引きずっているという指摘がありました。とはいえ、上皇さまと美智子さまの「テニスコートの恋」は有名ですし、「(雅子さまを)一生全力でお守りしますから」と発言された天皇陛下と皇后の雅子さまの場合も両性の合意があっての結婚です。秋篠宮さまと紀子さまも同様です。いわゆる「恋愛結婚」を、国民は認めているように思います。 河西秀哉氏(以下、河西):皇族の恋愛結婚そのものについては認めるものの、国民にも祝福できるか、できないかのラインがあるということでしょう。 婚約内定の会見時には、お相手の小室圭さんに「パラリーガル」や「海の王子」といったいまどきの若者らしい部分が垣間見えても、お2人は世間に祝福されました。恋愛結婚についてはおおむね認めていたのです。このときのクリーンなイメージのままならば、不安を胸に抱く人はいても、ここまで反対の声は大きくならなかったでしょう。 やはり、小室さん親子の金銭トラブルが報じられたことで、恋愛結婚でも祝福できるラインを踏み外してしまったのです。 その後、平成から令和のお代替わりで、人びとは伝統を意識するようになりました。それも大きいですね。「皇室はきれいなままでいてほしい」という思いが強くなり、この問題で「傷つけられた」と感じるようになったのではないでしょうか。 ――金額の多寡ではなく、お金の問題だったことが大きいと。 河西:俗世間の汚さや、やらしさを「お金」というものが象徴しているからでしょう。小室さん親子の金銭トラブルに限らず、今回の眞子さまの結婚問題で、世間が注目するのは、一時金が出るのか、出ないのか、その金額はいくらなのか、それがどのように使われるのかなど「お金」にまつわる事柄です。
報道に対する世間の反応を見ていると、「家のお金を吸い取られる」という感覚を持っているように思います。 また、今回驚いたのは「(投入されるのは)私たちの税金なんだ」という意見が多いことです。要するに、ひたらく言えば「食べさせてやっている」という意識です。いまのネット社会で、心の声が可視化されるようになったことが大きいにしても、これは前例のないことです。 昭和や平成の時代に、心のどこかで「税金が使われている」という認識はあったにせよ、皇室の方々に対して「税金で食べさせてやっている」なとど声を上げる人がいたでしょうか。よくない前例になってしまいかねない、と危惧しています。 ――危機的な状況だと。 河西:いま、皇室への関心がかつてないほどに高まっているといえますが、残念ながら、それは悪い意味でです。このままでは、皇室の存在意義に疑問を持つ人も出てくるでしょう。ただ、いまはまだ、批判している人も「国民の側に戻ってきてほしい」という期待感を持っているように思えます。 ――これから、お2人ができることは何だと思いますか。 河西:小室さん本人が出てきて、話すことです。拙い内容でもいいので、説明して誠意をみせることです。 ――一応、小室さん側は「紙」では説明しました。昨年1月にマスコミ各社にファクスが届きました。その中では「解決済みのことであると理解していました」と主張しています。 河西:国民の理解を得るためには、姿を見せることは大事ですね。なかなか紙では……。 一概に比べることはできませんが、平成の時代に、なぜ皇室が国民から敬意を受けることができたのでしょうか。天皇皇后両陛下が、国民に姿を見せ続けたことが大きいと思います。被災地の慰問を続けられ、公務で訪れた際には出会う国民すべてに丁寧に接する。その様子をテレビという映像を通じてではありますが、国民は目にしてきたのです。そうした積み重ねが支持につながったのです。 先日の宮内庁長官“苦言”も、姿を見せて説明することの重要性を踏まえての発言だったのではないでしょうか。 それ以外の方法で、批判の声を鎮めるのは難しいと思います。 (聞き手/AERAdot.編集部 鎌田倫子)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7a661323d13f8af8cdfcda502eca5ac849d8b6c3?page=1
下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です
秋篠宮家の長女・眞子さまの結婚問題に国民の関心が集まっている。お相手の小室圭さんとの結婚に関する行事の延期が発表されてから2年以上が経つ。11月、眞子さまはあらためて結婚の意思を明らかにされたが、「多くの国民が納得して祝福している」とは言い難い状況が続いている。この問題について、名古屋大学准教授の河西秀哉氏(歴史学)に読み解いてもらった。
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――日々さまざまなニュースが出ては消えていきますが、眞子さまの結婚問題については、時間の経過とともに世の中の関心が薄れるということがありません。ネットの書き込みに限れば、批判の嵐。宮内庁に抗議の電話が殺到しているという報道もありました。どうして、これほどまでに激しい反応を呼び起こしてしまったのでしょうか。 河西秀哉氏(以下、河西):お2人の結婚に批判的な意見を持つ国民は「私たちの皇室を傷つけられた」と感じているのだと思います。その一番の原因は、お金の問題でしょう。お2人の婚約内定の発表時は、今どきの若者らしい側面もあったものの、国民に好意的に受け止められ、社会に祝福ムードが醸成されました。風向きが変わったのは、小室さん親子の金銭トラブルが報じられてからです。 ――とはいえ、なぜここまで、です。 河西:それを理解するためには、時間の流れを少し巻き戻して、平成の皇室のあり方をふりかえってみましょう。 上皇陛下と美智子さまは、被災地への訪問などを通じて、国民の前にその姿を現してきました。かつ、それは個人の私利私欲にまみれた俗世間とは正反対の、道徳性を帯びた姿でした。ご高齢になっても公務に励むお2人の姿に、国民は感動していましたよね。「自らを犠牲にして、その役割を果たそうとしている」と。政治家の不甲斐なさとも対比され、国民はよりいっそう、そういった思いを強くしたと思います。皇室の道徳性と清廉性が支持されていたのです。 つまり、平成の時代、国民はその姿を目にすることで皇室を自分と近しい存在として感じつつ、両陛下の人格によって俗世間とはどこか違う尊敬できる存在とも思っていた。平成から令和のお代替わりでは、一連の行事で日本の皇室の伝統というものに触れる機会も増えた。皇室に対する敬意は頂点に達していたといえます。
――そこで、お金のトラブルという、俗っぽい事柄に焦点が当たった。言葉は適切ではないかもしれませんが、ある意味で人間のだらしなさを象徴するような問題が出てきたわけですね。しかも、国民の目には、問題が解決しないまま、長引いているように映っている。 河西:そうです。それまで皇室に対して国民の支持が高かったからこそ、ショックが大きかったのです。反作用のようなものですね。国家と国民を統合するという象徴天皇制が非常にうまく機能していたゆえに、なおさら、この問題で「われわれのすばらしい存在を傷つけられた」という気持ちになってしまったのでしょう。 ――秋篠宮家の問題ということも影響しているのでしょうか。 河西:秋篠宮家の長女眞子さまに対しても、次女の佳子さまに対しても、国民は親しみを抱いていました。眞子さまは一時期ネットでキャラクター化されていましたし、佳子さまは「かわいすぎるプリンセス」として注目されるなどして話題になりました。 国民は、本来皇室は遠いものとわかっていながらも、秋篠宮家はどこか自分たちと近い存在としてとらえていたのでしょう。近くて遠い理想的な家庭と思っていたからこそ、今回の問題を残念に感じているのかもしれません。 ――「結婚は生きていくために必要な選択」という眞子さまのお気持ちに対しても、理解できないという声が上がっています。ただ、皇室の方々といえども、生身の人間です。その言動すべてに、国民が納得・理解できるかというと疑問です。今回の問題に限らず、生身の人間である限り、国民と意見や心情が一致しない場合もあると思うのですが。 河西:もちろんずれることもあります。平成の終わりは、たまたま、天皇・皇后両陛下の姿に幅広い国民が自分たちの思いを重ね、双方が一致していた状態だったともいえます。 ふりかえれば、平成でも美智子さまに「皇后バッシング」が起きたことがありました。いわれなき非難が多数だったにせよ、これは、国民と皇室の間である種のずれが生じていたとも捉えることができます。その結末は、59歳の誕生日に美智子さまは突然倒れ、声を失うという事態でした。
皇后・雅子さまに対しても、ご病気による長期のご静養中には厳しい声があがったこともありました。 ――「ずれ」として思い出すのは、2004年、当時皇太子だった天皇陛下のいわゆる「人格否定発言」です。「雅子のキャリアやそのことに基づいた人格を否定するような動きがあった」と話された内容は、異例の発言としてセンセーショナルに報じられました。当時の国民の間に波紋を広げたのは確かです。こうして過去をたどっていくと「ずれ」た例があるにしろ、今回の問題はどのように捉えていますか。 河西:生きた人間を象徴とする天皇制において、国民の支持は欠かせません。一方で、生きた人間である限り、皇室の方々の言動と国民の間にある種のずれはいつか出てくるものでもあります。 今回、眞子さまは「結婚は生きていくために必要な選択」とご自身の言葉でお気持ちを表現されました。秋篠宮家では、リベラルな考えのもとに、個人を尊重する教育をされてきたということが背景にあります。でも、あの「お気持ち」発表は国民にとって刺激が強かった。もっと柔らかい解決法を探っていたら、事態は変わっていたかもしれません。 小室さんの金銭トラブルが報じられた当初、私は正直ここまで長引くとは思っていませんでした。それが、これほどまでに国民の間で議論が続くのは、今回の問題は、もう「微妙なずれ」ではなくなったということの証しです。この、かい離は、皇室にとって危機といってもいいほどの状況だと私は感じています。 (聞き手/AERAdot.編集部 鎌田倫子)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3801e139fd1b4b9407244161aaed720edd3ea908?page=1