あの地震から2年2カ月経ちました。
久しぶりのブログが、地震の記事だと「どうだろう~?」と迷いがあったのですが、
ここに住んでいる者として、決して忘れるは出来きません。
3月中は私用で、70キロ以上の距離を連日のように移動していて、
精神的にも余裕がなく、家族には東日本大震災の式典に出なくても・・・と言われました。
でも、やっぱり1万6千人もの方々が一瞬のうちに亡くなりー、
想像もできないくらいに辛い無念の思いをされたと思うと、
今の自分の境遇なんて、小さな問題。
一周忌の時は、伯母が亡くなった地域の慰霊祭に出席しましたが、
今年は、仙台市の追悼式に行ってきました。
↓
2年以上経った今でも、当時の様子はハッキリ覚えていて、
長く長く続く揺れ、ようやく終わったと思ったら、再び強い揺れに。
停電は覚悟していたものの、その後の1カ月ものガス停止と食糧不足は想像もしていなかった。
停電の為、沿岸部が巨大津波が襲っていた事も知らず、
それを知った時のショック。
今では、普通の日常になっていても、
沿岸部の荒涼とした様子、仮設住宅、復興市場を見かける度に、
時の流れが止まっているかのように感じます。
追悼式でも、「復興」と言う言葉が出てきました。
物質面の復興は少しずつ進んでいますが、心の復興は同じように進めません。
2年が経ち、心の内を正直に話すのって、言いづらい状況だと思います。
相手にいつまで引きずっているのかと思われたり、
もう話してはいけないような雰囲気の環境だったり。
精神的なダメージって、
時間が経てば元に戻るっていうものでもないんだな~と感じています。
前向きになって頑張る気持ち。素直にひと休みする勇気。
復興工事によって、人材・材料が不足していて高騰しているとか。
地震で壁にヒビが入ったので、クロスの張り替えを考えているのですが、
こんなリフォームでさえ、人手不足の為に工賃が高く、また順番待ちになるそうです。
道路工事も今やっと修復している所もあるので、長期的にかかるよう。
これから夏に向けて海水浴場をやっと再開する場所も。
昔のように元に戻るのは良いと思うけれど、かなり複雑な思いもあります。
ここで何があったのかと考えずにはいられないだろうし、
慰霊碑が建立されていたりしますからー。
宮城県の死者 9537人
行方不明者 1312人
(5月10日現在)
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