この小説は、東大出の東京の青年が、四国松山の中学の教師として赴任し、そこで先生や生徒と悶着を起す筋なのだ。
新米の先生が宿直当番にあたり、生徒のいる寄宿舎の端にある宿直室で寝ると、生徒にいたずらされてふとんの中にバッタを入れられたりして、逆上し、生徒のところにゆく場面、ランプが消してあって、真っ暗であたりが見えないというのである。
そこで、はたと思い当たった。その時代は、電気や電灯というの必ずしも普及しているとは限らなかったのだな。
少なくとも、松山の中学校の寄宿舎には電気は通っていなかったのだな。
文章をみると、漱石もランプが時代遅れだとは書いていないのである。
坊っちゃんが発表されたのは、明治39年だそうだ。そのころの東京は、電気はどの程度普及していたのだろう。
漱石は当時、ロンドン留学を終えて学校の先生とか、文筆業をしていたのだから、自宅に電灯は引いていたのだろうとは思うが、一般家庭にはまだ充分普及していなかったのではなかろうか。
東京には市電が走っており、鉄道や汽船は四国の松山に行けるぐらいは整っていた。
また、東京へ手紙を書いて送ることもできた。
でも、電気は全体に普及してはいなかったのだなということに気がついたのである。
家にいて、夜になって電灯のもとでテレビを見ながら生活するというのと、暗くなったから、灯明の灯心に火を灯す。または、ローソクに火をつける。ランプを灯す、という暮らしとでは、大変な違いである。
蛍の光、窓の雪という歌がある、自然光で勉強するという意なのだ。二宮金次郎の世界ではないか。
偉大なる漱石は、そんな時代に、学び、名作小説をつくり、今でも大きな足跡を残している。
それがあなた、今は各戸に電気は完全に普及し、小説家はパソコンで文章を書くではないか。
でも、私を振り返ってみても、暮らしは便利でも、人間が偉くなった、ましになったとは、とても思えないのである。
ただ、そこで、これからは、明治時代の小説を読み返し、電灯が普及する前とか、後とかで、作品がどんなになっているのだろうか、興味がわいてきたのである。
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