サンズ・トーク

函館の思い出(その一)

私は、終戦後、家族で函館に移住し、その地で小学校を卒業しました。
昭和22年(1947)ごろのことです。
終戦直後のことで、青函連絡船に乗って北海道に渡りました。
そして、函館の弥生小学校に5年生、6年生と通学しました。
あのころ、小学校は、国民学校と名がついていました。


弥生小学校


校歌の碑
この2枚の写真は、平成16年(2004)、函館に旅した時の写真です。

この小学校は、古い歴史のある学校です。
明治40年(1907)岩手から石川啄木が、当時の函館区弥生尋常小学校の代用教員として短い期間、先生をしていたといいます。
僅か4か月ぐらいの函館暮らしだったのですが、啄木は函館が好きだった。

啄木の詩集 一握の砂にある短歌

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

函館の立待岬に、この歌の歌碑と啄木の墓がある。
その後、大森浜にも啄木の像・歌碑が建てられたといわれる。

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