2008-08-07
****************
****************
大岡川の岸辺で、 指輪が 一つ 消えました ・・・
僕の身体のどこかに 引っ掛っている、 そんな気がする。
いや そうではないかもしれない。
僕が 「僕の身体」 と思いこんでいる この感覚は、 「君の身体」 かもしれない。
「銀色の指輪」 を 見つけた方は、 ご連絡下さい。
※ 以上の文章。 トップページから、こちらへ移動。
***************
・・・ その後、 連絡は 入っていない。
7月13日は、ワッカがいっぱい だった。
朝、七夕の輪飾りを作った。
継ぎ足していけば、 いくらでも 長くなる。
でも、15個で やめた。
短冊も 吊るしたが、 願い事は 書かなかった。
直径4cmほどの、 金色のリングを 赤いヒモに結わえて 持って行った。
弘明寺では、 釣りの気分で川に投げ込み 引き摺った。
何か引っ掛るんじゃないと 期待したが、 なにも釣れなかった。
当たり前だ。
バンカート 横では デッキから垂らし、 川底の感触を 指先で確かめようとした。
だけど、
足元2~3m下を 身体の内側で感じているんだけど、
コツンとした 感触はなかった。
モヤモヤ、フワフワと、自分が水の中に拡張していく感じ。
もっと深いんだろうな、 と 思った。
もちろん、 何も 釣れるわけはない。
誰かが川に投げ込んだのだろう、浮き輪が 川に浮いていた。
引っ張り上げて、 遊んだ。
オレは、これに助けられて生きているのかもしれない。
梅若ゼミの メンバーが SANPOを 覗きに来てくれた。
若い 女の子、 2人。 それほど若くない 男の子、 2人。
嬉しかった。
で それぞれと、 ちょびっとだけ ・・・ 一緒に 踊った。
一緒に ・・・? 踊った ・・・?
いやいや、 確かに からんだ。 関係は しっかり 取れていた。
コラボレーション! とは、 言える。
でも 今の時代、 コラボレーション て だけなら
料理番組 でも やっている。
それだけでは、 繋がれない。
ワッカは、 閉じているから ワッカなのだ。
ただ 並べても 鎖には ならない。
踊り・DANCE感の 違いを乗り越え、 ただ からむ事は出来るけど
違いを つかみ合えない。 違うということを 共有できないのだ。
違ったまま、 並べるだけ。 関係性を 切り結べない。
それを乗り越えたいという 思い自体、 暑苦しい 発想だろうか?
けっして、 押し付けたくはないのだが ・・・
距離感覚の 違いか?
人の内側に 糸を垂らしてはいけない 時代。
そんな事を 感じながら
浮き輪で 遊んでいたら、 指輪が消えた。
指輪を 見つけられなかったのは残念だけど、きっと「物語り」は、その先にある。
探ってみたい。
**************
梅若組のみんな。
文殊の知恵熱。
僕が弘明寺でSANPOしていた頃、 鎌倉で迷子になって、
それでも覗きに来てくれた 福住ゼミの人たち。
どうやったら、 ぐるっと繋がるだろう・・・?
夏休みの 自由研究なのだ。
******************
たぶん ワッカは、 いったん 壊れなければ ならないのだろう。
でも 果たして、 それで 鎖が 出来るのかどうか?
それは 分からない。
出来ないほうが 良いのかもしれない。
鎖は 人を 縛るだろうから・・・。
***************
「人はそれぞれ、 DNAが 違う」 「だから あなたと私は 違うんだ」
この表現は 「すごく 嫌いだ」 という事の、 とても優しい 的確な 伝え方だと 思う。
だが もしオレが 言われたとしたら ・・・、
その人とは 永遠に 分かり合えないのだろうか?
人は 自分の DNA しか持てないという 共通点を 持っているんだよ!
・・・ なんてのは 「すごく 嫌い」 には、 通用しないな。
では・・・、
DNAは 鎖なんだ。 時々、 ちぎれる。 でも 再生する。
別の DNA とも、 繋がる。
閉じたり 開いたりするから、 命が あるんだ。
これも、 あんまり 説得力ないなあ。
だからどうしたの 世界だ。
「すごく 嫌いだ」 と、 誰かに言われて しょげてるわけではないので ご心配なく。
ただ 最近、 これに近い 強烈な表現に 久々に 出くわした。
「舞踏」 的な 表現も時として そんな風に 評される事があるので、 引っ掛っている。
気にしても 始まらないんだけど ・・・
*****************
川のほとりで、 広場の 真ん中で、
これまで気付かず 通り過ぎてしまっていた 角を、 曲がってみたい。
「お・ど・る/SANPO」 が、 「SANPO」 を 始める。
新しい 景色に、 出会えるだろう。
そこでは、 たくさんの 「リング」 が、 輪になって 「お・ど・っ・て」 いる。
そんな、 イメージを 思い浮かべています。
消えた 指輪を、 探せ!
・
・
・
これは、 7月17日付の SANPO ニュースに 書いた。
今も、 載せている。
ほんと、 お気楽な文章だが それは 置いといて ・・・
オレは なんでこんなに、 「輪」 に こだわっているんだろう?
「通り過ぎた 角」 って、 なんだろう?
実は ・・・、
指輪がなくなった事は あまり 気にしていない。
ありがちな事、 である。
仕方ない と思っている。
というより 無くなったわけじゃない、
どこかに 有るんだ と 思っている。
存在は 消えはしない。 1 を ゼロ にする事は、 できない。
約束も 願い事も、 同じだ。 情報も 存在なのだ。 情報が 存在なのかもしれない。
たとえ 形が 目の前に見えなくても、 形になっていなくても、
情報という存在は、 なくなりはしないのだ。
むしろ 形になったとたん、 情報は 形のなかに 奪われてしまう とも言える。
たった一つの 約束が、 指輪に すり変えられてしまう。
1 は 2 に、 なれない。 コピーはできても、 1 は 1 である。
形をコピーしたなら、 別の存在 1 が できるだけ。
情報を コピーしても、 片方が オリジナルで 片方は コピー だ。
その事だけでも、 違う情報だ。
純粋に 情報内容だけでいえば、 両方とも 同じ情報 1 だ。 2 ではない。
なんの 話を 始めたんだろう。
ま、 いいや。
最後まで 書こう ・・・
1 は 1 である。 その事は、 他の 1 を 疎外しない。 できない。
1 が 1 であっても、 他の 1 も やはり別の 1 である。
オレが 1 なのだから オマエは 1 じゃない、 とは ならないのだ。
「輪」 の話に、 戻る。
気になっているのは、 「輪」 が 引っ掛りあって 繋がって 「輪」になっていた事。
そして、 その 大きな 「輪」 を構成していた 小さな 「輪」 が ひとつ、
目の前から 消えた事。
閉じていた 「輪」 が 開いたのだ。
「輪」 は 開かないと、 鎖に なれない。
DNAと 一緒だ。
ちぎれたり くっついたり を 繰り返して 「命」 を 連鎖させていく。
トポロジー 的には、 無茶苦茶かもしれないが、
人は ・・・、 人と人との関係は ・・・、 そんな 「輪」 なのだ。
普段は 閉じている。 閉じているように 見える。
だけど きっと、 閉じたり 開いたりを いつも 繰り返しているのだ。
オレが 踊りたいのは、 そんな事と 関係していると思う。
で たまたま 自分が 開いた 瞬間、 いい気になって、
他人の 「輪」 まで 強引に 開こうとして、 気持ち悪がられたり する。
華麗に 見せる テクニックがないってのも 間違いないけど、
そこには 関心が ないわけで・・・
他の人の踊りの事は、 まだ今は なんとも言えない ・・・。
だとしたら 閉じてばかりでは いけない。 開きっぱなしでも いけない。
・・・ 自然な 往復が 不可欠だ。
それがないと、 他の人の 「輪」 を 強引に こじ開けてしまったり、
開いている 隙間に 気付かず、 繋がれなかったりする。
どちらにしても、 それでは 「鎖」 を 作れない。
「気付かず 通り過ぎてしまっていた 角」、 って その辺りにあるような 気がする。
行ったり 来たりしなければ、 見つからない。
*******************
以上 書いていて 思ったんだけど、 当たり前の 人間関係のような 気もする。
でも オレが 書きたかったのは、 踊りの事 ・ コラボレーションの事 だ。
男女の関係 とも 読めるな。 ・・・ 潜在意識として あるんだろう。
ま、 いいや ・・・
****************
勝手な 屁理屈を ダラダラと 書いてしまった。
こんな文章こそ、 閉じていると 思う。
でも 自分なりには、 ようやく 見えてきたように 感じる 『指 「輪」 物語り』 。
夏休みの自由研究の 中間報告、 として ブログに 載せたい。
本編は これから ・・・
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2008-08-06 22:53:50 up
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大岡川の岸辺で、 指輪が 一つ 消えました ・・・
僕の身体のどこかに 引っ掛っている、 そんな気がする。
いや そうではないかもしれない。
僕が 「僕の身体」 と思いこんでいる この感覚は、 「君の身体」 かもしれない。
「銀色の指輪」 を 見つけた方は、 ご連絡下さい。
※ 以上の文章。 トップページから、こちらへ移動。
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・・・ その後、 連絡は 入っていない。
7月13日は、ワッカがいっぱい だった。
朝、七夕の輪飾りを作った。
継ぎ足していけば、 いくらでも 長くなる。
でも、15個で やめた。
短冊も 吊るしたが、 願い事は 書かなかった。
直径4cmほどの、 金色のリングを 赤いヒモに結わえて 持って行った。
弘明寺では、 釣りの気分で川に投げ込み 引き摺った。
何か引っ掛るんじゃないと 期待したが、 なにも釣れなかった。
当たり前だ。
バンカート 横では デッキから垂らし、 川底の感触を 指先で確かめようとした。
だけど、
足元2~3m下を 身体の内側で感じているんだけど、
コツンとした 感触はなかった。
モヤモヤ、フワフワと、自分が水の中に拡張していく感じ。
もっと深いんだろうな、 と 思った。
もちろん、 何も 釣れるわけはない。
誰かが川に投げ込んだのだろう、浮き輪が 川に浮いていた。
引っ張り上げて、 遊んだ。
オレは、これに助けられて生きているのかもしれない。
梅若ゼミの メンバーが SANPOを 覗きに来てくれた。
若い 女の子、 2人。 それほど若くない 男の子、 2人。
嬉しかった。
で それぞれと、 ちょびっとだけ ・・・ 一緒に 踊った。
一緒に ・・・? 踊った ・・・?
いやいや、 確かに からんだ。 関係は しっかり 取れていた。
コラボレーション! とは、 言える。
でも 今の時代、 コラボレーション て だけなら
料理番組 でも やっている。
それだけでは、 繋がれない。
ワッカは、 閉じているから ワッカなのだ。
ただ 並べても 鎖には ならない。
踊り・DANCE感の 違いを乗り越え、 ただ からむ事は出来るけど
違いを つかみ合えない。 違うということを 共有できないのだ。
違ったまま、 並べるだけ。 関係性を 切り結べない。
それを乗り越えたいという 思い自体、 暑苦しい 発想だろうか?
けっして、 押し付けたくはないのだが ・・・
距離感覚の 違いか?
人の内側に 糸を垂らしてはいけない 時代。
そんな事を 感じながら
浮き輪で 遊んでいたら、 指輪が消えた。
指輪を 見つけられなかったのは残念だけど、きっと「物語り」は、その先にある。
探ってみたい。
**************
梅若組のみんな。
文殊の知恵熱。
僕が弘明寺でSANPOしていた頃、 鎌倉で迷子になって、
それでも覗きに来てくれた 福住ゼミの人たち。
どうやったら、 ぐるっと繋がるだろう・・・?
夏休みの 自由研究なのだ。
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たぶん ワッカは、 いったん 壊れなければ ならないのだろう。
でも 果たして、 それで 鎖が 出来るのかどうか?
それは 分からない。
出来ないほうが 良いのかもしれない。
鎖は 人を 縛るだろうから・・・。
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「人はそれぞれ、 DNAが 違う」 「だから あなたと私は 違うんだ」
この表現は 「すごく 嫌いだ」 という事の、 とても優しい 的確な 伝え方だと 思う。
だが もしオレが 言われたとしたら ・・・、
その人とは 永遠に 分かり合えないのだろうか?
人は 自分の DNA しか持てないという 共通点を 持っているんだよ!
・・・ なんてのは 「すごく 嫌い」 には、 通用しないな。
では・・・、
DNAは 鎖なんだ。 時々、 ちぎれる。 でも 再生する。
別の DNA とも、 繋がる。
閉じたり 開いたりするから、 命が あるんだ。
これも、 あんまり 説得力ないなあ。
だからどうしたの 世界だ。
「すごく 嫌いだ」 と、 誰かに言われて しょげてるわけではないので ご心配なく。
ただ 最近、 これに近い 強烈な表現に 久々に 出くわした。
「舞踏」 的な 表現も時として そんな風に 評される事があるので、 引っ掛っている。
気にしても 始まらないんだけど ・・・
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川のほとりで、 広場の 真ん中で、
これまで気付かず 通り過ぎてしまっていた 角を、 曲がってみたい。
「お・ど・る/SANPO」 が、 「SANPO」 を 始める。
新しい 景色に、 出会えるだろう。
そこでは、 たくさんの 「リング」 が、 輪になって 「お・ど・っ・て」 いる。
そんな、 イメージを 思い浮かべています。
消えた 指輪を、 探せ!
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これは、 7月17日付の SANPO ニュースに 書いた。
今も、 載せている。
ほんと、 お気楽な文章だが それは 置いといて ・・・
オレは なんでこんなに、 「輪」 に こだわっているんだろう?
「通り過ぎた 角」 って、 なんだろう?
実は ・・・、
指輪がなくなった事は あまり 気にしていない。
ありがちな事、 である。
仕方ない と思っている。
というより 無くなったわけじゃない、
どこかに 有るんだ と 思っている。
存在は 消えはしない。 1 を ゼロ にする事は、 できない。
約束も 願い事も、 同じだ。 情報も 存在なのだ。 情報が 存在なのかもしれない。
たとえ 形が 目の前に見えなくても、 形になっていなくても、
情報という存在は、 なくなりはしないのだ。
むしろ 形になったとたん、 情報は 形のなかに 奪われてしまう とも言える。
たった一つの 約束が、 指輪に すり変えられてしまう。
1 は 2 に、 なれない。 コピーはできても、 1 は 1 である。
形をコピーしたなら、 別の存在 1 が できるだけ。
情報を コピーしても、 片方が オリジナルで 片方は コピー だ。
その事だけでも、 違う情報だ。
純粋に 情報内容だけでいえば、 両方とも 同じ情報 1 だ。 2 ではない。
なんの 話を 始めたんだろう。
ま、 いいや。
最後まで 書こう ・・・
1 は 1 である。 その事は、 他の 1 を 疎外しない。 できない。
1 が 1 であっても、 他の 1 も やはり別の 1 である。
オレが 1 なのだから オマエは 1 じゃない、 とは ならないのだ。
「輪」 の話に、 戻る。
気になっているのは、 「輪」 が 引っ掛りあって 繋がって 「輪」になっていた事。
そして、 その 大きな 「輪」 を構成していた 小さな 「輪」 が ひとつ、
目の前から 消えた事。
閉じていた 「輪」 が 開いたのだ。
「輪」 は 開かないと、 鎖に なれない。
DNAと 一緒だ。
ちぎれたり くっついたり を 繰り返して 「命」 を 連鎖させていく。
トポロジー 的には、 無茶苦茶かもしれないが、
人は ・・・、 人と人との関係は ・・・、 そんな 「輪」 なのだ。
普段は 閉じている。 閉じているように 見える。
だけど きっと、 閉じたり 開いたりを いつも 繰り返しているのだ。
オレが 踊りたいのは、 そんな事と 関係していると思う。
で たまたま 自分が 開いた 瞬間、 いい気になって、
他人の 「輪」 まで 強引に 開こうとして、 気持ち悪がられたり する。
華麗に 見せる テクニックがないってのも 間違いないけど、
そこには 関心が ないわけで・・・
他の人の踊りの事は、 まだ今は なんとも言えない ・・・。
だとしたら 閉じてばかりでは いけない。 開きっぱなしでも いけない。
・・・ 自然な 往復が 不可欠だ。
それがないと、 他の人の 「輪」 を 強引に こじ開けてしまったり、
開いている 隙間に 気付かず、 繋がれなかったりする。
どちらにしても、 それでは 「鎖」 を 作れない。
「気付かず 通り過ぎてしまっていた 角」、 って その辺りにあるような 気がする。
行ったり 来たりしなければ、 見つからない。
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以上 書いていて 思ったんだけど、 当たり前の 人間関係のような 気もする。
でも オレが 書きたかったのは、 踊りの事 ・ コラボレーションの事 だ。
男女の関係 とも 読めるな。 ・・・ 潜在意識として あるんだろう。
ま、 いいや ・・・
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勝手な 屁理屈を ダラダラと 書いてしまった。
こんな文章こそ、 閉じていると 思う。
でも 自分なりには、 ようやく 見えてきたように 感じる 『指 「輪」 物語り』 。
夏休みの自由研究の 中間報告、 として ブログに 載せたい。
本編は これから ・・・
2008-08-06 22:53:50 up