7月25日にアップした 泉太郎展「ジャングルブック」の感想文(?)は、 福住ゼミで 課題提出した 原稿の version 2。 「秘密基地」の 意味を 強引に探っているうち、 安っぽい SF みたいな 文章になってしまった。 それはそれで 気に入ったので、 未完成のまま 載せてみた。
でも 論旨が 明確でないと 指摘された。 それはそうだ。 僕の中に 生じた 「物語り」 を 書いただけ。 メタファー だけで 閉じちゃったら、 論旨なんて 隠れてしまう。 「ふーん、 それがどうしたの」 って感じ。 僕の具体的な 意見が 必要なのだ。 ここは、 人に通じる 文章の表現方法を探るための ゼミである。 それが 楽しくて 通っている。
その後も 書き換え 書き換え、 version 4 で ようやく 一応の 及第点を 貰えた。
わーい、わい! 1ヶ所だけ 手直しして、 はい 載せま~す。
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「1枚のキャンバス」
10台ほどのテレビモニターに映像が流れていた。一つ一つは笑いを誘う、チープな感覚の映像作品である。日常の断片が切り張りされ、意味がずらされている。ねらいはナンセンスだろうか? ちょっと違うようだ。
「日々の生活は夢であり、実は保育園で、お遊戯をしているのかもしれない」
「オレという存在は、打ち消しあう2つの意志の残像かもしれない」
「人は本来の自分を、知らないうちに握り潰されているのかもしれない」
映像が並ぶと、別の世界が立ち上がる。現代という迷路、先の見えないジャングルが姿を現す。室内に取り残された「絵」や「文字」。廃墟感が漂う。唸るような、呟くような声が聞こえる。新たな創造主の気配。そんなインスタレーション作品である。
作家、泉太郎氏に質問した。「受けをネラっていますか?」。彼は目を上に向けた。「相手にするな。両目、上を向け!」。けれど次の瞬間、しっかりと前を向き、答えてくれた。「そのような意識で作っていません」。誠実なのだ。いつも真っ直ぐ、対象を見詰めているのだ。
映像画質のクオリティーの低さが、かえってリアリティーを与えている。結果、現実世界のほうが虚構なのだと錯覚させる。その浮遊感が愉快だ。画家である泉氏は作品の全体像を、的確に見定めている。危ない雰囲気のギャラリー。雑な感じのインスタレーション。夏の暑さから、観客が迷子になるであろう事まで、計算済みなのだ。だが、それらは絵の具に過ぎない。
「今という現実は、遠いかなたに置き去りにされた、惑星の記憶の複合体なのだ」
「消え去っていく現象の向こう側に、きっと永遠の形がある」
泉太郎は「神」になろうとしている。もちろん本当の「神」には、なれないだろう。でも、それでいい。アートとは、未完成だからこそ成立する、無垢でひたむきな「世界創造行為」なのだから。1枚の白いキャンバスが、観客達の心の底に広がっている。
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現在は、 「Chim↑Pom」 と 格闘中 ! そのうち 載せま~す。
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2008-08-17 15:52:06 up
でも 論旨が 明確でないと 指摘された。 それはそうだ。 僕の中に 生じた 「物語り」 を 書いただけ。 メタファー だけで 閉じちゃったら、 論旨なんて 隠れてしまう。 「ふーん、 それがどうしたの」 って感じ。 僕の具体的な 意見が 必要なのだ。 ここは、 人に通じる 文章の表現方法を探るための ゼミである。 それが 楽しくて 通っている。
その後も 書き換え 書き換え、 version 4 で ようやく 一応の 及第点を 貰えた。
わーい、わい! 1ヶ所だけ 手直しして、 はい 載せま~す。
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「1枚のキャンバス」
10台ほどのテレビモニターに映像が流れていた。一つ一つは笑いを誘う、チープな感覚の映像作品である。日常の断片が切り張りされ、意味がずらされている。ねらいはナンセンスだろうか? ちょっと違うようだ。
「日々の生活は夢であり、実は保育園で、お遊戯をしているのかもしれない」
「オレという存在は、打ち消しあう2つの意志の残像かもしれない」
「人は本来の自分を、知らないうちに握り潰されているのかもしれない」
映像が並ぶと、別の世界が立ち上がる。現代という迷路、先の見えないジャングルが姿を現す。室内に取り残された「絵」や「文字」。廃墟感が漂う。唸るような、呟くような声が聞こえる。新たな創造主の気配。そんなインスタレーション作品である。
作家、泉太郎氏に質問した。「受けをネラっていますか?」。彼は目を上に向けた。「相手にするな。両目、上を向け!」。けれど次の瞬間、しっかりと前を向き、答えてくれた。「そのような意識で作っていません」。誠実なのだ。いつも真っ直ぐ、対象を見詰めているのだ。
映像画質のクオリティーの低さが、かえってリアリティーを与えている。結果、現実世界のほうが虚構なのだと錯覚させる。その浮遊感が愉快だ。画家である泉氏は作品の全体像を、的確に見定めている。危ない雰囲気のギャラリー。雑な感じのインスタレーション。夏の暑さから、観客が迷子になるであろう事まで、計算済みなのだ。だが、それらは絵の具に過ぎない。
「今という現実は、遠いかなたに置き去りにされた、惑星の記憶の複合体なのだ」
「消え去っていく現象の向こう側に、きっと永遠の形がある」
泉太郎は「神」になろうとしている。もちろん本当の「神」には、なれないだろう。でも、それでいい。アートとは、未完成だからこそ成立する、無垢でひたむきな「世界創造行為」なのだから。1枚の白いキャンバスが、観客達の心の底に広がっている。
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