当ブログにご訪問いただきありがとうございます。突然ですが、この度ブログを引っ越すことになりました。前回の記事までは新ブログにも少し重複して掲載してあります。新しいブログ→史書から読み解く日本史こんな不定期のなまけブログにアクセスしてくださった読者の方々、またフォローしてくださったgooブロガーの方々には、この場をお借りして心より御礼申し上げます。新ブログの方も気まぐれに覗いていただければ . . . 本文を読む
実父垂仁天皇の後を受けて即位した景行天皇は、いよいよ日本統一の事業を開始します。『日本書紀』によると、景行帝がまず着手したのは筑紫への巡幸でした。その理由について同書では、熊襲が背いて朝貢しなかったので、熊襲征伐のための巡幸だったとしています。ただ当時の大和と熊襲の関係が、既に宗主国とその藩屏というものだったかどうかは疑わしく、恐らく朝貢云々は後世の脚色で、実際には熊襲が九州諸国を度々 . . . 本文を読む
続いて『日本書紀』本文では、皇后の兄の狭穂彦王が謀反を企てた話を伝えています。皇后が休息して家にいるときを伺い、狭穂彦は妹に語って「汝は兄と夫と孰れか愛しき」と問いました。皇后がその意趣を知らずに、「兄ぞ愛しき」と答えると、狭穂彦が誂えて言うには、「色を以て人に仕えるは、色衰えて寵緩む。今天下に佳人は多し。各々進んで寵を求む。豈永に色を恃むことを得ん。これを以て冀わくは、吾皇祚に登れば、必ず汝と天 . . . 本文を読む
続く天日槍を見てみると、日槍の出自は第四代新羅王脱解尼師今の子とされ、この脱解王は新羅人ではなく渡来人であり、日本出身とする見方が有力です。朝鮮の正史である『三国史紀』によると、脱解の故国は倭国の東北一千里にある多婆那国で、賢者として知られたことから二代新羅王南解次次雄の目に留まり、その娘を娶って遂には太輔の地位を任されるまでになったといいます。つまり天日槍は、父親が多婆那人、母親が新羅の王女とい . . . 本文を読む
『日本書紀』垂仁紀の冒頭に語られる任那と新羅に関する伝承は、任那が蘇那曷叱智を遣わして朝貢して来たという崇神紀の末尾に付せられた挿話から続くもので、本文の他にもいくつかの異伝を併載します。まず本文に言うところでは、垂仁帝が即位して間もない頃、蘇那曷叱智が国へ帰りたいと申し出ました。先皇の世に来朝して未だ還らなかったのでしょうか。そこで垂仁帝は彼に敦く賞し、赤絹百匹を齎して任那王へ贈らせました。然る . . . 本文を読む