史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

魏志:遼東征伐と倭人

2019-08-24 | 魏志倭人伝
一方で倭人の最初の来訪が景初三年では、逆に辻褄の合わなくなってしまうこともある訳で、その一つに倭王から魏帝への献上品があります。その内訳は前出の詔書の中に書かれていて、それによると難升米等が魏帝に献上した品々は、「男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈」です。しかし倭王の方から朝献を求めておきながら、その持参品が生口十人に布二匹というのは、いくら何でも有り得ないでしょう。班布については諸説ありますが、この場合は(綿布ではなく)粗い麻布のような生地だったと思われ、いずれにせよ国家間の贈答に使用するような代物ではありません。 . . . 本文を読む

魏志:親魏倭王

2019-08-21 | 魏志倭人伝
この景初二年というのは、様々な状況から見て景初三年が正しいのではないかとする説が古くからあって、発刊されている解説書の中には「三年の誤り」と断定している本もあります。当然ながら今となっては史実など知る由もない訳ですが、然したる証拠もないままに、紙面の状況分析だけで「三年」と決め付ける姿勢はいかがなものでしょうか。少なくとも魏と倭人との関係について、全文が現存する書物の中で、最も信を置けるのは『魏志』なのですから、そこに景初二年と記されている以上は、あくまでそれに基づいて歴史を読み解くべきでしょう。 . . . 本文を読む

魏志:倭国の周辺

2019-08-17 | 魏志倭人伝
そもそも倭国は江南の東にあると考えられていて、その風俗もむしろ南方系に近いと見られていましたから、本来倭人が朝貢すべきは中原の魏ではなく江南の呉の筈なのです。その呉は夷洲と澶洲への遠征に失敗して兵を失い、魏は艦隊を派遣することなく同じ海上の民である倭人の朝貢を受けた訳ですから、まさにこれは遼東征伐の成功に伴う外交上の大勝利であり、同時にこの遼東征伐こそは三国鼎立の終焉を告げる出来事だったと言えます。そして倭の女王が魏帝から殊の外厚遇されたのは、やはり最大の敵である呉を牽制するという意味合いが強いものでした。 . . . 本文を読む

魏志:倭国大乱

2019-08-14 | 魏志倭人伝
「一女子」とあるのを読み違えて、それに続く鬼道云々と合わせて小説化する者も後を絶ちませんが、文章の前後の流れからすれば明らかに先王の娘ですし、それ以外に解釈の仕様がありません。「名づけて卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年已に長大なるも夫婿なく」とある文を読めば、これが結婚をせずに巫女となった王女であることは、その後の『古事記』や『日本書紀』の同例を見ても疑いの余地がないでしょう。古来日本では、女性が巫師や祈祷師となる場合、専ら皇女をその任に当てることが多く、神功皇后の逸話に見られるように、皇后(皇族から選ばれる)がその大役を担うこともありました。 . . . 本文を読む

魏志:倭の風景(二)

2019-08-10 | 魏志倭人伝
この倭人即ち日本人の風習は、その後も殆ど変らなかったようで、江戸時代後半に日本を訪れ、長崎の出島から江戸まで赴いたとある西洋人の学者は、清や朝鮮では女性は奴隷同然の扱いであるのに、日本ではどこへ行っても男女が同席し、女性が当然のように大路や街道を往来していることに驚いています。因みに「酒好き」という性癖についても後年外国人から度々指摘されることになるのですが。身分に上下の差がある者同士の対応などは、そのままこれを宣教師が見た戦国時代の日本の風景と言われても何ら違和感を覚えないもので、これもまた千年以上の時を超えてなお変らぬ日本人の姿と言えるでしょう。 . . . 本文を読む