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日本軍「慰安婦」は“人身売買”の被害者?-安部首相の米紙インタビュー

2015年03月30日 | 三千里コラム

安倍首相の国会答弁(3月30日、衆議院予算委員会)


安倍晋三首相が4月26日から5月3日まで訪米する。4月28日には、オバマ大統領とホワイトハウスで会談する予定だ。そして米下院のベイナー議長(共和党)は3月26日、「安倍首相が4月29日に米議会の上下両院合同会議で演説する」と公表した。かつて、池田勇人・岸信介の両氏が下院で演説したことはあるが、両院合同会議での演説となると、日本の歴代首相としては初めてのことである。

同じく3月26日の夜、アメリカの有力紙『ワシントン・ポスト』電子版に、安倍首相のインタビュー記事が掲載された。インタビューの中で首相は、日本軍「慰安婦」問題について、“人身売買による被害者”と定義している。原文では「human trafficking」となっていたので、実際に首相が「人身売買」という言葉を使ったのか明らかではなかった。

しかし、30日の衆院予算委員会に出席した安部首相が、自らこの疑問に答えている。首相は「この問題については様々な議論がなされてきているところでございますが、その中において、人身売買についての議論も指摘されてきたのは事実でございました。その観点から、人身売買という言葉を使ったところでございます」と説明した。

「人身売買」の意味は、‘女性や児童を性的搾取や強制労働の対象とするために、さまざまな強制的手段を動員して本人の意志に反して売買する行為’と解釈できるだろう。では、旧日本軍による「慰安婦」制度を、「人身売買」と規定することは適切なのだろうか。

首相がこの用語を選択した理由を、『読売新聞』は的確に指摘している。「日本語の『人身売買』は旧日本軍が直接女性を連行したという強制性とは違う印象だが、英語の『human trafficking』には強制連行の意味がある。安倍首相が過去を否定していないことを示そうという意図がある」と報道している。巧妙にも、日本と米国では違ったニュアンスで解釈される言葉を見つけ出したわけだ。

日本政府の高官も28日、「人身売買には日本語の意味として強制連行は含まれない」と述べており(28日付『産経ニュース』電子版)、旧日本軍や官憲による強制連行説を否定する安部首相の信条を、そのまま反映した発言と理解すべきだろう。首相の意図は、「人身売買」が使用されたインタビューの文面を見ると一目瞭然である。彼は「人身売買の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験された人々を思うと心が痛む」と述べている。

だが、何よりも首相の発言には、人身売買の‘実行主体’が抜けている。日本軍「慰安婦」問題の核心は、募集過程から慰安所の設置・運営・管理に至るまで、日本軍が直接介入した事実を認めるところにある。ところが安倍首相は、実際にその犯罪行為を誰が犯したのかという、最も核心的な内容には触れていない。そのことで、「慰安婦」問題は民間業者の責任であって日本軍とは関係がない、とでも言わんばかりである。

「人身売買の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験された人々を思うと心が痛む」という首相の発言は、第三者的な立場からの個人的な憐憫と同情の表示に過ぎない。決して、加害国の政府を代表する謝罪と反省の言葉ではないのだ。

インタビューで首相は「歴史上で多くの戦争が発生し、そこでは女性たちの人権が侵害された」とも述べている。この発言の意図も明確であろう。‘従軍「慰安婦」問題は日本だけの問題ではない。戦時下では他の国々も同じような罪を犯した。なぜ日本だけが非難されるのか’という、駄々っ子のように稚拙な反論である。

「慰安婦」制度は日本軍が犯した‘特殊な事例’でなく、戦争に付随する‘普遍的な悲劇’なのだという論理のすり替えは、‘植民地獲得に奔走していた欧米列強と同じく、大日本帝国も朝鮮と台湾を植民地支配しただけ’という主張を彷彿させる。

人権の視点は、そのような責任回避を容認しない。いつ、どこであれ、女性を監禁し、軍人の性奴隷となることを際限なく強制した制度そのものを糾弾するのである。決して、日本軍「慰安婦」制度だけを糾弾しているのではない。日本政府が糾弾されるのは、その歴史的な事実に向きあおうとせず、責任回避に終始しているからだ。

安部首相が4月29日、米議会でどのような演説をするのか注視したい。日本軍「慰安婦」問題への言及を通じて、彼の歴史認識が検証されることになるだろう。同時に、上下両院議員たちの人権意識が問われる場でもある。「河野談話を踏まえている」という口先だけの反省に免罪符を与えるようなら、米国政府と議会は、「日米同盟強化」の国益を優先するあまり、「人間の尊厳」という根源的な価値を蔑ろにしたとの批難を免れまい。

想えば8年前の2007年7月31日、米下院は日本軍「慰安婦」制度を‘残虐性と規模において前例のない世紀の犯罪’と糾弾する『決議案121号』を満場一致で採択した。決議案は‘慰安婦の動員に強制性がなかったという日本首相の主張は強弁に過ぎない。公式声明を通じて謝罪せよ’と勧告した。その時も今も、日本の首相は、安倍晋三、まさに彼なのである。

「慰安婦」問題に関する安部首相の歴史認識には、何らの変化も見られない。
歴史は二度くり返すという。一度目は悲劇、二度目は喜劇として...。だが、これ以上は見たくもない喜劇である。(JHK)