国家人権委員会というものがある。2001年金大中政権の時に発足し、盧武鉉政権当時には、独立した機関として、大統領にも明確な批判や勧告を行った機関だ。
この機関ができたこと、そしてその活動は、韓国の民主主義をまたいちだん引き上げるものだった。
日本にいて、これもまた、まぶしかった。
それが今、何の役目も果たさない、空き缶機関になってしまった…
李明博の5年は、人権後退、民主主義後退の歴史として記憶されるのだろう。
by maneappa
……………………………
ハンギョレサランバンから転載
2012年07月21日07:15
「派兵反対」で渡り合った“人権委の独立性”、今は満身瘡痍
原文入力:2012/07/20 10:36(2724字)
ノ・ムヒョン政府に苦言したキム・チャングク委員長「独立機構というのはそういうもの」
チョ・ヨンファン、アン・ギョンファン委員長も専門性を基礎に地位を守る
今では行政府所属の待遇・・・「大統領の任命権はだめだ」との批判
さる2005年11月韓米FTAの米交渉反対デモに参加した農民2人が警察の鎮圧過程で死亡した。 12月26日国家人権委員会は「死亡原因は警察の過剰鎮圧にあり」として警察首脳部を問責せよとの勧告案を採択した。 すぐその翌日の12月27日、ノ・ムヒョン大統領は「人権委勧告に従って、責任者を摘発し被害者に賠償する」という対国民謝罪文を発表した。 二日後ホ・ジュンヨン警察庁長官は事態の責任を負って辞任した。 当時人権委は社会的弱者である農民の権益を守るために権力機関である警察に対抗して大統領まで謝罪させたのだ。
一方、2009年7月イ・ミョンバク大統領がヒョン・ビョンチョル人権委員長を任命して以来、人権委はMBCの<ディレクターの手帳>の捜査、ヨンサン惨事、民間人査察など国家機関の人権侵害事案に対して何の意見も出していない。 2009年12月28日ヨンサン惨事問題を扱った会議を「独裁したと言われてもかまわない」として強制閉会しさえした。 当時の肉声の入った音声ファイルも19日公開された。
このような態度をはじめとして国会聴聞会でどっと出てきた様々な疑惑と資格問題にもかかわらず、イ大統領はヒョン委員長の再任を強行する態勢だ。 人権侵害事案に関しては大統領に対しても断固としていた人権委がこの2年間たどった没落の歳月が、さらに延長されることになるのではとの憂慮が起きている。
■ 大統領と渡り合った歴代人権委員長
2001年11月にスタートした人権委は、大統領と対峙しながら法が定めた独立機構としての地位を現実化した。 初代キム・チャングク委員長は2002年11月大統領府に事前報告せずに海外出張に行ってきた。 大統領府は「公務国外旅行規定」に違反したという理由でキム委員長を“警告”措置した。 しかし人権委は「『公務国外旅行規定』は行政府所属の公務員を対象にしたものであって、独立機構の首長である人権委員長はこの規定を適用される必要がない」として公式的に反論した。 大統領の指揮と裁可を受けないという人権委首長の政治的メッセージでもあった。
ノ・ムヒョン大統領時代の2003年3月、人権委は政府が推進していたイラク派兵に反対する声明書を採択した。 当時ムン・ジェイン大統領府首席はキム・チャングク委員長に電話をかけ、「発表するのは良いが大統領に事前に言質も与えないなどというやり方があるか」と言って腹を立てた。 キム委員長は「独立機構とは本来そういうものだ」と一蹴した。 かえって、野党であるハンナラ党が「大統領の意向に反する立場を明らかにしたのは本分を忘却した国論分裂行為」として非難したのに対し、盧大統領は「人権委は本来そのような仕事をするようにと設けたものだ」という見解を明らかにし、論議が一段落した。
キム・ヒョンワン人権政策研究所長は「スタート初期には他部署の公務員たちが、人権委の独立性と権威を理解することも認めることもできなかった」として「しかし人権委員長が大統領と正面対立する過程を見守った公務員と国民は、独立機構としての人権委の地位を自然に確認するようになった」と語った。
■ 人権委員長の権威がとりもなおさず人権委の地位
歴代の人権委員長が大統領府の顔色を伺わなかったのは、彼らが人権と関連した専門性と権威を認められたためだ。 初代キム・チャングク委員長は軍事政権時代に時局事件の弁論をいつも引き受けていた著名な人権弁護士だった。 キム委員長は2002年10月ソウル中央地検で調査を受けた被疑者が検事の拷問で死亡した事件で、地検長が人権委の調査を拒否するや、電話をかけて「直ちに調査を受けなさい」と叱り飛ばしたこともある。 第3代のチョ・ヨンファン委員長は富川(プチョン)警察署性拷問事件を捜査した特別検査出身だ。 第4代のアン・ギョンファン委員長も、人権法に造詣が深いうえに<参加連帯>の執行委員長を務めるなど、社会的弱者のための活動をした経歴があった。 一方、ヒョン・ビョンチョル委員長は自ら言論インタビューで「(人権を)知らないのが却って長所」と話すほど人権関連経歴は皆無である。
外国の事例を見ても、人権関連の経歴がない人が人権委員長に任命されたケースは見出しがたい。 ニュージーランドのロスリン・ヌナン人権委員長は国連人権委員会と国際労働機構など人権関連国際機構で4年間仕事をした。 南アフリカ共和国のジョディ・コラペン人権委員長は人種差別政策であるアパルトヘイトで迫害される人たちを弁護した。 タイのアマラ・ポンサピチュィ人権委員長は女性人権と社会福祉分野で活躍してきた人類学者だ。
ホン・ソンス淑明(スンミョン)女子大教授(法学)は「国際社会で国家人権機構は一国家の“良心”と呼ばれる」として「私たちより政治経済領域で遅れていると評価される国ですら、その国の人権を象徴する人物が人権機構の首長を務めている」と説明した。
■ 独立機構の首長を大統領が任命?
人権委員会法は「その権限に属する業務を独立的に遂行する」と規定しているが、人権委員長を大統領が任命する現行制度では政権から完全に自由にはなれない限界がある。 実際、大統領業務引継ぎ委員会当時に人権委を大統領直属機構にしようとしたイ・ミョンバク大統領の任命したヒョン・ビョンチョル委員長は、2009年7月就任後初めて出席した国政監査の場で「人権委は行政府所属」と話したことがある。
このために候補者推薦委員会等を通した民主的な任命制度が導入されなければならないという主張が提起される。 タイの場合、任命は国王がするが、多様な人々で構成された委員選抜委員会で一次に検証された候補の中で国会が表決を通じて決める。 人権委員を選抜する際に人種、生まれた国、宗教、性指向性などにおいて社会的少数者を代表する人々を必ず含めるようにしている英国のように、人権委員の資格基準を明確にする必要もある。
チン・ミョンソン、オム・ジウォン記者torani@hani.co.kr
原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/543414.html 訳A.K
この機関ができたこと、そしてその活動は、韓国の民主主義をまたいちだん引き上げるものだった。
日本にいて、これもまた、まぶしかった。
それが今、何の役目も果たさない、空き缶機関になってしまった…
李明博の5年は、人権後退、民主主義後退の歴史として記憶されるのだろう。
by maneappa
……………………………
ハンギョレサランバンから転載
2012年07月21日07:15
「派兵反対」で渡り合った“人権委の独立性”、今は満身瘡痍
原文入力:2012/07/20 10:36(2724字)
ノ・ムヒョン政府に苦言したキム・チャングク委員長「独立機構というのはそういうもの」
チョ・ヨンファン、アン・ギョンファン委員長も専門性を基礎に地位を守る
今では行政府所属の待遇・・・「大統領の任命権はだめだ」との批判
さる2005年11月韓米FTAの米交渉反対デモに参加した農民2人が警察の鎮圧過程で死亡した。 12月26日国家人権委員会は「死亡原因は警察の過剰鎮圧にあり」として警察首脳部を問責せよとの勧告案を採択した。 すぐその翌日の12月27日、ノ・ムヒョン大統領は「人権委勧告に従って、責任者を摘発し被害者に賠償する」という対国民謝罪文を発表した。 二日後ホ・ジュンヨン警察庁長官は事態の責任を負って辞任した。 当時人権委は社会的弱者である農民の権益を守るために権力機関である警察に対抗して大統領まで謝罪させたのだ。
一方、2009年7月イ・ミョンバク大統領がヒョン・ビョンチョル人権委員長を任命して以来、人権委はMBCの<ディレクターの手帳>の捜査、ヨンサン惨事、民間人査察など国家機関の人権侵害事案に対して何の意見も出していない。 2009年12月28日ヨンサン惨事問題を扱った会議を「独裁したと言われてもかまわない」として強制閉会しさえした。 当時の肉声の入った音声ファイルも19日公開された。
このような態度をはじめとして国会聴聞会でどっと出てきた様々な疑惑と資格問題にもかかわらず、イ大統領はヒョン委員長の再任を強行する態勢だ。 人権侵害事案に関しては大統領に対しても断固としていた人権委がこの2年間たどった没落の歳月が、さらに延長されることになるのではとの憂慮が起きている。
■ 大統領と渡り合った歴代人権委員長
2001年11月にスタートした人権委は、大統領と対峙しながら法が定めた独立機構としての地位を現実化した。 初代キム・チャングク委員長は2002年11月大統領府に事前報告せずに海外出張に行ってきた。 大統領府は「公務国外旅行規定」に違反したという理由でキム委員長を“警告”措置した。 しかし人権委は「『公務国外旅行規定』は行政府所属の公務員を対象にしたものであって、独立機構の首長である人権委員長はこの規定を適用される必要がない」として公式的に反論した。 大統領の指揮と裁可を受けないという人権委首長の政治的メッセージでもあった。
ノ・ムヒョン大統領時代の2003年3月、人権委は政府が推進していたイラク派兵に反対する声明書を採択した。 当時ムン・ジェイン大統領府首席はキム・チャングク委員長に電話をかけ、「発表するのは良いが大統領に事前に言質も与えないなどというやり方があるか」と言って腹を立てた。 キム委員長は「独立機構とは本来そういうものだ」と一蹴した。 かえって、野党であるハンナラ党が「大統領の意向に反する立場を明らかにしたのは本分を忘却した国論分裂行為」として非難したのに対し、盧大統領は「人権委は本来そのような仕事をするようにと設けたものだ」という見解を明らかにし、論議が一段落した。
キム・ヒョンワン人権政策研究所長は「スタート初期には他部署の公務員たちが、人権委の独立性と権威を理解することも認めることもできなかった」として「しかし人権委員長が大統領と正面対立する過程を見守った公務員と国民は、独立機構としての人権委の地位を自然に確認するようになった」と語った。
■ 人権委員長の権威がとりもなおさず人権委の地位
歴代の人権委員長が大統領府の顔色を伺わなかったのは、彼らが人権と関連した専門性と権威を認められたためだ。 初代キム・チャングク委員長は軍事政権時代に時局事件の弁論をいつも引き受けていた著名な人権弁護士だった。 キム委員長は2002年10月ソウル中央地検で調査を受けた被疑者が検事の拷問で死亡した事件で、地検長が人権委の調査を拒否するや、電話をかけて「直ちに調査を受けなさい」と叱り飛ばしたこともある。 第3代のチョ・ヨンファン委員長は富川(プチョン)警察署性拷問事件を捜査した特別検査出身だ。 第4代のアン・ギョンファン委員長も、人権法に造詣が深いうえに<参加連帯>の執行委員長を務めるなど、社会的弱者のための活動をした経歴があった。 一方、ヒョン・ビョンチョル委員長は自ら言論インタビューで「(人権を)知らないのが却って長所」と話すほど人権関連経歴は皆無である。
外国の事例を見ても、人権関連の経歴がない人が人権委員長に任命されたケースは見出しがたい。 ニュージーランドのロスリン・ヌナン人権委員長は国連人権委員会と国際労働機構など人権関連国際機構で4年間仕事をした。 南アフリカ共和国のジョディ・コラペン人権委員長は人種差別政策であるアパルトヘイトで迫害される人たちを弁護した。 タイのアマラ・ポンサピチュィ人権委員長は女性人権と社会福祉分野で活躍してきた人類学者だ。
ホン・ソンス淑明(スンミョン)女子大教授(法学)は「国際社会で国家人権機構は一国家の“良心”と呼ばれる」として「私たちより政治経済領域で遅れていると評価される国ですら、その国の人権を象徴する人物が人権機構の首長を務めている」と説明した。
■ 独立機構の首長を大統領が任命?
人権委員会法は「その権限に属する業務を独立的に遂行する」と規定しているが、人権委員長を大統領が任命する現行制度では政権から完全に自由にはなれない限界がある。 実際、大統領業務引継ぎ委員会当時に人権委を大統領直属機構にしようとしたイ・ミョンバク大統領の任命したヒョン・ビョンチョル委員長は、2009年7月就任後初めて出席した国政監査の場で「人権委は行政府所属」と話したことがある。
このために候補者推薦委員会等を通した民主的な任命制度が導入されなければならないという主張が提起される。 タイの場合、任命は国王がするが、多様な人々で構成された委員選抜委員会で一次に検証された候補の中で国会が表決を通じて決める。 人権委員を選抜する際に人種、生まれた国、宗教、性指向性などにおいて社会的少数者を代表する人々を必ず含めるようにしている英国のように、人権委員の資格基準を明確にする必要もある。
チン・ミョンソン、オム・ジウォン記者torani@hani.co.kr
原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/543414.html 訳A.K
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