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以前紹介しましたが、
昨日、「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークルの活動を通して」という集会がありました。
名古屋大学留学生センターのオープンフォーラムで、磯貝治良さんの発表のほかに、文芸評論家の清水良典さんの磯貝治良の評価、そして最近小説家としての人生を歩み始めた黄英治さんからは、「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」というテーマで話された。
そのことを黄英治さんが自身のFacebookに載せていたので、ここに転載します。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めない日本人ということになるのかも知れません。
そう、絶妙な表現ですね(*^。^*)
by maneappa
……………………………
先ほど名古屋から帰宅。
「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークルの活動を通して」のコメンテーターとして参加。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」というテーマで話した。
その結論。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めない日本人ということになるのかも知れません。
在日朝鮮人はいつも説明させられます。なぜ日本にいるのか、どうして日本人と変らないのに朝鮮人なのか、なぜ参政権がないのか、どうして国へ帰らないのか、差別なんかないのではないか、いつまで謝ればいいのか、日本は朝鮮でいいことをしたんじゃないか、なぜ南北は分断しているのか、どうして日本語が話せるのか、なぜ朝鮮語が話せないのか、日本で生きて行くのに朝鮮学校は必要なのか、なぜ朝鮮人が日本学校に通っているのか、パチンコ屋に朝鮮人が多いのはなぜか、韓国と北朝鮮では言葉が通じるのか、どうして統一しなければならないのか、南北は分かれたままでいいじゃないか……。
質問者が本来知っているべきことを、説明させられることほど、わずらわしいものはありません。うんざりする無知と、歴史、現実の歪曲、日々の圧迫のなかで生きている私、在日朝鮮人にとって、磯貝治良という存在は、希望です。
だからこそ、磯貝治良に並び、続く社会運動家・文学者の出現を、私(たち)は、心から願っています。
昨日、「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークルの活動を通して」という集会がありました。
名古屋大学留学生センターのオープンフォーラムで、磯貝治良さんの発表のほかに、文芸評論家の清水良典さんの磯貝治良の評価、そして最近小説家としての人生を歩み始めた黄英治さんからは、「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」というテーマで話された。
そのことを黄英治さんが自身のFacebookに載せていたので、ここに転載します。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めない日本人ということになるのかも知れません。
そう、絶妙な表現ですね(*^。^*)
by maneappa
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先ほど名古屋から帰宅。
「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークルの活動を通して」のコメンテーターとして参加。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」というテーマで話した。
その結論。
「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めない日本人ということになるのかも知れません。
在日朝鮮人はいつも説明させられます。なぜ日本にいるのか、どうして日本人と変らないのに朝鮮人なのか、なぜ参政権がないのか、どうして国へ帰らないのか、差別なんかないのではないか、いつまで謝ればいいのか、日本は朝鮮でいいことをしたんじゃないか、なぜ南北は分断しているのか、どうして日本語が話せるのか、なぜ朝鮮語が話せないのか、日本で生きて行くのに朝鮮学校は必要なのか、なぜ朝鮮人が日本学校に通っているのか、パチンコ屋に朝鮮人が多いのはなぜか、韓国と北朝鮮では言葉が通じるのか、どうして統一しなければならないのか、南北は分かれたままでいいじゃないか……。
質問者が本来知っているべきことを、説明させられることほど、わずらわしいものはありません。うんざりする無知と、歴史、現実の歪曲、日々の圧迫のなかで生きている私、在日朝鮮人にとって、磯貝治良という存在は、希望です。
だからこそ、磯貝治良に並び、続く社会運動家・文学者の出現を、私(たち)は、心から願っています。
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