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菓子パンで軽く昼食を済ませる。次の第三十八番札所金剛福寺までは、全区間中最長であると聞いたので、本日の参拝はあきらめる。
四万十川に沿って、大正町に寄り道する事にした。ここで長いこと心に引っ掛かっていた光景を確認するためだ。
前にも書いたが、若い頃、自転車でふらふら旅行していた頃。高知駅近くの、ユースホステルに宿泊した。
この手の宿には夕食後にミーティングと称して、宿泊者同士で親睦をはかる時間がある。そこで県大会に来ていた大正高校のテニス部の諸君と親しくなった。
自分もつい先ごろまで高校生であったにもかかわらず、先輩づらで、フーテンの寅さんよろしく、旅のほら話を、面白可笑しくしているうちに、話題が詩や短歌に及んだ。
3年生の男子部員が、なんかの短歌コンクールで入賞した作品を、テレながらも披露してくれた。
なんでもないような文句なのだが、メモもしてないのに、よく覚えている。時おり思い出したりしては、長い間、私と高知との接点になっている。
四万十の さざ波よせる この丘に わが学び舎は 今日も立ちなむ
この大正高校と四万十川、そして、ほとんど、人を疑う事をせず、私のさして面白くもないギャグに、笑い転げた高校生を育んだ大正町へ、いつかチャンスがあれば訪れてみたいと考えていた。
そう思いつつも、かれこれ25年がすぎ、私の中では、時の流れと共に、ある種、幻の地となり、だんだんと抽象化して、ついには、私がユートピアと憧れる、北欧アニメのムーミン谷に、進展していた。
町に着くなり、いきなりハプニングである。四万十川で、カバが直立して岸田今日子の声で話していた。という訳ではない。
大正高校が見当たらないのだ。あの夜は幻だったのか?
わが青春の美しき思い出を、早くもアルツハイマーの症状かと、疑う鬼嫁の視線に耐えつつ、交番で尋ねてみた。
何のことはない、大正高校は四万十高校と改名しており、この交番のすぐ近くにあった。
この高校は自然環境コースが、設置されており、全国規模で生徒を募集しているらしい。四万十川の源流を調査したり、屋久島で研修したりと、なんとも楽しそうな学校である。
そして、まさにあの短歌のままの風景だった。バタンコ88号の車中から、四十過ぎの男女の顔を、さぐりながら町を後にした。
この地で家を継ぎ、暮らしているテニス部員もいるにちがいない。今の彼らの生活を想像させるには、25年は、長すぎたと思い知る。
大正町を出て、昭和町を過ぎ、もしかしたら次は明治町なら面白いが・・、そうはならなかった。土佐中村を目指しハンドルを右往左往する。後部座席では三人仲良くお昼寝タイム。
話し相手もなく、センチメンタルな気分のまま、萩本欣一選「スター誕生のヒット集」なるCDをかける。曲と共に30年も前の日々が蘇る。
商売に追われ、わが胸の奥でほこりをかぶっていた、グレープフルーツを砂糖で煮付けたような、スウィート・サワー・ファーストラブが甦る。
あれは、学研が出していた「高2コース」なる高校生向け雑誌の、文通欄から始まった。文通相手募集のコーナーに、愛媛県今治市の自称、山口百恵似の淳子と名乗る魚屋の娘を発見。容姿不問とある。
早速、家庭内魚屋環境の事や、「あのねのね」の「魚屋のおっさんの唄」で困ったなど、綴りアプローチの手紙を出す。
すぐに返事が来た。写真が同封されていた。山口百恵とゆうより、どちらかと言えば、森昌子に似ていた。
こちらも、容姿は藤正樹(デビュー時は演歌の怪童と呼ばれた一発屋)程度なので、欽ちゃんに免じて文通開始。
さらに、私の悪友で橋本(こいつも魚屋の息子)が、GFをねだるので、淳子さんに友人を紹介してもらう。これがまた魚屋の娘で、えらい生臭いグループ交際となった。
頻繁に手紙をやり取りする内に、城みちるにイルカを借りて、海を越え会いに行き、文通からグループ交際へ、プラトニックラブから、砂浜で水かけごっこをへて、不純異性交遊へと、お決まりのコースで順調に愛をはぐくんでいった。
楽しい月日は、あっと言うまで、やがて、赤い夕陽が校舎を染めて、高校三年生になり、卒業を迎えて、不純異性交遊をしながらも勉強していた彼女は東京の大学へ、パチンコ屋に投資していた私は、蛍雪時代へと突入し、お決まりのコースで、二人の仲は自然消滅した。
一方、実家に就職した橋本の方は、なんの波風も立てることなく彼女と結婚し、今では私の店とは比較にならないぐらいの大型鮮魚店を経営している。
こいつによれば、淳子さんは今も元気で、なんでも、保母に振られて落ち込んでいた市役所の職員を養子にもらい、夫婦で親の店を継ぎ、魚屋をしているらしい。
今更、もう一度会いたいとか、どうにかなりたいとか云う気持ちはないが、遠巻きにでも様子をうかがい、支離滅裂な私の人生の巻き添えをくわなかった幸運を讃えてあげたい。
車中、どの程度の不純異性交遊だったかは、具体的に思い出せないまま、バタンコ88号は土佐中村(今では地図に四万十市とある)に到着。
長い間、純粋異性交遊さえしていない鬼嫁と、子供らを起こし、夕食にショッピングセンターに行ってみる。いったいどんなCIAの策略か知らないが、ここにもマクドナルドだ。アンケート用紙に刺身定食を出して欲しいと書いておいた。
海辺の温泉施設で汗を流し、この夏、我が家で夢中になっている8時の連続ドラマに間に合うよう、急いでバタンコ88号に帰る。今日も人気のない道端で車野宿。川でカバがカルピスを飲んでいる夢をみた。
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